春と茗子
『今夜、俺の部屋で会おう』
あの日から数日後、ハルくんから久しぶりにメールが来た。
ハルくんが一人暮らししてるマンションに、
今夜初めてお邪魔する。
仕事を定時で終わらせ、帰り支度をする。
「相田さん?」
エントランスで秘書の人に声をかけられた。
「はい?」
私が、その人をマジマジと見つめて答える。
長い茶色がかったストレートの美しい髪。
スレンダーな美人だった。
「これを、相田さんに渡すように言われてまして」
茶封筒を私に渡すと、秘書の人は丁寧にお辞儀をして行ってしまった。
――――秘書の人に、初めて会った…。
私はそんな事を思いながら茶封筒を開ける。
手紙が入っていた。
『先に帰ってて』
ハルくんの文字だと…すぐに分かった。
ガサ…っと音がして、封筒の中をよく見ると、
鍵が入っていた。
『709』
鍵に小さく部屋の番号がかかれている。
――――どうして秘書がこれを?
『幹部候補』…頭に浮かぶ、この間の噂。
ハルくん…。
とりあえず、この間教えてくれた高層マンションへ向かう。
――――良いのかな、私が勝手に入っても…。
ドキドキしながら、鍵を開ける。
ガチャ…と扉が開いた。
ハルくんの家…初めて…。
部屋は広くて、必要な家具と家電しか置かれていなかった。
部屋は片付いていて、毎日掃除しているのが分かる。
――――ハルくん、だなぁ…。
微笑ましくて、笑ってしまう。
私の知っているハルくんの部屋で、なんだかホッとする。
「ごめん、遅くなって…」
家にハルくんが入ってくる気配で私はソファーから立とうとする。
――――やばい…寝てた…!?
「茗子…寝てた?」
慌てて立ち上がったところで、ハルくんに笑われる。
「頬に後ついてる…」
ハルくんに言われて、
鏡を見て、ソファーの跡がついていることに気付いて、
赤くなる。
「ハルくん、おかえりなさい…」
うつ向きながら言う私をハルくんが抱き締める。
「ただいま…」
「あぁ、やっぱり良いなぁ…こういうの」
ハルくんが幸せそうに言うと私の頬にキスをした。
「早く茗子とこうやって暮らしたい…」
「ハルくん…」
――――私も…暮らしたい…。でも…。
まだ胸の支えがとれていない。
「ハルくんに、聞きたいことがあったの…」
私はソファーに並んで座ると、真剣に話し始める。
「ハルくんは…幹部候補って本当?私は…まだハルくんのこと全部知らないの?」
「噂…のこと?」
ハルくんが苦笑いで私に聞き返す。
「今日も、秘書の人に頼んでたでしょ?―――普通の社員がすることじゃないもん…」
「茗子には、話すつもりでいたよ。―――社長とのこともね。」
「ハルくん…?」
――――やっぱり…社長とも繋がってたんだ。
「俺が前の会社にいたとき、偶然知り合ったのが、今の社長だよ。」
「それは…アメリカにいたとき…ってこと?」
私が尋ねると、ハルくんが微笑んで頷く。
「向こうで俺は営業として、会社て認められるように頑張ってた。―――アメリカに視察に来ていた今の社長と、偶然飲み屋で知り合ってね…。」
「そんな偶然が…?」
―――早苗は偶然を装ってたんじゃないかと言っていたけど…。
「日本人に、会ったのも驚きだったけど、あの、有名なメーカーの社長だと聞いてもっと驚いたよ…」
ハルくんが、ビールを飲みながら言う。
「しかも、そのメーカー会社の名前は、茗子のお母さんからも聞いてたからね。茗子の就職先としてーーー」
「え…」
「これは、運命だと思った。俺は社長にスカウトされた時言ったんだ、“総務部”にまずは配属させてくれって」
――――ハルくんはいつもそうだ。
「茗子に…どうしても気付いて欲しくてーーー」
――――突然、一人で勝手に決めて…。
「それに、セクハラの話も…許せなかったから田中部長を左遷させたのも、俺だよ」
――――気付いたら、私を守ってくれている。
「―――アメリカに行ったら、支社長になることも決まってる…」
――――敵わないんだ…この人には…。
「ハルくん…」
「ねぇ、茗子…。一緒にアメリカに行ってくれない?」
私が言う前に、ハルくんが珍しく切羽詰まった様子で言う。
「俺…茗子に再会して痛感した。―――茗子が側に居てくれないと…俺、頑張れない…。
茗子が大丈夫でも、俺が大丈夫じゃないんだ!!」
「ハルくん…」
――――いつも格好つけてて、余裕のあるハルくんが…、
私に初めて弱音を聞かせてくれた。
ハルくんに抱きついて、私は応える。
「はい…」
―――こんな私で良かったら…側に置いてください…。