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3-2


 顔を洗ってきます、と泣きすぎて目が真っ赤になったモニカとアランが出て行って、談話室にはクラリスとロナルドとヴィムだけになった。

 ロナルドは、少しだけ目元が赤かったがモニカたちほどではなかった。

 クラリスは「お茶を淹れますね」と声をかけて談話室を出てキッチンに向かう。

 ロナルドが好きだとモニカに教えてもらった茶葉にしようかと思ったが、今は心を落ち着けたほうがいいと思い、お湯を沸かしてハーブティーを選んでガラスのポットに淹れる。

 ガラス製のカップも用意してワゴンに乗せ、談話室へと戻る。

 モニカたちはまだ戻っていなかったが、先にロナルドとヴィムにハーブティーを出す。


「……レモングラスか」


「落ち着くねぇ」


 ほっとしたように息を吐くロナルドと、穏やかに笑うヴィムにクラリスは、ハーブティーで正解だったとほっと胸を撫でおろす。


「クラリス、座ってくれ」


「いえ、私は使用人ですので……」


 先ほどは、ロナルドに抱えられ、連れて来られて自分の意志を表示する前に座らされてしまったが、本来であれば、談話室のソファにメイドが座るなどあってはならないことだ。


「じゃあ、今から協力者ってことで座ってもらえないかな」


「協力者?」


 ヴィムの提案にクラリスは首を傾げる。

 だが、ヴィムが説明しようとしたところでモニカとアランが戻ってきた。二人ともさっぱりとした顔をしているが、泣きすぎた目元はまだ少し赤かった。


「モニカとアランも座ってくれ」


「はい。さ、クラリス、いらっしゃい」


「私とモニカの間に座りなさい」


 あれよあれよという間にクラリスは、ロナルドとヴィムの向かいの席にモニカとアランに挟まれる形で着席した。抵抗する間もなかった。


「それでヴィム先生、どういうことなのでしょうか」


 アランが待ちきれないと言った様子で口火を切った。

 ヴィムは、そうだなぁ、と顎を撫でながら口を開く。


「まだこれは僕の仮説でしかないのですが……何分、ロナルドの魔力過多症自体が他に例のない病気ですから。でも、おそらくですが、クラリスさんの『声』が鍵だと思うんです」


「クラリスの、声? 確かにクラリスの声は、小鳥さんのように可憐で綺麗ですけど……」


 モニカが首を傾げる。


「正確には、クラリスさんの『魔力』なんですが、おそらくクラリスさんの魔力は、相手の魔力を『無効化』するか、それに近しい働きをするんだと推測されます」


 そうは言われてもどういうことか分からず、三人そろって首を傾げる。


「一般的に魔力というのは、そこまで攻撃性をもっていないはずなんです。僕らは元気な時も具合が悪い時も、あるいは魔力が満タンでもその逆でも、どういう状態でもお互いに素手で触れてもなんともありませんよね?」


 それは分かるので、こくり、と頷く。


「だから僕たちではクラリスさんの魔力の『特異性』というのは分からないんです。でも、ロナルドの場合は、魔力そのもの自体にまるで薔薇の棘のように攻撃性があって、相手を傷つけてしまう。おそらくですが、クラリスさんの魔力は、このロナルドの魔力の棘を取り除いて、他者が触れても大丈夫な状態にできるのだと思います」


 彼の説明の内容はなんとなく理解できるのだが、自分自身の魔力については今一つぴんと来なくて、自分の手を見つめてみるが、いつもと変わりない手だ。


「さらにその上で、ロナルドの魔力の生成にも作用しているところを見ると、暴れ回っている犬を手名付けて、お利口な名犬にするような効果もあるわけです」


 モニカとアランが「おおー」と声を上げたが、クラリスはやっぱりよくわからなかった。


「クラリスさんと出会った日、ロナルドの制服にはクラリスさんの血液が付着しました。怪我をしたクラリスさんを抱えたからです。血液というのは魔力を多く含みますから、あの日、ロナルドは体調が良くなったと思われます」


「では、クラリスが洗濯した服を着て、具合がよくなったのは何故だと思う?」


 ロナルドが問いかける。


「そこはこれから究明していくことになるんだけど……クラリスさん、魔力を込めていましたか?」


 クラリスは急に話しかけられて、慌てて首を横に振った。


「ご存知かと思いますが私の魔力はほとんどないので……ロナルド様がご無事でありますようと願いなら込めていたのですが……」


「なるほど……」


 ヴィムがいつの間にか手にしているカルテに何かを書き込んでいる。


「怪我をした際に診させてもらった時、器のわりに魔力が少ないと僕が言ったのを覚えていますか?」


「はい」


「おそらくですが、もしかすると本当は魔力は器に満タンなのかもしれませんね」


「それは、どういう……?」


「すみません、僕もまだうまく説明できなくて……ロナルドの魔力過多症も未知ですが、クラリスさんの魔力の性質も未知の発見ですから」


「先生、クラリスの体は平気なんですか?」


 モニカが不安そうに問う。


「クラリスさん、歌を歌った前と今で、何か体調に変化はありますか? ほかに洗濯をしたり、繕い物をしたときに変調を来したとか……」


「いいえ、元気です。こちらでお世話になり始めてから、モニカさんの美味しいご飯と心地よいお部屋のおかげで、とても元気です」


 ヴィムがそれは喜ばしいことです、と頷いてくれた。モニカとアランもほっと胸を撫でおろしている。


「ヴィム。俺は確かにクラリスの声を聴いていると心地よいのだが、鼻歌を聞いたときは体の中を爽やかな風が通り抜けるようだった。それで、先ほどのきちんとした『歌』だと、本当に段違いというか、女神の声とはこういうものかと思ったほどなんだが」


 ロナルドがじっとクラリスを見つめながら言うものだから、クラリスは気恥ずかしくて顔を伏せる。


「僕たち普通の魔力保持者も、得意な魔法と苦手な魔法ってあるだろう? これもやっぱりまだおそらくなんだけど、クラリスさんは、魔法は得意ではないけれど『声』に魔力を込めるのが得意なんだと思う。でも、それは僕たちが呪文を唱えて使う魔法とはまた違って、魔力の性質として『声』に宿りやすく、なおかつ『歌う』ことでより効果を発揮できるんじゃないかな」


「……これはもしかしたらのお話なんですけど」


 モニカがおずおずと口を開いた。


「ロナルド様がクラリスが用意した服に着替えると楽になったのは、クラリスが繕い物をする時やお洗濯物を洗ったり、干したりするときに鼻歌を口ずさんでいたことは関係ないかしら」


「関係あるかもしれませんね」


 ヴィムが興味深そうに頷いた。


「鼻歌でもロナルドには効果がありました。それに先ほどクラリスさんは、ロナルドの無事を願いながら繕っていると言っていました。だから、魔力の生成を止める歌ほどの効果はなくとも。ロナルドの魔力を整えてくれていたんじゃないかと」


 ヴィムの説明になるほどと言った様子で三人が頷く横で、クラリスはオロオロするしかない。

 一番簡単な浮遊魔法一つ使えず、魔力もほとんどないと言われてきた自分がロナルドの治療に役立つと言われても、どうしていいか分からない。

 これまで散々役立たずと言われて、いらないと言われ続けてきた自分が誰かに、それもこんな優しい人たちに必要とされるのは嬉しいのだが、本当に役に立てるのか自信はない。

 それでもし、期待を裏切ってしまったら、それで「いらない」と言われたらと思うと心がさぁっと冷えていく。


「……クラリス、そんなに気負わなくて大丈夫だ」


 ロナルドの言葉に、はっとして顔を上げる。

 紫色の瞳は、気遣わしげにクラリスの様子をうかがっている。


「もし迷惑でなければ、これからも君の歌を聞かせてほしい」


「迷惑だなんてそんなこと……! ロナルドの様のご病気が私なんかの歌で良くなるのならいくらでもお申し付けください」


「『なんか』なんて言わないでくれ。君のおかげで俺は子どものころ以来、久々の健康を手にしているんだ」


 ロナルドは言葉を尽くしてくれるが、受け入れるのは難しい。


「……ですが、私の魔力に本当にそんな効果があるなんてとても信じられなくて」


 モニカが膝の上の手を優しく撫でて、気遣ってくれる。


「確かに急に言われても困るよねぇ。もしよければ騎士団の医務局で少し検査をさせてくれないかな?」


 ヴィムの申し出にアランが「検査、ですか」と不安そうに答えた。


「大丈夫。少し血液を採取させてもらって、あとは、実際に歌ってもらってロナルドの魔力がどうなるかをさっきみたいに試しつつ、クラリスさんの魔力の動きを調べたいんだ。その時、魔力の流れを見るために手首に触れることはあるだろうけど、どうかな?」


「心配なら、モニカとアランについてきてもらうといい」


「あら! でしたら絶対についていきます。ね、アラン」


「そうですとも。騎士の皆様のことは信用しておりますが、可愛いクラリスを一人でやる何てとてもとても! 何があろうとついていきます!」


 モニカとアランが力強く宣言した。二人がついてきてくれるなら、安心だとクラリスはほっと胸を撫でおろす。


「……アランは心配の方向性が違うような気もするが、どうだろう、クラリス」


「ロナルド様が望むとおりにいたします。もし、私の魔力でロナルド様がお元気になられるなら、身に余るほど光栄なことです」


 クラリスの返事にロナルドは、ほっとしたように表情を緩めた。


「じゃあ、また検査の準備が整ったらロナルドを通して連絡をするよ。食事や行動の制限は必要ないから、クラリスさんは、いつも通りに過ごしていてかまわないからね」


「はい。分かりました」


「さあさあ、お話がまとまったところで朝食にいたしましょう。ロナルド様もヴィム先生もお時間は大丈夫ですか?」


 アランが立ち上がり尋ねる。


「ああ。今日は書類整理だからな。会議があるが午後からだから大丈夫だ」


「僕も急ぎの案件はないですから。モニカさんのオムレツが食べたいです」


「ふふっ、先生はチーズがお好きでしたね。クラリス、手伝ってちょうだい」


「はい」


 クラリスも立ち上がり、モニカとアランと共に談話室を後にする。

 キッチンへ入るとモニカに手を取られた。


「クラリス、急なことで混乱しているかもしれないけれど、あまり気負わないでね」


「……モニカさん」


 思いがけない言葉にクラリスは、瞬きを一つする。

 するとアランもモニカの手ごとクラリスの手を包んでくれた。


「私たちも突然のことでいまだに夢見心地です。ですが、当人であるクラリスさんには不安もありましょう。何かあったら気兼ねなく、相談してくださいね」


「……これまでずっと魔力がないと思って生きてきたので」


 二人の優しい眼差しに自然と言葉が紡がれていく。


「戸惑いが、大きいのです」


「そうよね。……歌を、歌うのは本当は嫌?」


 モニカの伺うような視線に、クラリスは慌てて首を横に振った。


「歌うのは、好きです。種族的な本能もありますし……歌は私と母を繋いでくれているものなので。ここ数年、ちゃんと練習はしていなかったのでお恥ずかしいのですが」


「そんなことないわ。とても上手だった」


「モニカの言う通りです。鼻歌も上手でしたが、歌はもっと上手です。もしよければ、練習の成果を私たちに聞かせてください。そのあと、ロナルド様に披露するのはいかがでしょう?」


「いいのですか? それなら安心です……!」


 クラリスは、安堵が胸に広がるのを感じた。

 母が亡くなってからまともに歌の練習をしてこなかった。時折、離れの母の部屋のクローゼットの中でこっそりと歌うだけだった。

 歌姫に夫を奪われたミランダは、とにかく歌や音楽を憎んでいて、クラリス以外の使用人でさえ鼻歌を口ずさんでいるのを聞かれようものなら、激しく叱咤された。


「ふふっ、ロナルド様のためとは言え、楽しみだわ。あとで何が歌えるか教えてね、わたしの好きな歌も歌ってほしいわ」


「でも今は、朝食の支度が優先ですよ、モニカ」


「もう分かってますよ。アランは飲み物の仕度をお願いね。クラリスは、卵をたくさん割ってちょうだい」


 アランとモニカの手が離れていく。


「分かりました。卵は昨日より多いほうがいいですか?」


「ええ。今日はヴィム先生もいらっしゃるから。ヴィム先生もたくさん食べるのよ」


 なら、大きな籠を持って行こうと棚の一番下からそれを取り出す。


「あ、クラリス。それはそれとして私も好きな歌がありましてですね」


「あなた! 朝食の支度が先だと自分から言い出したんでしょうに!」


「はいっ!」


 クラリスは、モニカとアランの愉快なやり取りを聞きながら、食糧庫に卵を取りに行く。

 そうして、せっせとこしらえた大量の朝食は、ロナルドとヴィムの胃に綺麗におさまった。一人でも感動だったが、二人だとさらに感動的な食べっぷりだった。

 クラリスが繕った騎士団の制服に身を包んだロナルドとヴィムをエントランスで見送る。


「……魔力が安定したら、可能な限り帰って来たいと思っているんだが、かまわないだろうか」


 出かけ際、ロナルドがクラリスの顔色をうかがうように尋ねて来る。


「も、もちろんです。ここはロナルド様のお家なのですから」


 ただのメイドなんかにお伺いを立てる律儀なロナルドに、逆に恐縮しながらクラリスは告げる。


「ロナルド様、帰って来てくれるのはとってもとってもとーっても嬉しいですが、一報は入れてくださいね。食事の準備をしないといけませんもの。わたしたち三人分の食事ではあなたの一食分にもなりませんから」


 モニカの言葉にロナルドが頷く。


「確かに俺の食事の支度は大変だものな。そうだな……出来るだけ昼までには帰宅の有無の連絡を入れる」


「本日はいかがいたしますか?」


「行ってみないと分からないので、また連絡を入れる」


「かしこまりました」


「では、行ってくる」


「「「行ってらっしゃいませ」」」


 ロナルドは、軽く手を挙げ、ヴィムは「お世話になりました」と言って、二人は出かけて行ったのだった。



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