図書館 後
「ほんじゃ、続きやるか」
そんな声が聞こえたから、僕は机に戻った。
「あれ、さっきの彼は?」
向かいに居た筈の、隣のクラスの彼が居ない。
「ああ、彼奴はちょっと向かいのコンビニ行ってくるって」
「ああ、そう」
僕は椅子に座って、また小説を開く。
「……ねえ、ちょっと騒がしくない?」
「ん? ああ、そういやそうだな……」
クラスメイトが立ち上がって、窓に近付く。僕もそっちに視線を向けた。
図書館の前には、人だかりができていた。ばたばたと、図書館に一人、その野次馬の一人が駆けこんで来る。その人は隣の机で勉強していた学生に駆け寄って耳打ちしていた。
「事故だって、学生が、車に轢かれたって!」
学生。その言葉に、僕はクラスメイトを見る。案の青い顔だ。僕達は荷物もそのままに図書館を飛び出した。
人だかりを掻き分けて、向かいのコンビニの前、事故現場に走る。救急車と警察のサイレンの音が聞こえてきていた。
「翼っ!」
クラスメイトは必死になって、人ごみの向こうの彼に呼びかける。人と人の間からちらっと見えたのは、やっぱり、隣のクラスの彼だった。
救急車が到着して、一しきりの騒ぎが終わって、僕達は呆然としてそこに立ち尽くしていた。現場に居合わせた訳でも無し、僕らは只の傍観者だった。
「……これ、」
クラスメイトが、何かを拾う。それは確か……彼が使っていた、手帳だった。手帳のしおりを挟もうと、手帳を開く。僕はその手帳を見て、
「え?」
思わず、絶句した。
八月二十五日―――明日。そこに、『風花に会う』と書かれていた。
予定が在るからと、クラスメイトに彼の手帳を押し付けられた。僕は仕方なく、丘の上の病院に向かう。外科から内科から精神科、全部が揃っている総合病院だ。学期始めの始業式は午前中で終わって、帰宅部の僕に面倒が押し付けられるのは、仕方ないのかも知れないけど。
ここの病院は街唯一の病院だから、確か、風花さんも入院していた筈だ。風花さんは、去年の夏に少し学校に来たほかは、殆ど入院している。
受付で病室を聞いて、古いエレベーターに乗る。続いて乗って来る人の為に開けるのボタンを押していると、病院服を着た女の人が乗って来た。
「……風花さん?」
「へっ?」
僕の間抜けな言葉に、風花さんは驚いたように僕を見上げる。それから凄く嫌そうな顔をしたけれど、僕が持っていた手帳を見て顔色を変えた。
「翼……あなた、翼を知ってるの!?」
がしっ、と風花さんが僕の手を―――というよりは、僕の持っている手帳を掴む。
「え、ええと、顔見知り程度ですけど」
「どこ、何処なの!?」
風花さんが僕に詰め寄ってきて、僕は何と言ったらいいか分からなくておどおどする。丁度その時、エレベーターが目的の階に付いた。
「か、彼は……今から、会いに行くところ、です」
正直、手帳を置きに来ただけなんだけどな。風花さんは迷わずに僕に付いて来た。
一目惚れした人と、運命的な再会を果たした訳だけど。何だろう、びっくりするほど、嬉しくない。
病室に入ると、白いベッドに彼が横になっていた。
「翼!」
風花さんが、その姿を見るなり駆け寄っていく。
「嘘、嘘……あれが夢じゃなかったなんて、そんな……」
風花さんは彼の頬に手を添えていた。泣きそうに崩れた表情は、高校の屋上で会ったあの日とは全然違う。
……何だよ、コレ。まるで僕は道化じゃないか。
僕が恋した風花さんは、彼に恋をしていた風花さんだったんだ。要するに失恋なんだろうけど、どうしても、腑に落ちない。
風花さんの名前も、噂すら彼は知らなかったのに。
「……これ、彼のだから」
僕は手帳を置いて、病室を出る。向かったのは、隣の棟の屋上だ。少し、風に当たりたい。
蒸し暑い熱風が吹く屋上は、白くて眩しい。それが、目も眩むような夏の空と真逆の色をしていて、僕は一瞬、異世界に迷い込んだんじゃないかと錯覚した。
僕はフェンスを掴んで街を見下ろす。
生まれて初めての恋は、こんな雑なエンディングで、僕は笑えない。それでもまさか、死のうだなんて思っちゃいないけど。
ちょっとくらい、泣いてもいいよね?
背後でドアが開く音がして、僕は振り返らないで目を擦る。情けない泣き顔なんて、流石に誰かに見られたくない。屋上に入ってきた誰かは、僕の隣に来てフェンスに手を掛けた。
「……風花さん」
「お礼、言ってなかったから」
風花さんは街に視線を向けたまま、ぽつりと言った。
「手帳、ありがとう。……この一年、生きてきたことが、無駄じゃないって分かったから」
「……別に」
ちらっ、と風花さんを見て、僕は思わず息を飲む。風花さんは、綺麗な目を真っ赤にはらして、泣いていた。
「……え」
風花さんはむすっとした不機嫌そうな表情のまま、涙を乱暴に拭い去る。
「……翼には、秘密にして。弱い所なんか見られたくない」
「……別に、それは構わない……です、けど」
どうしよう、と僕はその横顔を見詰める。
どうにかして諦めようとした矢先に、こんなもの見せられるなんて。
僕は緩く唇を噛んで、風花さんの肩を撫でようとした自分の手を握る。そして、踵を返して屋上を後にした。
病室に戻ると、まだ彼は眠り続けていた。
「……戻ってきてよ翼君」
僕は彼のベッドの横に立って、午後の陽ざしに照らされるその顔を見る。
妬ましいよ、勿論。だけど、僕が好きな風花さんが一番必要としているのは、君なんだよ。
帰ってこないなら、僕が彼女を振り向かせちゃうよ。君には見せたくない泣き顔を、僕は知ってるんだから。
二学期が始まって一ヶ月くらい経った頃、隣のクラスの友人に呼ばれて屋上に向かった。学校の屋上って、立ち入り禁止じゃなかったっけ。
先に来ていた翼君は、弁当を小さく掲げて僕を手招きした。
「良かった、相談したいことが在ったんだよ」
「君友達居ないの」
「恥ずかしながら」
僕の皮肉にも、翼君は笑顔で即答した。何と言うか、相変わらず人の好さがにじみ出てる。
「……風花さんの事なんだけど」
そう翼君が言った瞬間、びしっ、と僕は自分の顔面が引き攣るのを感じた。
「……何?」
「僕、風花さんのこと好きなんだけどさ。……風花さんって、誰か好きな人、居るのかな?」
ぶん殴ってやろうか。
「……居るんじゃ、ないの」
「……そっかあ」
翼君はそして、へらっ、と笑った。
「何でそんなこと、僕に」
「いや、君なら、真面目に聞いてくれるんじゃないかなって――――怒ってる?」
「あんまり、ふざけてると……横から奪っていくよ?」
僕は弁当を閉じて立ち上がる。そして翼君を、正面から指さした。
「僕も、風花さんが好きだ。だから翼君がもたもたしてたら、奪っていくからね」
そう言って――――きょとん、とした翼君の顔を見て、思わず笑う。
ああすっきりした。僕が入る余地が無いとか、ぐちゃぐちゃ考えなくて、良いじゃないか。
同じ人を好きになった同士なんだから、仲良くやっていこうよ。別に、難しいこと考えても仕方がないんだから。
そう言おうとして、翼君は察してくれたらしい。立ち上がって、夏の風が吹き抜ける屋上で、翼君は笑った。
「そうだね」
負けないよ、と言い残して、翼君は屋上を出ていく。
……負けてるんだけどさ、僕は、もう。翼君が気付くまでは、セーフだよね。
言い訳じみてるかもしれないけど、僕もそこまで大人じゃないから。
僕はドアを閉めて、屋上を後にした。




