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雫、あのね  作者: やきにく
11/17

10.記憶よりも大事なモノ

 海沿いの道に差し掛かると、潮風が鼻をくすぐってきた。

 この辺に差し掛かると、屋台の数は少なくなってくる傍ら、港へ向けて歩く人たちの姿も多くなっている。


 スマートフォンを見ると、画面内の時刻は六時四十五分を指していた。一時間もしないうちに花火も始まるだろう。


 海沿いの道を歩いていくと、手すりに灯篭が吊るされていた。子供が描いたであろうひまわりの絵が描かれたものや、本格的に描いた風景画の灯篭まであった。どれも内側に取り付けられている灯りのおかげで、不思議な光を放っている。


「あっ、玲児さん、あれもひょっとして灯篭なのでしょうか?」


 咲良が示した方向を見ると、手すりに吊るされているそれとは比較にならないほどの大きさの灯篭があった。灯篭には坊主の絵が描かれていて、緑色の光を放っている。


 さらに海上で船に乗った男たちが奏でている祭囃子もあって、灯篭の光と祭囃子の音が織りなす幻想と活気さが入り混じった夢のような景色を作り上げていく。


「情緒があっていいですね……。このまま眺めていたい気分です」


 大灯篭を前に咲良は夢夢しそうな気分で立ち尽くしていた。


 すると、雫がふらりと玲児のもとに近付いて、「ねぇ」と言いたげに玲児のシャツを軽く引っ張った。


「咲良のこと、聞いたー?」


 彼女に聞こえないように、ぼそぼそと小声で訊いてきた。


「聞いたって何を?」


「病気の事とか、後は……告白とか」


 病気、告白……。今、夏祭りで楽しんでいる気分が引っ込みそうなほどに大事なワードを聞いて、玲児は片手を頭に当てると、大いに悩んだ。どう言えばいいんだろう。


「病気って、こんなタイミングで聞けるようなものじゃないだろ。それに告白ってさ……告白かあ」


 一度、玲児は口を閉ざした。今、玲児が咲良に抱いている気持ちを雫に伝えるべきかやめるべきか、迷っているのだ。


 決めた。とりあえず雫には話そう。黙っててもしょうがないし、頭の中で浮沈している自分の気持ちをはっきりさせなきゃ。言わなければ雫だって納得しないだろうし。


「……俺は、咲良の事は好きだよ。だけど、まだ告白はできない」


「どうして? せっかくの祭りだし、思い切って告白しちゃえばいいのにー」


「なんていえばいいんだろうな……。まだ、俺の中に色んな気持ちがあってさ、その整理がつくまで告白とか、自分の気持ちを伝えるのはしないって決めているんだ。こういう大事なトコロは中途半端にしたくないしね」


「色んな気持ちって、なに?」


 君も咲良と同じくらい好きなところだよ。


それに、咲良に対して抱えている違和感……未だに玲児の心につっかえているあの違和感が取れない限り、きっとそれを引きずったまま、彼女と付き合うことになる。それだってきっと、中途半端じゃないか。


 だけどこれは俺と咲良に関わる事。自分で考えて自分で動きたいから、まだ胸に秘めておこう。


「内緒。いつか教えてあげるから」


「ホントかなー? 体に直接聞いてもいいんだよー?」


 ワキワキと雫の右手が獲物を捕らえる蜘蛛のように動いた。絶対首筋をくすぐる気だな、と玲児は苦笑いした。


「それはちょっと勘弁してほしいかなー……」


 ちょっとあきれ加減に肩をすくめて、雫から咲良が立っている大灯篭へ視線を移した。


……あれ?


 さっきまでいた場所に、咲良の姿がなかった。ほんの一分ぐらい目を離しただけなのに、煙のように消えてしまったのだ。


「あれー? 咲良、どこ行っちゃったんだろ?」


 雫があちこち見渡す。玲児も、大灯篭の向こう側や周囲を見渡してみるが、やっぱり咲良の姿はなかった。


 咲良が迷子になった。さすがにこれってヤバい状況だよな……。嫌な胸騒ぎを覚える。


「レイ、あたしここら辺探してみるから、向こうの神社あたりを探してきて」


「分かった。見つかったら連絡するよ。そしたら、そのまんま港に行くよ」


「オッケー」


 玲児と雫はそれぞれ示し合わせて、別れた。


 雫に言われた通り、玲児は大灯篭を展示してあるところから南に歩いたところにある西願にしねがい神社に向かった。


西願神社は、游漁港を挟んだところにある東願ひがしねがい神社と合わせて『願神社ねがいじんじゃ』と呼ばれている。


 二つの神社は向かい合うような位置に立っており、『願』いが叶うことから、パワースポットとしても人気がある。特に、西願神社で勾玉を、東願神社で袋を貰い、勾玉を袋に入れると恋愛への良縁のお守りになるのだ。


 玲児は西願神社に着くと、境内に入った。

 境内でも、もう祭りも終盤に差し掛かっているというのにまだまだ人でごった返しており、焼きそばを売っている屋台も設置されている。


 さすがにこの日は勾玉の販売は終わってるだろうけれども、それでも拝殿前で手を合わせて拝むカップルや老人の姿が見受けられる。


 玲児は顔だけ右往左往させて咲良の姿を探し出した。咲良の髪は真っ白なポニーテールだから、結構目立ちやすい気がするんだけれども。

 ふと、スマートフォンを覗くと、時刻は七時を指していた。まずい、多少前後するとはいえ、あと三十分で花火が始まる。


 参ったな……マジでどこに行ったんだろう。

 もうお手上げというふうに腰に手を当ててまごついた。


「玲児さん……?」


 咲良の声が聞こえた。思わず振り返ると、咲良が鳥居の真下に立って、おろおろとした様子で玲児を見ていた。


「咲良」


 よかった。ここにいたんだな。安堵の息を漏らしつつ、玲児は咲良に近付いた。すぐに咲良はペコペコと頭を下げて謝った。


「ごめんなさい、玲児さん。船の上の祭囃子に夢中になってて……」


「いや、俺たちも心配したよ。とにかく、変なことに巻き込まれてないだけよかった」


「ご心配おかけしました。本当にごめんなさい」


 頭を下げる勢いが強いのか、ポニーテールが空中でしなった。玲児が「もういいよ」と止めるまで、きっと彼女は謝り続けただろう。そうしかねないような勢いだった。


 玲児は咲良が見つかったことを雫に連絡しようとすると、「あの」と咲良が呼び止めてきた。


「どうしたの?」


「花火まで、あとどのくらいですか?」


「えっと、確か三十分くらいだと思うけど」


「……それなら」


一度、咲良は地面にある石畳を見て、それから意を決したように顔を見上げて玲児と目を合わせた。彼女の金色の瞳の奥から、強い意志を感じた。


「ちょっとわたしと、お話……しませんか?」


「……え」


 やわらかい潮風が吹いて、鳥居から拝殿まで吹き抜けながら、咲良のポニーテールを揺らしていった。



 玲児と咲良は、拝殿に上がるそばにあったベンチに座った。

 ちょっとお話しませんか、と話して以降、咲良は口を開こうとしなかった。俯いて、また地面を眺めてばかりだ。なにか、緊張しているみたいに。


 咲良にしては珍しい、と玲児は思った。

 いつもハキハキしていて、自分の気持ちもきちんと伝える咲良が、今は落ち込んだように無言を貫いている。まるで、ドラマで見た取り調べを受ける犯人だ。


 目の前にいる子供たちが金魚の入ったビニール袋や水風船を持って走り回ったり、男女のカップルが「ここは縁結びのスポットなんだよ」とにぎわっている中で、玲児と咲良の空間だけが沈黙のバリアで守られていた。

だけど、誰もそれを気にする人間なんていない。だって楽しい遊漁港まつりなのだから。


 このまま無言を貫いたって何も始まらない。変な話だけれども――こっちが勇気を出して、口を開いた。


「ねぇ、咲良。話って何かな」


 その声は震えていた。

 玲児は恐れていた。これから咲良が、何を話そうとしているのか、玲児にはなんとなく察することが出来た。だからこそ、怖い。今通っている高校にも、不良の類は数人いるけれども、そいつらに囲まれるよりも、彼女の話を聞く方がずっと恐ろしく感じる。


 咲良が、珍しく話すことをためらっているのだって、きっと玲児に、自分に起きた事実を伝えるのが怖くて仕方がないんだ。咲良の横顔を覗くと彼女の顔はより一層青ざめていて、幽鬼のような存在に感じる。


「あの、玲児さん……」


 玲児の言葉に後押しされたかのように、咲良は口を開いた。その声もまた震えていた。


 だけど、そこで覚悟を決めたように顔を上げ、大きく深呼吸すると、しっかりと玲児の顔を見て、そして笑った。


「玲児さん、聞いて下さい」


 震えはもう、無くなっていた。


「わたし、もう長くは生きられないんです」


 もう長くは生きられない。

 玲児は一度まばたきした。長く生きられない――どういうことだ。野球で自信満々に投げた変化球を打ち取られて、逆転ホームランを許したピッチャーのように、玲児は唖然としていた。


「長く生きられないって……?」


 普通にしゃべろうと思っても、小さな声しか出せなかった。


「半年――わたしが、お医者様に告げられた余命なんです」


 半年?


「いつ、言われたの?」


「わたしがあなたに助けられて、病院で目を覚まして、一週間ほどです」


 つまり、初めて玲児と雫に会ったあの日から数日経ってからか。


「どんな病気なの?」


「それが分からないんです」


 咲良は首を横に振って続けた。


「わたしの身体の中には、がん細胞のように増えている小さな異物のようなものがあるとお医者様はおっしゃってました。摘出しようとしても、色んなところに転移しているみたいで……もう手の施しようがないそうです」


「……そんな」


 胸の内側で、何度も何度も、黒い大爆発が起きている。


 咲良が病気だというのは、雫が予想していたのである程度は覚悟できていた。だが、もう長くは――それも、あとほんの数か月程度しか生きていられないなんて信じられない。


「そんなの、嘘だろ? だって、咲良はこうして元気に歩いて、しゃべっているじゃないか」


「ええ、こうして身体は元気に動かせます。お医者様も首をかしげていたんです。わたしの中にある異物も、少し摘出して調べているのですけれども……どんなものなのか、全くわからずじまいなんです」


 だけど、と咲良の表情に翳りが差した。


「時折、ひどい発作を起こすことがあるんです。血を吐くのがが止まらない時があって……お腹がねじり切れるような痛みに襲われて、本当に死んじゃうんじゃないかって思ったことも、何度もありました」


「……知らなかった」


 いつも見る咲良は気丈で、元気で、死が迫るような感じなんて全くなかった。

 だけど、どんなに元気にふるまっても、決して隠し切れないものがあった――急激に痩せ衰える彼女の身体が、咲良を病が蝕んでいる証じゃないか。


「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」


 玲児も雫も医者じゃないから、咲良の中にある異物を取り除くことも、治すことはできない。だけど、なにかきっと力になれたはずなのに。


 その言葉が、咲良の琴線に触れたようだ。


「もちろん、言いたかった……。だけど、怖くて……わたしを助けてくれたあなた達を、悲しませたくなくて、わたしは……!」


 咲良はほとんど衝動的に叫んで、自分のズボンを強く握りしめてを掴んで震えた。前髪に隠れて見えないけれども、彼女の細い顎から、涙が零れ落ちた。


「玲児さん……わたし」


 一度咲良は天を仰いでため込んだ負の感情を吐き出す――あるいは、昂った自分の感情を落ち着かせるように、大きくため息を吐いて、零れ落ちた涙を細い人差し指でふき取った。


「もう、自分の記憶を探すのは、やめようと思うんです」


「えっ? でも……」


 意外な告白だった。あれだけ自分が何者か知りたがっていたのに。


「びっくりしました? でも、これでいいんです。記憶を取り戻せないまま、死ぬのはもちろん嫌ですが……。どうせ記憶が戻らないなら、いっそ、玲児さんたちと沢山、新しい思い出を作って死にたいなって、わたし思ったんです」


 だから、弱っていた身体を押して、この祭りに出たのか。玲児たちと思い出を作るために。


 医者からも、多分何度も止められているはずだ。記憶探しの時だって、きっとハンバーガーを食べる時や歩き回ることも禁止させられていたかもしれない。


「強いんだなぁ……咲良は」


 もしも咲良と同じ立場だったら、俺なら耐えられない。咲良の言う「血を吐きながら腹がねじり切れるような苦痛」に耐えながら、いつやってくるのかも分からない死に怯えて、気でも狂いそうだ。


「そんなことないですよ」


 咲良は遠慮がちに笑うと、そっと玲児へ寄り添った。


「だからわたし――最後の瞬間まで、たくさん思い出を作りたいです。みんなと一緒に」


 さっきまでの暗さと悲しみをぶっ飛ばすように、咲良は立ち上がって両手をぐっと握った。つられるように玲児も笑った。咲良の芯の強さには本当に恐れ入る。


 すると、タイミングよく玲児のスマートフォンが一回震えた。玲児はスマートフォンを取って画面を見ると、雫からのメッセージが入っていた。


「いけない、忘れてたな」


「雫さんからですか?」


 玲児は頷いて肯定した。

 画面には、『咲良は見つかった? 港の方も見たけどいなかったよ』と、雫のメッセージが表示されていた。


「なら、待たせたら悪いですね。すぐに港へ向かいましょう」


「うん」


 玲児は軽く返すと、すぐに雫へ『いたよ。これから一緒に港の方に行くね』と素早く返信を送り、ベンチから立ち上がった。十分も話していないのに、なんだか何時間も話し込んでいたような気がする。


「間近で見る花火、すごいんですよね! 玲児さんも雫さんもおっしゃっていましたし」


「そうだよ。本当に迫力があるし、目の前に広がるから本当に綺麗なんだ」


 鳥居をくぐり、境内を出ながら、二人の男女はさっきまでの陰鬱さを綺麗さっぱり感じさせない様子で港へと向かって行った。



 玲児たちが港に着いてみると、既に花火を見るために集まっている人々で溢れていた。もう五分もすれば花火も打ちあがるだろう。


「雫さんは先に来ていらしているのですよね?」


「うん、多分あそこじゃないかな」


 玲児の言う、『あそこ』とは船着き場のことだ。毎年、みなと祭りで花火を見る時は、船着き場の岸壁で足をぶらぶらさせながら座るのが通例だった。


 人ごみをかき分けて、船着き場に近付いてみると、案の定そこには雫が岸壁に座り込んで足をぶらぶらさせていた。

 雫はすぐに玲児たちに気付いて、「こっちこっち」と手で招いた。幸いなことに、雫のいる岸壁には誰も座っておらず、玲児と咲良が座って花火を見るには十分なスペースがあった。


「ごめんなさい、雫さん。ご迷惑をおかけしました」


「いいよいいよー、祭りは楽しいもんねー。まぁ二人とも座りなよ」


 雫に促されて、玲児たちは岸壁に座った。玲児を挟むように咲良と雫が座っている感じだ。両隣に女の子が座っている――ちょっとドキドキしてきた。


子供のころからの定位置で、何故ここで見るようになったのか、自分も雫も分かっていない。きっと、足をぶらぶらさせるのが好きなのかもしれない。


「こうやって座りながら花火を見るって、なんだか趣があって、いいですね」


「でしょー? 毎年、ここに座りながら花火を見るのが好きなんだー」


 雫は目の前に広がる海を指さした。


「ここからだと、水面に花火が映ってとっても綺麗なんだ。クライマックスになると、海いっぱいに光が広がるんだよー」


「満天の星空ならぬ、満天の花火ってところですね」


「そうそう、そんな感じ!」


 そして二人は可愛らしく笑いあった。その様子を無言で見守っていた玲児は、つい頬笑みを広げていた。

前からそうだったけれども、雫と咲良は、まるでお互いがもともと姉妹だったかのように息がぴったりな時がある。記憶の手掛かりを探す時だって、玲児をからかうやり口も、雫から教えてもらっていたし――ひょっとしたら、咲良って雫の生き別れの姉か妹なんじゃないだろうか?


「そーいえばさーレイ」


「え?」


 思案にふけったせいで、雫か自分を呼ぶ声が聞こえてこなかった。


「咲良、どこにいたのー?」


 玲児は返事の代わりに疑問で眉をひそめた。なぜそんなことを俺に聞くんだろう? 咲良に直接聞けばいいのに。しかも小声で。

 たまらず質問で返した。


「なんでそれを俺に聞くんだよ?」


「んーん? 単純に、レイが咲良に告白でもしたのかなあって」


 してないしてない! 玲児は頭を横に振った。もっと大事な話をしていたのに。

 だが、雫は自分と咲良の顔を交互に見て、なにかを察したのか、


「でもレイ、この間よりはいい顔になったんじゃない?」


「え?」


 そっと、雫が人差し指で玲児の頬を軽く小突いて、言った。


「この間?」


 たまたま聞こえたのか、咲良が小首を傾げた。


「ううん、こっちの話」


 玲児から人差し指を離すと、空へ顔を向けた。


「あたしも、後で咲良から聞いてみようかな。神社でレイとなにを話してたのか」


 雫がそう呟いて、長い栗色の髪をかき上げたその時だった。


 ひゅー……どん、どん、と光と音が夜空で尾を引いたかと思うと、一瞬のうちに閃光が花開くように弾けた。人々の歓声が、耳を聾し、腹の中にある内臓を揺るがす炸裂音でかき消される。


 いよいよ、この祭りの目玉である海上で行われる打ち上げ花火が始まったのだ。


「わぁ……綺麗」


 夜空を仰いで、雫も咲良も同時につぶやいた。墨汁を一面に垂らしたように暗黒に染まった空が、色とりどりの光の粒と爆音で彩られていく。光の粒は、どこか名残惜しそうに、柳のように広がって海へと落ちていき、暗闇に溶けていく。


 新しい花火が打ち上げられるたびに、周りの人たちの感嘆の声も聞こえてくるようになってきた。


いつの間にか、玲児たちは時間も忘れてしまうほど花火に見とれていた。土星のように球体に輪をかけたような形の青い花火、ハート型のピンク色の可愛らしい花火、しゅわしゅわと音を立てながら蜘蛛の子を散らすように散らばって消える花火と、個性豊かでバリエーションに富んだ花火は、見ている人を沸かせた。


雫も例外ではない。雫はあまり騒いだりしない、落ち着いた性格ではあるが、こうやって花火を目の当たりにしている今だけは、きゃっきゃっと歓声を上げて喜びを表している。彼女が一年に一度、楽しみにしていることだけはある。


一方、咲良は夜空を仰いだまま、立ち尽くすならぬ、座り尽くして花火を見据えていた。花火の荘厳さに見とれているのか、それともなければ、予想以上に花火の音にびっくりしているのかもしれない。


ついに、花火はクライマックスを迎えた。

絶え間なく黄金色の花火が夜空に広がっていく。消えていく儚さなんて感じさせない、と言わんばかりに次々と新しい花火が打ち上げられる。


雫の言う通り、海へ目をやると、水面に花火が映ることでまさに光が海を覆うような光景が広がっていた。


音もいよいよ、間近で巨大な和太鼓のロールを聞くように炸裂音が船着き場――否、遊漁町全体に響く。面白いところは、この炸裂音は無秩序に聞こえてくるように見えて、テンポよく耳に入ってくることだ。


玲児たちの目の前に広がっているものは、まさに空と海が織りなす光と音のパレードだった。


 玲児と雫は「おおーっ」と感嘆の息を漏らしでその光景を楽しんでいたが、咲良はみじんも動かないまま、花火を食い入るように見つめていた。


 そして、すべての花火が夜空へ消えていくと、最後にパン、パンと火薬が弾ける音が、二回響いた。これは『本日はこれでお開きです。ありがとうございました』という合図である。周りのいる人たちは花火の余韻に浸りつつ、次々と船着き場を離れていく。


「あーあ、もう終わりなんだー。早かったなー」


 最初に雫が口を開いた。


「もっと見てみたかったよ。でも、今年も来て良かった」


 耳にまだ、花火が打ちあがる音がこびりついたまま、玲児は立ち上がった。続いて雫も腰を持ち上げて、歩き出そうとした。


 そこでやっと、玲児は咲良がまだ岸壁に座ったままであることに気付いた。


「咲良、どうしたのー?」


 雫が話しかけても、咲良は花火が打ちあがった場所を見たまま、微動だにしない。ひょっとして、感動のあまりぽかんとしているのだろうか。


 玲児は近付いて、咲良に呼びかけた。


「咲良、もう終わったよ」


「えっ……なに?」


 ぴくりと身体を震わせて、ようやく咲良は我に返ったようだ。


「え……あ……あ?!」


咲良は振り向いて玲児と目を合わせると、まるでバケモノでも見たように目を見開いて、硬直した。唇が震えて、うまく言葉が出せていないようだ。


「どうしたの? 花火見てびっくりしちゃった? 生まれて初めて見たってわけじゃないと思うけど」


「あたし……は」


 様子が変だ。まるで夢から醒めていないようで、表情もどこかぼんやりしている。雫が咲良に手を貸して、やっと立ち上がった。それでも咲良は、どこか落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見渡していた。


「ほら、祭りも終わったから病院に戻ろうよ」


「あ……うん」


 おずおずと咲良が笑いかけて、玲児たちも咲良が落ち着いたところを見てほっとして、踵を返そうとしたその時だった。


 咲良が地面に膝をつき、身体を震わせてせき込み始めた。白い前髪から見える額から玉の汗が噴き出ている。


 そして嗚咽と供に、口から大量の血を吐きだした。一面が血の海と化す。


「咲良! 咲良っ!」


 玲児も雫も、すぐに駆け寄って咲良に呼びかけた。


ふと、玲児は願神社で咲良が言っていたことを思い出した。


――時折、ひどい発作を起こすことがあるんです。血を吐くのが止まらない時があって……お腹がねじり切れるような痛みに襲われて、本当に死んじゃうんじゃないかって思ったことも、何度もありました


 まさか、これが発作なのか?


 どうすれば、どうすれば発作が止まるんだ?


 玲児があれこれ考えていくその間に、何度も何度も咲良はせき込み、そのたびに血を吐き出し続けた。とうとう、咲良はばたりとうつ伏せに倒れて、意識を失ってしまった。


 玲児は必死に揺り動かしても咲良は目を覚まさなかった。雫も呆然として立ち尽くすしかできなかった。


「咲良っ! しっかりしろ! 咲良ーっ!」

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