記憶
第29話です。
小さなころの思い出。
今となっては思い出すにも遠すぎる、そんな記憶。
僕の家族はバラバラになってしまったが、昔は仲の良い家族だった。
父と母はいつも笑っていて、叱ることはあるけれど、とても優しかった。
おかしくなったのは、父がリストラされた時からだった。
家族から少し笑顔が消え、子供ながらに家が苦しい状況にあることは理解できていた。
それでも、母は大丈夫、と言っていた。
父は再び就職できたものの、家計は厳しく、ほどなくして母も働くようになった。
夜になっても両親が帰ってこないことが増え、夕食は一人で食べることが多くなっていた。
リビングの机に置かれた100円玉二枚をもって、コンビニへ向かい、お菓子を買って食べていた。
酷く寂しい夜が続いていた。
だが、母の大丈夫、という言葉を信じていた。
いつかはあの日々が戻る。
きっと幸せな家族に戻る。
そんなある日、大きな声が聞こえて、目が覚めることがあった。
何だろう、とリビングに行くと、また大きな声が聞こえた。
「何で私だけがこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!」
家中に響く大きな音に、ビクッと体が震えた。
そっとリビングの扉を開くと、そこは台風が通った後みたいに荒れていた。
机や椅子はひっくり返り、棚から物があふれ出している。
その荒れた部屋の中央で、母は蹲っていた。
「お母さん……?」
震えた声で、そう呼ぶと、見たことのない表情で、母は叫んだ。
「こっちを見るなぁっ!」
怒号に気圧され、自室に逃げ込んだ。
布団に隠れ、息をひそめる。
あれは誰だ?
ぎゅっと目を瞑る。
これは夢だ。
悪夢だ。
早く覚めてくれ。
ただひたすらに悪夢が覚めることを祈った。
翌朝、目を覚まし、リビングに行くと、母の姿はなかった。
ただ、部屋は荒れたままで、昨日のは夢でなかったのだと知る。
学校の準備をしていると、丁度父が部屋から出てきた。
父の顔はひどくやつれていた。
「お父さん……」
優しい返事を期待して話しかける。
だが。
「うっさいな。さっさと学校へ行け」
冷たい返事。
その時、僕は理解した。
父も母も、もう昔の二人ではない。
壊れてしまったのだ。
その日から、家族の中は悪くなっていった。
父も母も怖くなり、家に帰るとすぐに部屋に籠るようになった。
部屋の中は、自分の唯一の安息地だった。
その中ですることもなく、自然と勉強をするようになった。
別に勉強は好きではなかった。
ただ、勉強をしていると嫌なことを思い出さずに済む。
次第に成績は良くなっていった。
たまたま満点のとれたテストをリビングに置いておくと、その日の夜、自室の扉が開き、母が現れた。
久しぶりに見た母の姿は前見た時より、さらにやつれていた。
「あんた……勉強好き?」
勉強は好きではなかった。
だが、この時の答えはそうなんだろうな、と思い、答える。
「好きだよ」
「そう」
母は笑った。
「あんた、塾に入りな」
「塾?」
「そう。そしていい大学に入ったら、幸せになれるよ」
久しぶりの母の優しい姿に、期待した。
もしかしたら家族が元に戻るかもしれない。
そんな期待を抱え、僕は答えた。
「うん。分かった」
結果が出れば、母は褒めてくれた。
一日の食事代も200円から、400円に上がった。
だが、頑張ろうと思っていたのに、僕には勉強の才能がなかったようだった。
そのうち、偏差値も上がらなくなった。
努力をすればするほど、そのハードルも高くなっていく。
頑張れば頑張るほど、もっと頑張らなくちゃいけない。
「何でこんなことが出来ないのっ!」
「こんなんじゃ、恥ずかしくて周りに言えないじゃない」
やがて、母は壊れた母に戻ってしまった。
母が壊れたのは僕のせいだ。
僕がもっと頑張らなくちゃ。
勉強一本でやってきたのに、勉強もろくにできない。
僕には何もないから、僕は誰にも愛されない。
僕は何のために生きているんだろう。
中学生、塾の帰り。
暗闇を一人で歩きながら考える。
誰か、元に戻してくれないか。
そんなことを考え、信号に着いた。
赤信号を待ちながら、ふとある考えが頭に浮かぶ。
もし、ここで車に跳ねられれば、母と父は心配してくれるのではないか。
今思えば、あまりに安易な考えだった。
塾で疲れていた僕は、深く考えずに、車が来るのを見計らって飛び出した。
だが、車は僕の直前でスピードを落とした。
それでも、体に伝わった衝撃は想像していたよりも大きかった。
尻餅をつき、心臓がバクバクと揺れている。
ぼーっと車を眺めていると運転者が急いで駆けつけてきた。
「大丈夫か!」
その運転者は焦った表情でこちらに寄り、大きな傷がないのを確認すると、ほっとした表情になった。
「今、救急車を呼ぶから待ってて」
そう言われたが、大した外傷はない。
「別に大丈夫です」
「そういうわけにもいかない。見た目は怪我無くても、脳にダメージがあったりするんだよ」
電話が終わると、再び近寄ってきた。
「親御さんの電話番号分かる?」
「分かります」
電話番号を伝えると、また男は電話をした。
震える足を手で抑えて、ぼーっと地面に座っていると、救急車がやってきた。
救急車に乗せられ、色々な質問をされた。
痛いところはないか、意識や視力は大丈夫か、とか。
「親御さんがもうすぐ来るから」
そう言われ、救急車の窓から外を覗いてみると父が来ているのが見えた。
心配してくれるだろうか。
少しの期待で、父に話しかけようとする。
「お父さ……」
バチン、と大きな音がなった。
「俺に迷惑をかけるな!」
周りの人が、父を引き離している。
誰かが自分に話しかけているのに、よく聞こえない。
何かが、壊れたような気がした。
涙が止まらない。
止め方も分からない。
もう、どうすればいいのか分からない。
(; ・`д・´)




