その四
嬬恋さんも私も同じ木之花村で生まれ育った。もちろん年代は違っていて、彼女が中学生の頃、私は県外のイベント会社で働いていた。
その会社は隣り村のテーマパークでメルヘンショーを行っており、そのラインナップにはピュアピアも含まれていた。
そのテーマパークは木之花村からも近いことから、中学校の職場体験にも利用されていて、その年は嬬恋さん達のグループがやってきた。
でも問題は、彼女たちの希望する職業体験の内容が前代未聞だったということ。それは、当時から女の子たちに人気だったピュアピアの「中の人」。遊戯施設での人気職業体験は場内アナウンスやアトラクションのMCなどが多く、想定外の希望だった。
さて、どうするか。
操演未経験の子ども達にショーをさせるわけには行かない。もっとも職場体験は平日なので客数も少なく、そこに合わせてショーを仕立てるわけにもいかない。
そこで臨時の握手会と撮影会を仕立て、嬬恋さんたちにピュアピアを演じてもらった。
このアイデアは嬬恋さんの友人が出したものだったけど、最終的にピュアピア、いや着ぐるみそのものに対する憧れを一番強く表していたのは嬬恋さんだった。
だから、のちにこうやって一緒にスーツアクターを務めるのも運命だったのかもしれない。
でも、まさかこの歳までこの仕事を続けているというのは予想していなかった。というか、想像が足りなかった。
——
嬬恋さんは木之花村の天狼神社で育った。
ここの特徴は、人間の少女が神使を務めるところ。神様の御使いと言えば、大体その土地とか祀られた神にちなんだ「動物」が選ばれる。ところがこの天狼神社では言い伝えによって、人間が、それもこの神社を代々守る嬬恋家の女子がそれを務めねばならない。
村人にとって、天狼神社はかけがえの無い心の拠り所で、だからこそ神使は尊崇されるし、神使はそれに応えて人格を磨いてゆく。
ところで、少子化の進む昨今、嬬恋家の一族ばかりがそんなに都合よく女の子を授かる事が出来るのだろうか?
そんな疑問も、もっともではある。けれど、神様はキチンと答えを出されている。曰く、
「この世に神使が求められているならば、生まれてくる子は必ず女子である」
つまり、神使が求められていた時に産まれた嬬恋真耶さんは、身体が明らかに男子に見えても、
「女子」
なのである。
当然ながら、真耶さんは産まれた瞬間から女の子として育てられた。それは幼稚園児から小学生、中学生と成長しても同じだった。神社もしくは嬬恋家だけの話ではない。学校生活においても、彼女は女子だった。
つまりは、村ぐるみで嬬恋真耶さんを「女の子」に仕立て上げたのだった。
新たな神使が天から遣わされる、すなわち嬬恋家が女子を授かることで、それまでの神使は任を解かれる。
ところが少子化の時代にあって、新たな神使が現れぬまま、真耶さんは成人の歳を迎えてしまった。
それでもなお神使は少女でなければならないのだが、さすがに成人ともなれば救済措置的な方法は無いわけではない。
それは神使でありながら世間的には「男」としての姿で生きること。つまり、
「男装」
をしているということにすれば良い。
宗教を理由として、村をあげて男子を女子として育て、接するというのは、ちっちゃな村だから出来たことなのだと思う。
いずれか神使は成長し、社会へ巣立ってゆく。そのとき、神使の地位と女子としての自分を脱ぎ捨て、次の神使にバトンタッチ、つまり、元の性に戻る。
異性としての生活は村のなかでのしきたりだから、やがて進学や就職で村の外に出るときを考慮すれば、思春期の頃までには神使の位を受け渡すことが望ましいし、かつてはそれが上手くいっていたのだろう。
ところが嬬恋さんの場合、女子として生きる期間があまりにも長すぎた。ものごころ付く前から思春期の中途まで女子として育てられ、自らもそれを受け入れてきたならば、そうやって育まれた「女らしさ」を捨てるのが著しく困難なのは間違いない。
嬬恋さんはあまりに長い女子としての暮らしに没入してしまい、男子としての振る舞いがすっかり出来なくなってしまった。もはや男子を「演ずる」ことすら難しくなっている。
結果、天狼神社のしきたりという宗教上の理由に嬬恋さんはいまだ縛られている。そして、それが今なお社会人として世に出るさいの枷となってしまっている。
もし神使などという厄介な役目を担っていなければ、今ごろ彼女の人生は相当変わっていただろう。少なくとも、スーツアクターと言う名のフリーアルバイターには、なっていないはずだ。
——
最近のコノハナは、何やらかまびすしい。
先日の議会で、村に居住、または事業所を持つ外国籍の飲食店経営者に対し、村が無利子で三千万円を融資するという議案が提出された。
最近日本のあちらこちらで、地元で愛された海外料理の店が畳まれるという事態が続発しており、それは資本金を三千万円に増やす事で解決するとのこと。またこの村にもそれに該当する店舗が複数あることを受けての制度案であり、村民の生活にも直結することから、この議案は賛成多数で可決された。
融資を受けられる資格は、
「外国籍を持つ個人事業者が村において店舗を開業していること」。
ところが、村民には歓迎されたはずの施策に対し、急に反発が強まった。役場にも電話で反対意見や苦情が寄せられ、わたしが喋っている村のコミュニティFMにも反対意見が送られてきた。そして反対意見は村の外から押し寄せていた。
当初、村とは縁もゆかりも無い人が猛烈にそこで定まった決まりを批判し、やめるよう強く求めてくる理由な何なのだろうと疑問だった。
お気に入りの飲食店がコノハナに引っ越してくれては困るというのなら、分かる。でもそういうわけでもない。
でも番組に送られたメールを読んだりするうちに、なんか分かってきた。外国人が営むお店を助けるとか、援助するとかっていうこと自体が気に入らないらしいのだ、が。
やっぱり分からん。
この制度で使われるのは村のお金だ。ほかのところに住む人が払った税金ではない。この決まりが出来たとして、その人にとっては何の影響も損得も無い。
それなのに、わざわざ文句を言ってくる気持ちが理解できない。




