第5章 最終話.リグが起こした奇跡
そして、ついに処分決定日当日となった。
1週間ぶりの制服に袖を通し、フェニーチェは学校に向かう。
しかし、彼女が向かう先は教室ではなく…学院長室だ。
実は、この部屋のドアを跨ぐのは約1ヶ月半前、初登校の日に最初の面談で訪れた以来である。
これから始まる大好きな姉との学園生活に心を弾ませていたあの日に、まさか1ヶ月半後に退学宣告を受けるためにこの部屋を訪れることになると誰が予想出来ただろうか…。
クラリスとリグも付き添って学院長室に入り、ソファーに腰を掛けると早々に、学院長のティアードがフェニーチェに淡々と語りかける。
「さて…フェニーチェ・ヴィア・センチュリオン、君への処分を言い渡す。心の準備はいいかね?」
「はい…」
少し俯いたまま緊張しつつも、フェニーチェの心持ちは昨日とは打って変わって穏やかだった。
やはり昨日の皆で作った楽しい思い出が精神衛生上、彼女に安らぎを与えているようだ。
(思い残すことはないと言えば嘘になるけど…わたしはたくさんのかけがえのない経験をさせてもらった。それだけでも十分この街に来た意味はあった。ありがとう…そしてさようならジオス……、さようならみんな……)
ティアードから沙汰が下る直前、彼女はこの1ヶ月半もの間、この街で自身に関わった全ての人々に対し心の中で感謝の念を送った。
………………………………
「では、伝えよう…、君に2週間の学院内での奉仕活動を命じる。そして活動が終了し、反省と誠意が認められたら復学を認めよう」
「えっ…!?」
まさかの結果に、フェニーチェは驚きで石のように表情を硬直させて言葉を詰まらせた。
「退学にならずに済むのですか!?」
言葉が出ないフェニーチェの代わりに、クラリスがティアードに詰め寄るように尋ねる。
「よしっ!」
リグはまるで自身が好結果を成したように力強く呟き、控えめにガッツポーズをした。
「まあ、本来ならば退学処分を下さざるを得ない案件なのだが、相手の子が先に手を出したこともあるし、何より君たちのお父上の嘆願もあったのだ。彼にあそこまで頭を下げられたのではねえ…」
ティアードは苦笑いを浮かべながら、先程よりも少しくだけた口調で説明をする。
「お義父様…」
クラリスは、自らの面子まで捨ててフェニーチェを守ろうとしてくれた父に深く感謝した。
「そういうわけだ、フェニーチェちゃん。君のこれから2週間の行いを見て、復学を許すかどうか判断する。お父上の想いが無駄にならないよう頑張りなさい」
「はいっ…、ありがとうございます…!」
フェニーチェは涙をハンカチで拭いながら、自分をここまで支えて来てくれた皆のためにも健気に再起を誓った。
そうして、次の日からフェニーチェに命じられた、2週間に渡る奉仕活動が始まった。
奉仕活動と言っても、実質は学院内の清掃活動がメインだ。
日中、皆が授業を受けている中、黙々と一人学内の清掃作業を行う。
この期間中、彼女の生徒の身分は一時的に剥奪されるので、学院内での制服の着用は認められない。
普段の彼女だったらまず着ることなどないだろう…、質素な無地のワンピースにエプロン姿だ。
そんなフェニーチェの姿は、当然ながら多くの生徒の注目の的だった。
奇異の目に晒されながらも…、彼女は羞恥心に耐えて、これも試練なのだと強く自分に言い聞かせて、黙々と仕事に勤しんだ。
それでも周りからの視線は辛い…、極力他の生徒と目を合わさないように、俯くように掃き掃除をしていた時だった。
フェニーチェの目の前に、小さな人影が現れた。
最初は視線を逸らしていたが、一向に動こうとしないので仕方がなく顔を上げると…
それはあの日、彼女と喧嘩した男子生徒だった。
後ろめたさと気まずさで、彼女は再び視線を逸らす。
すると、神妙な面持ちを浮かべた男子生徒の方が声をかけた。
「ごめん…、俺のせいでこんなことになっちまって……」
「……いいのよ。わたしの方こそごめんなさい…、怖い思いさせて…」
彼の口から予期もせぬ言葉が出てフェニーチェは一瞬戸惑うが、その言葉で緊張が和らいだ彼女はすぐに表情を綻ばせた。
「べ、別に怖くなんてねえし…。ちょっと驚いただけだし…」
「そう…ふふふ…」
男子生徒の強がってムキになる様子がまるでリグを彷彿とさせるようで、フェニーチェの顔から思わず笑みが溢れる。
そんな彼女を見て、彼も釣られるようにぎこちなく笑った。
ところで、その時になってようやく彼女は気付いたのだが、彼は片手に箒を持っていた。
「なあ、俺のせいでこうなったわけだし、掃除手伝うよ…」
「えっ…、でもこれはわたしの仕事だし…。手伝ってもらったりしたら学院長に怒られちゃう…」
「そうなったら、俺が自分で勝手にやってることにしたらいいだろ? さあ、さっさとやるぞ、モタモタすんな」
「何でアンタが仕切ってるのよ…」
フェニーチェは苦笑しつつそう突っ込みながらも、心の底から湧き上がる感激を抑えることが出来なかった。
ところが、彼女に手伝いを申し出たのは、その男子生徒だけではなかった。
「フェニーチェちゃん、久しぶりだね。私たちも手伝うよ!」
次の休み時間には、クラスの女子たちも掃除に参加した。
ついには、数日後にはクラスの全員が時間の許す限りで、フェニーチェの手伝いに駆け付けるに至った。
実は…、彼女の退学処分撤回を懇願したのはアルテグラだけではなかった。
クラスの全員でフェニーチェの処分の酌量を求める、学院長のティアード宛の嘆願書を出していたのだ。
そして実際のところ、彼の心を打ち彼女の処遇を再考せしめたのは後者のほうだった。
フェニーチェがクラスの皆に気を遣わざるを得ない状況になることを憂慮したティアードは、彼女には敢えてそのことを伝えなかったのだ。
しかし…、これにはさらなる裏話があった。
フェニーチェがクラリスとともに早退し、さらに家出騒動を起こしたその翌日…
前日の禍根が残り、その日の初等部1年生クラスのムードはとても険悪だった。
女子はフェニーチェ停学の原因となった男子生徒を嫌悪し、それに対抗するように男子は女子たちを嘲る。
教師歴はさほど長くはない担任のフェニスは、この拗れた状況を打開するための特効薬を持ち合わせていなかった。
そんな中、休み時間に来訪者がやって来た。
やって来たのは……リグだった。
突然の上級生、しかも悪ガキで有名な彼の登場に、一瞬クラス内に緊張感が走る。
身内の敵討ちに殴り込んで来たのではないかと、恐怖する生徒も多数いた。
ところが…、彼らの懸念を余所に、リグは来て早々、重々しい口調で訴えかけた。
「みんなにお願いがある…。フェニーチェを…フェニーチェのやつを助けてやってくれないか?」
唐突なリグの言葉に、クラスの皆は何がなんやら状況がわからず呆然としている。
それでも、リグは構わず彼らに対し懇願を続ける。
「頼む、この通りだ!」
リグはついに頭を下げた。
そうして、皆から反応があるまで、ずっと頭を下げ続けた。
その数分後…
「あの…お兄さん…、頭を上げてください」
一人の女子生徒が、リグの思いに応えるように声を上げた。
「お兄さんの気持ちはわかりました…。何とか私たちで出来ることをやってみます。私たちだって、フェニーチェちゃんがいないと寂しいですもの…」
彼女に呼応するように、別の男子生徒たちも次々と声を上げる。
「まあ、リグさんがここまで頼んでるんじゃ断れねえな…」
「リグさん、俺らに任せて下さいよ!」
こうして、瞬く間に賛同の声はクラス中に広まっていった。
「ありがとう…!、みんな…」
彼らの姿に頼もしさを感じたリグは、感謝と安堵をその表情に浮かべて戻って行った。
その後、クラスの皆で、どうすればフェニーチェの退学処分を回避出来るか話し合った。
フェニスは授業1時間分を丸々潰してまで、そのための時間を用意した。
そして、彼女も知恵を貸して、学院長宛に嘆願書を出すことにしたのだ。
その真相は、ティアードどころかフェニスすら知らない。
ましてや、フェニーチェが知る由もない。
「ありがとう…みんな…」
率先して掃除を手伝う皆の姿を見て、そう呟いた彼女の目には一筋の涙がキラリと流れた。
しかし、情けない姿は見せられまいと、彼女は必死に手の甲で涙を拭った。
フェニーチェはその後もクラスの皆の手伝いに甘んずることなく、懸命に自身に与えられた仕事を全うする。
こうして2週間後…、ついに彼女の復学の許可が下った。
復学して初日、フェニーチェが教室に入ると…
「おかえり、フェニーチェちゃん!」
「フェニーチェちゃんいなくて寂しかったんだよ…!」
まず、クラスの女子たちが優しく彼女を出迎える。
「よう、久しぶりだな。少しは反省出来たか?」
「あーあ、せっかく静かだったのに、また騒がしい毎日が始まるのか…」
さらにクラスの男子たちが、照れ隠しをするように戯けた様子で声をかけた。
すると、次の瞬間…
「うっうっ……うわあああん…!」
皆の歓迎に感極まったフェニーチェは、人目憚ることなく号泣した。
強がりと気取りのみを前面に出してキャラ作りをして来た彼女が、初めてクラスの皆に素の自分を晒した瞬間だった。
この日以降、根っからの性格はさすがに変わらないが、フェニーチェは以前よりも随分と棘が抜けて素直になった。
それとともに、当初アルテグラが心配していた、彼女の男嫌いも多少は和らいだ感がある。
皮肉にも、フェニーチェが引き起こした一連の大騒動が、彼女を人として大きく成長させたのだった。
第5章はこれにて終了です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!




