「その先へ」
3500字ほどの青春短編です。
「走れ」
これは誰の声だ?
お父さん?お母さん?
それとも?
追い立てられるように、俺は走る。
「惜しかったね」
優衣はいつも眉をハの字にしている。
俺は無言でタオルを受け取り、いったいいつから優衣はこんな表情をするようになったのかと考えた。
入部したてで、中学とは違う練習の厳しさに心の中では悲鳴をあげても、同じように不慣れながらも、かいがいしく動き回る優衣を見ると、自分も頑張ろうと思えたんだ。
陸上競技の成績から将来に繋げるのは、簡単なことじゃないし、中長距離走の難しさは、高校に入ってから実感した。
陸上にずっと関わりたいと思うなら、一番現実的なのは、しっかり勉強もして大学に行き、教職に就いて部活の顧問という将来だろう。
けれども今からそれだけを考えるのは、ずっと応援してくれている皆に申し訳ないと思うんだ。
とりわけ、優衣には。
「あとでな」
タイムを記入し終わった優衣に声をかけると、優衣はうん、と頷き顧問のところへ歩いていった。顧問が、そのぎこちない歩き方を見て、急がなくていい、と優衣を制するのを確認してから、俺は部室に向かう。
優衣は足に障害がある。
日常生活に支障はなくても運動は制限されるから、小学生の頃から体育は見学だった。
走る姿がかっこいい、と言われて、子供だった俺は単純に嬉しかったしいい気になった。そして授業でも部活でも優衣にアピールするように走った俺が、優衣が言うその言葉が、「フォーム」の話じゃないことに気付いたのはかなりあとだった。
足を真っ直ぐ出せない優衣の代わりに、真っ直ぐ、どこまでも走ろう。
いつからかそれが、俺が走る原動力になっていた。
いつからか、帰り道は並んで歩くようになった。
中学に入ってなんとなく喋らなくなったけれど、俺が走るのを優衣はいつも見ていて、俺もそれを意識していた。1年のバレンタインにチョコをもらった時も、正直、貰えなかったらどうしようかと思っていたくらいだ。
2つ上の姉ちゃんに相談して、ホワイトデーにお返しをしたけど、姉ちゃんのにやけた顔は今でも忘れられない。
なんでそんな顔してんだよ、と言ったら、あんたも同じ顔してるよ、と言われた覚えがある。
高校は、たまたま通いやすい地元の公立が部活も盛んだったのもあるけど、遠くに通うのを心配していた優衣の親が、ここならば、と選んだうちの1校だった。
頼んだ訳ではないけど、優衣は陸上部のマネージャーに志願した。最初渋っていた顧問が熱意に負けて入部を許可してからは、笑顔で毎日頑張っている。
俺は皆にからかわれたけど、隠す必要もないし、何より優衣と過ごす時間が長くって、帰りに送っていける安心感もあった。
とにかく俺は、優衣のことがずっと好きなんだ。
「集合」
準備運動をしていると、顧問が部員を集めた。
タイムの確認だ。優衣の「惜しかったね」という言葉が頭の中で鳴り響く。
まだ2年ある。けれど、2年しかない。
俺は結果を出したくて既に焦っていた。
「お前は、フォームは綺麗なんだけどな」
線の細い俺には、顧問の言う意味はわかっているけど、筋トレで無理しちゃいけないのも身に染みている。
けれど、俺は走る。
走れ、と声が聞こえる。
追い立てられるように、俺は走る。
「はい、チョコレート」
バレンタインの朝、お母さんと姉ちゃんが1つずつチョコをくれた。
「サンキュー」
「本命より小さめにしておいたよ」
出かける準備をしながら姉ちゃんがにやっと笑うけど、3年付き合っている状態だと、家族にも今さら言い返したりしない。2つ上の姉ちゃんは、本来なら受験生だ。でも推薦であっさり決まったから、入学前にと最近毎日教習所に通っている。
「優衣ちゃん、今年も手作りかな」
お父さんははっきり言って俺のおこぼれなわけだが、それでも毎年優衣から貰うチョコを楽しみにしている。
「いってきます」
俺は、普段通りに家を出た。
「おはよう」
家から10分。優衣の自宅から真っ直ぐ進み、1つ角を曲がったところが朝の待ち合わせ場所だ。中学の時に、少しでも見えない場所、でも優衣があまり歩かなくていい場所という理由でここにした。はい、とチョコを渡される。手作りらしいシンプルなラッピング、が2つ。
「中身同じ?」
「うん。あとこれも」
菓子パンが2つ位入ってそうな紙袋は、お母さんと姉ちゃん用だ。俺は苦笑してそれらを通学鞄の中に入れた。
「ホワイトデーにはお菓子じゃなくて、良いタイムをあげたいんだ」
歩きながら、そう優衣に話し出した。優衣は黙って聞いている。
「最近フォームもおかしくなってて。でも今から頑張らないと、優衣や、皆が応援してくれてるのに」
ぴた、と優衣が足を止めた。知らないうちに早足になっていたのか、と慌てて数歩戻る。優衣が、俺の目を見た。
「何に、頑張るの?」
少し怒ったような、顔と声。
「何のために走ってるの?」
優衣の顔が、哀しそうになった。
「私のためなら、走るのはやめて」
立ち尽くす俺の横を、優衣が早足で通りすぎる。そうだ、優衣は一人で歩けるんだ。当たり前だが、今さらながらそんなことを考えた。
その日も結局、帰りは優衣と一緒に帰った。周りからみたらいつも通りだったろう。帰宅してから、お母さんたちに優衣からのチョコを渡す。
「優衣ちゃんも、マメね」
姉ちゃんが袋からの出した生チョコを頬張りながら言う。小学4年の時に家庭科クラブというやつに入った優衣は、6年だった姉ちゃんとそこで一緒に活動している。姉ちゃんは食べる方が好きみたいだけど、優衣はずっと、何かしら作るのが好きなタイプだった。
「元々、作るセンスってのがあるんじゃないの」
俺も、自分用にもらった生チョコを口に入れる。毎年、違うチョコを作るのだ。去年はもっと長い名前の、ケーキみたいなやつだった。
「センスがあるってだけで、味がわからないような彼に何年も手作りチョコを作らないでしょ」
「姉ちゃん、ひでえな」
ひどいのはどっち、と姉ちゃんがさらに言う。
「あんたはたまたま優衣ちゃんが美味しいお菓子を作ってくれるけどね、上手な子でも最初は難しいんだから」
「なにそれ」
はあ、と姉ちゃんがため息をついた。
「優衣ちゃんはきちんと一人で頑張ってるってことよ」
夜、頭の中で言葉がぐるぐると回る。
姉ちゃんは、優衣が進路先に調理師の専門学校を考えていると教えてくれた。俺は初耳だったけど、既に受験というものを経験した姉ちゃんに相談するのは確かにと思ったし、俺が聞いたところで何も言うことはなかっただろう。
私のためなら走るのをやめて。
そう言った優衣は、自分自身のために頑張っているのだ。
ベッドに寝転び天井を見ながら、俺は考える。
自分は誰のために走っているのか。
テストも終わり、終業式間際。ホワイトデーはそんなときにやってくる。
優衣は1ヶ月、変わらず接してくれた。
部活でも、毎日の行き帰りのときも。
「ほらよ」
角を曲がれば家が見える、というところで俺が出した紙袋の中身を見て、優衣は驚いた顔をした。
可愛いラッピングは、市販のものではない。
「…手作り?」
俺は頷き、ふざけた調子で言う。
「どーぞ、召し上がって下さい」
ひとくち、食べた優衣が目を見開いた。
それはネットで見つけた長い名前のケーキのレシピだったけど、見た目と材料を見て美味そうと直感した俺の舌は間違ってはない。
「美味しい!」
「だろ?だてにいつもプロ志望のお菓子を食べてるわけじゃないからな」
あ、と優衣が言った。
「姉ちゃんが教えてくれた。まだ1年だけど、もう、だいたい決まり?」
「うん。あとは学校を選ぼうかなって。いずれ海外にもいけるように」
「そっか」
俺は歩きだす。
「頑張れよ」
うん、と言い、優衣が隣に並んだ。
「集合」
顧問の話を聞くまでもなく、今日はタイムを測る日だ。
テストも、ホワイトデーも終わり、春休みを過ぎたら2年になる。高校で陸上をやるのも、あと、1年ちょっと。
名前を呼ばれ、スタート位置についた。
もともと俺は、中長距離走者だ。一息に焦ることはない。
走れ。
その声は、少しだけ前にある未来の自分のものなのだ。
俺は、走る。
その先へ。
自分のために。




