君を、
時は、遡ること一年前。
魔王城では、その日も甘ったるい空気が漂っていた。
(いたいた)
中庭に探していた人影を見つけて、コウは後ろからゆっくりと近づいて行った。柔らかい草がコウの足音を吸収してしまい、人影はこちらには気づかない。両手でその人の目を覆い隠すと、拍子に闇色の耳飾りが揺れた。
『だーれだ?』
『わっ!』
驚いたその人は、びくりと肩を跳ね上げた。しかし、すぐに笑い出す。
『こら、コウ。脅かすな』
『あれ、もうばれた?』
『当たり前。何回目だと思ってる』
『ははは、ヤミには敵わないな』
悪かったと、コウは手を外した。解放されたヤミは、くるりと振り向くと、抱えていたものを差し出した。
『これは?』
『コウのために摘んだ。花、綺麗だったから』
それは、野花を寄せ集めた小さな花束だった。色とりどりの花が集まった様子は、まるで宝箱のようだ。コウは、目を瞬かせた後破顔した。
『ありがとう、ヤミ』
そして、いつものように恋人の額に口づけを落とした。恥ずかしそうにしながらも、ヤミもコウの頬に口づけを返す。そして、目と目で見つめあった。
花を一本抜き取り漆黒の髪に飾ると、ヤミが嬉しそうにほほ笑んだ。
『コウ、大好き』
『俺もだよ』
二人は、手をつないで城の回廊を歩き始めた。もともと、コウはヤミを執務室に呼び戻すためにやってきたのだ。あまりにも可愛らしい姿に、その用事もしばらく忘れてしまっていたが。そろそろキースが胃痛に呻いていることだろう。
『……あのな、コウ』
『ん?』
次の角を曲がれば目的地、というところで、ヤミが急に立ち止まった。どうしたのかと、コウは振り向く。そこには、思いつめたような顔のヤミがいた。怒った顔はわりと目にするが、こんな顔は珍しいなと思う。
『どうしたんだ?何か悩み事だったら、言ってみな。俺にできることなら、なんだってするよ』
『…こないだ、フラーズが話してた』
その時点で、コウは何やら不穏な空気を感じ取ってはいた。何せ、あのオカマ野郎が関わって得したことなど、一度もなかったからだ。しかし、愛しいヤミの悩みだ。聞かないわけにはいかなかった。
(余計なこと言ってたら、すりつぶしてケルベロスの餌にしてやる)
そう心に決めながら、黒い考えなどみじんも感じ取れない笑顔をヤミに向ける。ヤミは、ゆっくりと口を開いた。
『記憶失って、それでも思い出せたら、それは本物の愛』
そこでヤミは、不安そうにコウを見上げた。そっと、コウの金の耳飾りに触れる。三年前、コウがお揃いで作らせたものだった。
『コウは、思い出す?私のこと、愛してる?』
(なんだ、そんなことか)
ほっとしながらも、コウは目の前の恋人がかわいくて仕方なかった。不安でうるんでいる瞳は、正直誘っているようにも見えた。このまま食べてしまいたいという衝動に襲われたが、ヤミが悩んだままなのは嫌だった。
だから、コウは満面の笑みで言ったのだ。
『もちろん。たとえ記憶を失っても、きっと思い出すよ』
本心からの言葉に、ヤミの強張っていた顔がほころんだ。ぎゅうっとコウに抱きついてくる。
『よかった。それなら、思い出せ』
恋人の抱擁に気分を良くしていたコウは、「え?」と困惑した表情を見せた。それには構わず、ヤミは細い腕を突き出した。
『待ってる』
その意味も解さぬまま、コウの意識は遠くなった。
***
「―――……そして、記憶を失ったコウ様は、魔王陛下がお飛ばしになった辺境の地でお目覚めになりました。あとは皆様ご存じのとおりです」
語り終えたキースは、そのまま濃厚なラブシーンの鑑賞に戻った。
「ああ!!いつもは『リア充爆発しろ!』とか思ってましたけど、一年ぶりに見ると感慨深いものがありますね…。これからは、お二人がすれ違うように城中総出で画策したりするのはやめましょう。まあ、元々そんなものではどうにもできないラブラブっぷりでしたしね」
ほう、とうっとりしているキースの後ろで、ミルンが米神をもんだ。先ほどから頭痛が止まらない。バーリオは、すでに考えることを放棄したようだ。自分が最後の砦なのだ。頑張れ、私。
「…つまり、何かなぁ?これは、全世界を巻き込んだ、壮大な惚気だったっていうことでいいのかなぁ?」
否定されることを期待した言葉を、笑顔で肯定するキース。
「はいっ!そんな感じでございます。いや~、馬鹿にしておりましたけど、愛の力ってすごいですねえ。コウ様の場合は、溺愛しすぎな気もしますが」
目に入れても痛くない、どころか目に進んで入れようとするだろう。生まれた時から二人を知っているキースとしては、それは単なる事実でしかなかった。だが、記憶を失ってからのコウしか知らないミルンとしては、あまりにも信じがたいことだった。
「そもそも、なんで人間のコーちゃんと魔王陛下が恋仲だったのかなぁ?魔物と人間の交流はないはずだよねぇ」
「ああ、それでしたら説明いたします。実はコウ様、種族としては人間ですが、生まれも育ちも魔王城なんでございます」
思いもよらない真実に、ミルンは目をむいた。一体どういうことなのか。
「代々魔王を輩出してきた一族には、とある言い伝えがありまして。それは、『魔王が生まれるとき、対となる金の人間も生まれる』というものなのです。そしてこう続きます。『その人間は、人であって人にない。限りなく魔に近いものだ。世界に災いが起きぬよう、魔王と金の人をともに育てよ』と伝わっているのです。ですから私たちは、占い婆により判明したコウ様のお母上をお連れしたのでございます」
「母親って…。コーちゃんの父親は?」
「すでにお亡くなりになられていたようです。魔王の対となる人間は、出産の際に多大なエネルギーを必要としますから、お母上もコウ様をお産みになった後に……。ですから、残されたコウ様は魔王陛下とともにご成長なさったのです」
ミルンは、ふむ、と頷いた。筋は通っているし、嘘ではないようだ。コウの規格外の能力も、魔王とかかわっているからだと考えれば納得がいく。しかし、そこで後ろから声がかかる。顔を上げると、白目を剝いていたはずのセフィの姿があった。その顔色は真っ青だが、眼力は怖いほどに鋭い。
「話は分かったわ。それでもね、私にはコウとあの化け物が恋仲だなんて信じたくないのよ!あんな醜い魔物と人間が結ばれるわけないでしょう?!」
今にも胸倉に掴み掛らん勢いに、キースはキョトンと首をかしげた。ミルンにはセフィの気持ちがわかったが、彼には何のことか理解できなかったからだ。
「醜い魔物……?」
「そうよ!臭いし不細工だし、あんなのより私のほうがマシじゃない?!」
取り乱し、言葉遣いも荒くなるセフィ。普段は優しく穏やかな彼女だからこそ、ミルンにはセフィの思いの強さが伝わってきた。
(確かに、コーちゃんがあの魔物と…、とは思いたくないよねぇ)
せめて人型だったなら、と思っていると、ぽんとキースが手を打った。
「申し訳ございません。幻術を解くのを忘れておりました」
「幻術…?」
「はい」
そう言うと、キースは黒竜の方に手を突き出し、「解」と唱えた。すると、竜の周りがぼやけていく。どうやら本当の姿は違うらしい。そこで、ミルンは首をかしげた。
「どうして幻術なんかかけたのかなぁ?」
「それは、虫よけのためでございますよ」
「虫よけ?」
「はい。コウ様がご不在の間に、億が一陛下にちょっかいをかけるものが現れたらいけませんから。そんなことになったら、魔界が破壊されます」
「…へぇ」
話しているうちに魔王の姿がはっきりしてきた。そして、その真の姿を目にした途端、ミルンは目を剝き、セフィは今度こそ気絶した。
そこにあったのは、コウと黒髪の少女が抱き合って熱烈なキスを交わしている光景だった。花が咲き、ピンクのムード漂う景色は、先ほどとは違う意味で目に痛かった。口をぽかんと開けたままのミルンの横で、思考回路がようやっと回復したバーリオが呟いた。
「…普通の女子だったのだな」
いろいろと物申したいことはあったが、ミルンは一つだけ尋ねることにした。
「それで、世界の危機は逃れたのかなぁ?」
「あ、はい。もう、大丈夫でございます。陛下も落ち着かれたようですし」
気絶しているチックとセフィ。遠い目をしたバーリオ。ニコニコと笑うキース。
相変わらず混沌な世界に気が遠くなりつつも、ミルンは無理やり口角を上げた。
「世界が平和で、何よりだねぇ」
*****
ヤミは待っていた。自身の髪より暗い闇の中を、ひたすらに待っていた。
「陛下、そろそろ出ていらしてください」
幾分かやつれたキースが声をかけてくる。泣きそうな声に少しだけ心が動いたが、それでもヤミは顔を上げなかった。
(だって、光なんてない。コウがいない世界に)
記憶を取り上げるなんて、やらなければよかった。あのあと、事情を聞いた臣下たちにしこたま怒られた。あの時素直に従って、コウを呼び戻してればよかった。
(でも、約束した)
してしまった。コウは約束を破る人が嫌いだから、ヤミには待つという選択肢しかなかった。自分は闇で、コウは光。生まれながらに対の存在に嫌われなどしたら、自分は絶望して世界を滅ぼしてしまうだろう。それは、コウが記憶を取り戻さなかった場合も同じだ。
(まだ、大丈夫。待てる)
さみしい。でも泣いてはいけない。自分が悲しむと、人間の住む外の世界にも影響が出る。人の命を奪うことは、嫌だった。それは、人であるコウを軽視することと同じだから。
片耳の耳飾りにそっと触れる。もう片方は、愛しいあの人に渡してきた。
(思い出して)
愛しい人。自分を愛してくれた人。永久に共にと誓ってくれた人。
ゆるりと瞼を下した魔王は、金色の少年に早く抱きしめてほしいと願った。
*****
「それじゃあコーちゃん。私たちは帰るよぅ」
「…世話になった」
魔王城の門前に立ったミルンとバーリオは、それぞれ別れを告げた。名残惜しそうではあるが、すっきりとした顔をしている。
「俺はまだ、認めたわけじゃないっすよ」
「そうよ。魔王と交際なんて許さないんだから」
対照的に、不機嫌な顔をしているのはセフィとチックだ。精神的な大ダメージからは何とか立ち直ったものの、コウに恋人がいたという事実は受け入れがたいらしい。それでも、魔王城に滞在した一週間ほどで見せつけられたピンクな光景に、諦めている部分もあったのだが。
「うう。コウが常春頭なんて信じたくないわ」
「俺、ここでの思い出、兄貴と魔王のキスシーンしかないっす」
朝からキス。昼でもキス。夜もキス。たとえそれが廊下であっても、二人には関係ないようだった。しかも夜はキスだけで済んだか怪しいところだ。それほどにコウの溺愛の程度はすさまじかった。特に、ヤミに近づくたび殺気を向けられたチックはそれを肌で感じていた。
「まあ、兄貴なら殺気すらもご褒美ですけどね!」
「チーちゃん、そろそろ戻ろうかぁ。そこは入ったらいけない世界だよぅ」
ミルンはチックの耳を引っ張り、先にたたずむバーリオの元まで引きずって行った。それをげんなりと見ていたセフィに、声がかかる。
「今までありがとうな、セフィ」
「コウ……」
セフィは、その笑顔に拳を握りしめた。一年分の恋心は、まだ消えてはくれない。望みはないとわかってはいても、好きだった。
(コウはちっとも気が付いてなかったようだけど)
恋は盲目とはよく言ったものだ。本当に、隣の恋人のことしか眼中にないらしい。魔族も大変だなあと、憐憫の心を抱いた。
「私たちの旅は無駄だったみたいだけどね」
「あー、それは本当に悪かったよ。だから、説教も平手も甘んじて受けただろう?」
聞き逃した全ての真相を知ったセフィとチックは、思わずコウを一発ずつ殴ったのだった。
「そのあと、殴られた怪我を理由に部屋でイチャイチャしてた人は、どこのどいつだったかしら?」
「あははー」
コウが目線をそらした。その様子を、隣にたたずんでいたヤミが呆れたように見ている。
「陛下、コウ様、そろそろでございます」
キースの言葉に、コウがはっとパーティーに向き直った。歩を進め、仲間たちの目の前に立つ。四人の顔をゆっくりと眺めた後、深々と頭を下げた。
「皆、今まで本当にありがとう。そして、迷惑をかけてすまなかった」
そのまま頭を下げ続けるコウに、仲間たちは顔を見合わせる。そして苦笑した。セフィが頭を上げるようにコウを促した。
「もういいわよ。言ったでしょ、コウと旅したことを後悔なんてしないって」
「それに、恋人にはドロドロに甘いコーちゃんも見れたわけだしねぇ」
「…気にするな」
「兄貴、俺にも甘い顔してくださっ」
笑顔のままチックを黙らせたコウは、再度仲間たちの顔を順々に見た。確かにヤミへの愛が大きかったこともあるけれど、それでも記憶を取り戻せたのはこの4人のおかげでもあるのだから。
「さよなら」
四人とコウの間を、一陣の風が吹き抜けた。
「ぜひ、またお越しください」
「ふふふ、その時はガールズトークでもしましょうね」
「フラーズ兄様なんかほっといて、我と遊ぶのじゃ!」
すっかり仲良くなってしまった三本柱が、口々に別れを言い、手を振った。それに応えながら、四人は歩き始めた。
後ろで、コウと魔物たちが見送っているのがわかる。
(さよなら、か)
永遠の別れではないとわかってはいても、これが旅の終わりだと思うと寂しかった。肩を落とすセフィの手を、ミルンがそっと包み込む。
「大丈夫。また会えるよぅ」
顔を上げると、チックとバーリオがほほ笑んでいた。別れの言葉は、さよならではなく、また会おうという意味なのだと。
「……そうね」
空は青くて、白い雲が流れている。風は世界を巡って、木々はざわめき小鳥は歌っている。そう、世界はつづいているのだから。
いつもと変わらぬ景色を感じて、五人は笑った。
完
完結が遅くなり、大変申し訳ありませんでした!そして、ここまで読んでいただきありがとうございました!
見切り発車で書きたいことを書いただけなので、矛盾点も多いかと思います。プロットを書かなかったのは初めてなので、不安です。しかし、そこは華麗にスルーしてくださいませ!
楽しかったです!ありがとうございました!!
謎解き→1~5話のタイトルの頭文字をつないで、6話タイトルの後ろにつけると…。