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名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

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第四十四話 落とした標章

 東門が開く前に集まったのは、七人だった。ニルスさんと町兵が三人。僕と父さんとセラだ。四人の兵は、もともと東の橋まで続く道を見回る役目だった。僕たちは、その巡回へ加わる。若い使者の標章を探すためだけに、町の兵が増えたわけではない。


 ニルスさんは長槍を持ち、腰へ白い布を結んでいた。前日の矢文を回収した兵もいる。


「外へ出るのは七人。俺と兵三人が前と左右。ヨルンは子ども二人の後ろだ」


「子ども二人とは、私たちのことですか」


 セラが聞くと、ニルスさんは地図から顔を上げなかった。


「十三と十二は、こっちでは子どもだ」


「冠灯院では見習い灯葬士です」


「なら、見習い一人と子ども一人だ」


 セラは銀の鐘を布の上から押さえ、口を閉じた。頬が少し膨らんでいるように見える。父さんが僕を見たので、笑わずにニルスさんの地図へ顔を戻す。


 ニルスさんが地図の上へ指を置いた。


「今回も橋まで行けるとは限らん。新しい獣の跡があれば、そこで戻る。カイは俺の後ろから出るな」


 僕がうなずいたのを確認した後、地図の平たい石を指でたたき、そこから東門まで線を引き直す。


「調べるのはこの石までだ。獣が一体でも出れば、兵が前を止めて全員で戻る。二体なら角笛を二度鳴らす。探し物が目の前にあっても拾うな」


「分かりました」


 父さんが僕の背へ、畳んだ手紙を入れた革袋を結び直す。村へ渡す返事だ。


「何かを見つけても、戻る道を先に見る」


「うん」


 門の横では、術者が壁へ刻まれた線に両手を当てていた。魔力が流れると青白い筋が門の左右へ走り、開ける部分だけが暗く残る。


「閉じたら、線をつなぎ直します。戻る時は戸を三度たたいてください」


 重い閂が外れ、朝の冷たい風が入った。


 青白い線が門の中央で途切れ、外の光が縦に広がっていく。術者が完全に開いたとうなずくまで、ニルスさんは誰も敷居へ近づけさせなかった。


 柵の前には、十体の灰の獣が崩れた跡が残っていた。風で薄くなっても、一日では消えていない。


 先頭の兵が長い棒で灰をかき分ける。青い核は残っておらず、灰が形を戻す様子もなかった。それでも全員が通り終えるまで、ニルスさんは槍を下げない。


 僕たちは二列になって東へ進んだ。ニルスさんが前、兵二人が左右。僕とセラの後ろに父さんが付き、最後の兵は門との間を見た。


 古い道は、今の畑の間へ斜めに埋もれている。槍の人の記憶では、若い使者はその道を東へ走った。石の角が土から少しずつ出ており、実際には緩く下っている。


 記憶の中には畑がなかった。崩れた壁と踏み固められた土だけで、若い使者の背中は人の間を縫っていた。今は畝(うね)が道を何度も横切り、乾いた茎が足へ当たる。残った石の並びだけをつなげると、昔の道が見えてきた。


「次の畝を左です」


 僕が言うと、ニルスさんは兵一人を先へ出した。長い棒で草むらと土の陰を確かめる。棒の先が石へ当たるたび、後ろの全員が音のした場所を見た。兵が片手を上げてから、列が次の畝へ入る。


 平たい石まで半分ほど来た時、セラが止まった。


「鐘が返っています」


 ニルスさんが長槍を構える。


「どこだ」


「右前です。まとまった残火があります」


 僕にも見えた。壊れた石囲いの下で、青い火が一つ揺れている。青い火は人の拳ほどに広がり、その根元は土の中へ半分埋もれていた。


「人の火だと思います」


「今日は触れん」


 ニルスさんは先へ出ようとせず、左右の兵へ目を向けた。二人が草むらと帰り道を確かめてから、腰の白い布を棒へ結ぶ。離れた場所からでも見えるよう、道の石の隙間へ立てた。


「場所だけ残す。巡回を続けるぞ」


 名簿の三つ目の欄が頭に浮かんだ。あの火が、そこへ書かれた誰かのものかは分からない。百年以上前から残っている火かもしれない。


 紙へ、東門から歩いた向きと、石囲いまでの畝の数を書く。名前の欄には何も入れなかった。見つけた火を全部追えば、決めた役目から外れてしまう。白い布の位置をもう一度確かめ、列へ戻った。


          ◇


 平たい石は、思っていたより大きかった。畑へ埋もれた部分を含めれば、荷車一台ぶんほどある。表面には、何か重い物を引きずった溝が残っていた。昔の荷車の鉄輪が、道の外へ半分埋まっている。


「百年以上も残るんですか」


「普通の鉄の輪なら残らん。おそらく、当時の魔術で耐久性を上げてあったんだろう」


 父さんが答えた。溝は平たい石の中央から左へ外れ、鉄輪のところで途切れている。記憶の中で若い使者がよけた向きと同じだった。


「あの使者は、ここで左へよけました」


 槍の人の記憶では、若い使者の背中が石の手前で左へ外れ、その先で小さくなった。灰の獣に襲われたところも、標章を落としたところも見ていない。


「この石の周りまでです。ここから先は分かりません」


 すぐに手で掘らず、兵二人が石の外側から棒を入れた。何も潜んでいないことを確かめた場所へ、父さんが短い枝を置く。調べた範囲を重ねず、少しずつ輪を狭めていった。


 セラは銀の鐘へ手を添えたまま、足を止めるたびに返りを確かめている。青い火は見えない。けれど探しているのは、若い使者が死んだ場所ではなく、走る途中で落とした標章だ。


「火がなくても、標章が無いとは決められないよね」


「持ち主が先へ走ったならな」


 父さんの返事を聞き、平たい石の左側へ目を戻した。


 町兵が棒で灰を払う。新しい獣の足跡が古い道を横切り、その下から緑色の点がのぞいていた。指先ほどの金具だった。周りの土を薄くよけると、円い板の縁が現れる。


 その板にも、翼を折りたたんだ鳥の印があった。


「標章だ」


 土を吸った金属は緑がかり、鳥の翼にも細い泥が詰まっていた。それでも印の線は消えていない。僕の指が布の手前まで動き、そこで止まる。


 僕は手を出さなかった。父さんが布を一枚敷き、町兵が板をその上へ持ち上げる。セラが布を詰めた銀の鐘を近づけた。


「反応はありません」


 青い火も見えない。


 表面の土を払っても、右の縁は欠けていなかった。代わりに、短く残った鎖の先が開き、留め具だけが外側へ曲がっている。壁際で見つけた標章とは、壊れた場所が違った。


 鎖の先に残る土は、道の灰より色が濃い。平たい石の脇へ落ち、その上から長い時間をかけて土が重なった跡に見えた。ただし、これも持ち主を決める証拠にはしなかった。


 この留め具の曲がり方は、獣の爪へ引かれた時にもできそうだった。それも今は、考えたことの欄へ置く。


 ニルスさんは平たい石から標章までの歩数を兵に測らせた。別の兵が、足跡と円い板の位置を紙へ写す。持ち帰った後に土を落としても、見つけた時の場所と向きは残せる。


「若い使者が落とした物かな」


「それは、まだ分からんだろう」


 父さんが言う。


「うん。確かなのは、ここに落ちていたことと、留め具が折れていることだけだね」


 それでも、二つの標章が同じ物ではないことは、誰にでも見せられる。ニルスさんが新しい布で包み、袋へ収めた。


「先へ行く」


 見回りの役目は、まだ終わっていない。


          ◇


 平たい石を越えると、土の上に新しい跡が増えた。四本脚の浅い跡が、日陰ではなく道の中央まで続いている。灰の獣だ。古い跡と、新しい跡が混じっていた。


 古い跡は縁が崩れ、乾いた土が中へ落ちている。新しい跡には、爪の先まで形が残っていた。先頭の兵が新しい方へ棒を添えると、爪先は東へ向いている。


 その間を、細長い六つのくぼみが横切っている。


「白喰いです」


 セラがしゃがみ、二列の跡を見比べた。


「大きさが違います。二体いる可能性があります」


 一方は、村で見た白喰いと同じくらいだった。もう一方は前脚の間が少し狭い。重なったところでも、深さと歩幅が違っている。


 跡は橋へ続く道と、白い布を立てた石囲いの方へ分かれていた。その先で、石が転がる音がした。


 ニルスさんが片手を上げた。全員が止まる。


 左右の兵が中央へ寄り、短槍の穂先を外へ向けた。父さんの手が僕の肩へ触れ、セラは銀の鐘を押さえたまま立ち上がる。誰も音のした方へ確かめに行かなかった。


 道の先、陽の当たる斜面で灰が一度だけ立ち上がり、低い石壁の向こうへ消えた。


「戻るぞ」


「手紙は」


「今日は渡せん。全員無事で帰ることが最優先だ」


 僕は革袋を押さえた。村へ続く道は見えた。けれど、灰の獣と、二体らしい白喰いの跡が、その間にある。


 返事は急がなくていいと、昨日ニルスさんが言っていた。標章も手紙も持ったまま、七人で門へ戻る。ここから先へ進む理由はなかった。


 帰り道、白い布を立てた場所でも一度止まった。先ほど無かった足跡が増えていないことを兵が確かめる。青い火は、まだ石囲いの下にあった。


「場所は覚えました」


「明日以降だ」


 東門へ戻るまで、角笛は鳴らさなかった。最後尾の兵が何度も後ろを確かめ、戸を三度たたく。内側で閂が動き、七人が順に敷居を越えた。全員が入った後、術者が開いていた線をつなぎ直した。


 青白い筋が門の中央で結ばれるまで、ニルスさんは人数を二度数えた。僕も父さんとセラの姿を確かめる。柵の前の灰の跡が、閉じていく戸の隙間から最後まで見えていた。


 外にいた時間は長くない。誰も戦わず、誰も怪我をせず、決めた範囲から二つ目の標章を持ち帰った。


          ◇


 評定の部屋で標章を並べると、違いははっきりした。


 ザハルさんと記録庫の老人が、布を挟んだまま二つの向きをそろえた。東で見つけた方には土を残してある。ニルスさんの兵が写した発見場所の紙も、その隣へ置かれた。


 一つは右の縁が欠け、門から走った使者の火が残っていた。もう一つは縁が欠けておらず、東の古道に落ち、鎖の留め具が折れている。火はない。


 同じ鳥の印でも、傷も、見つかった場所も違う。誰も東の標章を若い使者の物だとは書かなかった。分かることだけを先に残す。


 僕は《灯名帳》へ書く。


 ――標章は二つある。東の標章は、若い使者が走った道に落ちていた。若い使者が命令を届けたかは、まだ分からない。


 その下へ、石囲いの青い火と二体ぶんの六本脚の跡も書き足した。標章を見つけたことと、外に残した危険を同じ紙で混ぜないよう、間へ一本線を引く。


 二つあることだけでは、濡れ衣を消せない。けれど一つしかなかったと思って書かれた記録は、もう、そのまま信じられなかった。

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