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人として生きたい  作者: 松吉なぎ
17/54

水の囁き5

本話にはR15に抵触する可能性のある表現が含まれますので、苦手な方はご注意お願い致します。

 夜の暗闇が満ちている中、街灯の白い光はぼんやりと光り、校門にある私たちの高校の表札を浮かばしている。麗奈を見ると、肌は街灯の白が張り付いたように白く、薄い笑みを浮かべている。夜の学校と言えども残業している人は多く、学校の所々で灯りがまだ残っている。


 学校に来た意味はなんとなく分かった。具体的に麗奈が何をしようと思っているかまではわからないけれど、彼女達の世界であるプールで何かをするというのは察しがついた。


「守衛さんに見つかっても平気なの?」


 私は入り口すぐ近くにある灯りのついた小さな守衛室を指差した。


「うん、平気だよ」


 麗奈は閉まっている門の横手にある小さな鉄の扉を開ける。


 中に入ると、すぐに守衛さんが私達のことに気づいたけれど、何か言われるより先に麗奈が守衛さんに近づいた。


「こんばんは」

「麗奈ちゃんか、誰かと思ったよ。今日はいつもの?」


 守衛さんは目を細めたけれど、麗奈の姿に気づくと朗らかに笑った。


「はい、今日はこの子も一緒ですけどね」


 麗奈に言われて値踏みでもするように守衛さんは私の顔を見たので、頭を下げた。


「まぁ、何にしてもバレないようにな。先生方に見つかったら俺が大目玉くらっちまう」

「分かってますよ」


 麗奈はいつもは見せないような普通の笑顔をした。


「そんじゃ、気をつけて」

「はい」


 麗奈は間延びして返事をした。


 守衛室を後にしてからすぐに麗奈の顔を見ると、いつものように鋭い瞳を輝かせている。


「どうしていつもと態度が違うの?」


 先生にもいい格好をしないのに私はことさら不思議に思った。


「やりたいことをやりたいからだよ」

「やりたいこと?」

「そっ、私はあの病院に不良とか肝試しのカップルとかがいたりすると、たまに夜の学校に入って誰もいない教室とかで夜の闇を感じるの。そう言う時に、守衛さんが味方ならバレずに簡単に入れるでしょう?」

「そうだね。でも、守衛さんにはなんて言って入っているの?」

「天体観測が趣味で屋上から星を眺めているって言い訳しているよ」


 確かに、すぐ近くにある企業のビル一つを除けばこの辺は低い家が立ち並び、見通しも良くて天体観測にはもってこいだ。


「でも、守衛さんが来たらどうするの?」

「来ないよ。あの人面倒がって一、二階しか見て周らないから」


 麗奈が言ったと同時にプールのある棟に来た。


 プールに上がるには固く閉ざされたシャッターを開けるか、鉄格子みたいな扉が付いている鍵のかかった外付けの螺旋階段を登る必要があった。


「鍵は?」


 私が言ってから麗奈は鞄を探り、鍵を出して顔の前でジャラリと音を鳴らした。


「どこでそれ手に入れたの?」


 麗奈は唇に人差し指を添えて答えた。


「内緒、女の子には誰でも秘密があるでしょう」


 麗奈は二つの鍵、恐らくはシャッターと階段の両方の鍵を持っていたけれど、音の出るシャッターを避けて階段に行く。


 麗奈は鍵を入れてゆっくりと音の出ないように回した。しばらくしてカチッと音がなると共に扉が開いた。


 扉を引くと金属の擦れる高音が僅かに出るけれど、音を最小に留めて麗奈は扉を開けきる。開けきったその扉をくぐると、私も後についていく。


 誰か通るといけないから開いた扉を麗奈は音を立てないように開けた時より慎重に閉めた。


 麗奈を先頭にして階段を登っていく。階段は入り口の扉以外はコンクリートでできていて、気を付ければ足音はほとんど鳴らなかった。


 上に着くと、下と同じ鉄の扉があって、また麗奈が注意深く扉を開け、プールサイドに入っていく。


 月は校舎の裏に隠れていて、プールサイドは薄暗い。麗奈はプールサイドの端にあるプラスチックの長椅子まで行き、その上にある蛍光灯の紐を引いて電気を点けた。途端にジッーという虫の羽音のような音を出して、淡い光を出す。けれども、その光はこの暗闇では十分に明るく、プールサイドの隅にあるビート板や同じく隅にある巻かれたコースロープのカラフルな色がよく見え、プール全体は青く光っているように見えた。


 麗奈を見れば、この淡い光の中でも肌は暴力的なほどに白くて目を刺すようだった。


「ここで何をするの?」


 私の詰問に対して、麗奈は涼しげに聞き返す。


「何をすると思う?」


 麗奈のさっきの言葉、あの人達の世界を汚す、の言葉を思い返して私は麗奈に答える。


「砂でも入れるの?」


 麗奈は静かにしなくちゃいけないにも関わらず、声を出して笑った。プールサイドに小さく響く麗奈の透き通るような声が綺麗な音色の楽器みたいだと思った。


 ひとしきり笑い終えた後、目尻に滲んだ涙を人差し指で掬って麗奈は答える。


「違うよ。あの人達がしたことと同じことをここでするんだよ」


 私はさっきの屋上で、お互いの体に触れ合う先輩達の姿が目に浮かんだ。


「前言っていたみたいにあの人達の目的が闇の共有だとして、どうしてあんな風にお互いの体を触り合うの?」


 麗奈は顎に手を当てた。


「普通に答えるなら前戯っていうことだけど、私はそうじゃないと思う。私はお互いの体を確かめ合っているんだと思う。それも実感の一つで、触れ合うことが現実の証になるのだと思う」

「触れ合えるのだから確かにそこにいるってこと?」

「そういうこと」


 私の解釈に薄く笑って頷き、息のかかるほど近づいて私の頬に手を沿わせる。冷たい手が触れた瞬間に私は言いようのない感覚に陥る。初めて会った時のあの感触、お父様と何か関係してるであろうあの感触を私は確かに思い出す。


 麗奈は満足したのか手を頬から離して、一歩下がってから宣言するように言った。


「小夜、始めよう」


 麗奈は言ってから、ブレザーを脱ぎ、ネクタイを外して、ワイシャツを脱ぎ、それらを床に捨て置く。そこからゆっくりとスカートを降ろすと、白の下着が露わになる。


 細い手足がすらりと伸びて、その白さと細さは花のような儚さがあるように思った。


「小夜も脱ぎなよ」


 私は頷いて、自身の服も脱ぎ捨てる。下着までなってから私のを見ながら麗奈は口を開いた。


「ピンクの着けてるんだ。校則守って、てっきり白かと思った」


「叔母さんが買ってきたのをそのまま着ているだけだから」


 麗奈は「ふーん」と相づちを打って私の体を見た。私も言われることはなしに麗奈の白を見つめていた。


 しばらく見つめてから、納得したように麗奈は一つ頷いて自分の下着を脱ぎ始めた。さっきとは違って丁寧に脱いでから、脱ぎ散らかした服の上に置いた。


 私も無言で下着を脱いだ。最近はだいぶ日が出てきたとは言え夜に裸になるのは少し肌寒く感じた。時折、風が吹けばなお寒かった。


 麗奈はまた私の方に近づいて、耳元で囁いた。


「ここからが大切だから。あの人達の世界を汚そう」


 言い終わってから、その体格に似合わないような強い力で私の手を取って思い切りプールの中に飛び込む。入る瞬間水の感触が硬くなり、肌を強く叩くのが分かる。でもすぐに水は柔らかな様子を示して、肌にまとわりつく。


 思い切り飛び込んだために私達はプールの底まで潜り込んでいく。深く沈んで、見上げると、青い水の中に幾重に重なった蛍光灯の白い光が、波の中で揺れているのが分かる。


 底につくころには、準備もせずにいきなり飛び込んだから息が持たず、空気を求めて急いで上がろうとした時、苦痛を感じる中で、私はお父様とのお風呂を思い出す。力強く押し付けるお父様の姿と力強く私を引っ張ってプールに飛び込んだ麗奈の姿が重なる。


 浮力に押されて水面に顔を出すと、麗奈も顔を出している。濡れたような黒髪が本当に濡れているせいと体全体の白さが目に入るせいで、いつもよりも黒く感じる。


 急にやられたものだから私の鼻に水が入ってツンと痛くなり、水を飲み込んでしまったせいで塩素の独特な匂いが口の中に広がり、ひどく咳き込む。麗奈も水を飲み込んだらしく、咳き込んで眉を寄せてしわを作っている。


 咳が落ち着いた頃に麗奈は私達の飛び込んだ衝撃でたゆたっている波を見つめた。


「小夜、これが最初の反撃だよ」


 麗奈は私の瞳を覗き込む。


「この後は何からすれば良いの?」

「触って」


 私がおもむろに自分の手を見つめていると麗奈は続けた。


「その手で私の体を触って」

「分かった」


 私は麗奈の体をまじまじと見た。ほっそりとした手足、くびれた腰周りに、ゆるらかな膨らみのある胸、細い首筋、どれもがプールの青さの中で不自然なほど白く見える。


 よく注視すると、その白さの中には血管が青く張り巡らされていて、蜘蛛の巣みたいで妖しく見える。


 麗奈の腕、ちょうど手首の傷のあたりから人差し指で撫でるようにして触る。柔らかく、冷たくてすべすべとしているのがよく分かる。しばらくそうしていると麗奈が指示を出す。


「掌を使って揉んだり、私の体を掌全体で感じられるよう触れて」


 言われた通りに、私は腕から触れていく。麗奈の腕は掌で握ると、すり抜けていきそうなほど細く、二の腕は少し肉付きがあって柔らかい。肩のあたりは鎖骨の硬さと肩の肉の柔らかさが介在していた。そのまま下に行くと胸の膨らみと中央に突起があり、少し強く握ると麗奈の顔が歪む。


 私がとっさに手を止めると、


「やめないで」


 麗奈は私の手を掴んで言った。


 私は麗奈の胸の辺りを強く握ったり、弱く撫でるように触った。麗奈は先輩達のように高い声を時折出した。


 私の知らない麗奈が掌で確かに感じられた。普段の冷たさとおどろおどろしさが嘘のように熱く声をあげる。頬は赤く紅潮して、息を荒げる。


 しばらくしてから満足したのか、別の要望を私にする。


「揉んだりしなくていいから、私の左胸に手を当ててみて」


 私は揉んでいた拳を開いて、押し当てるように左胸に手を添わせる。いつになく熱を帯びた麗奈が感じられた後、ドクンドクンと脈打つ鼓動が掌に伝わってくる。鼓動は確かに感じられるものの弱さがあるように思う。それは夭折の気配の一つの証拠となって私に突きつけられる。


 この肌を突き抜けた先に麗奈の命があると思った。すると何故だか自分の鼓動が強く脈打ってくる。


 もっとその音を感じたい、そう思って麗奈の胸に耳をつける。脈打つ鼓動はより強く感じ、空気を吸い込む気管の音も聞こえ、頭の中に直接響いてくるかのようだった。


「感じる、私の命?」


 麗奈の透き通る声が麗奈の体を通しても伝わってくる。


「うん」


 私は耳をつけたまま答える。


「今小夜が感じている音ももしかしたら、今日この瞬間にも止まるかもしれないの。だからよく聞いて」


 私はお母さんと話したことないけれど、麗奈の言葉がお母さんの言葉みたいに優しく慈愛に満ちているように思えた。


 一つ脈打つたびに感じる音はまるで時計の秒針の音のように、時間という概念を明確に浮かび上がらせている。麗奈の時間がこの音なんだと思った。


 お父様が当時いつ死ぬのかなんて考えたこともなかったけど、もしあの時同じようにこの音を聞いていれば死ぬかどうかは分かったかもしれない。


 ずっとそうやっていると、麗奈が私の頭を撫で始めた。触れる指先は私の濡れた髪をほぐすように髪に沿って撫でている。


「小夜は温かいね」


 麗奈の言葉に私は震えた。その言葉には覚えがあった。いつだったかは分からないけれど、お父様が私に同じ言葉をかけたのは覚えている。


 麗奈の言葉だけが私の中で残響して、お父様の声になっていった。私はその残響を感じながら、目を瞑った。


「ありがとう。お父様……」


 不意に言葉が口から出てくる。


 確かお父様にもこうやって返したように思う。お父様はその後どんな顔をしていたのか、どんな言葉を返したのか私は記憶を辿るように子供の頃を思い出そうとする。


「小夜、何か言った?」


 麗奈の言葉に私は我に返り、今の私に引き戻された。


「ううん、何も言っていないよ」


 私は麗奈の胸から耳を離して言った。


「代わろう」


 私が首をかしげると、麗奈は言い直す。


「今度は私が小夜を感じる番」


 麗奈が私の頬を触って、キスをする。いつものように舌を私の中に入れたり出したりしながら、私の体に触れてくる。


 次第に息が上がり、火照る体の上を這うようにして、麗奈の冷たい指が私の肌を撫でていく。


 一つ一つ確認するみたいに麗奈は私の体にゆっくりと触れていった。腕に肩、首に背中、胸にお腹、腰に腿、足の方までその手は私の上を走った。


 すでに服を着ていないのに、私は自分が裸になっていくように感じた。それは体が熱くて、冷たいものが肌に触れたからそう思ったのかも知れない。でも、麗奈が言うように、私に触れたことで否応なく意識される麗奈という外側の存在に対して、私という内側の存在を強く感じてしまったせいにも思えた。


 全体を隈なく触れた後、麗奈は私の胸を触っていった。私がやったみたいに撫でるように触ったり、強く揉んだりした。


 触れられば触れられるほど私の鼓動は強く脈打ち、肌越しに感じているであろう麗奈はその様を楽しむように、より積極的に掌で私の体を撫でまわす。


 冷たい麗奈の肌にはいつのまにか私の熱が伝わったらしく、冬場の布団のような包み込まれるような感覚があった。


 麗奈は満足したのか手を止めて、唇を離した。またいつものように私の口から麗奈の口へ唾液の糸が繋がっている。その糸が切れた時、麗奈が口を開いた。


「自分の存在感じられた?」

「少しは」

「そっ、私は小夜を感じたいからもう少しだけ時間ちょうだい」


 麗奈は私の胸に耳をつける。寄りかかる麗奈の頭の重みが胸にどっしりと乗っかるのを感じた。


 濡れた私の肌に揺れた麗奈の髪がベッタリとくっつき、押し当てられた耳の軟骨のかたさが異質感を伴って私の外側に存在しているのがたしかに感じられた。


 私は麗奈がしたみたいに麗奈の髪を撫でる。一撫でするごとに、気持ち良さそうに麗奈は目を細めた。


「小夜の命の音は力強いね」


 私は返事をせずに、力強さの原因のことを考えた。


 お父様が私を強くした。水に何度も浸からせて、私の命は確かに強いものになっていたのかもしれないと思った。


「小夜、私はたまにクラシックを聴くの。でも一番古典的で一番力強い音楽は、この人の鼓動の織りなす音楽だと思う」

「私は音楽とかあまり聞かないから分からない」


 麗奈は胸から耳を離して大声で笑った。音で誰かに存在を気づかれるかもしれないのに、気にも留めずに笑った。


「そんなに面白いの?」

「うん、面白いよ。やっぱり小夜は、小夜なんだなぁって」

「麗奈はたまに何を考えているのか分からない」


 麗奈は笑っている顔をゆっくりと元通りにさせると、


「それが私だから」


 力強く言い放った。


 私にはこの行為は少なくともできないと思った。自分が自分であることを肯定することは、自分の生の実感すら分からない私には難しすぎる行為だった。


「変なところで止まっちゃたからまた今度ゆっくりしよう」


 麗奈は水に固まった髪を解きほぐすように、髪を手で切り、なびかせた。水の雫が飛び散り、蛍光灯の光が反射して輝き、水の中に落ちた。


 私達の上にある空に雲はなく、星がわずかに見えるだけで圧倒的に黒かった。

お読みいただきありがとうございます。

よろしければご感想、ご意見賜われましたら幸いにございます。


次の投稿は4/15を予定しております。

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