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査問委員会 2

 次第に会議室には西日が差し込むようになり、査問は新しい局面を迎えつつあった。これまでの査問委員達の執拗な問いをなんとか無事に切り抜け、関口、中原共に疲れと若干の安堵を感じ始めた頃、オブザーバーとして参加していた自治警察局の幹部による尋問が始まった。

 最初に尋問の火蓋を切ったのは、白髪をムースでなでつけた警察局・局長官房に所属する初老の参事官だった。

「関口保安官補、貴官は単身、臆する事も無く武装強盗と対峙し検挙しようとした。しかし、貴官は事件当時、相手の状況を見極めもせず、路上での銃撃戦に至った」

感情のこもらない事務的な口調で関口に訊く。

「貴官は、連合保安局と自治警察局との間で定められた治安維持協定第十一条の二項を侵犯する恐れについて、現場でどう考えたのか? かかる強盗事件が急迫不正に貴官の身を害するものではなく、この事件の管轄権が自治警察に帰属するものである事を認識していなかったのか?」

法的問題に関わる事柄だったので、中原が返答する。

「同法三項ただし書き、並びに連合保安官職務執行法第三十五条に『総督府下の秩序と安全、市民の生命、財産が著しく侵害され、もしくは侵害される可能性が著しく状況では、世界連合保安官及び特別に権限を与えられた者は、その侵害行為に対しあらゆる手段で対処する事を認める』とあります。今回、現場に居合わせた法執行官は関口保安官補のみであり、同法が適用されるものと考えます」

「結構。では、事件当時、現場ではどのような『事態』が進行し、どのような『侵害』が予想されたか?」

まるでテニスか卓球の試合のように、中原が打ち返したレシーブに素早く新たな質問が飛んでくる。

「はい。私が現場到着した時点でも、なお店内からは銃声が響き大勢の人の悲鳴が街路にも響いてきました。それにより、店内の市民の生命に関わる危険な事態が進行中と悟り、その阻止の為、犯人に警告を与えながら電気店へ向かいました」

関口は姿勢を正し、参事官の目をキッと睨みながら明朗に答えた。

「当時、現場の店舗前の街路で犯人が危険な行為に及んでいたか?」

「いえ…… 発砲その他の破壊行為は店内のみ確認できました」

「ならば何故、貴官は現場の店舗内に踏み込んだ後、犯人の制圧を試みなかったのか?」

「そ、それは……」

その問いに関口の返答が鈍る。中原にとっても想定外の質問だったので、額に皺を寄せて関口を見る。

「店内に踏み込む事に臆したのか?」

「そ、そんなことはありません! 外にはサブマシンガンを持った見張りを確認しました。その時点で電気店へ踏み込むことは困難でした」

あまりにも勝手な論を展開する参事官へ、関口は声を荒げて返答するが、参事官はすかさず資料をめくりながらはじめて薄笑いを浮かべた。

「貴官の供述によれば、犯人に投降を促す以前にサブマシンガンで武装した犯人の姿を確認している。しかし、貴官が最初に制圧を試みた男は店舗から出てきた荷物を抱えた男とある。敢えて強力な火器を持った犯人の制圧を怠った理由は何か?」

「ちょっと待っ…」

いきり立って感情的に反論しそうになった関口を、ちょっと待てと中原が左手で制した。

「関口保安官補は制圧を怠ったのではなく、制圧を試みる直前に新たな脅威となる二人目の男が店舗より現れた結果と推定できます」

参事官は冷笑を浮かべながら首を振り、次に移りますと言って尋問を終えた。

 再び速記タイプライターのキーを連打する音と紙をめくる音、そして、小さくはあるが先程から街路に集まった政治結社によるアジテーションが耳に届いてくる。

「ああ見えて自治警も必死だ。とにかく手筈どおりに、そして冷静になれ」

「はい…… すいません。わかってます」

関口は額の汗を右手で拭いながら、耳元で注意する中原に小さくうなずいた。

 査問委員と警察局からのオブザーバー達が何やら相談し合っている間、関口は冷静になる為、ペットボトルの温くなったミネラルウォーターを全て飲み干した。とにかく気分を落ち着けようとしたが、警察局からの〈攻勢〉に備えようとしたが、不安と苛立ちは払拭できなかった。

 査問は終盤となり、最後の尋問者として前島が口を開いた。警察内では関口の日常を知る男である前島は、関口にとって最大の脅威ともいえる。

「はじめます」

前島はそう宣言し、証拠品としてビニールに包まれた小型の小銃を掲げた。

「これはアメリカ共和連邦のスタームルガー社で生産されたミニ14自動小銃である。これは事件当日、貴官が巡回時に携行した物であるか?」

「はい」

前島は芝居気たっぷりに銃を掲げて質問を続ける。

「これには弾倉、薬室合わせて五・五六ミリ・ライフル弾を三十一発装填できる。貴官は事件当日、この銃を携行するにあたって、その弾倉に何発の弾薬を装填したか」

関口は何か悪い予感と居心地の悪さを感じながらも、質問に答え続ける。

「規則により、弾倉のスプリング劣化による給弾不良を防止するため、三十発弾倉に二十八発装填し、その後、薬室に弾倉から一発を装填し巡回に出かけました」

関口は敢えて突っ込まれる点を減らす為に先回りして説明しながら答弁する。前島は額の右眉を引きつらせながら、眼鏡を掛けなおして質問を続ける。

「事件当時、貴官は、小銃と拳銃の弾薬を僅か三分足らずの銃撃戦の間に一体どれだけ消費したのか?」

関口は一瞬返答に困ったが、自分の供述書を見ながら答えた。

「最初、ライフル弾二十八発全弾を撃ち、その後拳銃を発砲し、二十数発発砲しました。拳銃の発砲回数は、現場の混乱状態の中にあり把握しておりません」

「結構。正確には拳銃弾は二十六発である。貴官は僅か三分足らずの短い時間に合計五十四発の銃弾を、逃げ惑う市民が右往左往する街路で発砲した。これは対象を確認せずに発砲に至った、すなわち『乱射』と解釈してよいのか?」

「それは違います」

中原が立ち上がった。

「警視庁による弾道検査からも明らかなように、関口保安官補の発砲による負傷者は存在せず、保安官補の射撃がパニックもしくは恐怖から来る無作為な発砲でないことは明らかです。また、事件当時、関口保安官補は単独で自動火器を所持した複数の凶悪犯を牽制する必要があり、その為に相当数の弾薬を消費したことは正当な職務遂行の為に必要な行為であると考えます」

「では重ねて関口保安官補に聞きたい。事件当時、貴官は小銃の弾倉二十八発を全て撃ち尽くした後、すぐにそれを放棄し、ホルスターより拳銃を引き抜いた、とある。規則によれば、保安官補は治安状況の悪い地域の巡回時に小銃を携行する場合には予備の弾倉を携帯する旨規定されているが、何故貴官は事件当日、予備の弾倉を携行しなかったのか?」

正直、痛いツッコミだった……。 弾倉はかさ張る上に重いので、関口はいつも規則を破って予備の弾倉は持ち歩かなかった。思わず中原を見るが小さく首を振るだけだ。事前に話し合った通り、この件は誤魔化すしかなかった……

「それは、事件当日、私が予備弾倉を携行し忘れたためです…… あいにく持ち忘れた日にこのような事に巻き込まれ、今はとても悔いています……」

故意に携帯しなかったと言うより、忘れたと言った方が聞こえはいい…… 一方、前島は関口の過失ポイントを一ポイント取れた事に満足そうに鼻を鳴らした。

「次の質問に移ります。貴官が最後に射撃訓練を行ったのはいつか?」

関口は前島の意図がわからぬまま、記憶をたどる。

「約二ヶ月前に新木場の訓練場にて拳銃と散弾銃、小銃の定期訓練を受けました」

「では、最後の訓練の際、貴官が認定された射撃の熟練度のランクは何か?」

これは、関口にとってあまり答えたくない問いだった。中原とも打ち合わせたが、うまい抜け道に見つからない質問だった。

「拳銃は五級、散弾銃と小銃は四級です……」

最も練度の低い級だった。前島はわざとらしく眼鏡のレンズの奥にある目を大きく見開き、驚いたような口ぶりで言った。

「ご、五級? すなわち、貴官の拳銃の射撃練度は保安局規定による格付けでは最低ということになる。また、小銃、散弾銃に関しても極めて低い水準にあることは明白。つまり、貴官は、多くの市民がいる場で極めて不正確な射撃を繰り返し、無用な混乱を引き起こしたと解釈してよいか?」

――クソ! この野郎! おれに何の恨みがあるんだ!

関口は窮地に立たされたと同時に、不仲とはいえ顔馴染みである前島から悪意に満ちた仕打ちを受けて、頭に血が昇りかけていた。

「た、確かに私は射撃が決して上手くはありませんが、犯人グループを牽制し、少しでも足止めできれば検挙できると思い……」

辛うじて答弁を口から搾り出すが、すかさず前島が遮った。

「問題なのは貴官の意思ではなく、事実である。貴官は射撃の腕が未熟であるにも関わらず犯人と三分間にわたる銃撃戦を引き起こした。貴官の法執行官としての状況判断能力を大いに疑うべき要素と考える」

「そ、そんな……」

そう断定調に言い切る前島に関口は言葉を失った。前島は初めて強烈なアッパーカットを決めたと思い、薄笑いを押し殺した神妙な顔で関口を見据えた。関口の額からは汗が流れ落ち、顔は怒りと困惑とで真っ赤になっていた。隣に座る中原に助けを求めようとしたが、肝心の中原は前島を見ながら何故かニヤニヤと笑っている。このままでは、関口に「有過失」との判定が下る可能性が大きいにも関わらず、中原は関口に助け舟を出そうとしなかった。

「関口保安官補、貴官は一時の功名心もしくは突発的なパニックから、不用意に犯人に接触し、かかる惨事を引き起こしたのではないと断言できるのか?」

「あたりまえだ!」

関口は我慢できなくなって、前島に掴みかからんばかりに立ち上がった!

「ならば、保安局の服務規程にある、『一般市民の安全と保護は犯人の検挙、制圧に優先する』という規則を貴官は無視した事になる!」

「いい加減にしてくれ! 電機館の惨状を見てないのか? 事態は急を要したんだぞ!」

「保安官補は言葉遣いに気を付けるように!」

ついに査問委員がガベルを打ち鳴らし、叫ぶ関口を一喝した。

 関口はしかたなく席についた。

「少し、落ち着け」

中原は横目で関口を見据えながら小声で制する。鋭く射るような視線だった。関口は思わず押し黙る。

 中原は一度だけ咳払いをしてから、おもむろに立ち上がった。

「関口保安官補の弁護人として一つだけ、警察局の方々に問い質しておきたい事があります」

警察局幹部をはじめ、一同が中原を訝しげに見つめた。

「結構、認めよう」

委員の許可がおり、中原は前島を見据えた。

「関口保安官補の供述によれば、銃撃戦の時間は約三分。これは、現場にいた目撃者である多くの市民も最大プラス・マイナス五十秒で証言が一致しています。少なくとも、関口保安官補は、過失の有無に関わらず、犯人を現場に最低二分間、その場に足止めしたことになる。かかる争点は、関口保安官補が警察局との間に結ばれた警備協定の侵犯と職務執行に際し一般市民に対する保護を大きく怠ったかどうか、であります。しかし、一つ目の争点に関し、我々独自に調査・聞き込みした結果、極めて興味深い結果を得ました。提出書類十七号をご覧ください」

一斉に、机上に積まれた紙束の中から十七号文書を探し始める。

「第六項、秋葉原でリサイクル店を営む野村裕三氏の証言によれば……」

それは関口に事件を知らせてきた、懇意にしているジャンク屋のオヤジの名前だった。

「関口保安官補は事件発生を知り、現場へ臨場する直前、野村氏に警察への通報を指示。野村氏はそれに従い、即座に一一〇番通報を行っており、通話記録、通報記録共に確認が取れました。これは関口保安官補の証言を裏付けるものです。また、ネットワーク型警備システムは何らかの理由で機能しませんでしたが、野村氏の通報以前、最大で一分十二秒前には、最初の一一〇番通報が電機館向かいにあるコンピューターソフト開発会社よりなされており、関口保安官補が現場に臨場する四分前に、自治警察は第一報を受けていたという事実が明らかになりました」

関口は警察局幹部達の居心地の悪そうな表情を見て、形勢の風向きが少し変わる兆しを感じた。昨夜、中原が笠木や部下の調査員に調べさせ、査問開始の二時間前にギリギリまとめ上げた資料だった。

「今回、関口保安官補の判断ミスと浅はかさが、ゼロであるとは到底断言できないと認識しております。ですが、事件発生から少なくとも五分以上。彼が臨場後でも最低三分間、犯行グループを現場に釘付けにし、警察その他の応援を待ったという事実は正しく認識して頂きたいと思います。それに、たとえ判断能力不足の行為であったとしても、進行中であった市民への加害・侵犯行為を彼は停止させたという事実もよくお考え頂きたい。かかる惨事を引き起こしたのは、紛れも無く関口保安官補ではありますが、事前に通報を受け、最低でも七分間あった猶予の間に警察は現場に臨場する事は出来なかった…… 彼は本来、直接市民を守る為の警察に代わり、たった一人で犯人達と対峙したのです」

中原の厳しい視線は委員ではなく、前島ら警察局に向けられていた。

「警察局は確か今年度予算で、通報処理システムの最適化と処理対応の高速化のための追加予算を申請していましたね? 巨額の投資をしながら……」

「貴様! そんな、議論のすりかえが……」

「前島、もういい!」

顔を紅潮させて反論を企てる前島を警察局の幹部が一喝した。幹部達にとって、予算に関する追求と臨場に間に合わなかった事実を強調される事だけは避けるべき懸案だった。前島の攻勢から一転、追求はいつのまにか自分達の足元をすくう汚点に変わり、警察局による事実追求は竜頭蛇尾な印象を残したまま結末を迎えた。



 全ての口頭審問が終わり、数十分間の査問委員達による合議の後、長い机の真中に座っていた査問委員長がガベル(小槌)を打ち鳴らした。関口と中原は立ち上り、姿勢を正す。起立しながらも関口は落ち着き無く、手を動かしていた。大丈夫と言われてはいるが、不安は募った。

「以上にて査問委員会の口頭審問を終わる。事件の性格、事実確認と捜査の進展状況を鑑み、関口三等保安官補に対する処分は、十日後の一〇〇〇時にこの場所で申し渡す。尚、暫定処分として関口保安官補には、正式な処分が下されるまでその任を解き、無期限の自宅謹慎処分を命じる。何か異義はあるか?」

「ありません」

中原が答え、委員長が閉会を宣言した。

「ご苦労さん」

 中原が関口の肩を叩いた。関口は心配そうな顔で中原を見る。

「あのぉ、十日後って言ってましたけど、大丈夫なんでしょうか?」

中原は首を傾げながらも、笑って言った。

「そうだな、先に延ばすのは意外だった。事態が今より悪くなっても対処できるよう、多分ずる賢い上層部が保険をかけたんだろう。ただ、今日の審問の流れで免職になることはまずない。しばらくおとなしくしてなさいってことだよ」

中原は自分の書類を革の手提げ鞄に放り込むと、廊下へと歩き出した。

「さて、後は無事にこの建物から出られれば、だが…」

関口も、自由の利く右手で、メモ帳以外何も入っていない鞄を抱え、会議室を後にしようとしたが、ふと視線の端に前島を認めた。前島は歯軋りをしながら敵意剥き出しの表情で関口を見つけている。状況が好転しても関口のむかっ腹は収まらない。関口は鞄を椅子に置き、前島へ向かい右手の中指を突きたてた。怒りのあまり一瞬で酢だこのように真っ赤になった前島の顔を見届けて、関口は会議室をあとにした。



 本庁舎のエレベーターホールで笠木と出くわした関口と中原は唖然とした。笠木は右腕を三角巾で吊り、額は厚く包帯で巻かれ、左眼は眼帯で覆い、まさしく重傷者の態で二人の前に現れた。包帯に隠れた顔を覗き込むまないと、一見誰であるのか判らなかった。

「一体どうしたんですか! まさか事件ですか?」

真面目に心配する関口とは対照的に、中原は呆れ果てた様子だった。

「まったく、わざわざそんな格好して、お前さんは一体何がしたいんだ?」

笠木は得意になって笑い、三角巾から腕をはずすと、ケガ人らしからぬきびきびした動きで窓の外を指さす。

「外はマスコミや騒音マニアの政治結社で酷い騒ぎだ。こんな中、君がそのまま、ノコノコと出て行ったら、いくら防いでいても面を撮られ身元が割り出されるだろう。せっかく勝ち戦も、マスコミに正体が知れたら何の意味も無くなる」

窓から外を覗き、関口は思わずたじろいだ。

 夕闇の眼下にはいくつもの中継車やバンが並び、リポーターがカメラに向かって必死にまくし立てる傍らでは、真っ黒いバス乗った迷彩服姿の男が拡声器を使って何かわめき散らしている。報道用のカメラのフラッシュや照明が建物を囲んで照らし、連合保安局東京支局庁舎は完全に『包囲』されていた。

「囲みを突破しても、ブン屋に尾けられて自宅もしくは所属を割り出されたらお手上げだ。それに、君のそのなりじゃ、すぐ奴等にばれる」

笠木の言うとおりであった。三角巾と図太いギブス、それに額には大きなバンソウコウを貼っている関口の格好は確かに人目を引くものである。

「それにしちゃ子供じみた策だ、馬鹿らしい。奴らがそんな手に引っかかるとも思えない」

中原は肩をすくめて首を振った。

「やってみたらいいんじゃないか?」

三人の背後から声を掛けたのは村岡だった。

「笠木保安官、中原保安官、今回はご苦労さん。大変世話になったね。関口、君からもきちんとお礼をいいなさい。それにしても…… 外に出るのは勇気がいるんじゃないか?」

村岡は目を細めて外を見下ろした。

「笠木保安官の言うとおり、少々危険だな。最後に一仕事お願いしよう」

「ええ、判っています。それに、連中には前から一泡ふかせてやりたかったので……」

笠木は冗談とも真面目ともつかない表情でそううなずく。村岡は次に関口に向かって手を差し出した。

「承知のとおり、無期限の自宅謹慎処分が下った。身分証とバッジを預かる」

関口はスーツの胸に留めていたバッジとポケットに入れていた身分証を村岡に手渡した。

「うん。さぁ、くたびれたろう。今日は帰って一息つけ。そうそう、菱川から伝言で、車は局の車庫に置いてある、と。腕を早く治して、また運転できるようにするんだな」

関口は村岡と中原に深く頭をさげ、笠木と共に地下駐車場へと向かった。



 水島麻美は先輩格の記者に突き飛ばされて思わずよろけた。

「ここはおれが受け持つ。お前みたいな新人は御茶ノ水か王子の分局にでも張り付いてろ」

先輩である田宮は荒々しく言うと、保安局本庁舎の駐車場前の人ごみへと入っていってしまった。

「うっせー、いつからオメェが本局付きになったんだよ…… 死ねよ……」

水島は小声で毒づき、両手をこすり合わせた。保安局前で待ち構えて既に四時間。もう空は真っ暗になり、冷たいビル風がオーバー越しに肌を刺す。

 水島は社員研修の後、半年前に保安局付きの記者となったが、指導役の先輩記者である田宮は底意地の悪い男で、新人女性記者である水島をお茶汲みと雑用のみをこなす秘書程度にしか扱ってこなかった。実際、今回もこの寒空の下、保安局前で同業他社の記者達と共に、査問を終えて出てくる予定の保安官補や査問委員達を待ち構えていたのは水島だったが、事件の大きさに目をつけた田宮に、保安局の支局を回るよう命令されていた。

 入社して半年。田宮の下についてからというもの、仕事らしい仕事はほとんどしてきていない。そういう意味でも、今日の取材の原稿をデスクにあげれば、初めて一人で紙面に名前が載る記事になる可能性も大きかったのだ。そもそも、警視庁や自治議会と異なり、記者クラブ制度をとらない保安局や総督府への取材は、マスコミが自力で見張っていなければ情報はほとんど得られない。だが、その為の今日の努力はまたも潰えそうだった。

 水島は保安局のコンクリの壁に寄りかかってしゃがみ、ポケットからマイルドセブンを取り出して一本口に咥えた。百円ライターで火をつけ、ゆっくりと肺を煙で満たす……。記者になってから身についた悪癖の一つだった。

 三口目を肺に吸い込んだ時だった。駐車場前の一団がにわかに騒然となった。騒ぎ出した記者やレポーターを押しのけるように、スロープから二台の黒いジャガーが道路へと踊り出た。一斉にカメラのストロボが瞬き、磨きぬかれた黒いボディーがフラッシュをまぶしく反射する。まるで群がる記者達をはたき落とすようにジャガーは急加速して水島の眼前を通過した。不思議な事に、先導車も二台目も窓にスモークやカーテンを被せていなかった。それ故、二台目の後部座席に座る、頭に包帯を巻き、眼帯で顔を覆った男の姿が水島にもはっきりと確認できた。吸っているシガレットを放り出し、水島も立ち上がって駆け出そうとした時、そのジャガーが二ブロック先で不意に路肩に停車した。マスコミ陣の反応は素早かった。一斉に駆け寄る者、中継車でわざとジャガーの進路を塞ぐように停車する者達で二台の公用車は瞬く間にマスコミ関係者に包囲された。

「あなたが秋葉原で事件を起こした保安官補ですか?」

「無辜の市民を傷つけた事に対してどう思っているんだ!」

「ドア!開けてください! 答えてください!」

二台のジャガーがまるで怒号とも言える取材攻勢に晒されている様を、水島はその報道陣の輪から離れた所から見ていた。どうせ取り付くしまはないし、田宮が酷い形相で車の窓を叩いていたので自分の役割は無いだろうと思い、立ち尽くしていた。

 その時、駐車場のスロープの方から水島の耳へ、タイヤとサスペンションの軋む大きな音が届き、彼女は即座にその方角へと目を走らせる。正面にまばらに立っていた報道関係者を押しのける勢いで、後席にスモークガラスを張ったワンボックスカーが飛び出し、エンジンを高回転で吹かし、急加速でジャガーとは正反対の国道一号線方面へと加速する。その音と只ならぬ様子に勘付いたごく一部のマスコミがカメラを向けようとしたが、国道を急左折し、ワンボックスカーは瞬く間に姿を消した。

 水島は呆気にとられながらも、僅かに小走りしたが、もう手遅れであった。しかし、水島は不思議に思い、報道陣が群がるジャガーを振り返った。

 ジャガーを包囲していた人垣が一層騒がしくなり、大きくどよめいた。水島は全力で駆け寄り、記者やカメラマン達の背中越しに輪の内側を覗くと、二台目の車に乗っていた包帯の男が車の脇に立ち、質問の為に詰め寄る記者達の前で顔に巻いた包帯をスルスルと解き始めた。

――騙された!

水島はそう直感した。それを裏付けるように、男の包帯が全て解かれる前に、最前部にいた古参の記者が大声で下品な悪態をつく。

「畜生! やりやがったな!」

「くそ! ブラッディ・アキだ!」

古参の記者の何人かはその悪名高い保安官の人相を知っていた……。 青白い笠木の顔にはケガの痕はなく、彼は包帯と眼帯を投げ捨てると眼鏡をコートの内ポケットから取り出して鼻にのせる。落ち着いた動きで樹脂製の重いギブスを自分の右腕から引き抜き、三角巾ごと記者の前に放り投げた。その表情には薄笑いが浮かび、目には侮蔑の色が浮んでいる。

「取材ご苦労!」

まるで高らかに宣言するようにそう叫び、保安官は優雅に車によりかかる。

 この状況になり、ようやく報道陣全体が自分達が影武者を掴まされた事を理解した。

「さっきのワゴンか!」

「急げ! 他に出た車は無いか?」

「各局、各事務所の前に予備の班を張り付かせろ! 都内のどこかの局に戻るはずだ!」

ジャガーを囲んでいた記者達はまるで蜘蛛の子を散らすように去っていった。走る事を諦めてゆっくりと立ち去ろうとした記者が敵意のみなぎる視線で笠木を睨む。

「おや、聞くことはないのかな?」

「覚えていやがれ……」

記者はそう吐き捨てて自分達の車へと歩いていく。その背中を嘲笑しながら笠木も小声でつぶやく。

「覚えていやがれ、はこっちの台詞だ。腐れブン屋が……」

笠木はギブスと包帯を拾うと車に乗り込み、大きくため息をついた。

「お疲れさまです…… しかし、少々挑発しすぎではありませんか?」

運転役を努めた法務部の担当官が心配するように後席を覗く。

「かもしれませんが、いい時間稼ぎになりましたよ。こちらこそ、お手間をお掛けましたね……」

「あの保安官補はどこへ戻るのですか?」

「一応、用心の為に途中で車を変えた後、今日は自宅へと直行させます。……さて、戻りましょうか」


 水島が二台のジャガーが走り去る様子を見つめていると、顔から不機嫌なオーラを全開に発散させながら田宮が歩いてくる。

「お前はまだそんな所にいたのか! さっさと、支局、事務所を張り込みに行って来い!」

八つ当たりするように怒鳴る田宮を無視して水島は歩き出した。

「おい、聞いてんのか! お前は御茶ノ水だからな!」

後ろで怒鳴っている田宮など、もうどうでもいい。水島は自分が取材相手に出し抜かれた事に猛烈な怒りを感じていた。保安局を揺るがすようなスクープを手に入れる為にはなんでもしてやるという強い敵愾心を胸に、水島は東京駅へ向かっていた。


 その夜、日付の変わらないうちに保安局の広報部による記者会見が本庁舎で開かれ、査問委員会の進展状況がアルバート・シュルツの口から発表された。

 同じ頃、笠木の陽動作戦によりマスコミの包囲網を突破した関口は、駒込の自宅へと数日振りに帰宅することができた。

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