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アッパー・テーブル

 東京、永田町。元々は総理大臣官邸と呼ばれていた建物の最上階の総督執務室にて、男は自分の執務机の上に肘をつき、組んだ皺だらけの手に顎を乗せてテレビを睨んでいた。テレビの画面上では連合保安局のアルバート・シュルツが多くの報道陣を前に、昼間の査問の結果について報告していた。

 男は口を一文字に閉じて、むっつりとした表情で会見を見つめていた。真っ白な頭髪はやや薄くはなっているもののきちんと整えられ、アングロサクソン系の男にしては背は低めだが、決して貧相さを感じさせない肩幅と、深い皺が刻まれた知性を感じさせる頬のこけた老人は、ため息をついてプレジデントチェアにもたれかかった。

「この決定に、『議事堂の友人達』は納得してくれるのか?」

老人は問うた。執務机の前に据えられたソファーで、おなじくテレビを見ていた仲間の行政官の二人が、なんとも情けない様子でおずおずとうなずいた。

「自治議会の批判も一過性のものではないでしょうか。それに、まだ裁定は決していませんので、方々の反応を見ながらでも遅くはないかと……」

「ええ、それに、保安局職員の身柄を軽率に扱えばこれからの治安が心配です。ただ、それに伴う議員達の説得は大変ですが」

太っちょと痩せっぽちの中年の行政官コンビは、まるで叱られる寸前の子供のようにまくし立てる。

「ああ、判ったよ…… 結局、現状の対応がベストだということだね。もう君達は下がっていいよ。たしか明日の失業・雇用問題対策会議は担当者達と十時からだったね? 今度はすっぽかさないよ」

疲れ眼のため老人は目頭を抑えながら、行政官達に退室を促した。行政官達は、おやすみなさい長官と挨拶して執務室から出て行った。

 老人はクリスタルの卓上時計に目をやると、ちょうど日付が変わろうとしているところだった。

「レイ、君はどう思う?」

老人は欠伸を噛み殺しながら、一人だけ部屋に残っていた総督特別補佐官のレイモンド・ディマに話を振った。このマラウィ出身の特別補佐官はソファーに腰を下ろし、両手を体の前でこすり合わせながら厳しい表情でテレビを見ていた。

 テレビ画面上のシュルツは、記者の感情的な追求を持ち前の日本語力と狡猾なジョークで上手く切り抜けてはいたが、マスコミ陣の反応は芳しくなかった。そしてマスコミの背後にいるであろう、視聴者たる東京市民達の心象も押して知るべしだった。

「保安局の失態は、総督府の信託統治の正当性をも揺るがしかねなない。今回は保安局に失態を全面的に認めさせ、治安維持の権限を自治警察に丸ごと委ねてしまう、という選択肢も存在します。警察単独で捜査させた結果、犯人逮捕に至らないという幸運に恵まれて、相対的に保安局と総督府の信頼を回復させる事ができるかもしれません」

「もしも、警察単独で犯人を押さえ込んだ場合は? いずれにしろ我々の立場は悪くなる」

「でしたら総督府も連合保安局を叩いてみては? 総督府が、保安局ではなく市民の側に立っているという姿勢を今から示しておく必要があります。問題を起こした保安官補本人と都市警備部の直属のチーフから課長までを更迭、解雇すれば世論は一応納得するでしょう」

「失うものも大きいのではないかね?」

老人は、特別補佐官にそう問い質した。

「でも、リスクは少ないでしょう。私があなたの立場ならそうする…… 確かに権限を警察に委ねて保安局を抑えた場合、東京の治安は更に悪化するかもしれない。だが、そうなったら今度は警察を叩けばいい。その政策転換は総督の交代に合わせて行えば自然に見えます」

老人にとって、このアフリカ人の若者のアドバイスはなかなか魅力のあるものだった。だが、何かが心にひっかかるようなためらいを感じ、老人は腕を組んだまま押し黙った。

 しばしの沈黙の後、老人は口を開いた。

「いや、やはり今回は正攻法でいく。保安局に、犯人逮捕に最大限の力を注げと発破かけろ」

それを聞いたディマは軽くうなずいた。

「いいでしょう…… ではそのように」

そう言ってディマはソファーから腰を上げ、スタッフ達に指示を伝えるために執務室から出て行った。

 一人になった老人は椅子を回して、執務室の一角に置かれた仏像のレプリカに視線を向ける。楠でできたそのこげ茶色の仏像は、やすらかな表情で顔を俯け、かすかに頬を差し出した右手にあずけ、足を組んで座っている。それは弥勒菩薩の像だった。

 美大に入りたいと思って美術館を徘徊して、これに出逢ったときから全てが始まった。東洋の仏像のその安らいだ表情に魅せられてこの極東の島国を初めて訪れた時から、もう四十年の月日が流れていた。

 日本である男に出会ってから世界連合の創設に関わる事になり、第三次大戦を目の当たりにすることとなった。その後も世界中を飛び回る間に、一介の美術研究家志望だった青年は、いつの間にか国際組織の上級役員として外交の最前線で戦う立場に立たされていた。その間に、日本をはじめとする多くの国家の解体と混乱を見せられた後、世界連合きっての日本通として、世界連合の信託統治部から日本の東京総督府の主席行政官として派遣されたのが七年前である。

 現在の東京総督が、病気療養と偽り職務を放棄して日本から逃げ出して以来、東日本の行政は全て、この行政長官であるハロルド・〈ハル〉・ダーリントンの双肩に委ねられていた。

 自治議会との軋轢、経済の混迷、北海道の軍事政権による脅威、治安の悪化、行政システムの再建の滞り…… 今、連合による統治は行き詰まりを見せ始めていた。

「おそらく、あなたならこっちの道を選んだでしょう……」

 ダーリントンは机の上の写真立てに向かってそうつぶやいた。まだ若かりし頃の自分と自分をこの世界へ引き入れた気難しい表情の黄色い同志が肩を組んでいる写真だった。

 ハル・ダーリントン行政長官はその他の重大懸案に取り掛かるため、姿勢を正して執務机につき、老眼鏡を手にとった。目を通しておかなければならない資料がまだたくさん残っていた。東京には、治安維持以外にも解決すべき問題が山ほど存在していた。



 桜田門。警視庁に隣接する自治警察局の庁舎は、かつては中央合同庁舎二号館と呼ばれていた建物で日本国時代も警察庁がはいっていた。その二十一階建ての白いビルの一室は不機嫌な空気に満たされていた。

「あの査問は何だ? 先日貴様らが話していた事と全く違うではないか」

 中会議室の上座に座った、スーツ姿の年配の男が口汚く罵った。スーツの襟には自治議会議員であることを示すバッジが留められている。その議員の男は自分が住民の代表である事をかさに着て、少しでも気に食わないと粗野な本性を顕にする人種の一人だった。

「おい、貴様! 黙ってないで、なんとか言ったらどうだ!」

議員は怒鳴ると、怒りに任せてガラス製の灰皿を向かいのテーブルへと放り投げた。重い灰皿は耳障りな音を立ててテーブルの上を跳ね、火が消えたばかりのタバコの灰や吸殻が書類の上や参事官や審議官の制服へと飛び散った。

「じ、実際、秋葉原署の出動の遅れは隠せない事実です。それに、予算の使途まで話を持ち出されると、非常に状況が危うくなります」

査問に参加していた参事官がなだめるように弁解を始めるが、議員の怒鳴り声は収まらない。

「あ? そんな事は最初からわかってたことだろ? 貴様らの仕事は、事件を起こしたクソッタレ保安官を叩きのめして、保安局と総督府に頭下げさせることだろうが!」

 警察局は多くの使途不明金を抱えていたが、その何割かはこのチンピラのような議員をはじめとする族議員集団のポケットや警察局上級職員の遊興費へと消えていった事は、この部屋にいる者は皆知っていた。それが明るみに出れば、秋葉原事件などの比ではない大スキャンダルとなり、多くの者が処分され、自治議会と警察局の権威は地に落ちる事になる。そういう事態を招く事は、自治議会や旧来の行政機関で大きな影響力を持つ『主権奪還派』にとって悪夢であった。

 ひたすら議員をなだめながらも、その八つ当たりに耐え忍ぶ警察局職員達を見ながら、前島賢一郎は今日の査問のやり取りを反芻していた。秋葉原事件の事実関係を見るに、もはや組織として保安局を追求する事は困難な事と思われた。連合保安局は、制圧火力に代表されるその物理的暴力だけではなく、目的を達成する為にはありとあらゆる裏工作や情報戦を展開するだけの潜在力を持った組織だった。組織の生い立ちと性格上、これまであまり政治利用される事はなかったが、その意志さえあれば脅迫と暴力を背景にアメリカ政界で専横を極めたエドガー・フーバー長官の君臨した時代のFBIと同種の社会的影響力を持っている法執行機関だった。

 前島は考える。現時点で、組織レベルで警察が保安局へ果し合い挑めばどうなるか? 良くても相討ち、悪くすればこちらだけスキャンダルの業火に焼き尽くされる事になるだろう。もはや、正面からの組織批判で保安局にダメージを与える事は下策だった。では、批判者が行政機関ましてや組織でもなかったとしたら……

 前島は、椅子で音を立てないように立ち上がり、前列に座る局長官房付きの参事官を静かに廊下へと呼び出した。

「こんな時に一体なんだ」

苛々している上司に前島は真面目な顔で言った。

「参事官。いい事を思いつきました。一つ、やってみたいことがあります」

前島は、上司が冷静に自分の話を聞くようにゆっくりと噛み砕いて自分の考えを話しはじめた。

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