第62話 見世物の勝ち
勝ちを持って歩く、というのは、思ったより難しい。
ネルは簡単そうに言った。
置き場所が分かるまで、持って歩けばいい。
落としたら拾えばいい。
割れたらガレスが見る。
それは確かに、カルミアらしい答えだった。
乱暴で、雑で、でも妙に救いがある。
ただ、実際に勝ちを持って歩くとなると、いろいろ問題があった。
まず、勝ちは目に見えない。
目に見えないくせに重い。
しかも、人が勝手に触ってくる。
おめでとう、という言葉で。
すごかった、という声で。
意外でした、という笑顔で。
あれは見事でした、という評価で。
そして時々、もっと綺麗な形をした別の言葉で。
記録室を出た後、俺たちはセシリアの案内で、午後まで宿泊棟へ戻ることになった。
白旗アウレリアの庭へもう一度行くのは、午後。
それまで休む。
休む、という言葉は簡単だ。
しかし、勝った直後の人間は、休むのが下手だ。
ロイは「勝って嬉しいです」を三回練習した。
一回目は小さすぎた。
二回目は少し大きすぎて、自分で口を押さえた。
三回目は、ちょうどよかったらしい。
本人が「今の、ちょうどよかった気がします」と言ったので、たぶんそうなのだろう。
リリィは迷子一号に勝利報告をしていた。
「あなたも、場所を持っていました」
石は何も答えない。
だが、リリィは真剣だった。
ガレスは厨房へ行きたそうにしていた。
何か直すものを探しているのかもしれない。
勝った後でも、彼は直すものを見つける。
ジャックは「次は出る」と三回言った。
コレットは三回とも「編成次第」と返した。
アルフは記録室で聞いた「対戦研究対象」という言葉を、すでに作戦上の危険として分解し始めている。
クララは巡業記録の写し申請書を作ろうとして、ルミナリアの正式書式をセシリアに聞きに行きかけた。
ノルは椅子に座って寝た。
たぶん、勝った夢を見ている。
コレットは手帳を開いた。
今度は書いている。
勝った後は、書く。
ただし、表情はいつもより少し迷っていた。
レイナは、窓際に立っていた。
白い庭園を見ている。
鳥像は遠い。
白旗は見えるようで、見えない。
ネルはその少し後ろで、腕を組んだまま壁にもたれている。
話しかけるかどうか迷っている顔だった。
顔で分かる。
最近、みんな顔を見る。
俺も見ている。
よくない流行かもしれない。
「レイナ」
ネルが言った。
「はい」
「勝ち、持ってる?」
変な問いだった。
でも、レイナは変だとは言わなかった。
少しだけ自分の手を見る。
「持っています」
「重い?」
「重いです」
「落としそう?」
「今は、少し」
ネルは何か言おうとして、やめた。
それから、窓の外を見た。
「じゃあ、落としそうになったら言えば」
「誰に」
「誰でも」
「ネルに?」
ネルの耳が少し赤くなる。
「誰でもって言ったでしょ」
「では、ネルにも」
「……まあ」
レイナは小さく笑った。
その笑いは、昨日より自然だった。
でも、まだ底に硬さがあった。
勝ちを持つ手が、慣れていない。
その硬さ。
それをどうすればいいのか、俺には分からなかった。
分からない時は、周りを持つ。
水を出す。
座る場所を空ける。
夜食を置く。
昼なので夜食はない。
俺は、テーブルに置かれていた水差しを取って、レイナの近くの机に置いた。
レイナがこちらを見る。
「水ですか」
「ガレス式仲裁」
「今、仲裁することがありましたか」
「ない。だから水だけ」
レイナは少し考えてから、カップを取った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ネルが横から言う。
「水置いただけで得意そうな顔しない」
「してたか」
「してた」
「今のは少し成長したと思った」
「小さい」
「小さい成長も大事だろ」
ロイが遠くから顔を上げた。
「小さいは大事です」
自信に満ちていた。
いいことだ。
そんなふうに、少しずつ空気が緩みかけていた時だった。
扉が叩かれた。
セシリアかと思った。
午後の案内にはまだ早いが、ルミナリアの人間は時間より少し早く来そうな気がする。
しかし扉の向こうにいたのは、セシリアではなかった。
昨日、ネルに謝った一年生の少女。
それから、同じく一年生の少年。
さらに、俺たちがあまり話したことのない生徒が二人。
白と青の制服。
襟元の金飾り。
姿勢は整っている。
ただ、顔には少し迷いがあった。
「失礼いたします」
先頭の少女が一礼する。
「カルミア魔法学園の皆様へ、試合後のご挨拶に参りました」
言葉は丁寧だった。
ネルが少し身構える。
前にこの少女が言った言葉を、まだ覚えているのだろう。
実用的な手。
平民出身。
参考。
でも、少女は昨日謝った。
今日も、名前を呼ぶべきだと学んだ。
だからネルは、すぐには刺さなかった。
「どうぞ」
コレットが言った。
部長の声は短い。
相手を迎えるが、余計には広げない。
少女はレイナを見た。
「オルコットさん」
「はい」
「本日の試合、拝見しました」
「ありがとうございます」
「勝利、おめでとうございます」
ここまでは、よかった。
少女の声は少し硬かったが、誠実だった。
レイナも礼を返す。
しかし、後ろにいた別の生徒が口を開いた。
少年だった。
最初の謝罪の場にはいなかった生徒。
年は俺たちより少し下か、同じくらい。
顔は整っている。
整っている顔で、整った声を出した。
「見事な勝利でした。まさか、あれほど大胆に失敗を見せることで白旗を引き寄せるとは」
空気が少し変わった。
レイナの指が、カップの縁で止まる。
ネルの目が細くなる。
少年は悪気のない顔をしていた。
いや、悪気がないように作られた顔をしていた。
「見せる」
ネルが低く言った。
少年はすぐに微笑む。
「失礼。言葉が粗かったでしょうか」
粗くはない。
むしろ、粗くないのが問題だった。
少年は続ける。
「私たちには、なかなかできない戦い方です。自らの瑕疵を舞台に上げ、観衆の視線まで利用する。非常に、ええ、印象的でした」
瑕疵。
舞台。
観衆。
利用。
言葉が綺麗な皿に並べられている。
皿の上の料理は、かなり苦い。
「あなた」
レイナが静かに言った。
「お名前を伺っても?」
少年は少し意外そうに瞬きをした。
それから一礼する。
「ユリウス・ラングレーと申します。ルミナリア一年、礼式競技研究会に所属しております」
「ラングレーさん」
「はい」
「今の言葉は、祝辞ですか」
レイナの声は静かだった。
怒っているようには聞こえない。
だが、共同室の全員が、彼女の声の下に何かあることを感じていた。
ユリウスは微笑んだまま答える。
「もちろんです。勝者への敬意を込めて」
「そうですか」
「ただ、個人的には衝撃でもありました」
彼は少しだけ首を傾げる。
「ルミナリアでは、失敗は基本的に整え、隠し、次の所作で回収するものです。ですが、オルコットさんは、それをあえて見せ物にした」
見せ物。
ついに、その言葉が出た。
部屋の空気が冷える。
ロイが口を開きかけ、胸元の札を押さえた。
ジャックが壁から身体を起こす。
ガレスが一歩だけ動いた。
リリィは迷子一号を強く握る。
クララが記録板を持ちそうになり、やめた。
コレットは手帳を閉じた。
ネルは、笑った。
怒る時の笑いだった。
「見世物」
彼女が言う。
レイナが小さく手を上げた。
止める手。
「ネル」
「分かってる」
「まだ」
「分かってる」
ネルは歯を食いしばった。
自分の怒りを、自分の場所に戻そうとしている。
偉い。
でも、かなり危ない。
俺も何か言いたかった。
言いたいことは多い。
見世物じゃない。
本人が置いた。
白旗が選んだ。
記録員だって選択主体と書いた。
言いたい。
でも、今はレイナの言葉を奪う場面ではない。
俺は水差しを見た。
すでに置いてある。
次にできる周りは何だ。
座る場所。
俺は椅子を少し引いた。
誰も座らなかった。
それでいい。
座れる場所があることが大事だ。
ガレスがこちらを見て、小さく頷いた。
ガレス式としては及第点らしい。
レイナは、ユリウスを見ていた。
「見世物に見えましたか」
「少なくとも、観衆は見ていました」
ユリウスは言う。
「そして、その視線が白旗の反応に影響した。つまり、観衆の視線を戦術に組み込んだということです」
「それは事実です」
レイナは認めた。
ネルが少し驚いた顔をする。
俺も少し驚いた。
レイナは続ける。
「観衆の視線は、場の一部でした」
「では、見世物という表現も不当ではないのでは?」
ユリウスの声は丁寧だ。
だが、議論の刃がある。
「見られることを戦術化したのですから」
レイナは黙った。
長い沈黙だった。
長すぎる沈黙。
ネルが一歩動きかける。
俺は、ネルの手首を掴もうとして、やめた。
勝手に止めると、また怒りを奪う。
「ネル」
俺は名前だけ呼んだ。
ネルが俺を睨む。
「何」
「椅子、ある」
「何の話」
「分かんない。でも、ある」
ネルは一瞬、本気で意味が分からない顔をした。
その間に、レイナが息を吸った。
少しだけ時間を稼げた。
水を出す。
椅子を空ける。
意味が完全に通じなくても、周りを持つ。
「ラングレーさん」
レイナが言った。
「はい」
「あなたの言うことには、事実が含まれています」
彼の微笑みが、少しだけ深くなる。
勝ったと思ったのかもしれない。
議論として。
「私は、自分の失敗を観衆の前に置きました。観衆はそれを見ました。白旗も、その見られ方を含めて反応しました」
「ええ」
「ですから、見られることは戦術の一部でした」
レイナは自分の指先を見る。
水の入ったカップが、まだ手元にある。
「ただ」
声が、少し揺れた。
揺れたが、消えなかった。
「見世物、という言葉を、今すぐ受け取れるほど、私はまだ強くありません」
部屋が静まった。
ユリウスの微笑みも少し止まる。
レイナは続ける。
「それが不当かどうか、今は判断できません。事実が含まれているからこそ、痛いのだと思います」
「……痛い」
ユリウスが繰り返す。
まるで、その要素を計算に入れていなかったような顔だった。
レイナは頷いた。
「はい。痛いです」
彼女は顔を上げる。
「私は今日、勝ちました。けれど、その勝ちをまだどこに置けばいいのか分かっていません。そこへ『見世物』という名前をつけられると、置き場所がさらに分からなくなります」
ネルが息を呑む。
俺も、何も言えなかった。
レイナは、言い返しているのではなかった。
勝っていない。
議論で勝とうとしていない。
ただ、自分の今いる場所をそのまま言っている。
それは、とても危うい。
でも、白旗の前で彼女がしたことに似ていた。
一度目。
戻ります。
痛み。
まだ置き場所が分かりません。
それを、隠さずに置いた。
ユリウスは少しだけ困った顔をした。
「私は、侮辱のつもりでは」
「分かっています」
レイナは言った。
「分かっているから、余計に難しい」
その言葉は、昨日ネルが感じていたものにも近かった。
悪意がない。
悪意がないのに、下に置かれる。
あるいは、本人の痛みが、研究対象になる。
今回は、下に置くというより、舞台に乗せる言葉だった。
どちらも、本人の手から少し遠い。
「ラングレーさん」
コレットが口を開いた。
部長の声は低い。
「質問」
「はい」
「あなたは、レイナを研究したい?」
「競技者としては、はい」
「レイナの一度目を?」
「はい」
「レイナ本人に聞かずに?」
ユリウスが口を閉じた。
コレットは続ける。
「研究は必要。記録も必要。対策も必要。でも、本人の前で名前をつける時は、その名前が本人のどこに置かれるかを考える必要がある」
ネルが少し驚いたようにコレットを見る。
部長は、淡々と言っている。
だが、その目は少し厳しい。
「私たちも間違えた」
コレットは言った。
「作戦に必要だから、レイナの一度目を使う、って言いかけた。ネルに怒られた。だから、レイナが置く、に直した」
ユリウスは黙っている。
「見世物、という言葉が戦術分析として正しい部分があっても、今レイナがそれを持てないなら、渡し方が雑」
コレットは短く結論を置いた。
「雑な礼」
その言葉に、ユリウスの顔が少し赤くなった。
雑。
ルミナリアの生徒にとって、それはかなり刺さる言葉かもしれない。
丁寧な言葉で、雑な礼。
白旗アウレリアなら、たぶん見る。
ここに白旗はいない。
でも、俺たちは少し、白旗の目を借りている。
「……失礼しました」
ユリウスはレイナに向かって頭を下げた。
形は綺麗だった。
ただし、今回は肩が少し硬い。
完璧ではない。
「オルコットさん。私は、あなたの戦術を分析することに意識が寄りすぎ、あなたが今それをどう持っているかを考えていませんでした」
レイナはすぐには返事をしなかった。
水を一口飲む。
それから言う。
「謝罪は受け取ります」
ユリウスが顔を上げる。
「ありがとうございます」
「ですが」
レイナは続けた。
「見世物という言葉を、完全に否定することも、まだできません」
ネルが少し動いた。
「レイナ」
「大丈夫です」
レイナはネルを見る。
「今は、落としていません」
勝ちの話だ。
ネルは唇を結んだ。
「……ならいい」
レイナはユリウスへ向き直る。
「私は、その言葉を持って考えます」
「それは」
「受け入れるという意味ではありません」
レイナの声は、少し強くなった。
「私の勝ちを、その言葉に渡さないために考えます」
ユリウスは、今度こそ何も言わなかった。
先頭の少女が、横から一歩出た。
「オルコットさん」
「はい」
「私も、先ほどの言葉を止めるのが遅れました」
彼女はネルの時のことを覚えている。
だからこそ、言ったのだろう。
「すみません」
レイナは少しだけ表情を和らげた。
「あなたが謝ることでは」
「あります」
少女は言った。
「私は、昨日、アーレンさんに、本人に聞かず分類しないことを教わりました。今日、それを隣で聞いていて、すぐに言えませんでした」
ネルが少し気まずそうな顔をした。
「教えたつもりはない」
「届きました」
少女はそう言って、ネルにも頭を下げた。
ネルはそっぽを向いた。
「……なら、次は早く言いなさいよ」
「はい」
ルミナリアの生徒たちは、もう一度全員で礼をした。
今度の礼は、入ってきた時より少しだけ不揃いだった。
ユリウスの角度がわずかに浅い。
少女は少し深い。
後ろの二人は戸惑っている。
完璧ではない。
しかし、さっきより人間に見えた。
彼らが去った後、共同室には微妙な沈黙が残った。
勝利の空気は、少し重くなっている。
ロイが小さく言った。
「勝ったのに、難しいですね」
「勝ったから難しい」
アルフが答える。
「そういうの、多くないですか」
「多い」
ジャックが言う。
「勝ったら殴られないと思ったら、言葉で来る」
「殴られる前提で考えないでください」
リリィが困った顔をする。
ガレスはレイナのカップを見た。
「水、減った」
「飲みました」
レイナが答える。
「よかった」
それだけ。
でも、その「よかった」は妙に効いた。
レイナはカップを両手で持ったまま、少しうつむいた。
「私は」
彼女は言った。
「勝ちを、また落としかけました」
「落としてない」
ネルがすぐに言う。
「たぶん」
「たぶんですか」
「落としかけたけど、持ってる」
ネルは言葉を探す。
「見世物って言われて、あんた、それを全部否定しなかった」
「はい」
「それは、危ないと思った」
「私も思いました」
「でも、勝ちを渡さないために考えるって言った」
「はい」
「なら、まだ持ってる」
レイナは、ゆっくり息を吐いた。
「そうでしょうか」
「そう」
ネルは言い切った。
「落としたら、あたしが拾うし」
言ってから、ネルは顔をしかめた。
「いや、違う。勝手に拾うと置き場所変わるんだった」
ミラが頷く。
「勝手に持つと、置き場所が変わる」
「じゃあ」
ネルはさらに考える。
「落としたら、拾う場所を指さす」
レイナが瞬きをした。
それから、笑った。
今度は、かなり自然に。
「それは助かります」
「でしょ」
ネルは少し得意げだった。
「拾うのは、私ですね」
「自分の勝ちなんだから」
「はい」
レイナはカップを置いた。
「私は、今日の勝ちを、見世物という言葉に渡したくありません」
静かな声。
だが、さっきより確かだった。
「でも、見られたことも、見られることを戦術にしたことも、なかったことにしません」
コレットが手帳を開く。
「書く?」
レイナが聞く。
「書いていい?」
コレットが逆に聞いた。
珍しい。
部長は、いつも必要なら書く。
でも今は、本人に聞いた。
レイナは少し驚き、それから頷いた。
「はい」
コレットは書いた。
ペンの音が小さく響く。
「第62話時点」
「また話数みたいに」
俺が言うと、コレットは無視した。
「勝利の置き場所。レイナ、見世物という言葉に勝ちを渡さないために考える。ネル、拾う場所を指さす」
「そこも書くの?」
ネルが嫌そうに言う。
「重要」
コレットは続ける。
「ユリウス・ラングレー。礼式競技研究会。丁寧な言葉で雑な礼。戦術分析として一部正しいが、本人への渡し方が雑」
「厳しい」
ロイが言う。
「必要」
コレットは手帳を閉じた。
「午後、白旗の庭へ行く」
その言葉で、部屋の空気が変わった。
白旗アウレリア。
試合後も、レイナの三つの円があった場所へ降りたという。
白旗は、失敗の跡が消えた後のレイナを見たいのかもしれない。
今日、レイナは「見世物」という言葉を受け取りかけた。
それを完全には否定できず、でも渡さないために持つと決めた。
その状態で、白旗の前に立つ。
たぶん、簡単ではない。
「レイナ」
俺は言った。
口を閉じる。
一拍。
「水、持ってくか」
レイナは少しだけ目を丸くした。
ネルが横で吹き出しそうになる。
「それ、今聞くこと?」
「ガレス式」
ガレスが頷いた。
「水は大事」
レイナは笑った。
さっきより、さらに少し自然に。
「持っていきます」
「じゃあ、俺が持つ」
「勝手に持つと、置き場所が変わるのでは?」
「水ならいいだろ」
ミラが真面目に言った。
「水差しは本人の勝ちじゃない」
「ほら」
俺が言うと、ネルが呆れた顔をした。
「何に勝った顔してるの」
「水差しを持つ権利」
「小さい」
「小さい勝ちも大事だ」
ロイが力強く頷く。
「小さいは大事です」
その言葉に、また少し笑いが生まれた。
完全に軽くなったわけではない。
見世物という言葉は、まだ部屋のどこかに残っている。
レイナの勝ちのそばに、嫌な札のように置かれている。
でも、その札に勝ちを渡さないと、彼女は言った。
なら、今はそれでいい。
白い廊下の外で、鐘が鳴った。
午後が近づいている。
白旗の庭へ行く時間だ。
レイナはカップを置き、立ち上がった。
ネルが少し遅れて立つ。
「レイナ」
「はい」
「落としそうなら」
「拾う場所を指さしてください」
「そう」
レイナは頷いた。
「お願いします、ネル」
ネルはそっぽを向いた。
「まあ、見てる」
俺は水差しを持った。
それが何かを解決するわけではない。
見世物という言葉が消えるわけでもない。
レイナが急に誇れるようになるわけでもない。
でも、手に持てるものがあると、歩き出しやすいこともある。
水差しは少し冷たかった。
俺たちは白旗の庭へ向かった。
勝ちを、落とさないように。
見世物という言葉に渡さないように。
そして、失敗の跡が消えた場所で、レイナがどう立つのかを見るために。




