4-3 これからのこと、僕の思い
「どうしたの? ユウヤ?」
どうやら僕は少しぼーっとしていたらしく、その様子を心配したナナが僕の顔をのぞき込んでいた。
その日の夜、僕とナナは、王都にやってきた初日に泊まった宿屋の近くにある噴水広場へと来ていた。とはいえ、夜になると噴水は停止しているためただの広場だ。
僕らは広場の中央にあるベンチに並んで腰掛けていた。昼間は爽やかだった風も、日が落ちるとひんやりしたものに感じられる。
街灯で溢れた王都はすでに日は沈んでおり、夕食過ぎの時間といえど街の中から明かりが消える気配は見えない。空は薄い雲で覆われており、月や星の姿は見えない。
通りのほうは人の姿も見受けられるが、噴水の途絶えた広場は憩いの場にはならないのか、すぐ近くに人の気配はあまりない。
そういえば、この場所でマリヤに勇者の話をされたんだっけ。
僕が目覚める前に、ナナはアスカからある程度事情は聞いていたらしいけれど、下山途中に改めて僕の口から記憶に関することを全部ナナに話をした。
僕の記憶の事。アスカはその世界で、僕の親友であること、そのへんの事情を包み隠さず話した。
もちろん、その中には僕の役目が終われば、元の世界に帰るかもしれないことも含まれている。
おそらくもとの世界に戻ってしまえば、こちらに帰って来られる保証はないだろう。それどころか、きっと二度とこの世界に戻って来られないと思う。
僕の世界でもこっちの世界でも、二つの世界を行き来出来るような機械もないし、僕にはそんな能力が備わっているわけでもない。
マリヤならばそれも不可能ではないのかもしれないが、わざわざマリヤが僕のためだけにその能力を行使してくれるとはとても思えない。
それに本来であれば、僕の世界とこっちの世界は干渉してはいけないものらしい。というか、異なる二つの世界が干渉し合うことは本来タブーなのだという。
しかし、マリヤがこちらの世界の滅びを予知し、そのまま黙って滅ぶ様を眺めているくらいなら、いっそのこと干渉してでも滅びを止めてしまおう、という目論見で強引に僕やアスカ、そして、マリヤ自身もこの世界にやって来たのだ。
「うん? ちょっと考え事をね……」
「ねえ、ユウヤは……どうするつもりなの……」
僕に目を合わせることもなく、ナナは気まずそうに目を伏せている。
「わかんない。でも、マリヤに聞いたら、こっちの世界に残ることも出来るって……」
その場合、本来の僕の世界で経験した記憶を全て抹消して、こっちの世界で今まで通り生きていくことは可能らしい。
記憶消去などとは言うが、言ってしまえばイヴから取り戻した記憶をなくして、旅立つ前と同じ状態に戻って、村で暮らしていたような生活を続けるっていうことだ。
ただそのためには一度取り戻したアスカとの思い出をまた捨てなければならないということになる。
「でも、それだと……元々、ユウヤのいた世界での記憶もなくなっちゃうんでしょ」
「うん……」
力なく答えると、僕もナナの方を見ることができなくなって、したを向いてしまう。
二人とも下を向いた状態で、どちらも口を開くこともなく思い沈黙が流れる。
どのように声を掛けようかと迷っていると、先に口を開いたのはナナだった。
「やっぱり、そんなの寂しいよ! アスカさんがこんなとこまで、ユウヤを心配して追いかけてくれたんでしょ」
いつものおっとりした表情ではなく、真に迫った表情でナナが僕に詰め寄ってくる。
昔の記憶を忘れたままだとしたら、僕は迷うことなくこちらに残る選択をしただろう。だけどそんな仮定には何の意味もない。実施に僕は記憶を取り戻し、アスカとともに築いたかけがえのない思いでも取り戻してしまったのだから、それを簡単に手放すなんてできるはずもない。
「ユウヤが元の世界の記憶が戻っても、ユウヤのままでいてくれて良かった。ねえ、ユウヤは元の世界でもこんな感じだったの?」
「うん。そうだね。いくら記憶とかを失っていても、人間の本質っていうのかな、そういうのはそう簡単には変わらないんだと思うよ」
「そっか」
小さく微笑んだナナだが、その表情はどこかぎこちなく見えた。
「ユウヤは元の世界で何歳なの?」
「今と一緒。十八歳だよ。丁度年齢に追いついたというか、年齢に追いついたからこそ、時間軸が一致してアスカがやってきたというか。なんかややこしくなってきたけど、とりあえず向こうでも今と変わらない年齢だよ」
「そっか」
ナナが小さく同意すると、またしても二人の間に沈黙が流れる。その重苦しい沈黙は、とても長く感じられた実際には十秒くらいだったかもしれないが、僕には十分以上にも感じられた。
沈黙を破ったのは今度もナナだった。
「ねえ、もしユウヤが元の世界に戻っても、こっちであった事は忘れずにいられるの?」
「うん。僕は元々向こうの世界の人間だから、こっちの世界の記憶があったとしても、そのまま元の世界の波長に合わせることができるみたい。だから、こっちで培った記憶を消す必要はないって……」
僕の答えを聞いて、ナナが勢いよくベンチから立ち上がる。
「じゃあ、もう決まってるよ! ユウヤは元の世界に戻る! そして、またいつかこっちの世界にも戻ってくる。これで全部解決でしょ! それと、私達の事を忘れたらぜええったい許さないから!」
硬く引き結んだナナの表情を目の当たりにして、僕は少しその気迫に圧されてしまった。
「でも、またこっちに戻って来れる保証なんて……」
「なんとかなるっ! 悪い方向にうだうだ考えるのはダメっ。そもそも、ユウヤが今、この世界に元の世界の記憶を持って今この世界に存在してるんだから。絶対出来るはずだよっ! なんだったら今度は私がそっちの世界に行く! うん! それもいいかも! 私、ユウヤがいた世界って興味あるし! だから安心して!」
「ありがとう……」
ナナの言葉を聞いて、僕の中にわだかまっていたいろいろな何かが吹っ切れた。一度吹っ切れてあふれ出した気持ちはそれを発散しないと収まりそうもない。
僕はほとんど無意識下でベンチから立ち上がり、ナナの肩を掴んでいた。
「僕はさ、ずっと好きだったんだ。初めてこの世界に来て、記憶もなくて、何にも出来ない僕を救ってくれたのはナナだった。この数年間ずっと、ナナと笑い合って過ごして来た。時には恐い経験もしたけど……。それでも僕はずっと、ナナと一緒にいたいと思ってた。いや一緒にいるのが当たり前だと思っていた。もう一度言うよ。僕はナナが好きだ! この世界のだれよりも!」
ナナは困惑一色に表情を染めている。当然といえば当然だろう。これまで兄妹同然に育ってきた男にいきなり告白をされているのだから、ナナからしたら意味がわからないといった感じだろう。
それでも気持ちを抑えきれない僕はさらに言葉を紡ぐ。
「ずっと……言えなかった。言ってしまえば、僕たちの関係が変わってしまうのかもしれないと思って、怯えていたんだ……。こんな状況になって、初めて自分の気持ちを伝える事が出来るなんて、ちょっと情けないかもしれないけど……。これだけは伝えたかった」
このときの僕はいったいどんな顔をしていたのだろうか。気持ちをぶつけたことですっきりした表情をしていたのかもしれないし、それともナナの困惑の表情を目の当たりにして情けない顔をしていたのかもしれない。
「ううん! そんなことない! 私……」
懸命に僕の言葉に答えようとするナナの目の端にはうっすらと涙が溜まっていた。
その瞳の奥で、ナナは僕をどのような存在として見ているのだろうか。彼女の中では仲のよい兄妹程度の感情しかないのかもしれない。家族として好意を抱いているが、それは決して恋愛に発展するようなものではないのかもしれない。
それに僕とアスカだって長いこと一緒にいるが、お互いに恋愛感情が芽生えたことは一度もない。きっとそれに近い感情をナナも抱いているのかもしれない。
「突然ごめんね。急にこんな事言っても、びっくりするよね」
そう言って、ナナの肩を掴んでいた手をそっと離そうとすると、今度はナナが僕の手を上から僕の手を握りしめた。
「ううん。違うの……。ちょっとびっくりしただけ……。私もね、ユウヤの事が大好きなのっ! だから、すっごい嬉しかった! 私もずっと言いたかった。でも、恐かった。ユウヤは私のことを妹みたいにしか思ってないのかもって、だから、想いを伝えたらユウヤと気まずくなるんじゃないかって……」
ナナの目の端から溢れた涙が頬を伝って流れ落ちる。
ナナの答えを聞いて、僕は心底安心したような、相当間抜け面をしていたことだろう。
「う、うん。ありがと。僕もナナがそう思ってくれていて本当に嬉しいよ。そっか……。ナナも同じ風に思ってたなんて、僕達って似た者同士なのかもしれないね。ははっ」
「えへへ、うんっ。そうだね」
ボク達はお互いに見つめ合って、微笑みある。お互いに上手く表情が作れなかったので、その笑みはとてもぎこちなかったけれど、ナナのその表情は僕の心を満たしてくれた。
「そうだ! 前にナナに上げたナイフちゃんと持ってる?」
「うん。もちろん持ってるよ」
ナナの肩から手を離して、僕は懐に忍ばせていたナイフを取り出す。
「このナイフにちょっとした話があるんだ」
ナナも僕とおそろいのナイフを取りだして、それを愛おしそうに眺めていた。
「このナイフが二つでひと組っていう話はしたよね。そしてこのナイフの持ち主は、離ればなれになってしまった恋人と永い時を経て再開することができたんだ。とうぜん時間が経って容姿が変わってしまったけど、そのナイフを見せ合うことで、お互いを認識したんだってさ。そんなわけで、このナイフを持った者同士はどれだけ離れていても、また会えるって伝説ができたんだって。だから僕たちもぜったい大丈夫だよね! だからさ、その時まで、ナイフはなくさないで持っていてほしい」
「うん、うん! 私、ユウヤからもらったこのナイフ、ぜったいに大事にするよっ!」
ナナは大事そうにナイフを見つめ、そっと懐にそれをしまい込んだ。
手持ち無沙汰になったとこで、視線は自然とお互いの瞳に注がれていた。
そしていつの間にかナナの顔が近づいてきて、僕らはそうするのが当然といった感じで抱き合った。お互いに体のぬくもりが感じられるように、傍にいることを確認するように、時間を過ごした。
どれだけの時間そうしていたかはわからない。一分程度だったか、それとも五分以上経っていたのか、とにかくその時間は僕にとって一瞬のできごとのようだった。
お互いの身体のぬくもりを全身に行き渡ったところで、僕らは身体を離す。
「でも、ユウヤが突然いなくなったら、お母さんびっくりするだろうね」
無邪気に笑顔を浮かべているナナとは対照的に、僕の背中には冷たくて嫌な汗が滴り落ちる。
「もしかしたら、お母さんの事だから、突然いなくなったユウヤのことを叱りつけるためにそっちの世界に行くかもしれないね」
「ハハハハ。あながち有り得ないない話じゃないかも……。そん時は、ナナもついて来て僕のことを庇ってよ」
怒った時はイヴよりもよっぽど恐ろしい母さんだけれど、世界を飛び越えて僕を叱りつけてくれるのならばそれほど頼もしいことはないかもしれない。
「えへへ……。うん、その時はちゃんとユウヤの味方になってあげる」
「ありがとう……。それじゃあ、あんまり遅くなるわけにもいかないし、そろそろ戻ろっか」
「そだね」
僕たちは柄にもなく手なんて繋ぎながら、お城へと繋がる通りを歩き出した。
ナナの手は柔らかくて、暖かくて、いつまでもこんな時間が続けばいいのに、と思っていたら、お城に到着するまでにずいぶんと時間がかかってしまった。




