05.そして、現在
「つかぬことをお伺い致しますが」
いかにも腑に落ちないといった顔で問いを発するのは司法長官の嫡男。あの卒業パーティーとその後の裁判を経て、執行猶予は勝ち取ったものの第二王子の側近の話もなくなり、王城への出仕も取り消された彼は現在、事実上の蟄居状態だ。
「私はなぜ、貴女とのお茶会に呼ばれているのでしょう?」
彼にも婚約者がいたが、裁判の敗訴を受けて父に解消させられていた。無論、彼の有責であり慰謝料も支払っている。そして父が立て替えたそれを、彼は蟄居が明ければ自分で稼がねばならない。
「あら、そんなこと」
そう言って穏やかに微笑んだのは侯爵家令嬢。そう、第二王子の元婚約者だ。
侯爵家の中庭のガゼボには現在、彼と彼女のふたりきりである。
「わたくしも貴方も、婚約がなくなりましたでしょう?」
「ええ、そうですね」
「ですからお互い、新たに婚約者を探さねばなりませんわ」
「まあ、そうですね」
とはいえ王族や高位貴族の子女は、もっと幼いうちから家門の政略のために婚約を決められていることがほとんどだ。学院を卒業するような歳にもなって婚約者のいないフリーの子女というのは、下位貴族でもなければ基本的にはほぼ存在しない。
もっとも、今回のことで宰相の次男も騎士団長の三男も婚約が破棄になったため、まだ今ならば選択肢はなくもない。
「わたくし、貴方には感謝しておりますの」
「いえ、感謝されるほどのことなど、なにも」
司法長官の嫡男だって彼女を責めた側である。全てが終わった今、彼には自分が加害者だという自覚がある。
「いいえ。貴方があの場で気付いてくださらなければ、わたくしの状況はもっと酷いことになっておりましたわ」
あの時、第二王子が彼女をどう処分しようとしていたのか、それはもう明らかになることはない。王子は北部尖塔へ囚われ、おそらくもう二度と出てこない。
取調べと裁判では、王子はただ婚約を破棄したかっただけでそれ以上の罪を負わせるつもりはなかった、そういう事になっている。だが彼女は王子の性格を思い返して、おそらく処刑まであり得たのではないかと考えていた。
そう、あの時隠しきれないほど恐怖に震えていたのは、王子に嵌められて無実の罪で破滅させられる自身の末路が見えてしまっていたからなのだ。
「ですがそれを、貴方は救ってくださいました。それだけでもわたくしは、返しきれない恩を感じているのです」
「ですが、それは━━」
「そして厚かましいと承知の上ではありますが、もうひとつ救って頂きたいのです」
「……………えっ?」
彼女が少しだけ潤んだ瞳で彼を見つめる。
やや頬を染めて、恥じらいつつもどこか不安げに縋るような目を向けてくる彼女は、生来の美貌以上に圧倒的な魅力をもって、彼の目を釘付けにした。
「正式には後日、侯爵家から侯爵家へ申し入れを致しますけれど、どうかわたくしと婚約を結んでくださいまし」
「そ、それは………」
それは、彼女が新たな伴侶に自分を選んだということ。それに気付いて彼の心臓が跳ねる。
元より彼女は“淑女の鑑”とまで呼ばれる才媛だ。美貌はもちろん知性も教養も作法も、王子妃として相応しいと誰もが認めるほどの能力を今まで示してきたのだ。
そんな彼女が、本来なら淑女として褒められたことではない女性からの求婚を、恥ずかしさを堪えてまで口にしたのだ。そこまでされて喜ばぬ男などいるだろうか。いやいない。
そして同時に、彼は気付いてしまった。
彼女には、他に選択肢がないことに。
今この場には彼と彼女だけ。もちろん離れた場所には侍女や護衛が控えているが、中庭のガゼボにいるのは彼らだけだ。そしてこのふたりが、一連の事件の当事者の中ではもっとも瑕疵が少ないふたりである。
彼の方はまだ選択肢がある。宰相次男や騎士団長三男の婚約者だった令嬢もまたフリーになっているのだから。
だが彼女の方は明確に罪に問われた宰相次男や騎士団長三男を選べるはずがないし、王太子には既に婚約者がいる。かと言って一度は王子妃に内定していたほどの令嬢がそう簡単に国外へ嫁げるわけもない。おそらく、というかほぼ確実に王家から横槍を入れられるだろう。
「その、……………私でよろしいのですか」
答えなど問わずとも解っているが、それでも彼は問わずにはいられない。
「わたくしは、貴方だからお願いしているのです。━━その、婚約を破棄されたばかりでなんと浅ましい女かとお思いでしょうけれど、あの、」
そして彼女は、意を決して言葉を紡ぐ。
「あの日からずっと、貴方のことが忘れられなくて━━」
必死さを何とか押し隠そうとして隠せていないその表情が、それまで完璧と褒めそやされてきた彼女とも思えぬほどに感情を露わにしていた。頬を染め、耳の先まで真っ赤にした彼女は、羞恥に耐えられなかったのか視線を逸らして目を伏せてしまう。
彼女にそんな顔を、そんな可愛らしい顔をされて陥ちぬ男がいるだろうか。いやいない。
彼は思わず片手で顔を覆った。視線を彷徨わせ、いったん落ち着こうとカップを手に取りすっかり温くなった紅茶を口に含み、飲み下し、そしてチラッと彼女の様子を窺った。
その間のしばしの沈黙にさえ耐えられなかったのだろう、彼女はすっかり縮こまり俯いてしまっていた。
ああ、もうだめだ。こんなの惚れる以外にどうしろというんだ!
彼は無言のまま席を立ち、丸いテーブルを回り込んで彼女に歩み寄った。急に近付いてきた彼に驚き立ち上がった彼女の目の前で跪くと、固く握りしめられた彼女の手を取り、そっと解きほぐしてから彼は言った。
「今まで見てきた凛とした貴女も、たった今見せてくれた愛らしい貴女も、どちらもとても魅力的で私はもう目が離せそうにありません。━━どうかお願いだ、僕と婚約を結んでは頂けないだろうか。もしも受け入れて下さるのならば、心変わりなどせず生涯貴女だけを愛すると誓いましょう」
真摯に、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて、彼ははっきりと宣言した。
見開かれた彼女の瞳が一気に潤み、そして一筋の涙が溢れる。
「はい━━はい、よろしくお願い致します」
涙を零しつつ答えた彼女は、それまで見せたこともない満面の笑顔で。
それを聞いてすぐさまその手に口づけを落とした彼は、しばらくそのまま顔を上げられなかった。