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6-3

※本日は朝7時と夜7時の2回更新予定です。


 二人して、泣いてしまったので顔を整えるために一度、部屋を出て、アリスとレイラを呼んで姉が身支度を整える間にクラリスもキッチンで、モニカの手を借りて化粧を直して、体裁を整える。


「ふふっ、すっきりした顔をしているわ。うまくいったのね?」


「はい」


「それは良かった」


 ふふっとモニカが笑って頬を撫でてくれた。

 三度目のお茶の仕度をして、モニカが用意してくれた焼き菓子もワゴンに乗せて、モニカに見送られて応接室へと戻れば、なぜか入り口でシンディが困惑していた。アリスとレイラも困惑していて、トラストは頭を抱えていた。


「どうし……まあ」


 姉の横から部屋を覗き込んで、クラリスは目を丸くする。

 ソファに寝そべるシュティーの前でジェフリーがなぜか土下座している。ロナルドは遠い目をして天井を見ていた。


「あの、一体……」


「ジェフリー様が、シュティーを撫でたいらしいの。でもシュティーが拒否するので土下座をなさっているみたい」


 シンディが小声で教えてくれた。トラストが頭を抱えていた理由が分かって、クラリスは苦笑を零す。

 失礼しますね、と断って中へ入るとシュティーが顔をクラリスに向ける。その隙にジェフリーが手を伸ばすと「うーっ」と牙を見せて唸った。


「あらあら、シュティー。怖い顔はだめよ? あなたは可愛い猫ちゃんでしょ?」


 クラリスは近づいて行き、両手でシュティーの頭を包んだ。シュティーは「にゃ」と鳴いて、喉を鳴らし、クラリスに甘えて来る。


「……この世でラヴィネレパードを可愛い猫ちゃん扱いできるのは、多分、クラリスだけだよ」


「そんなことないですよ。シュティーは良い子ですもの。そうだわ、シュティー、私のお姉さまを紹介するわね」


 クラリスが振り返れば、シンディがこちらにやって来た。シュティーは丸い目でじっとシンディを見上げる。


「ジェフリー様に聞きましたけれど、この子はとてもすごい魔物なのでしょう?」


「雪と氷を操れるんですよ。それにとっても強くて優しくて、いつも私のお手伝いをしてくれますし、護衛もしてくれるんです」


「魔物ってすごいのね。使い魔なんて話でしか聞いたことがなかったけれど、そんなに賢いとは知らなかったわ」


「ちゅんちゅん!」


 ロナルドの肩の上でシエルも存在を主張する。いつもなら飛んでくるところだが、シャドウゲッコーが張り付いているのでできないのだ。


「あの子はシエル、私の使い魔なの」


「初めましての時は、驚かせてごめんなさいね」


 シンディの言葉にシエルは「ちゅんちゅん」と可愛く返事をした。多分、いいよってことだと思う。


「にゃー」


 よっこいせとソファを降りたシュティーがシンディの周りをぐるっと一周して、クラリスとシンディの間に入って来ると二人に交互に頭を擦り付けた。


「お姉さま、撫でていいみたいですよ」


「まあ、本当? ……すごい、本当にひんやりしてるわ」


「お嬢様、あの、私も」


「わたしも撫でてみたいです」


 レイラとアリスがそわそわとこちらにやって来る。シュティーは二人を一瞥すると今度は二人の元へ行って、二人のにおいをかいでぐるりと一周して、そして頭を下げた。


「撫でていいみたいです」


「本当? ありがとう、シュティー様」


「なんて柔らかくて滑らかなのかしら」


 シュティーはちやほやされて嬉しそうにピンと尻尾を立てた。


「……どうして! どうして僕はだめなんだ!」


 ジェフリーが床に拳を叩き付けて、叫んでいる。


「……うちのシュティーは、雄だからな。俺にもアランにも男の騎士にも辛辣なんだ。ちなみに女性騎士には懐いている。一番好きなのはクラリスだがな」


 ロナルドがジェフリーを慰めている。


「どうして僕は男……あ!! これは!!」


 這いつくばった状態でジェフリーがカーペットを撫で始めた。


「ジェフリー様?」


 シンディが心配そうに声をかけるが、ジェフリーはなぜか無心でカーペットを撫でている。皆がオロオロする中、トラストが静かに目を細めた。


「ジェフリー様?」


 トラストの低い声にジェフリーが手を止めた。


「見てくれ、トラスト! シュティーの抜け毛だ!!!」


「みっともない真似はおやめください! そもそも人様の邸宅で床に這いつくばって、その上、カーペットの抜け毛を集めるなど……!」


「閣下! これ、せめて、これをもらっても!?」


「ジェフリー様!!」


 トラストが声を荒らげるが、ジェフリーはお構いなしでカーペットの抜け毛を集めている。ロナルドは「好きにすればいい」ともはや面白そうに眺めている。


 だが、とクラリスは一度、部屋を出て談話室からとあるものを手に持って戻る。


「ジェフリー様、いつもお掃除は欠かしていませんが、床は床ですから……せめてお持ち帰りになるのなら、こちらにしてはいかがですか?」


 クラリスは、ブラシを差し出した。

 いつもシュティーのブラッシングをしているもので、そこにはびっしりとシュティーの抜け毛がついている。


「こ、こんな、こんな、お宝、いいんですか!?」


「ブラシは返してくださいませ、シュティーのなので」


「もちろんですとも! トラスト、トラスト! 何か入れ物を!」


 何もかもを諦めきったトラストが、どこからともなくガラス瓶を取り出して、ジェフリーに渡した。ジェフリーはブラシから丁寧に抜け毛を外して、ガラス瓶に入れて余すことなく眺め、においをかぎ(シュティーが唸ったのですぐにやめた)、大切そうに蓋をして抱きしめた。


「イアルホール侯爵家の家宝にします」


「家宝は別にきちんとございます」


 トラストが訂正するが、ジェフリーには全く聞こえていないようで、うっとりとガラス瓶の抜け毛を眺めている。

 シュティーが、見たこともないような嫌そうな顔でジェフリーを見ていた。


「申し訳ありません。この人は本当に、魔物を目の前にすると一に魔物、二に魔物で、理性とか知性とか、そういうものをすぐに捨て去ってしまう悪癖がありまして……!」


 トラストがぺこぺこと頭を下げる。


「君も苦労しているんだな」


「お心遣いありがとうございます……!」


 ロナルドの言葉にトラストが涙目になっていた。彼も彼で色々と大変そうだ。


「そうでした……おやつの時間ですし、お茶にしませんか? モニカさんがお菓子を用意してくださったんですよ」


「まあ、美味しそう」


 シンディが嬉しそうに尻尾をぴんと立てた。シンディは甘いものが好きなのだ。


「お嬢様、トラスト様と一緒に馬車の仕度をしてまいります。お茶の時間が終わりましたら、帰りませんと……」


「ええ。分かっているわ。お願いね」


「はい。それでは失礼いたします」


 アリスとレイラが頭を下げ、トラストはジェフリーに「品位を忘れずに!」と言ってから一礼して部屋を出て行った。

 改めてソファに座り直す。シュティーは逃げるようにクラリスとロナルドの座るソファの後ろに隠れてしまった。


「……美味しい」


「モニカさんはお料理もお菓子作りもとても上手なのです」


 クラリスはシンディが美味しそうに食べているのが自分のことのように嬉しくて胸を張る。


「あまり人がいる様子はありませんが……使用人は彼らだけなのですか?」


 ジェフリーが首を傾げる。


「ああ。俺の持病もあって人を雇うのも難しくてな。彼らは使用人ではあるが、俺にとっては育ての親。乳母夫婦なんだ」


「随分と仲がよさそうで納得いたしました。トラストも僕とは乳兄弟で、やはり彼も僕にとっては使用人だけではくくれない大事な存在です」


 ジェフリーは右手にカップ、左手にはまだ抜け毛入りのガラス瓶を大事にそうに抱えている。


「……そういえば、アシュリー伯爵令嬢、先日の茶会、あの後、大丈夫だったか? 俺が迂闊なことを言って、母の機嫌を損ねてしまっただろう」


 二つ目の焼き菓子はどれを食べようか吟味していたシンディが顔を上げて、眉を下げた。


「まあ、その……侯爵夫人は大分、荒れていらっしゃいましたが、使用人の方々がすぐに家の中へと連れて行ってくださったので。私たちもあの後、すぐに解散したのですわ」


「そうか。本当にみっともないところを見せてしまって……しかも我々親子の不仲に何の関係もないご令嬢たちを巻き込んで申し訳なくてな」


「ロナルド様は怪我をされていたんです。お姉さまや他の方々は、大丈夫でしたか?」


 クラリスも心配になって来て問いかける。


「ええ。大丈夫よ……さすがの侯爵夫人も客人に手を挙げることはなかったわ。ただ使用人に対してちょっと……」


 ゴニョニョと言葉を濁したシンディだったが、ロナルドはトラストのように頭を抱えて溜息を零した。


「こういう場合、何か、詫びの品とか送ったほうがいいのだろうか」


「きっとそれは侯爵家の方々がされているはずですわ。でも差し出がましいとは存じますが、来客の令嬢たちには一筆、お詫びのお手紙をしたためた方がよろしいかと。町で流行りのお菓子をつければ完璧ですわ」


「なるほど……だが誰が来ていたかをあまり覚えていないんだ。君と君のご友人は覚えているんだが……」


「私、覚えておりますわ」


「本当か? 今聞いても?」


「もちろんです」


 シンディが頷き、ロナルドが手帳を開いて令嬢たちの名前を書き留める。ついでに手紙の内容まで考えてくれた。真摯に詫びて、気を持たせるような文言は避け、誠実に対応する、それが肝要らしい。


「貴族令嬢にとって結婚は将来の幸せを決定づける重要事項ですわ。フェアクロフ侯爵令息様は、騎士様ですし、格好良くて、年上と言ってもまだ二十代。実家も大きく、ご本人も社会的地位もあり、人気の婚約者候補ですのよ」


「そういったことは分かんないけど、閣下が人気なのはこの僕でもわかるってことはすごい人気ってことだよねぇ」


 うんうんとジェフリーがシンディの言葉に頷いている。


「クラリス、あなたもロナルド様と生きて行くなら、お手紙の書き方も覚えないとね。今度、教えてあげるわ」


「本当ですか? ぜひ、お願いします!」


 マナーや立ち居振る舞いは教えてもらっていたが、手紙の書き方は教わったことがなかった。


「お手紙はね、文章ももちろんだけれど、季節や相手の好みを把握して便せんも選ばないと……侯爵令息様は大丈夫ですわ。今回に限ってはいっそ、第二師団でお使いになっている騎士団用の便せんでかまいませんわ」


 え、と固まったロナルドに気づいてシンディが言った。


「お堅い騎士団の便せんでお手紙を頂けば、侯爵令息様に望みがないことは分かりますもの」


「なるほど。コーディに用意してもらわねば……」


 ロナルドが再び手帳にペンを走らせた。


「……そういえば一つ、お尋ねしたいことがあるのですが」


 シンディが神妙な顔でロナルドを見る。ペンを止めたロナルドが首を傾げた。


「侯爵令息様は、ご病気が良くなってから町で見かけたと噂をよく聞いたのですが、クラリスのことは聞いたことがなくて。でもシュティーに襲われた時は、ご一緒だったのでしょう? あの時、アリスがジェフリー様に広場の案内をしていて、それで貴女を見つけて、私に教えてくれたのです」


 シンディがクラリスの居場所を突き止められたのは、そういう理由だったのかと納得する。


「あー……出かける時はクラリスに記憶阻害魔法をかけているんだ」


「きおく、そがい、まほう?」


 初めて聞く魔法にクラリスは首を傾げる。


「記憶阻害魔法は、その名の通り、相手が記憶しづらくなる魔法だ。だから町ですれ違ったり、食事をしたりしても、その時は覚えていても、だんだんと記憶が薄れて行って、容姿や性別もあいまいになり、一晩眠って朝起きれば、もう『誰かいたかな?』くらいの認識になる。だが、アリスやジェフリーのように君が誰かを知っている人間が相手だと意味はないんだがな」


「でも、私に魔法が効くのですか?」


「正確に言えば、君を俺の魔力で包んでいるから、君に直接触れているというわけでもないんだ。この方法はかなりの魔力量が必要になるから、俺に無駄に魔力があって良かった」


 ロナルドは嬉しそうに笑った。

 自分の魔力に悩まされ続けてきた人だ。だがクラリスの歌の効果でその魔力も攻撃性を持たないようになったからこそ、クラリスのために使えるのが嬉しいのかもしれない。可愛い人、とクラリスも目じりを緩める。


「本当に仲が良いのね」


 シンディの柔らかい声に顔を向ければ、同じくらい柔らかい表情を浮かべていた。


「……ジェフリー様にお二人が交際を始めたようだと聞いた時は、私もフェアクロフ侯爵家のお見合い茶会に呼ばれていたから……侯爵令息様はクラリスを愛人にするんじゃないかと心配していたの」


「まさか! 俺には後にも先にも彼女だけで……!」


 ロナルドが慌てて否定すると、シンディは「分かっております」と微笑んだ。


「レストランの時も今も、侯爵令息様がクラリスをいつも細やかに気に掛けてくださっているのが見ていれば分かります。クラリスもシェリー様がいた時のように可愛らしく笑っていて……フェアクロフ侯爵令息様、どうか妹をよろしくお願いいたします」


 その真っ直ぐな青い眼差しにクラリスも、ロナルドも背筋を正した。


「決して平たんな道のりではないけれど……必ず幸せにすると約束する」


 途中、クラリスの手に大きな手が重ねられて、一瞬だけ紫色の眼差しがクラリスを捉え、シンディに向けられた。

 クラリスもシンディに顔を向けて頷いた。

 シンディは安心したように笑ってくれた。


「名残惜しいけれど、そろそろ帰らないと。あまり遅いとお母様が心配するもの」


「……もしかしてなんだけど、クラリス嬢のお母上が誘拐されたことに、関係あるのかな? 君が出かけるというと夫人はとても心配するだろう? それがなんだか少し普通とは違う気がして」


 ジェフリーの指摘にシンディは、観念したように頷いた。


「実際に貴族の男性に見初められて誘拐されてきた女性を目の当たりにしたのは、お母様にとってはかなりの衝撃だったみたいで……私は確かに貴族ですが、ありえないお話ですけれど侯爵家やさらに上の公爵家の方に見初められたら当主がてんで役に立たない我が家は逆らえませんもの。でも、ジェフリー様と一緒だと普段よりもずっと安心してくださるの。ジェフリー様は隣国とはいえ、我が家よりずっと大きな侯爵家の方ですし、やっぱり貴方に何かあると国際問題に発展しますから」


「そうなんだ……」


 ジェフリーがまるで他人事のように驚いている。


「少しお手数ですが、私に用がある時はジェフリー様を通していただけますか? 母もジェフリー様に関してはとくに干渉しないので」


「ああ。分かった。そうさせてもらう。ジェフリーも今後は色々とよろしく頼む」


「お任せください! あ、もちろん、魔物に関してはいつだって連絡して頂いて構いませんので! 討伐だってお供しますとも!」


 いつだってぶれないジェフリーにクラリスたちは、くすくすと笑ってしまう。ロナルドも「頼もしいことだよ」と笑いながら頷いた。

 そして、ノックの音がして馬車の準備が整ったとアランが報せてくれ、見送りのためにクラリスとロナルドも立ち上がる。

 シュティーもぐっと伸びをして立ち上がり、クラリスはロナルドの肩からシエルを自分の肩へと移動させる。シャドウゲッコーはまだ離れそうにない。

 エントランスへ行けば、アランとモニカ、そして、アリスたちが待っていた。


「では、またね、クラリス」


「はい。お姉さまもお気をつけてお帰り下さい」


「ええ。侯爵令息様、お邪魔いたしました。失礼いたします」


 シンディはお手本のように綺麗なお辞儀をして、ジェフリーにエスコートされて小さな庭を通り、馬車へと乗り込んだ。ジェフリー、そして、アリスとレイラが乗り込んでトラストがドアを閉めた。トラストはそのまま御者席へと乗り込んだ。

 窓越しにシンディと目が合って、クラリスが手を振れば、シンディも手を振り返してくれた。

 トラストが会釈をすると手綱を操り、馬車が動き出した。

 クラリスは馬車が見えなくなるまで見送った。

 ずっと振っていた手をゆっくりと降ろして胸の前で握りしめた。


「……君が、悲しむような結果にならなくて本当に良かった」


 大きな手がそっとクラリスの肩を抱いてくれる。その手に手を重ねてクラリスは頷く。


「ロナルド様がおそばにいて下さったから、お姉さまと向き合うことができました」


「君が勇気を出したからだよ」


 ロナルドの優しい言葉にクラリスは、いつも救われる。肩に添えられた手に頬も寄せて、ありがとうございます、と告げる。

 ロナルドの大きな愛情はどんな時もクラリスを包み込んでいてくれる。


「さあ、ロナルド様、中へ入ってくださいな。クラリス、何があったから教えてちょうだい」


「はーい、今行きます」


 クラリスは返事をして、ロナルドとともに家の中へと入る。アランとモニカに聞いてほしいことがたくさんある。どれから話そうかと考えながら、クラリスは随分と軽くなった心に自然と足取りも弾むのだった。



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