第130話「種の保存か、個の生存か」
世界は方程式に満ちている
どの方程式も冷たい
誰であれ
その冷たさを変えることはできない
【局道星環群と北斗星環群間のデブリ空域】
――頭が痛い。
視界が酷くぼんやりしている。
頸が、痺れている。
肩から先の感覚がない。
ああ、これは……俺はまだ、入院していたのか。
リハビリして、退院して、
危険デブリ除去作業員として働いていたつもりだったが、
全部、夢だったらしい。
それにしても――
杉原行成は、『さらば兄弟』を検知したアラートを聞いたところまでは思い出せた。
『目が覚めたか』
聞きなれた声だった。
夢の中で散々耳にした須堂の声だ。
――須堂さん?
行成は体を動かして周囲を確認しようとした。
しかし、頸から下に力が入らない。
「す、須堂さ……」
視界がぼんやりしているはずだ。
ヘルメットを被せられて、バイザーまで下ろされていたのだ。
起動したばかりで温度差調整が間に合わず曇ったバイザー越しに須堂であるだろう人影が見えた。
ヘルメットに内蔵された通信機で須堂と会話していたことに、行成はようやく気付いた。
『意識があるなら、良かった。
俺も、ついさっき目が覚めたところなんで、わかったことだけ伝える』
須堂が言うには、この作業艇は外殻に深刻な破損があったらしい。
すでにSOSを発信した。
レーダーをはじめ計器は生きてはいるものの、爆発で細かく散らばったデブリの影響で河東が乗る作業艇がどうなったかはわからない。
『兄弟爆弾』の間近にいたはずの河東に通信で呼びかけたが、今のところ反応は返ってこない。
あちらは、SOSの発信もないようだ。
性能どおりの『兄弟爆弾』であれば、行成たちの命運は爆破直後に尽きていただろう。
不幸中の幸い、実はこの『兄弟爆弾』は、初期不良によるものか経年劣化によるものかは不明であるが、本来の威力ほどの爆発ではなかった。
とはいえ、河東が乗る作業艇は『兄弟爆弾』に接触していたため、まともにデブリの散弾を浴びる位置にいた。
その中のわずか5mmのデブリが河東の視床下部に到達し、ほとんど一瞬で彼の命を刈り取っていたのだった。
そして爆発の余波を浴びて弾かれた河東が乗る作業艇は、その軌道上にいた同型機、行成たちが乗る作業艇にぶつかったのだ。
その衝突により、外殻に深刻な破損こそ与えられたものの、飛び散ったデブリとの致命的な衝突を避けるコースに飛ばされることになったのだ。
それらについては、今の須堂たちには知る由もなかった。
――『兄弟爆弾』は、夢じゃなかったのか。
艇内の空気圧が下がり始めていたので、須堂は気絶して動かない行成にもヘルメットを装着してくれていたのだった。
見える穴は、応急テープで塞いだ。
しかし、設備の陰になってどうにも対処できない裂け目があった。
設備の隙間ごと覆うにも、テープがとても足りなかった。
このままでは空気が漏れだしたままになってしまう恐れがあった。
結局、須堂は作業艇内を諦めて、与圧する系統を切った。
生命維持装置はまだ生きているが、室内はすでにほとんど真空状態だという。
行成たちの着用している宇宙仕様の作業着は、ヘルメットを装着して密閉さえすれば三十分程度の生命維持ができる簡易宇宙服である。
『直線距離で救難隊が急行してくれるのなら、
三十分でも希望があるかもしれない。
ただ、どんなに救難隊が手練れだろうが、
あちらこちらにデブリが浮いているこの空域を飛ぶのは、
慎重にせざるを得ないだろう。
二重遭難するわけにはいかないからね。
『兄弟爆弾』が爆発したばかりなら、なおさらだ。
つまり、作業着だけに命を預けるのは、危険だ』
須堂の右手が持ち上がり、何か握っているのを見せてきた。
『幸いなことに、
酸素タンクをはじめ、生命維持装置のコアは無事だ。
計器が壊れてなければね。
生命維持装置と作業着と直接繋ぐチューブは、
取り出し口がひしゃげてほとんど破れてしまったが、
幸いなことに、使えるものが残ってたよ』
カチャリ。
『この一本だけはね』
行成の耳に作業服を通じて聞こえてきたジョイントの音は、そのたった一本しか使えないチューブ、非常用生命維持供給ラインと行成の作業服を繋いだ音だ。
差込口と接続口の接続はワンタッチで、容易に差し込める。
これは奥まで差し込むとバネ仕掛けで返しが開き、外すのは容易ではない。
行成の作業服内部は、生命維持装置とのリンク完了と同時に酸素、与圧、換気、CO2除去、熱管理が正常に機能し始めた。
「須堂さん?」
すでに行成の視界に須堂の影はなかった。
『残すなら、若い方なんだ』
それは種の保存という本能だけでなく、職業文化・継承の倫理にも根差した哀しい決断……
しかし、悲壮さを欠片も感じさせない呑気な、いつもの須堂だった。
「SOSを発信したんだろう?
酸素タンクは無事なんだろう?
生命維持装置は動くんだろう?
どうにか交互にチューブを繋げば……
艇内の道具や材料で二股にできれば……」
『実は、左腕が折れていてね。
細かい作業ができないんだ。
君も古傷かな、動けないようだし。
チューブは差し込むのは簡単だが、
抜いて挿すとなると、手間がかかるし故障のリスクがある。
改造も……
悪あがきするべきなのかもしれないが……
時間切れでも、
ミスをしても、
二人とも助からなくなる』
全部を手に入れようとあがいて共倒れするよりも確実に生かすまでだ、と須堂は淡々と答えるのだった。
しかし、行成は引き下がらない。
「駄目だ、須堂さん」
『たかが15年でさ。
その道のベテランって言われる理由が、わかるかい?
俺の番が、今、来ただけなんだよ』
宇宙での作業は、危険と隣り合わせで。
そうして、先達たちに譲られてきたからこそ、須堂の今があって。
おそらく須堂はいつもの笑顔なのだろう。
『事故の後始末って、大変なんだけど……
ごめんね―』
「諦めるな、まだ終わってないんだ」
行成は力の限り叫んだが、須堂はそれには返事をしなかった。
生命維持装置を譲る覚悟を決めた須堂ではあったが、人間の性をわかってもいた。
種を残すという原初の本能と決意に、個として最後の最後まで生きたいとあがく原初の本能が勝ることもあるのだと。
早い話が――
『この世で自分が、一番信用できないのよ』
須堂は、ゆっくりと息を吐き出すと、自分のバイザーを開放した。
誰にも届かぬ祈りをよそに
ただ一人
引き返すことのできない闇へ消えていった




