再会
突っ込んでいたら巻き込まれるところだった。
……いったい誰が?
ちらりとアイリを見ると、ミーシャがアイリを背中に庇うようにして臨戦態勢に入っていた。とりあえずアイリではなさそうだし、あっちはあっちで無事のようだ。
そもそも殺気を感じたのは上空である。俺は空を見上げた。
そこには、人がいた。
ほとんど豆粒にしか見えないが、空を飛んでいる人型の何かだ。
人間が空を飛ぶ、なんてことが――ああ、うん、よくあったな。怪人はたまに空を飛ぶやつがいた。それに、この世界は魔法やスキルとかいうのがあるんだ、空を飛ぶ人間がいてもおかしくない。
俺は、視覚を研ぎ澄ませる。
そこには――騎士をモチーフにしたロボットような『装甲』を身に纏った人間と、それに片腕で抱きかかえられている白衣を着た金髪の女性が居た。
「な……!?」
女性には、ゴールデンレトリバーのような犬耳が付いていた。しかし驚いたのはそこではない。この少女は、俺にとって非常に見覚えのある――因縁のあり過ぎる人物だったからだ。
豆粒のように見えた人影は、落ちてきて、地面に激突するかといったところでふわりとクッションに包まれたかのように速度を緩めて、すとんと静かに地面に足を付けた。
そして抱きかかえられたままの女性が口を開いた。
「ご苦労様、グラキエース。そして――懐かしい顔をみたわね?」
「……なぜ、どうしてここにいる!? ナユタ博士!」
この少女こそ、俺を改造した――秘密結社ビッグオーガ技術顧問、マッドサイエンティストの獅子堂ナユタ博士であった。
ナユタ博士はグラキエース――恐らく、怪人である――から下りて、にっこりと笑った。
「久しぶりね、イグニス! 元気にしてた? メンテナンスはしてるの?」
「その名前で俺を呼ぶな! 質問に答えろ!」
『イグニス』は俺の怪人名だ。ラテン語で『火』という意味らしい。
そしてこの呼び名を知っているということは、コイツは間違いなくナユタ博士本人であるということだった。
「ええと、どうしてここに、だったかしら? それはむしろ私の疑問だと思うのよね。なんでイグニスがここにいるの? 旅行? それとも私が恋しくてついてきちゃったの? そんなに私のおっぱいが恋しかったのかしら、なんてね」
「とぼけるな! お前はアジトの自爆に、重力波の渦に飲まれて跡形もなく消滅したはずだ!」
「ああそれ。別に、自爆に合わせて世界を移動しただけよ。それなりに大変だからもう戻る気はないけどね、死ぬかと思ったし」
……とんでもないことを言われた気がするが、この博士がやったというのなら事実なのだろう。
現にこうしてナユタ博士が目の前にいる以上、「死んだと思っていた奴が生きていた」と、ただそれだけの事だ。死体を確認していなかった以上、さほど珍しい事でもない。
現に俺もトラックにはねられて死んだと思っていたがこうして生きている。
尚、ビッグオーガの総帥はこの手で確認したので、確実に死んでいる。
「と言っても、もうあっちに戻る気はないけどね。イグニスは?」
「俺は――俺も戻る気はない。……今はこの世界で、体を治すために金を稼いでいるところだ」
「ん? そうなんだ。じゃあ直してあげましょうか? 元の、人間に」
あっけらかんと、そんなことを言うナユタ博士。
――一瞬心が揺らぎかけたが、信用はできない。彼女のもつ技術的には可能だろうが、この体を明け渡したら今度こそ洗脳までされてしまうのではないか。そういう気持ちの方が圧倒的に強い。
「ふふ、嫌かしら?」
「当り前だ! お前が、何人の人を不幸に陥れたと……!」
「私は私の仕事をしただけよ。イグニスだってビッグオーガの総帥を不幸に陥れたんでしょう? それとおんなじ。……あなたが食べるために殺された家畜は不幸ではないの?」
ナユタ博士はにやりと微笑む。正義のジレンマ、飢えに苦しんだ子供が店先のリンゴを盗むのは悪か否かといった問答に近いものだ。だが――
「その手の問答を俺が考えたことが無いとでも思ったか! 俺が守る対象は俺が人間と見なしている者、かつ他者の現状もしくは努力を極力阻害しようとしない者、そして戦うことができない力なき者! 俺は俺の手が届く限りを助けるだけだ! その上で! お前が何人の人を不幸に陥れたと思っている!」
「……あら意外。正義の味方を名乗ってる奴は悪の組織の不幸を考慮しないお馬鹿さんばかりだと思ってたけどちゃんと自分の考えを持ってたのね。偉いわ」
近寄って頭を撫でてこようとしたナユタ博士。手を払って距離をとる。
「お前は自分の意思で悪に加担していた。どこに信用できる要素がある?」
「だって私、耳が犬耳でしょう? あっちではイジメられてたの。それはそれはひどい目に遭わされて、人間扱いなんてされなかったわ。服だってビッグオーガの総帥がくれたこの白衣とやたら胸の目立つタートルネックの縦セタくらいしか持ってないし。……そんなだから、私が手伝ったのは、そう、仕方なかったのよ」
およよ、とわざとらしい泣き真似をするナユタ博士。
ひどく胡散臭い演劇を見ているかのように感じるのは、多分俺の気のせいではないだろう。
「でもニヒル――この世界には獣人がいるでしょう? だからこの世界で私は普通の人間よ。……今は私、見た目がちょっとおかしいからってこの世界でイジメられてる人たちのコミュニティで暮らしてるの。お友達もたくさんできて、とっても幸せよ。もう悪いことなんてしないわ――さ、どう? これで私はあなたの言う無辜の一般人、しかもあなたの大好きな弱者よ? 信じてくれる?」
「なるほど、確かにそうやって見ればお前は弱者かもしれない」
しかし――それでも俺は、ナユタ博士を信じることはできない。
「だが、弱者が弱者であることを武器にした時点で、それは既に戦う人間だ! その上で俺がお前を気に食わない、だから信じない」
「あらまぁ、随分と嫌われちゃったものね」
くすくすと笑うナユタ博士。
見た目こそは華奢な女の子だが、――俺の知る限り、最も危険な人物。鼻歌を歌いながらメスをふるい、人を人非ざる者へと改造していくマッドサイエンティスト。それが俺の知っているナユタ博士だ。
「ひとつ訂正しよう、お前のどこが弱者だ……」
「あらひどい。こんなにか弱くて可愛い女の子を」
「連れは怪人だろう。お前の、新しい犠牲者か」
「彼は自ら望んで怪人になったのよ。この世界は強い方が偉いからみんな大喜び。もちろん、デメリットだって説明してその上でよ? インフォームド・コンセントってやつね。……まさかこれが悪い事だなんていわないわよね? 岩を砕けない腕しかない子の腕を交換するだなんて、足の無い子に義足を作るようなものよ……で、それでも今は順番待ちが起きててね。今日はその素材を狩りにここまできたの」
ナユタ博士はにっこり笑う。
確かに、改造された側がデメリットを受け入れた上で喜んでいるのであれば『悪』とは言いにくい……
と、そこにナップサックのような袋を右肩に担いだ怪人グラキエースが戻ってきた。
「ああ、仕舞い終わった? それじゃあ帰りましょうかグラキエース。帰り道にいいのがあれば、それも狩って行きましょう」
「待て!」
「じゃあねイグニス。今度会うときはお茶にでも誘って頂戴?」
グラキエースの左腕に、来た時と同じように抱えられるナユタ博士。
グラキエースはどういう力を使っているのか分からないがふわりと浮き上がり、ひゅん、と上空にとび上がって行った。
……今ここで撃ち殺した方が良いんじゃないか、とも考えたが、先ほどのナユタ博士の発言、『嘘』は言っていなかったように思える。……殺すほどの相手かどうか、確信が持てなかった。
こう思う事自体、既にナユタ博士の術中なのだろう……
俺は、ぎりりとカエンセイバーを握りしめ、それを見送るしかなかった。
って、あいつらスノードラゴンを丸々持って行きやがった! 横殴りの泥棒じゃないか!
あの袋、マジックバッグか。……次会ったらぶん殴る名目ができたな……
(「死体を確認したから退場したと、いつから錯覚していた?」とか言って出てきそうですよね。異世界転生とかあると)