第1章 22.私なりの恩返し
「クラリスー、おはよー!」
次の日の朝食前のこと…、私はリグから、昨日は何事もなかったかのように元気よく挨拶された。
「お、おはよう…リグくん……。……あの…昨日は本当にごめんなさい…、あれから私を運んでくれたんだよね…。それに私がやったことを庇ってくれたって……」
私が俯いて力なく謝ると、彼は自慢げながら憎めない顔でころころと笑いながら、こう言った。
「ばーか、俺は男だぜ? かっるい軽い女のお前を運ぶぐらい朝飯前だっての」
フェルカは『息を切らせてた』って言ってたのに…。
「それに、俺はあの場じゃお前の師匠だからな。弟子のケツを拭くのは師匠の役目だろ?」
リグへの心咎めは消えないが、彼の屈託のない笑顔といつもと変わらない粗野な物言いに、私は心なしか気が楽になり、いつしか笑みを浮かべていた。
「でも、お世話になりっぱなしなのは悪いし…、何かお返しをさせてもらえないかな…?」
せめてもの心許りだが、私は彼にそう申し出た。
「お返しか…」
彼はしばらく、何か熟考するような仕草を見せる。
「……じゃあ…、ひとつだけいいか……?」
言葉に詰まりながらも、決意を決めたようにリグが言ったこととは……
「将来……将来、俺と結婚してくれないか…?」
「…………………えっ!?」
思いもよらない、とんでもない、彼のその申し出に、私の頭の中は真っ白になった。
言った本人も、顔を真っ赤にして硬直状態になっている。
非常に居た堪れない空気が流れる中…、私よりも僅差で気を取り直したリグが、自らが作ったこの状況の責任を取るかのように、躍起になって言い訳をする。
「バーカ!冗談だよ、じょーだん! 本気にするなよな……」
「う、うん……」
未だに動揺している私は、訳もわからず惰性で返事をする。
ところが、その答えを聞いたリグは、自分が想定していたものと大きく違っていたからか…、「ああっ~」と唸りながら頭を搔きむしり始める。
再び気まずい時間が流れる中…、彼は話題を無理矢理切り替えるように、話を切り出した。
「そ、そうだ…! 一つクラリスにお願いしたいことがあるんだったっ!」
「な、何かなっ…!?」
リグの躍起さに釣られて、私もつい高揚気味に応える。
「お前の先生にさ…、ちょっと口を利いて欲しいんだ…」
「先生って、カンタレ先生のこと?」
「うん、そう。実は以前は、あの先生が俺を教えてくれてたんだ。で、あの人怒る時は怒るけど、すごく気さくで良い先生でさ…、俺調子に乗っていろいろふざけてしまって、父上にバレて先生変えられてしまったんだよ…。今の先生むっちゃ怖くてさ…、頭ツルツルで厳つくてゴロツキみたいな…、とにかくもう毎日が地獄なんだ…。だから、あの先生にお前から俺が反省してるって伝えてくれないか? お前、あの人に気に入られているみたいだし、お前の言うことなら聞いてくれるんじゃないかと思ってさ……」
「ふふふ…」
あんなにも頼もしく大きく見えたリグが、そんな他愛もないことで気に病んでいる様子が、何だか面白可笑しくて…、私は思わず笑い出してしまった。
「わかった。先生を説得出来るかどうかはわからないけど…、一応伝えてみるね」
「おう、頼んだぜ!」
リグは、上機嫌に私の肩をパシッと軽く叩いた。
さて、私はカンタレ先生にリグの件を伝えたのだが、先生は本人を連れてくるように私に指示した。
そして今…、部屋の中には、先生とリグの当事者二人と私の三人がいる。
「さあて…、私の授業をまともに聞きもせず、あまつさえ脱走までしてた悪餓鬼が一体何の用だい…?」
先生は早々に、リグに対して凄む。
いつもの減らず口はどこへやら…、彼は彼女の前で、完全に萎縮してしまっている。
「まったく…今頃になって反省してるとかそんなこと言ったって、遅いっていうの! しかも自分の口からじゃなく女の子に言わせるなんて…、男として恥ずかしいとは思わないの?」
「はい…すいません……」
振り絞るような声で先生の叱責に答えていたリグだったが、突然、自ら話を切り出した。
「先生、お願いします! 俺、心入れ替えるから、一生懸命勉強するから…!、頼むよ…先生……」
リグの渾身の懇願に、さすがの先生も若干心を揺さぶられたのか…、彼女は苦笑いを浮かべた。
「まったく…アンタはしょうがないねえ…。さて、どうしたものか……」
悩んでいる様子で、先生は話を続ける。
「私は今、クラリスを教えているからねえ…。別に、二人いっぺんに教えること自体は問題ないけど、はっきり言ってアンタとこの子じゃ出来が違い過ぎる。今のアンタじゃ逆立ちしたってこの子には追い付けないよ。言っちゃ悪いけど、今のアンタじゃクラリスの足手まといになるんだよ」
リグは先生に、ぐうの音が出ないほどに完膚なきまで言い叩かれ、すっかり意気消沈している。
しかし…、その二人のやり取りを傍で見ていた私は閃いた。
彼にお返しが出来るのは、今ここをおいて他にないのではないのかと…。
思い立った私は、先生に意見した。
「先生、私からもお願いです。リグくんも教えてあげていただけないでしょうか? 私も彼に勉強を教えて、授業に支障が出ないように努力します。ですので…お願いします…!」
「ク、クラリス……」
リグは、まるで拾われた子犬のような、心に訴えかける目で私を見つめる。
「まったく…アンタたち一体何があったんだい…? まあ、でも、クラリスがそこまで言うんだったらしょうがないね…。私一人の一存じゃ決められないけど、あなたたちのお父上に掛け合ってみましょ」
先生は呆れつつ困惑しながらも、いつものカッコいい爽やかな笑顔でそう言ってくれた。




