4-5 初めての勝利
闇の中でも映えるほど輝いている金髪と、端正な顔立ちの素顔が露わになる。そこに立っていたのは、間違いなくニールだった。
ただその表情はいつものような自信に満ち溢れているものではなく、目はどこか虚ろで、焦点が合っているのかもわからない。頬は病的に痩せこけており、覇気がまったく感じられない。
「宿主がお前たちを傷つけたくないって強情でさ。腕輪を手に入れるまで、随分回りくどいことをしちまったなあ……」
ニールの口から発せられたその声は、僕の知らないまったく別人のものだった。
「おまえは、だれだ……?」
「ふふっ、まあそう焦るな。きちんと順を追って説明してやるよ」
その声はどこまでもどす黒く、殺意、憎悪といったありとあらゆる負の感情がこめられているかのようだった。
「さて、じゃあどこから説明しようかね。無難にイヴのことからでいいか」
ニールの姿をした男は、気だるそうに頭を掻きながら説明を続ける。
僕はただその説明に耳を傾けていることしかできなかった。
「イヴは、昔この世界に実在していた悪魔さ。俺が魂を呼び、器を作って、現界させた。あいつの魔法面白かったろ。俺にはあんな魔法は使えないだけどな。でも所詮は、俺に召喚されてこの世に生を持った使い魔と同等の存在だ。たかが人間如きにやられやがった」
ふんっ、と鼻をならすその男からは、イヴに対する仲間意識のようなものは一切感じられない。あれだけ強大な力を秘めていたイヴも、ヤツにとっては駒の一つに過ぎないような、そんな言い方だった。
「俺としては腕輪さえ手に入れば良かったんだけどな。だから、やり方は宿主に任せるつもりだったんだ」
そこで男は肩を竦めて大きくため息をついた。
「でも、傭兵を雇って、腕輪を奪うのも失敗した。自分で宿屋に襲撃をかけても失敗した。挙句の果てに間抜けにも負傷してお前に疑われることになった」
心臓が大きく跳ねた。確かにあの時点でニールに対する不信感はあったが、誰にもその思いを気づかせないように振る舞っていたつもりだった。
それをこの男はあっさりと僕の考えを読んでいたのというのだろうか。
「さらにミニデーモンを召喚してやってもダメ。何をやらしても上手くいかなくて焦れていたが、この腕輪がもう一個手に入ったのは本当に幸運だった。正直、腕輪一個分じゃ足りなかったからな。この幸運だけでもコイツを宿主にした甲斐があったというもんだ」
けたけたと笑う男からは、不快な感情しか芽生えない。
「だけどさすがに今回ばかりは宿主様に任せるわけにはいかなかった。っていうか、間抜けな宿主じゃどうせまた失敗すると思ってな。俺自ら出張ってきてやったというわけよ」
「ニールの身体を返せ。この悪魔め!」
「悪魔か……。まあこの状態じゃそう呼ぶしかないわな。ただ俺はいずれこの世界を滅ぼす魔王になる男だ。腕輪の力を解放したら、それも容易いだろう。覚えておけ。そしてこの俺に殺されることを光栄に思うんだな」
魔王。それは世界を滅亡させる力を持った悪魔のこと。
この男の言うことが正しいのならば、目の前のコイツこそがいずれ世界を破滅へと追いやる悪魔――魔王であり、僕がマリヤに願いを叶えてもらうために倒さなければいけない相手なのだ。
「イヴが俺にとっての右腕だったのなら、宿主は左腕。残念ながら、お前には俺と宿主様を引き離すことはできやしない。俺の意志さえあればこの身体を返却するのは容易いが、俺はそれを望まない。つまりおまえの望みは叶わない」
悪魔は愉悦に口元を歪めると、腰に差してあるニールの剣を抜き放つ。僕もそれを見て、剣を抜き放ち戦闘態勢に入る。
「それじゃあ、まずは腕試しをしてやるよ」
ものすごいスピードで悪魔が僕へと接近し、間合いに入ると同時に剣を振り下ろす。僕も素早く剣を閃かせてそれを受け止める。
二つの剣が交錯した瞬間、森の中に甲高い金属音が生まれる。
「弱い弱い弱いっ!」
悪魔の剣に圧され、僕はその場に立っていることができずに後ろに飛ばされる。
まともに食らったわけでもないのに手の痺れが尋常ではなく、危うく手に持っている剣を落としそうになってしまった。
その痺れとともに、僕は旅立ちの日にニールと訓練したことを思い出していた。
あの時とは一撃の重さや威力、何もかもが違って感じられたが違う。確かにあのときは木の枝を使っていたというのもあるけれど、きっとそれだけではない。
「お前は宿主と何度か手を合わせたことがあるだろうが、その時と一緒だと思うなよ。人間なんて全力を出しているようで、実際はその半分も出してないんだ。だけど、俺ならばその力を全部出し切ってやることができる。まあそのぶん身体にかかる負担が大きくなるが、そのへんは知ったこっちゃない」
余裕の表情で語る悪魔へ向かって、今度は僕のほうから仕掛けにいく。
しかし僕の一撃はあっさりと受け止められてしまい、悪魔は空いている方の手のひらを僕に差し向ける。
「さっさと逝っちまいな。唸れ雷迎! 雷光!」
悪魔の手のひらから飛び出した雷光に対して、僕は横に転がり込むように跳ぶことによって事なきを得た。
行き場のなくなった雷光はそのまままっすぐと近くの木の幹へと直進し、直撃を受けた木は跡形もなく砕け散ってしまっていた。
完全に体勢が崩れてしまった僕に、悪魔が追撃を仕掛けてくる。
僕はその追撃に対して抵抗することもできずに、あっさりと悪魔の蹴りを無防備に受けてしまう。
地面に二度たたき付けられ、全身が土と埃にまみれてしまう。それでもこの程度で終わるわけにはいかない。すぐさま立ち上がり悪魔を見据える。
悪魔は余裕の表情を崩さずにこちらを見つめている。
「お前も、そろそろ本気出した方がいいぜ! イヴを倒した男なんだろ。この程度で終わる分けねえよな。それによ久しぶりに戦う相手が、あまりに骨がないとつまんねえんだよ」
悪魔はそう言って、手に持っているニールの剣を弄んでいる。
「おっと、そうだ。そういえば、自己紹介を忘れていたな」
悪魔の自己紹介を聞くよりも、僕は手にした剣をたたき付けてやりたいところだったが、悪魔の方に隙がなかったので、黙って耳を傾けていた。
「俺の名前はサマンサ。宿主と知り合ったのは、だいたい三カ月ほど前だったかな。生意気にも、宿主と宿主の恋人そして城の連中が、それまで使っていた器を破壊しやがった。だが間抜けなことに、こいつらは俺の器を滅ぼしただけで満足しちゃったのさ。残念ながら、器を破壊されたくらいじゃ俺は死なない。俺の近くで死んでたコイツの恋人の身体を乗っ取ることでなんとか生きながらえることができたが、そこで問題が生じた」
「…………」
「お前は知らないだろうが、死人を動かすってのは莫大な魔力を消費するんだ。そこで、この腕輪の出番ってわけさ。これを使えば、俺はニールという男の恋人の身体を器にして完全に復活することができる」
「もしかして、ニールがお前に協力してたのは……」
「そうさ。宿主は自分の恋人を生き返らせるって必死だったからな。騙すのは容易だった。ただ途中で騙されてるって気付いたみたいだけど、そんときにはもう遅い。俺はコイツの体の一部となった。所詮は一部にすぎないから、俺の力は全然発揮できないけれど、まあそれでも十分だろう」
「…………」
僕はニールに無念を思うと、自然と唇を噛みしめていた。憎悪、怒気、いろんな感情が体内から沸き上がってくる。
「ただ安心していいぜ! 宿主に意識を戻していた時に見たもの、聞いたものを俺は認識できない。だからコイツとお前らの旅がどんなもんだったか俺は何も知らない。あっ、でも道中に何度か意識を乗っ取ったりもしたっけな」
「許さない……」
感情を解放しろ。怒りをすべてぶつけろ。
だけどその感情に支配されるな。目的を見誤るな。
「ククク。いい感じの表情になってるじゃねえか。お前も早く全力を出せよ。じゃないと、死ぬことになるぜ! それじゃあ、第二ラウンドだ!」
僕はニールを助けたい。
サマンサはもうニールの意識は戻らないと言っているけど、僕はそんな話を信じない。きっと何か方法があるはずだ。
だからその方法を探るためにも、僕はここで負けるわけにはいかないんだ。
「身体強化!」
憎悪。殺意。負の感情が沸き上がってくる。これを目の前の敵に、ぶつけてしまいたい。
高ぶった気持ちを少しばかり落ち着かせるために小さく息を吐いて、懐に忍ばせているナナとお揃いのナイフに手を当てる。
決して、殺意や憎悪が消えることはないけど、その感情をあやつることはできる。
大丈夫だよ、ナナ。僕はもうこの力に翻弄されたりはしないから。
「僕は、お前を許さない! サマンサ! ニールから離れろ!」
感情をぶつけるように言い放つと、サマンサは涼しい顔をしたまま僕の言葉を正面から受け止める。
「ククク。いい顔するようになったじゃねえか。それをぶつけてこい! そうすれば少しは楽しめるだろう」
視界の中心にサマンサという悪魔を収め、大地をグッと踏み締める。勢いをつけながらサマンサへと迫り上段をなぎ払う。
ガッギィィン! という音を立てて、剣と剣がぶつかり合う。
先ほどとは対照的に僕の剣を受けたサマンサが、その衝撃で後方へ飛ばされる。
「なるほど、こりゃあ驚いた。能力が上がっているじゃねえか。これも魔法の一種なのか? だけどな、いくら能力を底上げしたとしても、元の能力がショボかったら、意味ねえんだよ!」
「うるせえ……」
サマンサの言葉を遮って、僕は追撃を駆けるが、同様に防御されてしまう。
僕は何度も何度も、内にくすぶっている感情をぶつけるかのように剣を叩きつけてやった。僕の攻撃に圧されてサマンサは後ろに下がったりするものの、一度として手ごたえを感じるような一撃はなかった。
事実、サマンサはその表情を崩すことなく僕の攻撃をいなしている。
ただめげずに攻撃を続けていれば、その一瞬が生まれるのだ。
サマンサが僕の剣撃を受け止めた瞬間、バランスを崩した。
そこに正気を見出した僕は、必殺の気迫を持ってサマンサへと襲いかかる。
「はああああああっ!」
だが、必殺の一撃に手応えはなく、むなしく大気を斬りつけただけだった。
「わりいな。今のは演技だ」
愉悦に染まった笑みを浮かべたサマンサは、すかさず僕の死角へと回り込んで、手にしている剣を一閃させる。
――マズイっ!
脳みそは反応できなかったが、身体のほうが勝手に反応してくれた。咄嗟に身体を反転させて、僕はサマンサの一撃を防御した。
金属音がこだまし、大気がうねりを上げる。それと同時に、サマンサはアクロバティックな動きで蹴りを繰り出してきた。
その一撃はさすがに反応することができずに、僕はまともに顔面に食らってしまい、衝撃で地面を転がってゆく。
「ぐふっ……」
うめき声を上げてすぐさま起き上がる。身体が悲鳴を上げているのは伝わってくるが、今はその悲鳴に従って身体を休めるわけにはいかない。
「あーあ。やっぱこの剣って奴は、どうにも俺には合わねえや。やっぱり武器なんかなしで拳ひとつのほうが俺の性に合ってるわな」
つまらなそうに告げて、サマンサは手にしていたニールの剣を地面へと放り投げた。
「お前!」
「何を怒っているんだ? 別におまえのもんじゃないだろう。それに俺は、この剣ってやつがどうにも上手く扱えないんだ。そういうわけだから、俺にとっちゃこの剣は使えないゴミと一緒さ」
ニールが大切にしてきた剣をないがしろにする行為、許せるものじゃない。ただあれだけの剣捌きを見せておきながら、剣の扱いが苦手というのはどういうことだろうか。
そんなことを考えていた僕だが、その答えを数秒後に知ることとなる。
「いくぜ」
いつの間にか、視界いっぱいにサマンサが迫っていた。咄嗟のことだったが、なんとか身体が反応してくれた。
今、サマンサは丸腰で、僕は剣を手にしている。どう考えても間合いが長い僕のほうが有利のはず――だった。
間合いを取ろうと一歩後ろに下がろうとしたが、
「だからおせーって」
僕が一歩交代するよりも先に、サマンサは二歩分の間合いを詰めてくる。
懐に入られたサマンサに対して、僕は苦し紛れに剣を突き出すが、あっさりと交わされてしまう。
「ほーらもう一発だ」
顔面にサマンサの拳が叩きつけられ、僕は無残に地面を転げ回る。
「うっ……」
口の中が血の味が広がっている。自分では見えないが、おそらく鼻血も出ているだろう。身体全体の骨が軋み悲鳴を上げている。
震える足に鞭を打ってどうにか立ち上がる。
自分の中に眠っている弱い意志が、無理をするな、と告げてくるが、それに従うわけにはいかない。なぜならば、無理を通してでも、僕は目の前の敵を、僕は倒さないといけないのだから。
「無様だな。せっかくのイケメンが台無しだぜ」
満足そうな表情で、サマンサが僕を見下ろしている。そんな余裕の表情が心底むかついた。
憎しみを力に変えて、僕は地面をしっかりと踏みしめて剣を構える。
サマンサが大地を蹴って、僕の方に向かってくる。僕はサマンサが間合いに入ってくるまでじっと我慢する。
――ここだ!
目の前まで接近してきたサマンサが、回し蹴りを繰り出してくる。僕はそれに対抗するべく、飛んでくるサマンサのすねのあたりを目がけて剣を振るってやった。
僕の切っ先と、サマンサの皮膚。どちらの切れ味が鋭いかなんて、考えるまでもないだろう。
剣の切っ先がサマンサの肌に触れた瞬間、僕は内心でほくそ笑んだ。
だけどその一瞬後に広がっていた光景は、僕の予想とは真逆のものだった。
真っ二つに折れてしまった僕の剣が、僕の後方へと飛んでゆく。
「読みが甘すぎんだよ!」
折れた切っ先の行方を追う暇もなく、サマンサが僕のみぞおち目がけて拳を突き出してくる。
ボディーブローの直撃とともに、僕の身体はくの字に折れ曲がる。
夕食に食べたサラダやステーキが逆流してせり上がってくる。我慢できずに思いっきり吐き出していると、今度は側頭部から蹴りが飛んでくる。
自分が蹴られたことに気がついたのは、地面を転がっている最中のことだった。
僕の体が地面の上を二転三転して地面に伏した。
自分が今上を向いているのかしたを向いているのかすら定かではない。意識が遠のいていき、僕の体を僕が操っているという感覚が次第に失せてゆく。
「どうして、俺の蹴りで剣が折れたのか不思議だって顔してるな。いくら俺が最強といえど、この身体は人間のものだ。さすがに生身の状態だったらタダで済むはずがねえ」
サマンサが、気取ったように両手を広げながら、ニタニタと笑みを浮かべ、軽い足取りで近づいてくる。
「はあ、はあ……」
僕は何かにすがるように懸命に手を伸ばした。きっとその行為にはなんの意味もなかっただろうが、人差し指に触れた硬い感触に僕は希望の二文字を見出した。
霞みゆく視界で人差し指の先を見つめると、そこにはニールが愛用していた剣が落ちていた。僕はたまたま、先ほどサマンサが投げ捨てた位置までふっとばされていたらしい。
そんな僕の胸中を気にする様子もなく、サマンサは僕に見せつけるようにズボンの裾をめくり上げた。
見るからに硬そうな金属製の防具が、サマンサの脛を覆っていた。そのすね当てによって僕の剣が破壊されたということなのだろう。
「これはこの辺りじゃ取れない金属らしくてな。俺も詳しいことは知らん。そもそも、宿主が身に付けていたものだしな」
ニールは今どんな気分でこの光景を眺めているのだろうか。サマンサの言うとおり、意識もすべて乗っ取られてしまい眠っているのだろうか。自分の身体がナナや僕を傷つけているとも知らずに、なすがままになるしかないのだろうか。
あれだけ強くて頼りになるニールが、悪魔なんかにいいようにされている、そう思うと悔しく、熱いものがこみ上げてくる思いだった。
視界が上手く定まらない。思考がまとまらない。
この感覚には覚えがある。
通り魔に刺された時の感覚だ。おそらくは死という存在がすぐそこで僕を手招きしているのだろう。だけどその招待にあずかるわけにはいかない。
靄がかかってきた視界を振り切って懸命に立ち上がって目の前の相手を見据える。
「ねえ、もうやめにしない?」
僕が言うと、サマンサは僕の言葉が面白かったのか吹き出して笑った。
「おいおい、今さら命請いか? お前の体はおもしれえから、俺が操ってやってもいいんだけどな……」
「お前は誰だ……僕はニールと話をしているんだ……」
「なんだ? トチ狂ったのか?」
サマンサは笑うこと泣く、眉をしかめて僕を睨み付けた。
「ねえ、ニール。この状況を君も、見てるんだろう?」
「おいおい、無視してんじゃねえよ」
サマンサが僕の肩を軽くどつくと、僕は呆気なく体勢を崩して尻もちをついてしまう。
地面に座り込んだ僕に対して、サマンサは虫を踏みつぶすような感じで僕の胸のあたりを踏みつけてくる。
それでも僕は言葉を続ける。
「ねえ、僕はさ。リリィさんの気持ちなんて分からないし」
「うるせえよ! どうせこの男はもう無理なんだよ。自分の恋人の命惜しさにお前らを殺そうとするやつだ。何を言ったって無駄さ」
僕とサマンサの間に起きている会話は何一つかみ合っていない。そんな状況に苛立っているのか、僕を踏みつけるサマンサの足に力がこもっていく。
「ニールがこのまま僕を殺して、腕輪を奪うのを眺めているなら、リリィさんの体が世界を滅ぼす事になる。実際は違うけど……外見はリリィさんだ……」
僕の言葉を遮るようにサマンサが何度も踏みつけてくるが、その程度の痛みで僕が怯むことはない。
「ニールはさ、僕の憧れなんだよ……。ニールがこんなやつにただなにもできずにただ操られるとこなんて見たくないんだ。だから、お願いだ。目を覚まして」
思いの丈をぶつけるように吐露すると、サマンサの動きが止まった。
「な……に……?」
僕の言葉に腹を立てたのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。
突然、サマンサが頭を抱えて後ずさる。
「そんなはずは……ばかな……ぐうううう……」
サマンサは苦しそうに悶えている。
「ぐわあああああああああああああ!!!!!」
森全体に響くような悲痛な叫び声を上げた。
周囲の大気が震え上がる。
――そのときのことだった。
「ユウヤ!」
ニールの口から発せられたのは紛れもなくニールの声だった。
そんな当たり前のことに、僕は歓喜の気持ちを抑えられずにたまらず大声を上げていた。
「ニール!」
「俺が抑えてるから、その剣で! 早く!」
ニールは無抵抗を示すように両腕を広げてみせる。
地面に落ちていたニールの剣を手に立ち上がる。相変わらず頭はぼーっとするけれど、不思議と力が沸いてくる感じだった。
「ニール……、僕……」
「躊躇うなよユウヤ。ここでもしおまえが俺を見逃しちまったら、きっと俺はナナちゃんだけじゃなくてこの世界に襲いかかることになる。悪いな、損な役回りを押しつけちまって」
自嘲気味口元をつり上げるニール。
「ほ、他に方法はないの?」
「さあな。もしかしたらあるかもしれねえが、残念だけどそんなものを探してる時間はねえんだよ。これも悪魔の言葉に一瞬でも耳を貸しちまった俺の罪だ。それを償わねえと……ぐっ――」
「ニール!」
ニールが胸のあたりを抑えて悶える。
「どうやら時間がねえみたいだ。しゃーねえ、ユウヤ、剣を寄越せ。こうなったらヤツが目覚める前に俺自身の手で俺の身体を終わらせる」
「いや、僕がやるよ」
決意を固めるためにありったけの力を込めて剣を握りしめた。
一歩ニールへと近づく度に、手が、足が、身体全体が震える。これは全身のダメージのせいだろうか。それとも――
ニールの目の前までやってくると、ニールはこれから自分の身に降りかかることとは反対に、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「いろいろと迷惑掛けてすまねえな。これでユウヤの初勝利だな」
僕は目をつぶって小さく頷いた。
「うおおおおおおおおお!」
僕は喉だけじゃなくて身体全体を震わせて叫んだ。そうしないと自分の使命をまっとうできそうもないから。大切な人を手に掛けると考えると頭がおかしくなりそうだったから、叫んで誤魔化した。
心臓を一突きすると、ニールの身体から噴水のように血が溢れ出した。
ニールの血は暗闇に包まれた森の中でも、それを赤い色と認識できた。
重力に引っ張られるように倒れ込むと、ニールの身体を中心として血だまりが広がっていく。
「やられた。まさかこんなとこで意識を戻すなんて……」
血の垂れたニールの口元から察せられた声はニールのものではなく、サマンサのものだった。
「これで俺の計画は台無しだ。だけどまだ終わらねえ。言っておくが、コイツは代えの利く人形みたいなものにすぎない。コイツを失ったのは痛いが、俺に物理的なダメージはねえ。さっきも言ったが、俺の本体はコイツの恋人の体に眠っている」
「それも返してもらう。おまえの悪行は僕が止める」
「かかか、そりゃあいい。止めれる物なら止めてみやがれ。俺はギーグ山のふもとの洞窟で待っている。百パーセントの力を出せないのが残念だが、人間如きそれで十分だ。色んな障害を乗り越え、此処まで辿りついたお前のことだ。俺を楽しませてくれることだろう。期待して待ってるぞ」
「僕はお前を絶対に許さない」
ニールの思い、そして僕自身の思い、それらをぶつけるようにサマンサを睨み付ける。
「いいねえ、その意気だ。あんまり俺を待たせるなよ。イヴが作ってくれた結界のお陰で少しずつ俺の魔力が復活している。完全に回復するまで、結界の外に本体ごと出られねえのがネックだが、俺を待たせれば待たせるほど、ただでさえ米粒ほどしかないお前らの勝率はどんどん低くなるぞ。せいぜい急いで俺の所まで来るんだな」
そう言い残すと、ニールの身体から漂っていた異質なもの、邪悪な気配ともいうべきものが消え去って行く。
「ごめんな……ユウヤ。迷惑かけて……ぐふっ」
その声は紛れもなく、ニールのものだった。
血を吐き出すが、その血も周囲の血だまりに紛れていったいとなってしまう。
「ううん。それにしても、なんで今になって、呪文が効いて来たの? それと母さんがかけた呪文ってなに?」
僕は腰を下ろしてニールの顔を見つめる。
苦しそうに顔を歪めているも、満足しているようなそんな顔をしていた。
「それは、俺が自分の意志で、あいつに逆らおうと思ったから、俺、心のどっかであいつのやる事を許容してたんだと思う。リリィが助かるなら、文字通り悪魔に魂を売ることを拒まなかったんだ。だから、これまであいつのやり方にも従っていた……。でも……、意識の奥を漂っている時に、ユウヤの声が聞こえた気がしたんだ……。そしたら、俺はこのままでいちゃいけないって思って……、ごめんな……」
ニールは途切れ途切れに今にも消え入りそうな声で言葉を並べる。
「ううん。きっと僕だってニールの立場だったら同じような道を選んでたかもしれないんだ。責められないよ」
「そうか……、俺は弱いから……簡単に騙されちまったんだ……。リリィがいないっていう現実に、耐えられなかった……、だから、リリィの声や姿を持ったあいつに簡単に付け込まれた」
悔しそうに唇を噛みしめて、ニールは目の端に涙を浮かべている。
「ニールが弱いわけない。ただアイツのやり方がきたなかっただけだ」
「はは……、こんな俺を庇ってくれてありがとうなユウヤ。友達を大切にしろよ……それと――」
そこでニールは言葉を詰まらせる。続く言葉を躊躇ったとかそういうのではなくて、すでに自分の思い通りに口が回らないのだろう。
「ナナを守ってあげろよ」
「もちろん!」
「最後の最後でユウヤに負けちまった……。俺の剣、大事に使えよ……、そいつは俺からの初勝利祝いだ」
「ありがとうニール。後のことは僕が片付けるよ。この剣に誓って」
僕が答えると、ニールは唇をぴくりと動かした。懸命に笑みを浮かべようとしてるのだろうが、すでに表情を動かすだけの気力も失われているようだ。
「リリィ……俺もそっちに行くよ……」
それっきりニールが口を開くことはなかった。
心にぽっかり穴が空いた気分だった。だけどその気分に浸っている時間も、その穴を埋める時間もないのもわかっている。
「ユウヤ」
唐突に僕の鼓膜を揺さぶった少女の声に振り返ると、マリヤが僕を見下ろしていた。
「ねえ、マリヤはサマンサのこと知ってたの? イヴを倒しただけじゃ世界は救われないって知ってたの?」
僕の質問にマリヤはいっさい表情を変えない。まるでその地文が来ることを予期していたかのように。
「ええ、そうよ」
無意識のうちに僕はマリヤを睨みつけていた。
知っていながら、なぜ僕達に何も言わなかったのか……。そんな思いをぶつけるように。
「聞かれなかったから、言わなかった。ただ、それだけよ」
淡々とした口調とは対照的に、下を向いたマリヤからは何か悲痛な思いを感じた。
言わなかったのではなく、言えなかったのではないか、そんな疑問が沸いたが、その疑問をぶつける勇気が僕にはなかった。
マリヤという小さな少女が果たしてどういう存在なのかは、記憶が戻った今となっても正直よくわかっていない。
それでもマリヤがこの世界にあんまり干渉してはいけないということだけはおそらく事実だ。だからこそ、言いたくても言えないようなことがあって、自分で抱え込まないといけないものもあるのだろうと思う。
「もう知っていると思うけれど、サマンサは腕輪の力を使って自身の復活を成し遂げようとしている。もしその二つの腕輪の力が解放されてサマンサが本来の力を持って復活したら、この世界は破滅だった」
一瞬だけ見せた悲痛な表情からいつもの無表情に戻ったマリヤは淡々と事実を告げる。
「それじゃあ結構な危機的状況だったんだね。あいつの魔力って、時間が経てば回復するんでしょ。あいつは自分の復活を早めるために腕輪を欲したの?」
「おそらくそう。もしかしたら腕輪の力があれば、本来の力以上の力を持って復活することも可能になるのかもしれない。すべて推測に過ぎないことだけれど、このまま黙っていれば、たとえ腕輪の力がなくとも、そう遠くない未来にサマンサは復活するでしょうね」
「そういうことならアスカたちが来たら出発しよう。たぶん今ごろこっちにむかっているはずだから。それじゃあ僕から一つ質問していい?」
「なに?」
「サマンサって僕の能力強化にちょっと驚いていた気がしたけれど、あれだけの力を持った悪魔といえど、僕たちが使う魔法のことは知らないの?」
「知らないはずよ。サマンサはこの世界のことならほとんどのことは知っているはずだけど、外の世界のことは何も知らないの。だから本来この世界に存在しないはずのあなたが使う力を見て驚いた。これはアスカの魔法についても同じことが言える。自然治癒の能力というのは、どんな生物も持っている力だけれど、傷を瞬時に回復させる方法はこの世界にない。だから、治癒魔術というのはサマンサの発想の外にあるものよ」
「なるほどね。それじゃあもう一個、サマンサはイヴの結界内で力を蓄えているって言ってたけれど、イヴの結界って、イヴが死んでも残ってるの?」
「結界には術者が死んだらなくなるものと、術者が死のうと残っているものがある。イヴの結界はおそらく後者なのでしょう。ギーグ山に張っていた結界ももともとはサマンサに力を送るための結界だったのかもしれない。ただ結界を操れるのは術者だけだから、いきなりどこかに転送されたり、こちらの行動を覗き見られたりとか、そうう心配はない」
「そっか。とりあえず質問はそんなもんかな。じゃあ、ナナとアスカが来る前に、ニールの体をどうにかしよう。事情はナナとアスカにも説明するけど、ここに放置しておくわけにはいかない」
ニールのおでこにそっと手を当てる。
まだニールの身体に暖かさが残っているせいか、穏やかに眠っているだけのようにも見える。今にも目を覚まして僕をどやしつけてくるような気さえする。
「この近くに共同墓地があった」
「それじゃあそこに案内してくれる?」
「わかった」
ニールを担ぎあげると、手にずっしりと重さが伝わってきた。
きっと僕の手にのしかかっている重さは、ニールの体重だけではない。
僕は初めてニールから勝利を奪ったときのことをぜったいに忘れないだろう。たとえこの世界から去って、剣を握ることがなくなろうと、その感触だけは忘れないと思う。
「ユウヤ、大丈夫?」
僕の目の端から一粒、二粒と涙が溢れ、ニールの顔にこぼれ落ちる。
「大丈夫。大丈夫」
呪文のように僕は言い続け、マリヤの案内に従ってニールを担ぎながら森の中を進んでいく。
たどり着いた共同墓地は、月明かりに照らされていた。街を飛び出した時は雲に覆われて見えなかったはずの月だったが、いつの間にか顔を出していたらしい。
ニールの身体を一旦地面に起き、ニールが眠るに相応しい場所を探す。
すると墓地の奥にひときわ大きな墓石を見つけた。
その墓石にはこう記されてある。
『悪魔討伐の偉大なる勇者リリィの魂ここに眠る』
その墓石はニールの恋人であるリリィさんのために作られたものだった。
確かに魂はこの墓石の下に眠っているのかもしれないが、おそらくリリィさんの身体は眠っていないのだろう。
北の洞窟にいるサマンサがその体を乗っ取っているはずだから。
ニールの身体を運んで、リリィの墓石の横にそっと寝かせる
「ニール。待ってて、今、リリィさんの体もここに持ってくるから」
土に還そうと思ったが、リリィさんの体を取り返したあとに二人一緒にした方がいいかと思って、土は被せないでおいた。
「ありがとう。ニールと一緒に過ごした日々は、とても楽しくて充実していた。たとえ僕が元の世界に戻ったとしても。絶対に皆で過ごした日々は忘れないから」




