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7/7

7.何が届いたのかな?・・・ん?

 6月の下旬頃になって、相当暑かった。部屋の中は冷房をかけなければボイルされてしまいそうな状況。智之もあまり外に出たがらなかった。

 遠山は、それはそれで好都合だった。

「子供なんだから外で遊ばなきゃ」

と和美が来たときは、智之は無理矢理、灼熱の大地に駆り出されていたが、和美が来ないときは、冷涼天国とでも言えそうな部屋で篭ってテレビを見たり、絵を描いたりしていた。

 絵が描けると智之は遠山のところに嬉しそうに持って来た。遠山はそれに感想を言ってやることは出来たが、遠山が絵を描くところを横でじっと見ているというような時間はなかった。

 ちょうど仕事の依頼が増えてきて、暑さなど気にしていられないくらいになっていた。

 遠山は、ここ最近で、もっと融通の利く仕事なのかという今までの期待は無残にも葬り去られてしまったのだった。

 仕事の量が増えてくると本当に猫の手でも借りたいくらいで、ストレスもだんだんと募ってきた。

 それでも、保育園がある平日は、それなりに智之の面倒を見ればいいだけなので、なんとか過ごすことが出来た。土日は、和美が来てくれると楽で、時々小遣いもやった。「もう子供じゃないんだから!」とか言いながらちゃっかりもらっているところが和美らしいと言えば、和美らしい。

 しかし、問題は、和美が来ない土日。

 仕事は終わってもいないのに、次から次へと舞い込んでくる。

 顔は見えないが、仕事仲間の頼みとあらば断れない。別に断ってもいいか、と断ると、他はいくらでもいるわけで、結局、自分のところにやってくる仕事はほんとうに来なくなってしまうと、その仲間達が教えてくれる。

 それにしても、やってもやっても仕事が終わらない。

「カーッ」

と思わず叫んで頭を掻き毟ったら白い「ふけ」が降ってくる。

 もう何日、シャワーすら浴びていないだろうか。

 そんなこんなで、仕事が終わらないのと、体が痒いのとで遠山のストレスはもうすぐ頂上に辿り着きそうだった。

 もともとこの山はそんなに高くない。それに休火山だ。いつ爆発するか分からない。


 で、爆発してしまったのだった。

 もうあと1週間我慢すれば子供達は夏休みに入るという頃。

 もちろん、夏休みに入ったからと言って何か今の状態が変わることはない。むしろ、ありがたいことに、保育園も盆の時期まで普通通りやっている。


 仕事で忙しい何度か目の土曜日の昼過ぎのことだった。

 和美が来ていなかったが、今まで大人しく1人で冷涼天国で遊んでいた智之が仕事部屋へやってきた。

「ねえ、お父さん、公園行こうよ〜、ねえ、ねえったら〜」

「ちょっと待っててな」

「もう!ずっとそれじゃん!」

「いいから、待ってて」

「もう、ま〜て〜な〜い!」

「もうちょっとだから」

「もうちょっとって何秒?」

「もうちょっとは、もうちょっと」

 数秒置いて

「ちょっと待ったよ。ねえ、ま〜だ?」

「まだ」

「ねえ」

「まだ」

「ねえ」

「まだだ」

「ねえったら」

「まだ」

「ねえ!!!!」

「うるさいな!父さんは仕事してるんだ!遊んでるんじゃない!独りで遊んでろ」

 遠山は、コンピュータの画面に向かったまま、叫んだ。

 後ろから、泣き声は聞こえてこない。

「ケチッ!」

 そう聞こえただけ。バタバタという怒りの篭った足音を立てて、智之はどこかへ行ったようだった。

 再び、遠山の仕事部屋にはコンピュータのファンの音とキーボードの音だけが聞こえるある種の静寂が舞い戻った。


 気がついたら、数時間経っていた。

 こんなことコンピュータに向かっていたらざらにある。かなり集中しているからだ。

 だから別段なにも考えていなかった。

 ちょっと仕事が一段落し、コーヒーでも淹れようかと立ち上がり、うーんと背伸びをしたとき、家の中が妙に静かなのに気づいた。

 自分の仕事部屋は、さっきまでうるさかったコンピュータのファンがコーヒーブレイクに入るところで、忙しそうなのはエアコンだけ。

 部屋の外からは足音ひとつ、ため息ひとつ聞こえない。


「はっ!」

 実際に、そう言ったのかも知れないし、そうでないかも知れない。

 このときの遠山にその是非を判断することは出来なかった。

 今度は、遠山がバタバタと音を立てて部屋から飛び出し、短い廊下を走った。

 つい、数年前までただの洋服用の倉庫のように使っていた部屋、そこに向かって壁にぶつかり、本棚の角に足の小指をぶつけ、花瓶に手が当たり、床に落として壊して、それでもなお、その部屋に向かって急いだ。


「智之!」

 バン!と外開き扉を内側に開こうとして大きな音が鳴った。

 返事はない。


 今度は、ゆっくりと扉を手前に引いた。

 部屋の中には、遊びかけのおもちゃが散乱していた。

 そのほかには、絵本がたくさん入れてある本棚、ベッドがあるくらいの部屋。

 ベッドには大きな白熊がいるが、智之はいなかった。

 エアコンが、風向ルーバーを忙しく上下させ、扇風機が智之はここにはいませんよとばかりに左右に首を振っている。

 部屋は、それなりに涼しかったが、遠山は、寒くなった。

 体のそこから湧き上がってくる、なにか、冷たいもの。

 足元がぐらつくような、気持ちの悪い。

 でも、そんなものに負けて、ここにへたれこんでいる時間はない。脳よりも先に体がそれを分かっていた。

 エアコンも扇風機もそのままにして、外開きの扉を押して部屋を出て、床に水を含んだまま横たわっている花と、その辺りにちりぢりになっているガラスの破片を、お世辞にも軽いとはいえない足取りで飛び越え、壁に肩をぶつけながら、玄関へと向かった。

 遠山がさっきまでいた部屋では、まだエアコンは自分の仕事を続けているし、扇風機は首を振り続けている。


 靴を履いたか履いていないか中途半端な状態で家から飛び出したから、その瞬間にこけた。手を突いたからよかったが、放っておいたら顔面強打というところだった。

 こんな状況でも、自分の危険を回避するだけの余地は残っているようだった。

 これが幸いして、携帯電話と自宅の鍵を忘れて行かずに済んだのが救いだっただろう。


 遠山は、エレベータのボタンを押したが、すぐにその脇にある階段で駆け下り始めた。

 駆け下りるというよりは、もはや、転がっているような状況で、途中何人かの人とすれ違ったが、その人たちがビックリしたかどうかを確かめる間もなく、余裕もなく、エレベータよりも早く地上に到達したような感じであった。


 そして、そのまま、マンションの玄関から飛び出し、いつも、智之と公園に行くときのコースを通りながら智之を探した。

「智之!智之!智之〜!」

 声は大きかったのだが、震えていた。今にも泣き出しそうな声だった。

「ウチの智之知りませんか?」

と見ず知らずの人にいきなり話しかけたりもした。

「え、あ、う・・・知りません」

と相手がたじろぐと、ハッと自分の狼狽ぶりに気づいて

「あ、すみません」

と謝っていた。でも、それは形だけで、何度も何度も同じ事を繰り返していた。


 途中、ゴミ箱のふたを開けたり、ポストの下を覗き込んだり、バス停のベンチの下にかがみ込んだり、コンビニの中に入ったり、智之がいそうな所から、絶対にいないであろうところまで隈なく探して、探して、探して、探して、探して、探して、探して、探して、探して、探して、公園まで辿り着いてしまった。

 公園に着いたときは、日の光が橙になっていて、土曜日であるのに、主婦達が話に花を咲かせていた。

 遠山は、物凄い剣幕で主婦達に近づいて行った。

「うちの、ぜえぜえ、はーはー、智之、ごほほご、知りま、ひーひー、せんか?」

「ええ?」

「智之君どうかしたの?」

「いなくなったの?」

「ええ?」

「どうして?」

「あなた何してたの?」

「どこか心当たりは?」

「本当にいなくなったの?」

「みんなで探しましょ」

「そうね」

「すぐ見つかりますよ」

「きっとそうですよ」

 遠山が何も答えないままに流れる汗のように、話は次々と進み、主婦達で探してくれることとなった。

 「探しましょう」と言ったことから、ここには智之がいないのであろう事がわかる。

 遠山は、その場に崩れ去ってしまいそうな状態だった。

 でも、何か、遠山の中の何かが、そうはさせなかった。

 滑り台、ジャングルジム、砂場、ブランコ、木の茂み、草の陰、花壇の裏、ベンチの下、本当にどこでも、探した。探しに探した。

 無常にも、太陽は地平線にむかってまっしぐらだった。

 次第に主婦達の顔にも焦りが出てきた。

 気がつけば彼女たちの子供も「ともゆきく〜ん」と一緒に探してくれていたが、智之は見つからなかった。


 数十分探したが、公園には智之はいなかった。

 だんだんと日も暮れかけてきていて、辺りが薄暗くなってきていた。

「きっと、智之は、どこかで泣いてるんだ。俺が、俺が遊んでやらなかったから・・・」

 遠山は、泣きながら叫んだ。

「大丈夫よ、ね、遠山さん、しっかりして、大丈夫だから」

「警察にも探してもらうように言ってきましたから、すぐに見つかりますよ」

 主婦達は代わる代わる慰めてくれるが、どこか他人事だという気がしなくもなかった。

 実際にこのことが我が子ならもっと心配して、狼狽しているだろうに。


「みなさん、すみません。警察にも連絡してくださって・・・」

「いいのよ、困ったときはお互い様よ」

 遠山は心のどこかで解決してからその言葉を聞きたいと思った。

「すみません。今日は、ありがとうございました。私、まだ探しますが、みなさんはお帰りください。子供達もいますし」

「そうね、申し訳ないけれどそうしましょう」

と、あっさりと一人が言った。


 主婦達が帰って、それと入れ替わりくらいに感じのいいお巡りさんがやってきた。

 幸いにも?あのときのおじさん、服部さんとは違う人だった。

「落ち着いて」

 そう声を掛けてくれた。

「お父さんは家で待っててください。智之君が帰ってくるかもしれませんから。外の捜索は我々に任せてください」

「あ、すみません、お願いします」

 遠山は、頭を下げて、無線で仲間と連絡を取り合うお巡りさんを置いて公園を後にし、自宅へと向かった。


 いつもにも増してオートロックの扉が無表情で、味気ないものに感じられた。

 開かずに、智之が見つかるまで帰ってくるなと言ってくれるほうがマシだった。

 遠山がドアを通り抜けると、そのほかに誰も通らぬまま、ドアは閉まった。


 階段で登る気力はなく、エレベーターを呼んだが、なかなかやってこなかった。

 その時間がやけに長く、無駄に感じられたし、ここにこうして、じっとしている自分が憎らしくもあった。

 ふと、外を見ると、西日が強く差し込んでくるくらいで薄暗かった。


 エレベータがやってきた。

 エレベータの中はやけに涼しく、そして、明るかった。

 エレベータは遠山を載せるとそのまま垂直上昇し、命令通り6階で止まる。

 そこで、遠山は降りた。

 後ろで、扉が閉まり、エレベータは下へと向かっていった。


 こんなにも、エレベータから部屋までの廊下が長いと感じたことはなかった。

 まだ、曲がり角にも辿り着かない。

 部屋の中に智之が帰ってきているなどまずありえないから、そんな希望を抱いて一目散に廊下を走り抜けることは出来なかった。


 曲がり角を曲がるとき、ふと、部屋の前にダンボールが置いてあって、その中に智之がじっと静かにいてくれたらどんなにいいだろう。どんなに気持ちが落ち着くだろう。と、そんなありもしないことを考えてしまっていた。

 しかし、曲がり角を曲がった瞬間にその希望はブラックホールにでも吸い込まれたかのように消え去った。


 トボトボと廊下を歩き切り、部屋の鍵を開ける。

 カチャリ

 ドアノブを引っ張ったが開かない。

 もう一度、引っ張った。

 それでも開かない。

「おかしいな・・・」

 鍵を再び差し込んで回す。

 カチャリ

 ドアノブを引っ張るとドアが開いた。

「鍵をかけてなかったのか・・・」

 小さな独り言を廊下に残し、遠山は部屋の中に入っていった。

 部屋の中はやけに涼しかった。玄関から入ってすぐに見える仕事部屋の扉は閉まっている。

 リビングのエアコンは動いていない。

 だとすると・・・。

 やっぱりだった。

 粉々になった花瓶を跨いで、辿り着いた、今はいない智之の部屋の扉が開きっぱなしになっていた。

「やっぱり・・・」

 別にこんなこと分かったってどうでもよかった。

 電気代が気になるとか、そんなこと、本当にどうでもよかった。

 でも、なんとなく、ベッドの上においてあった、リモコンを手に取り、エアコンに向かってボタンを押す。

 ピッという音とともにエアコンは運転を停止し、風向ルーバーを元の鞘に収めにかかった。実にゆっくりとしたモーションで。


 次に、遠山は、扇風機のボタンを足で押した。

 扇風機は次第に、首振りの速度を落とし、プロペラの回転も落としていた。

 そのまま、扇風機のプラグを抜こうと屈んだ。

 普段は、プラグなど差しっ放しにしておくのだが、遠山は、別に理由もなく抜こうとしたのだった。


「と・・・」


「智之!!!!!!!!!?」


 コンセントがベッドの足のところにあったため、そこのプラグを抜こうとして屈んだとき、ベッドの下でスヤスヤと、冷涼天国で眠る智之を見つけたのだった。


「こんなところにいたのか・・・」


「迷子になって、見つかっても、絶対に怒っちゃだめだよ。そんなとき親も辛いかもしれないけど、子供だって寂しかったんだから」

「じゃあ・・・?」

「静かに抱きしめてあげればいいの」


 なんて、和美が以前言っていたことを思い出したが、どうも、今回は、抱きしめないほうがよさそうだ。


「お父さん、か・・・」



(完)

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