その1 願うこと
※シンディ視点の番外編です
「良い意味でも悪い意味でも、言葉は湾曲して伝わってしまうことがあるから、そこは丁寧に吟味するのよ」
「はい」
クラリスが懸命に便せんにペンを走らせている。
シンディは、クラリスに約束通り手紙の書き方を教えるためにロナルドの家にやってきていた。もちろんジェフリーたちも一緒だ。
真剣に便せんにペンを走らせるクラリスから、視線を外せばソファに寝そべるシュティーの前で床にどんと座って、スケッチブックに鉛筆を走らせるジェフリーがいる。
伯爵夫人である母が旧友の茶会に呼ばれて留守にしている今日、シンディは前もってクラリスに訪ねてもいいかとジェフリーを通して手紙を出し、快い返事をもらえたので、進んで護衛を引き受けてくれたジェフリーとともに遊びに来たのだ。
到着するや否や「スケッチさせてください!」と迎えてくれたクラリスにお願いし、彼はこの家の使い魔である魔物たちのスケッチに精を出しているのだ。
研究者である彼は「観察」することが大好きだ。今もけだるそうな顔をしているシュティーたちを余すことなく観察しながらスケッチを続けている。
とはいえ、ひとりでは気軽に出かけられない身としては、ジェフリーがこうして嬉々としてついてきてくれるのは有難い。シュティーたちは大変かもしれないが。
「お姉さま、こういった感じでどうでしょうか?」
差し出された便せんを受け取り視線を落とす。
二週間後にクラリスは、ロナルドの姉であるアナスタシア・フロレンス侯爵夫人に招かれているのだ。とはいっても、ロナルドの母であるフェアクロフ侯爵夫人に見つかるわけにはいかないので、ひっそりこっそり会う予定だそうだ。
けれど丁寧に招待状をくれたアナスタシアにお返事を書きたいとクラリスは頑張っている。
「……うん、とても上手に書けているわ。会えるのが楽しみだと素直に伝わって来るもの」
三回目にしてようやく完成した手紙にクラリスがほっと胸をなでおろしている。
「封筒に宛名は書いてあるわね? それで蝋封をするのよ」
「アランさんが作ってくれたんです」
そう言ってクラリスが、小鳥をデザインしたシーリングスタンプを見せてくれた。本来であれば、家紋を押すところだが、クラリスの素性は秘密にするべき時期なので使えない。そのため、彼女の特徴でもある小鳥の意匠を用意してくれたようだ。
「では、この蝋を垂らして……『炎よ』」
専用の蝋に火を灯して、封筒にぽたぽたと蝋を垂らす。こちらもクラリス思わせる綺麗な青だ。
「さあ、蝋が固まる前にぎゅっと押すのよ。すぐには離さないでね」
「ぎゅっ」
口でもぎゅっと言っている可愛い妹に小さく笑みをこぼして、シンディは蠟燭の火を消す。
「ゆっくり離すのよ、ほらできた」
「すごい、お姉さま、できました!」
嬉しそうに顔を輝かせるクラリスにシンディも笑みを返す。
「お姉さま、すぐにアランさんに渡してきますね!」
「ふふっ、転ばないようにね」
「はい!」
成果を見せに行きたいらしいクラリスは、嬉しそうに手紙を手に部屋を出て行った。
アシュリー伯爵家にいたころのクラリスは、あまり表情がなくていつも緊張感に包まれていた。それは自分や母が招いたことだとは分かっている。
だが、本来のクラリスは、母親によく似て明るく朗らかな甘え上手な子だった。シェリーに甘えて、一緒にさえずっている姿をシンディはこっそり眺めていたものだった。
アシュリー伯爵家もシンディや母のことも、恨んで憎んで嫌っていてくれればよかったのにクラリスは、赦してしまった。
赦した上で、無力な姉に可愛らしい笑顔を向けて、「お姉さま」と呼んでくれる。
そんな資格はないのに、シンディはクラリスを拒むこともできず、彼女に「お姉さま」と呼ばれる心地よさから抜け出せないでいる。
だって本当は、幼いころからずっと妹と仲良く過ごすことが夢だったから。
お揃いのドレスを着たり、お茶会で母たちの目を盗んでお菓子を食べたり、一緒に本を読んで感想を言い合ったり、恋について話してみたり。そういうことがしてみたかった。
けれど、父のしたことも、母がしてしまったことも、取り返しのつかないことばかりだった。仲良くなんて夢のまた夢で、シンディは精々、母の癇癪からクラリスを引き離すとか、食の細い彼女に少しでも食べてほしくて母の目を盗んでは食事を譲るとか、自分の勉強時間に参加させて知識を与えるとか、それくらいのことしかできなかった。
シェリーは、母とシンディの命を救ってくれたのに。
自分の無力さがほとほと嫌になるばかりだった。
「お姉さま」
嬉しそうな声に振り返れば、ワゴンを押してクラリスが戻って来た。
紅茶の良い香りと甘いチョコレートの匂いが鼻先を撫でていく。
「モニカさんに言って、お姉さまの好きなチョコレートタルトを作ってもらったんですよ」
「まあ、嬉しいわ。ありがとう」
クラリスは手慣れた様子でテーブルの上を片付け、お茶の仕度をしてくれる。壁際に控えるアリスとレイラが手伝うべきか否か悩んでそわそわしているので、シンディは手で「大丈夫」の合図を送って、代わりに自分が手伝う。
「お姉さま、私がやるのに」
「いいのよ、姉妹だもの。私は年上ではあるけれど、上下はないのよ」
ティーポットから紅茶を注ぐ。
クラリスは、シンディの侍女をしていたからシンディの好みを知り尽くしている。紅茶もシンディが好むシンプルな香りの物が用意されていた。
「モニカさんはお菓子作りも上手なのね」
「はい! お料理も上手で、色々と教わっているんです」
クラリスが嬉しそうに言った。
この家で本当に大事にしてもらえているのだと伝わって来て、自然と笑みが零れる。
お茶の仕度を終えて、椅子に座り直す。
円い小さなタルトには艶やかなチョコレートが輝いている。
フォークで切り分け口へ運べば、さくさくのクッキー生地のタルト台と濃厚なチョコレートのムースの華やかな香りが口いっぱいに広がる。
「美味しい。……このタルト台、少し塩味があって、ほろ苦いけれど甘いチョコレートによく合うわ」
「そうなんです! 初めて食べた時、お姉さまの好きそうなお味だなって思ったんです!」
予想外の言葉にフォークを落としそうになったのを、意地で持ち堪えて、ありがとうと微笑めば、クラリスは照れくさそうに笑って、誤魔化すように紅茶を飲んだ。
いつ、初めて食べたのかは分からないけれど、この無力な姉のことを思い出してくれた瞬間があったことに、言い難い気持ちになる。
「……貴女は私の好みを知っているけれど、私はあまり知らないの。クラリスは、何が好きなの?」
あの子が好きかも、と思い出す瞬間をシンディも体験してみたい。
「種族的なことなのか木の実がとても好きだと、この間、換羽期で体調を崩したときに初めて知ったのです」
「まあ、体調を? 今は大丈夫なの?」
「はい。ヴィム先生が言うには、数年ぶりで、しかも季節外れの換羽期だったので体調を崩したんだろうって。それにモニカさんが美味しいご飯をたくさん作ってくれたので、すぐに治ったんですよ」
「そうなのね……良かったわ。貴女、風邪を引いたこともなかったから」
シンディは幼い頃は時に風邪を引いて体調を崩したこともあったが、クラリスはそういったことがこれまで一度だってなかった。
「初めて熱が出たのですが……熱ってあんなにふわふわするんだと驚きました」
のほほんと笑っているクラリスは、実家にいた頃の何倍も肌艶が良く、健康的だ。だからその言葉を聞いても、シンディは「そういうものよ」と冷静な返事ができた。
「モニカさんたちもだけれど、侯爵令息様も心配なさったでしょう?」
「はい。とても心配をかけてしまって……でも、栄養をしっかりとったら、本当にすぐに治ったんですよ?」
「私も換毛期は少し体調がだるいことがあるから……あの怠さが、きっと強く出てしまったのでしょうね」
こくこくとクラリスが頷いた。
猫系獣人族であるシンディも耳と尻尾の毛が生え変わる換毛期がある。その時期はやはり、どうしても体調がすぐれないことが多いのだ。
「あ、そうでした。ロナルド様が、お姉さまにお礼を伝えてくれって。お茶会のお詫びのお手紙、うまくいったようです」
「そう? 良かったわ。侯爵令息様、律儀に私にもお手紙を下さったのよ」
「ふふっ、優しい人なのです」
心底幸せそうなクラリスにシンディはぽかぽかした気持ちで紅茶に口をつける。
「私も、心優しい婚約者様と出会いたいものだわ」
「……奥様は、お姉さまをお嫁に出すのですか? それともお婿さんを?」
クラリスが躊躇いがちに問いかけて来る。
シンディはカップをソーサーに戻し、息を吐く。
「それが、分からないのよ。お母様がどうしたいのか……私は正直、アシュリー伯爵家にはなんの思い入れもないし、父がアレだから絶えようがどうなろうが知ったことではないのだけれど……領民や使用人たちのことを考えるとね。でも、私が他所へ嫁いで子どもを産んだとしても息子が二人生まれるかどうかなんて分からないし」
「ロナルド様が教えて下さったのですが、アシュリー伯爵家のような由緒があって、領地が安定して運営されている家は、王家からも婿を取るよう言われるとか」
「そうなのよ……。確立としては私がお婿さんをもらって家を継ぐことになるほうが高いとは思うわ。私も結婚適齢期だから、色々と申し込みはあるのだけれど、お母様が全て断ってしまうのよね……自分の結婚があまり良いものではなかったから、お母様もかなり慎重になっているみたいで……」
「難しいかもしれないけれど、お姉さまは、もし結婚するならどんな人がいいの?」
クラリスの問いにフォークを持ち上げた手を止める。
「そう、ねぇ……考えたことなかったわ」
フォークをおいて顎に指を添える。
貴族令嬢として結婚相手は母が見つけて来ると思っていたので考えたこともなかった。
「……参考に聞きたいのだけれど、クラリスは侯爵令息様のどんなところが好きなの?」
「え、えーっと……」
白い頬がじわじわと赤くなっていって可愛らしい。
「い、いっぱいあるのですけど……私のお話をちゃんと聞いてくれるところ」
真っ赤な顔でささやくように告げられる言葉もシンディの猫の耳ではしっかり聞き取れた。
姉妹の父は一方的な人だった。
これまで何に対しても無関心だったツケなのか、シェリーのことも常に自分が、自分は、と一方的でどうしようもない男なのだ。
でも、きっとロナルドはいつもクラリスを気遣ってくれて、クラリスの「好き」や「嫌だ」に耳を傾けてくれるのだろう。
「ふふっ、良いわね。私もそういう人がいいかもしれないわ。それと……そうね、何かに関心があるひとがいいかもね」
「関心ですか?」
赤い頬を手で仰ぎながらクラリスが首を傾げた。
「私たちの父親は無関心な人でしょう? シェリー様に対しては執着が酷かったけれど……そうじゃなくて、好きなものを大切にできる人って意味かしら」
「ジェフリー様のようにですか?」
クラリスが未だ真剣にスケッチをしているジェフリーに顔を向けた。
「そうね。でもジェフリー様と父は、決定的に違う部分があるわ。たとえば父は目の前で誰かが転んでも、きっと気づきもしない。でもジェフリー様は、たとえ大好きな魔物に夢中になっていても、誰かの泣き声には気づいて手を差し伸べてくれる優しい人よ」
ジェフリーの向こうでトラストが「そうなんです!」とでも言うように力強く頷いているのに気づいて、シンディとクラリスは顔を見合わせて笑い合う。
レストランでロナルドがクラリスのために怒った時、ジェフリーが庇ってくれた。
あの時、この人は魔物が大好きで、今だって貴族の令息なのに床に這いつくばっていろんな角度から余すことなくシュティーたちを観察している少々変わった人だけれど、自分の好きなもの以外も大切にできる人なのだと知ったのだ。
「ねえ、クラリス。この後、また貴女の歌を聴かせてくれる?」
「もちろんです! お姉さまの好きな歌を練習したんですよ」
「本当? それは楽しみだわ」
シンディの言葉にクラリスは嬉しそうに頷く。
まだまだ罪悪感は消えてはなくならなくて、もしかしたら一生抱えていくものなのかもしれないけれど、クラリスがこうしてシンディのことを「お姉さま」と呼んでくれている間は、彼女にとって良き姉であろうとシンディは改めて決意する。
「でも、今日は時間にゆとりがあるから、まずはゆっくりお茶をしましょう? 貴女と侯爵令息様の馴れ初めとか聞きたいわ」
シンディの言葉に再び真っ赤になってしまった妹に、くすくすと笑みをこぼすのだった。




