査問委員会 1
午前九時。ホテルの裏口に黒塗りのジャガーXJが止まり、内務監査部の三等保安官が迎えに訪れた。欠席と遅刻を防ぐ為の大仰な措置だった。関口は事前に準備も済ませ、一番上等な紺のスーツに右腕だけをとおして羽織った。
「準備はいいかね? 関口三等保安官補」
関口はうなずき、ジャガーの後部座席に座った。黒いジャガーは保安局と世連の上級職用公用車だった。関口は右手に提げて来たブリーフケースからメモを取り出し、それに目をとおした。悪くすれば、今日限りで自分はクビになるかもしれないのだ……。 関口はそう考え、心臓が鉛のように重くなってゆくのを感じながら車窓から外を眺める。
平日だというのに、歩道で腰掛けたまま行き交う車を見つめている人や『何でもやります。自給650円から』というプラカードを背負った失業者が大通りに目立つ。自分は身分不相応に高い給料を貰っていたのでは、という考えが一瞬頭をよぎった。
自分は一体なんでこの仕事に就いたのだろう? 最初は憧れだった。洒落たスーツにきらめくバッジ。有無を言わせず犯罪者を屠るその姿は、学生だった関口にはカッコよく見えた。元々頭は良く勉強には苦労しなかったので、大学卒業直前に連合保安局の地域採用枠で採用された。しかし、その後は手前勝手に不真面目な腐敗保安官を演じてきた。その結果が今回の災厄である。果たして自分には不名誉な免職から救われるチャンスがあるのだろうか?
関口がそう自問自答しているうちに、車は国道一号線へ入り東京支局本庁舎が見えてきた。前方に三台、同じ黒いジャガーが走っている。そのうち二台が目前で急加速をはじめた。その最後尾に付くように、関口を乗せたジャガーも加速し、四台のセダンは猛スピードで保安局庁舎前を通り過ぎる。
「マスコミが集まっているな。頭を下げた方がいい」
保安官がそう言っている間に、プライバシー・スモークのかかった窓をストロボの閃光が叩き、車外が騒然となった。顔を撮られる心配は無いのだが、関口は反射的に後部座席に寝そべるように頭を下げていた。通過する際、路肩に大きな中継車が四台止まっているのだけが見えた。猛烈な横へのGがかかり、車は急に左に曲がり、地下駐車場へと降りるスロープへと入った。
「もう大丈夫だ」
そう言われ、関口が頭を上げると、車は本庁舎の地下駐車場へと入っていた。車が止まると制服姿の保安官補が周囲を固め、出迎えの保安官が車に寄って来た。関口が車を降りると、先導したジャガーの一台から笠木が降りて手を振った。今のはマスコミに自分の顔を晒さないようにする為だったのだろう。関口は軽く会釈し、保安官に連れられてエレベーターホールへと歩いていった。
午前十時、右手のガラス窓から日が差し込むアールデコ調の内装の広い会議室で査問は始まった。関口は監査部の査問委員の真向かいにある証言席で、委員達と対峙した。査問委員四名と速記官二名、それに警察局からのオブザーバー三名が関口を凝視している。会議室の前と後ろの両隅にはそれぞれビデオカメラ一台づつ設置され、査問の行方を捉えていた。
序盤は委員からの事実に関する質問が行われていた。
「関口保安官補、一昨日の一六一七時に、電脳会館の屋外非常階段にて銃声を聞いた、と証言しているが、その際、貴官どのような職務についていたか?」
「はい、墨田の住宅密集地および犯罪多発地区の当番巡回を終え、電車にて新宿に戻る途上、時間が余ったこともあり、かねてから重要警備地区となった秋葉原地区の警戒を開始。非合法品を多く扱う電脳会館にて警戒活動を行うべく店舗六階で警戒中、顔見知りの商店主から事件の発生を知らされ、現場に急行した次第です」
内装の豪華さに気圧される事も無く、関口は査問委員の顔を正面から見据えて言った。
「貴官が現場に急行した際、店の周囲はどのような様子であったか?」
「神田明神通りには多くの露天商が並び、人通りは非常に多かったのですが、通行人の多くが通りから退去しつつありました。アケボノ電気館には犯人グループの車両が突入しており、周囲を見張っていた犯人一名が車内にいるのを確認。また半径三十メートル以内には見物人、通行人の姿は確認できず、皆遠巻きに様子を伺っていました」
「貴官は、犯人に対し、威嚇発砲を行ったか?」
「いいえ。しかし、犯人一名に対し、小銃を構え投降勧告を一回行いました」
「最初に発砲に至ったのはどちらか?」
「犯人グループの一人です。サブマシンガンによる連続射撃を受け、近くの遮蔽物へ退避し、その後小銃にて反撃。犯人グループとの間で銃撃戦となりました」
その答弁を聞きながら隣に座っている弁護役の中原は、うんうんとうなずいて書面を再度確認した。昨日決めた手順通り、関口は簡潔明瞭に委員の質問に答えてゆく。
一方、そんな関口を苦々しい思いで見つめている顔が三つあった。自治警察局の参事官とその配下の連絡要員である前島賢一郎だった。事前に前島から、関口の性格や日頃の品行について聞かされていた警察局の役人達は、関口の簡潔明瞭な答弁に苛立ちを感じた。今回のスキャンダルを元に連合保安局の不手際をより大きくアピールすることが彼らの任務だった。そこで、日ごろからよく関口を知る前島がこの査問に参加することになったのだった。だが、警察局の予想に反し、関口は善戦していた。
関口は最初の基本的な質問に返答すると椅子に座り、上目遣いに委員達を一瞥した。天敵の前島賢一郎は向かいの左端に座り、不機嫌そうに書類を見ている。
「その意気だ。第一ラウンドはいいだろう。本番は次からだな」
「はい……」
関口はそううなずくと、席に置かれたミネラルウォーターのペットボトルの栓を開け、喉を潤した。
『こちら丸の内、連合保安局総督府の本庁舎前です。今日は早朝から多くの報道陣が詰め掛けています。現在この庁舎内で、秋葉原の路上で犯人グループとの銃撃戦を起こしたとされる保安官補の責任を追求する査問委員会が開かれています。二時間ほど前、報道陣が取り囲むなか、数台の黒い乗用車が猛スピードであちらの庁舎専用地下駐車場へと入ってゆきました。その中の一台に、今回責任を問われている保安官補が乗っていたと思われますが、その姿を確認する事はできませんでした。今回の査問には自治議会の強い意向で、自治警察局の幹部数人も参加しています。査問は午後まで行われる見通しで、その後こちらに目立った動きは見られません。ですが、先程から総督府への抗議を示す横断幕をつけた政治団体の車が数台見られるようになりました。現場からは以上です』
「あいつ…… 大丈夫かな」
新宿オフィス三階の廊下脇の休憩所に置かれたテレビを見ながら、菱川綾子は心配そうに呟いた。
「今は見守るしかないね…… それに、アーキーが専門の弁護人を手配したって聞いたから、そうなに心配しなくてもいいよ」
テーブルの上に足を投げ出して座っているハワード・楊は新聞に読みながら言った。
「べ、別に心配なんかしてませんよ…… ただ、笠木さんなんかで大丈夫なんですか? あの人って撃ち合いが専門なんですよね?」
『撃ち合い専門』という言葉に、陽はけらけら笑い出した。
「だって、笠木さんって組織犯罪担当の人だし、仕事は出来るみたいですけど…… なんか、キレ者ってタイプじゃないでしょう? あの人で大丈夫なのかなぁと思って」
遠慮がちながらも、ズケズケとものを言う菱川を楊は困ったような顔で首を振った。
「まぁ心配するのも無理は無いね…… だけど、あいつはこーゆーケースに慣れててね」
「慣れてる、ですか……」
「腕利きの弁護をつけたし、前に、今回の事なんて問題にならないくらい深刻なミスをした哀れな奴もいた。だから心配しなくても大丈夫さ」
菱川はテレビを食い入るように見つめながら、軽くうなずいた。
「マスコミがかなり集まっています。通常の移動は困難でしょう。彼らに面を撮られなくとも、尾行され所属が知れ渡ってしまう可能性もあります。それについてはどうお考えですか?」
法務部の担当官は、本庁舎の廊下の窓から報道陣で溢れる道路を見下ろしながら笠木に言う。コートを羽織ったままの笠木は、隣で街路の報道陣を暗い目で見つめていた。
「渉外・広報部は今回の事件と査問について、どこまで事実を発表していますか?」
「事件に遭遇した保安官補が今日査問に掛けられる事。それと、その保安官補が都市警備部所属で今年入局した新人のローカルスタッフで、事件により負傷したこと。保安官補の誤射は無かった事を昨日、記者会見で明らかにしました」
そう答える担当官に、笠木はうなずいた。
「負傷ですか…… その容態は発表したんですか?」
「詳細は一切、公表していません」
それを聞いた笠木はしばらく首を傾げて黙っていたが、自分で何か納得するかのようにうなずいた。
「やっぱり、あの手しかないかなぁ…… 常套的ではありますが、ちょっと救護室をお借りします」
笠木はそう言うと、足早に歩いて行った。最初、担当官は怪訝な顔で笠木の背中を見つめたが、意味を悟り、慌てて笠木の後を追いかけていった。
十二時三十分。窓の外では政治団体の街宣車が拡声器でアジテーションを開始し、丸の内の一角は少しずつ殺伐とした緊張感が生まれつつあった。
外の喧騒が僅かに聞こえる会議室の中で、査問は第二ラウンドに突入していた。一応の事実確認が終了し、今は関口の行動とその認識について問われる局面へと移っていた。
「貴官は単独行動にも関わらず、一人で現場に赴いたとある。通報及び応援の要請を直ちに行わなかった理由は何か?」
「それは違います。報告書にもあるとおり、付近の市民に警察への通報を要請しました」
「なぜ貴官自身で行わなかったか?」
「一つは、現場の様子を市民から伝え聞いた際、状況が切迫していた事。それに、駆けつける以前から現場から響く多数の銃声を聞き、未だ犯行が継続中であることを考え、通報より自身が急行する事を優先させました」
関口と委員達の間に座る速記官が、速記タイプライターのキーを叩く音が響く。委員は椅子に座ったまま次のページへと書類をめくる。
「貴官が現場へ臨場した際、貴官は市民の安全確保の為、どのような注意を払ったか?」
委員の質問に、これまで歯切れの良かった関口の答弁が止まった。前島の顔に初めて笑みが浮かぶ。
「関口保安官補は現場に臨場した際、安全の確保を怠らなかった事は、当時周囲の一般市民の位置をよく把握している事からも明らかかと思われます」
わきに控えていた中原が素早く返答し、関口は窮地を救われた。委員はその事実を確認する為に、調書と捜査資料をめくり始めた。これは中原と関口の間で、事前に打ち合わせて想定していた質問だった。
委員達は裏付けを取る事ができたようで、書類を戻し次の質問へと移った。
「貴官は犯人グループの後方に一般市民の存在を確認し、市民に対し十分な注意を払ったか?」
「はい、犯人の後方に市民はおらず、安全性に問題はないと判断しました。また発砲は犯人を牽制する目的で行ったもので、水平射撃を敢えて避けました」
関口は明朗に答えた。もっとも後半の「牽制射撃」については、昨日中原と考えたデタラメだったが事態の真実を裏付ける証拠などは何も残っていない。数名の担当官は書類をめくっていたが、問題ないと判断しファイルを閉じた。
しかし、左端に座っていた警察局の幹部衆の苛立ちは募る一方だった。
「前島警部補、一体どうなっているんだ? 奴が理路整然と応対できるという報告は受けていないぞ」
査問の成り行きに危機感を感じ始めた警察局の参事官が前島に耳打ちした。小声だが、口調から焦りと怒りが感じられた。前島はとうとう膝で貧乏揺すりをはじめていた。
前島も、関口の予想外に快活な答弁に目算を見誤ったことを悟っていた。普段なら報告書一つ書くのにも苦労している関口の姿を目にしている前島からすれば、今日の関口はまるで別人であった。緊張の色は伺えるものの、返答は適切であり、決して不必要な事は話さない。前島は焦っていた。一つは、今まで自分より馬鹿だと思っていた相手が実は有能であるかもしれないという焦り。もう一つは、このような査問にかなり場慣れした優秀な弁護役が保安局にいるという危機感だった。
――しかし、何故だ?
前島は関口の弁護役を務めている中原を見据えた。意外だったのは、今回連合保安局がトカゲの尻尾切りの如く、関口伸一をスケープゴートにして責任を回避する策に出なかった事だ。有過失、無過失という問題以前に、関口は不幸にも居てはいけない時間に、居てはいけない場所に居合わせ、「失態」というショーを演じた。そのショーを演じた時点で、組織から切られるという運命は決まっているはずだった。もし今回、保安局がスケープゴートとして関口の実名を公表した上で『一人の不良保安官補の未熟な腕がもたらした悲劇』を演出すれば、組織の権威の低下は防げないまでも、総督府バッシングにまで世論が紛糾する事はなかった。その戦略性の無さと、あくまで関口個人を守ろうと腕利きのリーガルを関口のサポート役に持ってきた事に前島は一抹の不安を感じていた。
――おかしい、組織論として間違ってる!
前島がそう考えている間にも査問は続く。
委員は聞いた。
「原則として市街での警戒活動はバディ二人組みが基本だが、当日、貴官は何故単独で職務にあたっていたのか?」
関口はそれには答えず、中原の顔を見た。先程よりもずっと落ち着いている。代わりに中原が口を開いた。
「現在、新宿オフィスは新宿地区、渋谷地区そして台東地区、墨田地区の割り当てを受けています。本来、秋葉原スラムを含む台東、墨田エリアは御茶ノ水と錦糸町の事務所が管轄すべき区域ではありますが、保安局の職員数が絶対的に不足している現在、新宿オフィスの副次的な警戒地域として台頭、墨田の両地区の警戒を行っています。しかし、新宿、渋谷とも犯罪発生拠点としての最前線であり、こちらも恒常的な人手不足の状態であり、事件当日、関口保安官補が市街巡回に同行者を求めることは困難だったと思われます。彼が事件当日、基幹装備である十二番径の散弾銃ではなく、高火力のミニ14型自動小銃を携行のうえで巡回任務についていたのも、理由も単独で自衛する必要が高かった為であります」
委員達は顔を見合わせてなにやら小声で話し始めた。わきからその様子を伺いながら、前島は隣の参事官の耳元で囁いた。
「我々の尋問で叩き潰すしかありません」
参事官はうなずいた。
そんな会議室の査問の様子を、設置しているビデオカメラのレンズが捉えつづけていた。
同時刻、同じ本庁舎にある別の会議室では、村岡智光とその上司である都市警備部部長の永田亮が、多くの法務部の上級紙保安官や保安局の上級役員らと共に、ビデオカメラのライブ映像越しに査問の行方を注視していた。薄暗くした会議室の正面に大きいスクリーンが引き出され、プロジェクターが査問委員会の様子を流している。
渉外広報部長のアルバート・シュルツが永田の隣の席へやってきた。
「全体的には、いいと思うね」
シュルツは、モニター上で水を飲み干す関口を見ながら、独り言のように言った。
「ああ、想定していたよりずっといい」
シュルツに同意するように永田もうなずいた。
「たった一週間でよく準備できたな…… この中原というリーガル保安官はなかなかだ」
「はい。実は今回、シュルツ部長の強い推薦で組織対策部の笠木保安官に人選を任せました。正直なところ、迷いはありましたが、結果的に見れば正解のようです……」
村岡は硬い表情のままそう応えた。
「ああ、あのブラディー・笠木か…… あの男に任せるのは確かに不安だが、今回は結果オーライということになりそうじゃないか」
永田の同意に、シュルツもうなずく。
「うん、ハサミとなんとかは使いよう、と言う。トモ、君もこれで安心できるのでは?」
シュルツの言葉に、村岡はええとだけ歯切れ悪く答え、スクリーンを凝視していた。




