24章 異界回廊 20
『王家の礎』のセーフティゾーンは、かなり広い空間である。
壁も床も天井も大理石のような素材で作られているのは通路と同じで、それだけに一種荘厳さのある空間となっている。
当然俺たちの貸し切りの部屋となるが、落ち着かないという意見が多かったので一応テントは張り、その前にテーブルや椅子を並べていつもの通りの野営の準備をする。
夕食は今日取ったばかりの『タイタンボア』の肉をメインにした料理だった。醤油が使えるようになったので思いついて角煮を作ってみたのだが、これが驚くほど美味くできて絶賛の嵐だった。特に肉好きのラーニが、
「これあっさりしていて柔らかくて美味しくて無限に食べられるかも。ねえソウシ、これ絶対毎日作ってね!」
と、もはや俺に掴み掛からんばかりの勢いで、他のメンバーも賛同していたので定番料理になりそうだ。
さて、肝心のウイスキーだが、スフェーニアに魔法で氷を作ってもらい、水割りにして飲んでみた。度数の割に喉にスルリと入っていく感覚は、思った通りの年代物の高級品という感じである。
もちろんカルマとマリアネ、それから酒が飲めるマリシエールとゲシューラ、ライラノーラも『神』謹製の酒を試した。
特に意外な反応を示したのがカルマで、騒ぐと思ったら逆に神妙な顔で、
「いや、これはちょっと……アタシが飲んだどんな酒よりも美味いねえ。美味いんだけど、美味すぎてがぶがぶ飲もうって気にはならないね」
と今までにないことを言い出した。
「確かにこれは量を飲むような酒じゃないかもな。落ち着いた場所でゆっくり楽しむ酒という感じだ」
「そうだね。いやでもこれは美味いよ。なんかこう、舌から喉にかけて流れていく時に、滑るように入っていくっていうかさ。でもその香りと味はしっかり残って、しかもその香りがたまらないんだ」
「カルマは酒で本が書けそうだな」
「はははっ。そうだね、この酒は言葉を残したくなっちまうくらいのものだよ」
杯に口をつけていたマリアネも、カルマの言葉に何度もうなずいている。
「カルマの言う通り、これ程のお酒はこの大陸にはなかなかないかもしれませんね。マリシエールはどうですか?」
「そうですわね……。毎年兄上に献上されるワインがあって、そちらも素晴らしいのですけれど、こちらはまた違った美味しさがあるお酒ですわね。お酒が好きな貴族なら大金を出しても欲しがるでしょうが、特にドワーフが好む味かもしれません」
「ドワーフか。確かにこの味は好きそうだな」
ドワーフが酒好きというのは以前里を訪れた時によく分かったが、確かにワインよりはウイスキーを好みそうな雰囲気はある。といっても完全にイメージだけの話だが。
「でもさすがにこの酒はドワーフには教えない方がいいかもねえ。こんな美味い酒があっても量を飲めないんじゃ逆に辛くなるってもんだよ」
というカルマの言葉もその通りかもしれないが、機会があったら世話になった里長くらいには贈呈してもいいかもしれない。
さて、そこで話が終わりになると思ったのだが、ゲシューラが、
「この酒はかなり酒精が強いな。普通に醸造しただけではこうはならぬのではないか?」
と専門的なことを言い出した。ちなみに「酒精」とはアルコールのことである。
「ああ、俺も詳しくは知らないが、確か蒸留して酒精の割合を高めているんだ」
「蒸留というのはなんだ?」
「酒の元になるものを沸騰させると酒精だけが先に蒸気になるんだ。それを集めて冷ますと濃い酒精が抽出できるらしい」
「ふむ、それは似たような話を聞いたことがあるな。『黄昏の眷族』で香水を作る者がいて、似たことをしていたはずだ」
「香水の作り方は知らないが、確かに同じようにして作れるかもしれない」
蒸留の歴史は古いはずなので、この世界でもすでに技術は存在しているだろう。
ゲシューラに理屈だけ話せば蒸留器などは簡単に作ってくれそうだが、しかし実際それで酒を造るとなるとそう簡単にはいかないはずだ。
しかし将来的にもし領主に収まるとして、産業として醸造所なんかを作っても面白そうだ。濃い酒は需要があるだろうし、アルコール自体利用価値はかなり高いはずである。
そんなことをなんとなく考えていると、フレイニルが不思議そうな顔で見上げてきた。
「ソウシさま、なにか新しいことをお考えですか?」
「ん? ああ、先の話だが、もし俺がどこかの場所に落ち着くとして、酒を造る場所を作ってもいいかもしれないなと思ったんだ。酒精は飲むだけじゃなくて、消毒とか他の食品に添加するとか色々役に立ったりもするからな」
「ソウシさまのお知恵は本当に神のようですね。そのお知恵で領地を治めれば、きっと素晴らしい土地になると思います」
「そんな簡単にはいかないと思うが、いくつかやってみたいことはあるな。フレイはもし落ち着いたら何かしたいことはあるか?」
「そうですね……。先ほどのカルマさんではありませんが、本を書いてみたい気はします。ソウシさまとの旅の記録を残したいので」
「それはぜひ私からもお願いしたいね」
フレイニルの答えを聞いて、身を乗り出してきたのはドロツィッテだ。
「『ソールの導き』の事績は絶対に書物に残す必要があるからね。私も書くつもりだけど、複数の視点からの記録があった方がいい。もちろん記録という形じゃなくて、物語という形式でもいいと思うよ」
「物語、ですか?」
「英雄譚ってやつだね。フレイは一番ソウシさんと付き合いも最も長いから、一番上手に書けそうな気がするよ」
「そうですね……。可能なら是非書いてみたいと思います」
フレイニルが珍しく力強く答えると、シズナも腕を組んで「なるほどのう」と口にした。
「それならわらわも書いてみようかのう。母上もそういった書物を納めるのは重要と言っていたしのう」
「シズナにもぜひ書いて欲しいよ。私たちがやっていることは間違いなく歴史に名を残すことだからね」
自分には自覚がないが、言われてみれば確かにそうなのかもしれない。今やろうとしている『異界回廊』にしても、その成立のいきさつなどはしっかりと記録に残さないと後々困ることになるだろう。
そういえば、この世界ではものを書くとなると当然手書きである。ギルドに備えられているガイドブックも写本であり、かなりの貴重品だ。
印刷についても王都などでは版画によるものは見たことがあるが、まだ活版印刷は普及していないようだ。とすると、そのあたりも手を出すことになるだろうか。
『大いなる災い』どころか『異界回廊』すら話が終わっていないのに先走り過ぎとは思うが、しかしそういった目標があるのは大切なことである。
しかし長生きするために始めた冒険者生活も随分と変化したものだとしみじみ思いながら、『王家の礎』一日目は終わりとなった。




