4 ”kyatv”
「まあ、副業もあるから、それ程困窮しているわけじゃねぇよ。
心配しなさんな、ただのコーヒーを飲むくらいの金はある。
それ以上は無いがな」
そう言って、俺はまたエイダの観察に戻る。
コーヒーをチロリと猫のように舐めるエイダ。
こうして見ると、なかなかに可愛いんだけどな…。
「あらあら、にやけちゃって。
それにしても、いつ見てもいいカップルねぇ。
あたしも若いころは…」
「そんなんじゃねぇよ」
『あたしも若いころは…』とは、この店主が、自分の過去についてこれから長話をしますという宣言だ。
なので、先手をうってその一つ前の言葉に対して回答を差し込ませて頂いた。
お前の孫でもファンでもない俺が、これ以上お前の過去について詳しくなってどうしろってんだ。
…ところでこのように、当然の結果と言えるのかもしれないが、俺とエイダは恋人同士だと勘違いをされることが多い。
通常こういう場合の『そんなんじゃねぇよ』という台詞は、本当はそうだけれど、恥ずかしいのでそうではないということにしておいて下さい、という心からの懇願だが、俺がこういう時に使用する場合は、文字通り心からそうでは無いという意味だ。
いや、別になんとしてでもエイダを恋人にしたくはない、というわけではない。
むしろそうなる必要があれば、俺は喜んでそうしよう。
なんなら結婚してもいい。
言葉使いさえ気にしなければ、エイダは嫁としてはかなり優秀な部類に入るだろう。
実はこいつ、抜けているところもあるが、洗濯料理お掃除まで、大体なんでも卒なくこなせる。
実際今も、その面ではかなり助かっている。
あと、それと可愛い。
しなやかな金髪も素晴らしい。
ついでにボデイラインも大変よろしい。
…でもそれって、なんか違うんだよな。
こう、なんというか。
もっとキュンキュンしたいわけだ。
キュンキュンギュイーンキュオーンモフモフカリカリモサモサしたいわけだ。
…このように、この感覚は日本語では説明できない。
確かに言えることは、俺とエイダは恋人ではないこと、今後そうなる気も無いということだ。
それよりは、親子とかの方がいい。
俺はエイダを愛してはいるが、それは恋人としての愛ではなく、親としての愛の方が近いような気がする。
それがどういうものか、生憎俺はよくわかっていないので、実際のところなんとも言えんが。
で、だ。
相手、つまりこの場合の店主からすると、『そんなんじゃ』云々の意味は、世間一般の常識なので、この台詞だと照れ隠しだと勘違いされる場合が多いが、何故そうでは無い俺がそんな台詞を使うのかというと、その勘違いが面白いからだ。
「またまたぁ」
ほら。
「いやいやいやぁ?」
「またまたまたまたぁ」
ほらほら。
「いやいやいやいやい「…お仕舞いだぁ」やぁ?」