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第79話 回収を先に置く作戦

 公式戦に負けた日の夜、作戦会議は作戦会議らしく始まらなかった。


 誰も最初に勝ち筋を言わなかった。


 誰も、次は取れる、と言わなかった。


 コレットは帳面を開いていたが、いつものように負け筋を並べる前に、しばらく何も書かなかった。


 ロイは札を握っていた。


 ネルは腕を組んで、ずっと床を見ていた。


 アルフは壁に背を預け、目を閉じている。


 レイナは椅子に座って、膝の上で手を揃えていた。


 ガレスは水を用意していた。


 ミラは寝台に座り、毛布を膝にかけていた。


 そして俺は、窓の外の暗い崖を見ていた。


 見えない。


 赤い尾は見えない。


 でも、いる気がする。


 ルベオは、今日の試合をどこかでまだ走り直しているのではないか。


 俺たちが追わなかったところ。


 追えなかったところ。


 戻りきれずに巡業旗を取られたところ。


 全部を、崖のどこかに残している気がした。


「負けた」


 最初に言ったのは、ミラだった。


 短い。


 言い訳のない声。


「うん」


 俺が答える。


 誰も否定しない。


 落ちなかった。


 追わなかった。


 ルベオに覚えられた。


 それらは大事だ。


 でも、公式戦は負けた。


 グライフ山岳魔法学校、一対零。


 カルミア、ルベオ奪取なし。


 その事実を軽く見たら、ここまでの全部が軽くなる。


「取れなかった」


 ミラが続ける。


「うん」


「たぶん、明日も取れない」


 重い沈黙が落ちる。


 合同検証は、公式戦ではない。


 勝敗はつかない。


 でも、ルベオと向き合う場であることは変わらない。


 ミラは、最初から「取れない」と言った。


 それは諦めではなく、足元の確認だった。


「取れない前提で」


 ミラは言った。


「作戦を組みたい」


 コレットの筆が、ようやく動いた。


 紙の上に書かれる。


『取れない前提』


 ネルが顔を上げる。


「それ、いいの?」


 声には苛立ちがある。


 でも、責めているだけではない。


 負けたことが悔しいのだ。


 取れない前提という言葉が、逃げに聞こえたのだろう。


 ミラはネルを見る。


「取る気はある」


「じゃあ、取れない前提って何」


「追って落ちるなら、取らない」


 ネルは言葉に詰まった。


 ミラの声は弱くない。


 むしろ、かなり強い。


「取れないなら、何を見せるのですか」


 レイナが聞いた。


 その問いは、かなり正確だった。


 勝敗の代用品を探すのではない。


 何を見せるのか。


 ミラは少し考えた。


「運ぶ道」


「誰を?」


「私を」


 作業場の空気が変わった。


 ガレスの手が水筒の上で止まる。


 ネルが眉を寄せる。


 ロイが息を飲む。


 ミラは、毛布の上で手を握った。


「私が動けなくなる前提で、道を作る」


 コレットの筆が止まる。


「ミラ」


「言う」


 ミラは、コレットを見た。


「書いて」


 コレットは頷いた。


 ゆっくり、筆を置く。


『ミラが動けなくなる前提』


 文字にすると、さらに重い。


「私は、ルベオを追わない。でも、ルベオが見ている場所まで、荷を運ぶ」


「荷って」


 ロイが聞く。


「私」


 ミラは言った。


「私が荷」


 ガレスが少しだけ眉を動かす。


 ミラは続ける。


「山では、荷を届けたら勝ちの時がある。人を背負って、薬を持って、水を運んで、落ちないで、届かせる。それは旗を取ることとは違う。でも、山の実用」


 昨日まで何度も聞いた言葉。


 実用。


 重い荷物。


 回収前提。


 それらが一つの作戦になろうとしていた。


「私は、自分で動けるところまで動く。そこから動けなくなる。ガレスが背負う。ネルが荷の揺れを止める。ロイが短音を出す。アルフが谷側を守る。ルカは、風を最後まで使わない。使うなら、落ちる時だけ」


 俺は息を止めた。


「落ちる時だけ?」


「うん」


 ミラは俺を見る。


「私は、ルカの記憶を荷物にしたくない」


 その言葉は、かなりまっすぐ刺さった。


 風を使えば助けられるかもしれない。


 でも、記憶を失う。


 それを、ミラは自分の作戦の荷物にしたくないと言った。


「でも、本当に落ちるなら使って」


「それは」


「落ちたら、もっと重い」


 ミラは静かに言った。


「だから、最後だけ」


 最後だけ。


 風を使う条件が、少しだけ形になる。


 勝つためではない。


 旗に触れるためではない。


 落ちる時だけ。


 それなら、俺も持てる気がした。


 重いけれど。


「分かった」


 俺は頷く。


「風は、落下防止の最後の保険」


 コレットが書く。


『ルカ風: 最後の保険。旗接触目的では使わない』


 その一文で、少しだけ胸が楽になった。


 使わないと決めるのではない。


 使う条件を決める。


 荷物の置き場所ができる。


「でも」


 アルフが目を開けた。


「ミラを荷として運ぶなら、目的地が必要だ。どこへ運ぶ」


 作戦会議らしい問いが来た。


 ミラは、窓の外を見た。


 暗い崖。


 見えない道。


「左下棚」


 コレットが反応する。


「今日、ルベオが何度も止まった場所?」


「うん」


 ミラは頷く。


「昨日、私が見えた場所。ルベオが見ていた場所。あそこは、荷運び道の古い休み場」


「古い休み場?」


 クララの目が輝く。


 ミラは説明する。


「荷を置いて、息を戻す棚。たぶん、今は競技路。でも、昔は休み場」


 クララが紙を取り出す。


「古代旗反応基準で重要です。ルベオがその棚を繰り返し使ったなら、そこは単なる逃走地点ではなく、山岳生活記憶を持つ地点の可能性があります」


「長い」


 ネルが言う。


 クララは慣れてきた顔で頷いた。


「つまり、大事な棚です」


「それでいい」


 ネルは頷く。


 成長だ。


 クララもネルも。


「左下棚へ、ミラを運ぶ」


 アルフが整理する。


「ただし、試合ではない。合同検証。ルベオに見せる目的」


「ルベオが来る保証は?」


 レイナが聞く。


 ミラは首を横に振る。


「ない」


「来なかったら?」


「それでも、運ぶ」


 即答だった。


「ルベオのためだけじゃない。山岳校に見せる。私が、動けなくなることを隠さず、回収を先に置いて、山の道を運ぶところ」


 ベイルの言葉を思い出す。


 中央に尻尾を振った。


 山を降りた足は鈍る。


 ミラは、それに対して、取れない旗を取ることで返すのではない。


 自分を荷として運ばせることで返す。


 背負われることまで含めて、山の実用だと見せる。


 かなり怖い作戦だ。


 そして、かなりミラらしい。


「私、嫌」


 ネルが言った。


 全員が彼女を見る。


 ネルは腕を組んでいる。


 顔は真剣だ。


「ミラを荷物って言うの、嫌」


 ミラはネルを見る。


「私が言った」


「分かってる。でも嫌」


「じゃあ、何」


 ネルは少し考えた。


「回収対象」


 クララが小さく言う。


「それもかなり分類語です」


「うるさい」


 ネルは少し顔を赤くする。


「人でしょ。荷物じゃない」


 ミラの目が、少しだけ柔らかくなった。


「山では、人も荷」


「山、雑」


「雑じゃない。重い」


 ミラは自分の胸に手を置く。


「人だから、重い。落とせない荷」


 ネルは、まだ納得していない顔だった。


 でも、言葉を飲み込んだ。


「じゃあ、落とせない荷って言って」


 ミラは少し考える。


「長い」


「あんたが言うな」


 少しだけ笑いが起きた。


 重さの中で、少しだけ空気が動く。


「ネル」


 ミラが言う。


「何」


「揺れ止め、頼む」


 ネルの顔が引き締まる。


「一回だけ?」


「一回だけ。たぶん、左下棚の手前」


「触らない?」


「触らない。荷が揺れたら、逃がす」


 ネルは頷いた。


「分かった」


 彼女の一瞬は、押す力ではなく、揺れを逃がす力になる。


 白旗で覚えた非接触。


 山で覚えた渡し。


 少しずつ、つながっている。


「ロイ」


 ミラが次に呼ぶ。


「はい」


「音」


「短音合図ですね」


「三つ」


 ロイが目を瞬く。


「三つ?」


「一つ目、荷上げ。二つ目、背負い替え。三つ目、回収完了」


 ロイは、胸元の札に手を置いた。


「三つ、違う音にしますか」


「違う音?」


「同じ『ちん』だと、分かりにくいかもしれません。山の笛みたいに短く、でも間隔を変える」


 タリアが教えた山の音。


 ロイはちゃんと自分の中で育てていた。


「一つ目は一回。二つ目は二回。三つ目は少し間を空けて一回」


 アルフが頷く。


「合図として機能する」


 ロイの顔が明るくなりかける。


 ネルがすぐ言う。


「調子に乗るな」


「まだ乗ってません」


「乗りかけてた」


「はい」


 認めるのが早い。


「アルフ」


 ミラが呼ぶ。


「谷側」


「分かってる」


 アルフは壁に背を預けたまま答える。


「ただし、左下棚へ向かうなら、結界は一度しか有効に使えない。行きに張るか、帰りに張るか」


「帰り」


 ミラは即答した。


 アルフの目がわずかに細くなる。


「行きは?」


「行きは、私が見る。帰りは、私は動けない」


 自分が動けなくなることを、もう作戦の中心に置いている。


 逃げずに。


 軽くせずに。


「分かった」


 アルフは頷く。


「帰りに張る」


「ガレス」


 ミラが最後に呼ぶ。


 ガレスは水筒を置いた。


「背負う」


「うん」


「でも、ずっとじゃない」


「次の足場まで」


 ガレスが言う。


 ミラは頷いた。


「次の足場まで。休んで、また」


「補助帯」


「使う」


「荷物分担」


「みんな」


「水」


「飲む」


 短い確認。


 でも、その一つ一つが、昨日の帰り道で得たものだった。


 ガレスだけに背負わせない。


 ミラだけに背負わせない。


 全員で、足場ごとに持つ。


「コレット」


 ミラが言う。


「何」


「負け筋」


 コレットは深く息を吸った。


 帳面を開く。


「一つ。ミラが左下棚を目指す途中で急ぐ。ルベオが挑発すれば、力が一つに戻る可能性」


「うん」


「二つ。左下棚に着いた後、ミラが予想より早く動けなくなる。ガレスの到着が遅れる」


「うん」


「三つ。ネルの揺れ止めが早すぎるか遅すぎる。荷が跳ねる」


 ネルが頷く。


「うん」


「四つ。ロイの短音が乱れる。山岳校側やルベオが別の合図と誤認する」


 ロイが真剣に頷く。


「うん」


「五つ。アルフの結界を帰りに温存した結果、行きで危険が出る」


 アルフが頷く。


「ある」


「六つ。ルカが風を使う判断が遅れる。あるいは早すぎる」


 俺は息を吐く。


「うん」


「七つ。ルベオが来ない。来ても、反応しない。山岳校側に、勝てない言い訳だと見られる」


 ミラの表情は変わらない。


「うん」


「八つ」


 コレットの声が少しだけ低くなる。


「ミラが、自分を荷にすることで、自分を人として扱う感覚を一時的に削る」


 作業場が静かになった。


 ミラの目が少し動く。


 ネルが口を開きかけて、止まる。


 レイナが、コレットを見る。


 コレットは、帳面を見ずにミラを見ていた。


「これが一番嫌」


 部長の声だった。


 小さいけれど、かなり強い。


「作戦としては分かる。でも、ミラを荷として扱いすぎると、私たちはミラを運ぶ対象としてだけ見てしまう。山の実用を見せるために、ミラがミラじゃなくなるのは違う」


 ミラは黙って聞いていた。


「だから、条件」


 コレットは言う。


「ミラは、自分で止める権利を持つ。途中で嫌になったら、中止。動けると言っても、ガレスとロウナ先生が危険と判断したら中止。成功しても、ミラが終わりと言ったら終わり」


 ミラは、少しだけ目を伏せた。


「私が、終わりって言っていい?」


「いい」


 コレットは即答した。


「作戦の中心だから」


 ミラの喉が小さく動く。


「うん」


 それは、かなり大事な「うん」だった。


 自分を荷として扱う。


 でも、荷にされきらない。


 自分で終わりと言える。


 それがないと、この作戦は危うすぎる。


「山岳校側には、どう説明する?」


 レイナが聞く。


「正直に」


 ミラが答えた。


「公式戦は負けた。ルベオは取れない。でも、合同検証で、山岳実用としての回収路を見せたい。私が動けなくなる前提で、回収を先に置く」


「かなり挑戦的です」


 レイナが言う。


「失礼にも聞こえるかもしれません。勝てなかったから、別の価値を見せると言っているように」


「そう」


 ミラは頷く。


「だから、ベイルに先に言う」


「ベイルさんに?」


「うん」


「なぜ」


「一番怒るから」


 全員が少し黙った。


 理由が正直すぎる。


「一番怒る人に言う。そこでだめなら、たぶんだめ」


 ミラの判断は山っぽい。


 最初から一番急な斜面を見る。


 回り道をしない。


 ただし、足元を見て。


「じゃあ、行く?」


 俺が聞く。


 ミラは頷いた。


「行く」


「今?」


「今」


 ガレスが水筒を差し出す。


「飲んでから」


 ミラは受け取った。


「飲んでから」


 その素直さに、少しだけ笑いが起きた。


 俺たちは、ベイルを探しに作業場を出た。


 夜の山道ではない。


 夕方のまだ明るい時間。


 ベイルは、下段訓練路の近くにいた。


 一人で荷縄を巻き直している。


 公式戦に勝った側なのに、浮かれた様子はない。


 彼は俺たちを見ると、まずミラの足を見た。


「歩けるのか」


「歩ける」


 ミラが答える。


 ガレスが横から言う。


「ゆっくり」


「ゆっくり」


 ミラは繰り返した。


 ベイルは少しだけ眉を上げる。


「で、何だ」


 ミラは、まっすぐに言った。


「明日の合同検証で、私が動けなくなる前提の回収路を見せたい」


 ベイルの顔が、予想通り険しくなった。


「は?」


「ルベオは取れない」


「最初からそれか」


 声が荒くなる。


「負けたからって、別のことを勝ちみたいに言うな」


 ネルが一歩出そうになる。


 俺は止めなかった。


 でも、ネル自身が止まった。


 ミラの場所だ。


 ミラは頷いた。


「勝ちじゃない」


「じゃあ何だ」


「検証」


「逃げだろ」


「逃げじゃない」


 ミラの声は低い。


「逃げるなら、私は動けなくなる前提を言わない。回収されるところを見せない。背負われる悔しさを、山岳校に見せない」


 ベイルの目が少し揺れる。


「私は、ルベオを取れない。でも、取れないから何も残らないのは嫌」


「だから、負け惜しみだろ」


「違う」


 ミラは一歩だけ前へ出る。


 ガレスがすぐ横に動く。


 倒れた時の距離。


 ミラはそれを止めない。


「山の魔法は、届かせる魔法。荷を運ぶ魔法。人を回収する魔法。私は、それを一人で持とうとして落ちた。カルミアで、回収されることを覚えた」


 ベイルは黙る。


「それを見せたい。山を捨てた言い訳じゃなくて、山を別の場所で持った結果として」


 風が吹いた。


 下からではなく、横から。


 ベイルの手の中の荷縄が少し揺れる。


「ルベオは」


 ミラが続ける。


「追う足を見た。追わない足も見た。次は、運ぶ道を見せる」


 ベイルは、しばらく何も言わなかった。


 そして、低く言う。


「動けなくなる前提ってのが気に入らない」


「うん」


「お前は、また落ちる気か」


「落ちないために、動けなくなる前提にする」


「同じに聞こえる」


「違う」


「違いを見せろ」


 ベイルの声が、少し変わった。


 怒りはある。


 でも、拒絶だけではない。


「明日」


 ミラが言う。


「見る?」


「見る」


 ベイルは即答した。


「失敗したら、言う」


「うん」


「落ちそうなら、止める」


「うん」


「俺も回収に入る」


 ミラの目が少し大きくなる。


「いいの?」


「よくない」


 ベイルは、むっとした顔で言う。


「でも、落ちたらもっとよくない」


 ミラは、少しだけ笑った。


「うん」


 ベイルは顔を背ける。


「笑うな」


「笑ってない」


「笑った」


「少し」


「腹立つ」


 昔からの距離が、そこに少しだけ戻る。


 荷物仲間。


 同じ荷を運んだ相手。


 怒りも、悔しさも、心配も、全部その距離にある。


「タリアとオルグには、俺からも言う」


 ベイルが言った。


「ロウナ先生にも」


「ありがとう」


「まだ礼を言うな。通るか分からない」


「うん」


 ミラは頷いた。


 でも、少しだけ安心した顔をした。


 作戦が、ほんの少しだけ山側にも置かれた。


 その夜、合同検証の申請は通った。


 条件は多かった。


 落下防止索二重。


 ロウナ先生の停止権限。


 ガレスとベイルの二名回収。


 タリアが道の安全確認。


 アルフの結界は帰路限定。


 ネルの魔力使用は一回。


 ロイの音は事前に山岳校側へ共有。


 ルカの風魔法は落下時の緊急保険。


 ミラ本人の中止権限。


 紙にすると、かなり長い。


 ネルが見て「もう契約書じゃん」と言った。


 クララは「契約ではなく安全条件です」と真顔で返した。


 どちらも正しい。


 寝る前、ミラは作業場の端で自分の靴を確認していた。


 ガレスが隣で補助帯を整えている。


 俺は少し離れた場所で見ていた。


「ミラ」


「何」


「怖い?」


 ミラは、靴紐を結び直しながら答えた。


「怖い」


「やめる?」


「やめない」


「どうして」


 ミラは、少しだけ考えた。


「山に、見せたい」


「山岳校に?」


「それも」


「ルベオに?」


「それも」


「自分に?」


 ミラの手が止まった。


 少しして、頷く。


「それも」


 自分に見せる。


 動けなくなることを、ただの失敗ではなく、回収される道まで含めて実用として置けるか。


 それは、ミラ自身が一番見たいのかもしれない。


「ルカ」


 ミラが言う。


「何」


「明日、私が急いだら」


「止める」


「声で?」


「まず声で」


「止まらなかったら」


「ガレスとベイルが止める」


「それでもだめなら」


「風」


 ミラは頷いた。


「うん」


 それ以上は言わない。


 風を使わせたくない。


 でも、落ちたくない。


 その両方を、彼女は持っている。


 俺も持っている。


 その重さを軽く見ない。


「ミラ」


 ガレスが補助帯を畳みながら言った。


「何」


「明日、終わりって言え」


「言える」


「早めに」


「早め」


「遅いと、聞こえない」


 ミラは、少しだけ唇を結ぶ。


「うん」


 終わりと言う。


 それも作戦の一部だ。


 勝つための叫びではなく、止まるための言葉。


 山では、それが命をつなぐ。


 翌朝の検証路は、公式戦の競技場ほど広くはなかった。


 左下棚へ向かう古い荷運び道。


 今は競技路の一部として使われているが、ロウナ先生の説明では、昔は本当に休み場だったらしい。


 荷を置き、水を飲み、次の斜面へ備える場所。


 ミラが言った通りだ。


 ルベオが何度も止まった場所。


 そこへ、今日はミラを運ぶ。


 ルベオが来る保証はない。


 山岳校の生徒たちは、観察席にいる。


 オルグ、タリア、ベイル、ロウナ先生。


 そして、遠く上段の岩陰。


 赤い尾は、まだ見えない。


「始める前に」


 コレットが言った。


「確認」


 全員が頷く。


「これは勝利ではない。公式戦の負けは消えない」


「うん」


 ミラが答える。


「ルベオを取れない可能性が高い」


「うん」


「でも、山岳実用としての回収路を見せる。ミラを人として扱う。本人の中止権限あり」


「うん」


「回収を先に置く」


 全員が、その言葉を受け取る。


 ロイが札に触れる。


 ネルが手を握る。


 アルフが谷側を見る。


 ガレスが補助帯を肩にかける。


 ベイルが上の道に立つ。


 俺は風を感じる。


 使わない。


 落ちる時だけ。


 ミラは、左下棚へ続く道を見た。


 旗ではなく。


 道を。


 石を。


 風を。


 そして、自分が倒れる場所を。


「行く」


 ミラが言った。


 その声は震えていた。


 でも、逃げてはいなかった。


 回収を先に置く作戦が、始まった。


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