第37話 味方の近くを通る攻撃
ジャックの攻撃魔法は、味方の近くを通る。
最初に聞いたときは、ただ危険なだけの欠陥に思えた。
実際、危険だ。
味方の近くを通る攻撃なんて、競技で使うには最悪に近い。
しかも、彼の魔法は壊してはいけないものへ引かれる。
旗。
支柱。
味方。
強い敵。
大事なもの。
壊せば終わるものほど、魔法が近づく。
だからジャックは、危険要因と記録された。
それは間違っていない。
だが、第七部はそこで止まれない。
危険は消えない。
だから扱う。
グラナートの硬い言葉が、妙に残っていた。
扱う。
扱うには、見なければならない。
そして、名前をつけなければならない。
「味方の近くを通る攻撃を、逆に使います」
コレットがそう言ったとき、ジャックは露骨に嫌な顔をした。
朝の小会議室。
机の上には、アルフが描いた仮設基準線の図。
コレットの敗北幻視の整理。
グラナート鉄旗の動き。
それから、昨日ガレス先輩とヴォルク教師が修復した補助金具の破片の写しが置かれている。
ジャックの腰には、その本物の破片が入った小袋があった。
罰ではなく、記録。
彼はそれを、ときどき触る。
強く握りすぎない。
それだけで、少し変わったように見えた。
「逆にって何だよ」
ジャックが言う。
「近くを通るんだぞ」
「はい」
コレットは頷く。
「だから、近くを通る前提で線を作ります」
「頭おかしいだろ」
「たぶん、少し」
コレットは真面目に認めた。
ジャックが言葉に詰まる。
ロイが小声で「部長が自覚したっす」と言い、レイナ先輩に目で止められた。
アルフが図を指す。
「グラナートは、ジャックが撃てない線を攻撃不能区域として見る。そこを鉄旗や隊列が通る。なら、こちらは撃てない線をそのまま放置せず、通る攻撃の予告線にする」
「分かんねえ」
ジャックは顔をしかめる。
「俺が撃てないなら、攻撃じゃねえだろ」
「撃てない線と、撃つ線を分ける」
アルフは淡々と言った。
「君は、味方や旗に近い線では撃たない。それは合図になる。だが、君の攻撃は味方の近くを通る性質がある。なら、味方が安全な近さを作る」
「安全な近さ?」
ネルが眉をひそめる。
たぶん、全員が同じ顔をしている。
安全と近いが並ぶと、矛盾して聞こえる。
アルフは続けた。
「距離を三段階に分ける。危険距離、誘導距離、安全距離」
コレットが紙に書く。
危険距離。
誘導距離。
安全距離。
「危険距離では撃たない。安全距離では普通に撃つ。問題は誘導距離だ」
「そこを通る攻撃を使う?」
俺が聞く。
アルフが頷く。
「ジャックの魔法は味方の近くを通る。完全に離れていると軌道が読みにくい。近すぎると危険。なら、誘導距離に味方の合図を置き、攻撃線を曲げる」
ジャックは黙っていた。
顔は不機嫌だ。
でも、聞いている。
以前なら、途中で怒鳴っていたかもしれない。
「誰が誘導距離に入る」
ジャックが低く聞いた。
部屋が静かになる。
そこが問題だ。
味方の近くを通る攻撃を利用するなら、誰かが近くにいる必要がある。
危険すぎる。
「最初は、人ではありません」
コレットが言った。
「ミラさんの紐、リリィさんの召喚物、ロイさんの音、レイナさんの一度目の火花を使います」
「人じゃない合図か」
俺が言うと、コレットは頷いた。
「はい。人が入るのは、訓練で安全距離を確認してからです」
ジャックの肩が少しだけ落ちた。
ほっとしたのだと思う。
それを認めたくない顔でもある。
「人が入るなら、俺は撃たねえ」
彼は言った。
「それも記録します」
コレットがすぐ書く。
ジャック、初期訓練では人を誘導距離に入れない。
ロイが小声で言う。
「いいルールっす」
ジャックはそちらを睨む。
「うるせえ」
「静かに言いました」
「内容がうるせえ」
少しだけ空気が緩んだ。
訓練場所は、昨日修復した第二訓練場の端だった。
グラナート側から、セドと整備担当のヴォルク教師が立ち会う。
ヴォルク教師は腕を組み、訓練場の床を見ている。
セドは記録板を持っていた。
「カルミア側の訓練申請」
セドが読み上げる。
「攻撃軌道誘導。人員を誘導距離に配置せず、非人体合図を用いた魔法線制御確認。危険度、中。監視あり」
ロイが小声で言う。
「危険度、中なんすね」
ヴォルク教師が答えた。
「高にすると許可が下りない。中で収めるための条件を付けた」
「大人の調整っす」
「記録上の調整だ」
やっぱり硬い。
訓練場には、標的が三つ置かれた。
一つは攻撃目標。
もう一つは味方位置を想定した木製柱。
最後は、鉄旗の命令線を模した小さな移動標的。
今日の目的は、鉄旗を撃つことではない。
味方の近くを通るジャックの攻撃を、命令線の前で曲げること。
つまり、攻撃を当てるよりも、相手の指示伝達を乱すための線を作る練習だ。
「難しそう」
ネルが言った。
「難しい」
アルフが即答する。
「でも、成功すればグラナートの規律に対する接点になる」
接点。
鉄旗との接点。
今度は命令線との接点。
「最初は、ミラさんの紐で誘導距離を作ります」
コレットが言う。
ミラは紐を床に置いた。
引かない。
止めない。
ただ、線として置く。
昨日の仮設基準線と同じだ。
「紐は人じゃない」
ミラが言った。
「でも、味方の近くの代わり」
ジャックは紐を見る。
嫌そうな顔。
だが、目をそらさない。
「第一試射」
セドが言った。
「攻撃者、宣言」
ジャックが息を吸う。
「撃つ」
黒い魔法が腕に集まる。
昨日より、少しだけ静かだ。
怒りがないわけではない。
だが、怒りだけではない。
紐。
標的。
誘導距離。
彼は見ている。
見る顔。
直す顔の入り口。
「撃て」
セドの声。
魔法が走る。
黒い線が標的へ向かう。
途中で、ミラの紐の近くを通った。
ほんの少し曲がる。
だが、曲がりすぎた。
目標の右を外れ、床に当たる。
軽い焦げ跡。
「失敗」
セドが言う。
「床面損傷軽微。軌道誘導過多」
ジャックが歯を食いしばる。
ヴォルク教師がすぐに言った。
「損傷、許容範囲。続行可」
その言葉が早かった。
たぶん、ジャックが自分を責めすぎる前に言ったのだ。
グラナートの優しさは、やはり硬い。
だが、助かる。
「今の、紐に引かれすぎた」
アルフが言う。
「紐を近づけすぎた」
ミラが頷く。
「距離、一歩遠く」
紐をずらす。
二回目。
「撃つ」
ジャックの声。
魔法が走る。
今度は曲がりが弱い。
目標に当たるが、命令線標的には触れない。
「失敗。ただし目標命中」
セドが言う。
ジャックが舌打ちする。
「どっちだよ」
「攻撃としては成功。訓練目的としては失敗」
セドの分類は容赦ない。
でも、分かりやすい。
「三回目」
コレットが言う。
「次はロイさんの無声合図を足します」
「音で曲がるっすか?」
ロイが自分で言いながら不安そうにする。
「魔法線そのものではなく、ジャックさんの視線を合わせます」
俺は標的を見ながら言った。
全員がこちらを見る。
「ジャックの魔法は、味方の近くを通る。でも、何を味方として見るかで引かれ方が変わる。紐だけだと物に引かれすぎる。音を合図にして、そこが味方側の線だと認識させる」
ジャックが俺を見る。
「俺の頭を騙すってことか」
「騙すというより、先に決める」
「同じだろ」
「少し違う」
俺は言った。
「壊してはいけないものに勝手に引かれる前に、通っていい近さをこっちで決める」
ジャックは黙る。
目が少しだけ揺れた。
「通っていい近さ」
「危険距離じゃない。誘導距離」
アルフが補足する。
「言葉を分ける。危険と誘導を混ぜると、君は撃てなくなる」
ジャックは小袋に触れた。
破片の記録。
「……やる」
三回目。
ミラの紐。
ロイの無声合図。
レイナ先輩の一度目の火花はまだ使わない。
リリィの召喚もまだ。
要素を増やしすぎると、危険度が上がる。
「撃つ」
ジャックが言う。
ロイが喉を震わせる。
音はほとんど聞こえない。
でも、床が微かに揺れる。
ミラの紐が、その揺れでわずかに動く。
ジャックの視線がそこへ合う。
魔法が走る。
黒い線は紐の近くを通り、少し曲がる。
攻撃目標にかすり、命令線標的の手前を横切った。
命令線標的が揺れる。
止まりはしない。
だが、進路が一拍遅れた。
「停止」
セドが言う。
記録板に何かを書く。
「部分成功。攻撃目標への損傷軽微。命令線標的、一拍遅延」
部分成功。
その言葉で、ロイが口を押さえたまま目を輝かせる。
ジャックは固まっていた。
「今の」
彼は低く言う。
「当たってねえ」
「当てる練習じゃない」
俺は言った。
「一拍遅らせる練習だ」
ジャックは命令線標的を見る。
それから、自分の手を見る。
「近くを通った」
「通った」
「壊してねえ」
「壊してない」
ヴォルク教師が補足する。
「床面損傷なし。標的損傷許容内」
グラナート式の祝福みたいなものだ。
ジャックは笑わなかった。
でも、肩の力が少し抜けた。
四回目は、レイナ先輩の一度目を足した。
一度目の火花が、誘導距離の端で弾ける。
ジャックの魔法は、火花を強く意識しすぎて曲がった。
床面に焦げ。
失敗。
レイナ先輩は悔しそうに眉を寄せた。
「わたくしの一度目が美しすぎたのね」
「言い方」
ネルが呆れる。
「でも、そうかもしれない」
アルフが真面目に言った。
「刺激が強すぎる。誘導距離の目印としては、火花が主張しすぎた」
レイナ先輩は少し複雑そうな顔をした。
「美しすぎるのも問題なのね」
「今回は」
コレットが言う。
「では、控えめに失敗するわ」
「高度な宣言」
俺が言うと、レイナ先輩に睨まれた。
五回目。
控えめな一度目。
火花ではなく、小さな光の欠け。
ジャックの魔法はそれを横目に通り、命令線標的を一拍遅らせた。
「部分成功」
セドが言う。
レイナ先輩は満足そうだった。
「控えめな失敗も、悪くないわね」
また新しい言葉が増えそうだ。
六回目は、リリィの召喚を足す。
危険なので、召喚範囲はかなり離した。
出てきたのは、細い銀の糸だった。
「珍しく使えそうなものが出ましたわ」
リリィが言う。
銀の糸はミラの紐と並べられ、誘導距離の境界を示す。
ジャックがそれを見る。
「細え」
「繊細と言いなさい」
リリィが返す。
六回目。
魔法は銀の糸の近くを通り、少しだけ滑るように曲がった。
命令線標的を横切る。
一拍遅延。
攻撃目標にも軽く当たる。
「成功」
セドが言った。
初めて、部分ではなく成功だった。
ジャックは息を止めていたらしい。
長く吐く。
リリィは少し得意げに銀の糸をつまむ。
「わたくしの偶然、また有能でしたわ」
「糸がな」
ネルが言う。
「わたくしが出しましたの」
「じゃあ半分」
「あなたの半分評価、便利すぎませんこと?」
ロイが静かに拍手しようとして、セドに見られて止まった。
「拍手は訓練終了後」
「拍手にも規定あるんすか」
「ある」
あるのか。
グラナートは本当に何でも規定がある。
しかし、その硬さにも少し慣れてきた。
訓練は、そこから人の位置を想定した木製柱へ移った。
本物の人間はまだ入らない。
木製柱に、ミラの布を巻く。
味方役。
距離を測る。
危険距離。
誘導距離。
安全距離。
ジャックは、危険距離では撃たない。
誘導距離では、宣言を増やす。
「誘導で撃つ」
最初、彼は言いづらそうだった。
撃つ、だけでも重い。
そこに誘導がつく。
でも、何度も繰り返すうちに、少しずつ声が安定した。
「誘導で撃つ」
魔法が通る。
木製柱の近く。
近い。
でも、危険距離ではない。
命令線標的を一拍遅らせる。
「成功」
セドの声。
ジャックは木製柱を見る。
壊れていない。
布も焦げていない。
ミラが布を確認する。
「無事」
ジャックは、ほんの少しだけ笑った。
笑ったというより、顔が崩れかけた。
でも、すぐ戻した。
「人じゃねえからな」
「まだ」
ガレス先輩が言う。
「まだ、でいい」
ジャックは頷いた。
「まだ、でいい」
自分で繰り返す。
それは、かなり大きかった。
まだ人は入れない。
まだ完全ではない。
まだ危険。
でも、まだ、で止まれる。
止まったまま、少し練習できる。
その日の最後に、セドが言った。
「カルミアの攻撃軌道誘導は、公式戦で監視対象となる」
ジャックの眉が動く。
「また監視かよ」
「危険度があるためだ」
セドは揺れない。
「だが、記録価値もある。味方近接性を攻撃線制御に用いる例は少ない」
「褒めてんのか?」
「評価している」
ジャックは微妙な顔をした。
ロイが小声で「グラナート語の褒め言葉っす」と言う。
セドは聞こえていたようだが、記録しなかった。
訓練終了後、リメルがジャックの近くへ来た。
昨日より近い。
まだ触れない。
でも、かなり近い。
ジャックは動かない。
リメルが旗布を揺らす。
今日の記録が浮かぶ。
誘導距離。
距離。
見る。
誘導距離。
並んだ言葉を見て、ジャックは少しだけ息を吐いた。
「距離ばっかだな」
「大事」
ミラが言う。
「近すぎると壊れる。遠すぎると届かない」
ジャックはリメルを見る。
「お前もか」
リメルが一回跳ねる。
たぶん、そうだと言っている。
ジャックは手を出しかけて、止めた。
リメルも近づきかけて、止まった。
誘導距離。
まだ触れない。
でも、近づく練習はしている。
俺はその光景を見ながら、胸の中でまた一つ、言葉が増えたのを感じた。
味方の近くを通る攻撃。
危険なだけの欠陥。
それを消すことはできない。
でも、距離を分ければ、合図を置けば、仮設基準線に接続すれば、一拍を作れる。
危険がなくなったわけではない。
公式戦で使えるかも、まだ分からない。
それでも、今日、ジャックは撃った。
壊さずに。
近くを通して。
一拍を作った。
コレットは手帳に書く。
ジャック、誘導距離で攻撃成功。
人員なし。
木製柱無損傷。
命令線標的一拍遅延。
公式戦監視対象。
リメル記録、誘導距離。
その横に、アルフが書き加えた。
仮設基準線の攻撃要素として採用。
採用。
ジャックはそれを見て、目をそらした。
だが、拒まなかった。
宿舎へ戻る道、彼は小袋を触りながら歩いた。
破片の記録。
今日の誘導距離。
壊したものと、壊さなかったもの。
両方を持っている。
俺は隣を歩きながら言った。
「今日のは、よかった」
「褒めんな」
「評価している」
グラナート語を借りると、ジャックは嫌そうな顔をした。
「気色悪い」
「便利だぞ」
「便利でも使うな」
少しだけ、いつもの調子に戻っていた。
でも、全部は戻らない。
戻らなくていい。
戻る道を問う。
昨日のジャックと、今日のジャックは違う。
壊す顔から、見る顔へ。
見る顔から、少しだけ撃てる顔へ。
まだ直す顔とは言い切れない。
でも、誘導距離に立てる顔にはなった。
その夜、リメルの旗布には「誘導距離」が残った。
ジャックはそれを見て、ぼそりと言った。
「変な言葉」
リメルが不満そうに揺れる。
「でも、悪くねえ」
その一言で、リメルは得意げに跳ねた。
距離。
見る。
誘導距離。
近づきすぎず、遠ざかりすぎず。
壊さずに通る線。
それが、第七部の新しい仮設基準線になった。




