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精霊と妖精に愛された令嬢  作者: 紫乃月 聖巴


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01. 幼少期

※転載、翻訳禁止です。

 それは、セイレナ・ルマッセルが八歳の頃だった。


 薔薇の花壇が整然と並ぶルマッセル侯爵家の庭で、セイレナは膝を抱えて座っていた。

 空は澄みきった青空をしていた。

 だが少女の胸の中は、その空の色とは正反対のどんよりとした色に包まれていた。

 少女の母が死んだ。

 その事実だけが、八歳のセイレナの心に重くのしかかっていた。


 母セリス・ルマッセルは、夫であるズクール・ルマッセル侯爵とは政略結婚だった。

 それでも母は、いつだって子供達に温かな笑顔を向けてくれた。


 病床に就いてからも細くなった手でセイレナの頬を撫で、「セイレナは強い子だから、きっと大丈夫よ」と囁いてくれた。


 セイレナの兄、イセルト・ルマッセルは当時九歳だった。

 母の葬儀の夜には部屋の隅で、兄が泣いているのをセイレナは見てしまった。

 父のズクールはというと――葬儀の間中、どこか上の空だった。

 セイレナが後に知ることだが、父にはもともと愛する女性がいた。

 だが家格が合わないとして両親に猛反対され、涙を飲んでセリスと結婚させられたのだという。


 それが母の死の半年も経たぬうちに、父が後妻を連れてきた理由だった。






 侯爵家の客間に見知らぬ女性と少女が現れたのは、母の死後からそれほど経っていなかった。


 父ズクールは、セイレナとイセルトを客間に呼びつけ、難しい顔をして言った。


「今日から、この二人が家族となる。お前達の新しい母にもなるグレノルバと娘のカスティーナだ。仲良くするように」


 グレノルバは美しい金髪の女性だった。

 娘のカスティーナは、セイレナよりも一つ年下の七歳で、大きな目とふわふわとした金の巻き毛を持ち、誰もが愛らしいと言わずにいられないような少女だった。


 父にそんなことを言われ、その時の兄の顔をセイレナは一生忘れないだろう。


 兄の顔は、少しずつ赤くなっていった。


「……父上」


 その声は、かすかに震えていた。


「母上が亡くなって、まだどれほども経っていません。それなのに……これは……これは一体、どういうことですか?!」


 ズクールは眉根を寄せた。


「何が言いたい」

「母上を裏切り、不貞をされていたのですか!」


 グレノルバはわずかに顔を赤く染めた。

 カスティーナは状況がよく分からないまま、きょとんとした顔で見ていた。

 そしてズクールが椅子から立ち上がった。


「イセルト!貴様、父になんということを言うのだ!」

「事実を申し上げたまでです!」

「出て行け!今すぐ私の前から失せろ!」


 イセルトは侮蔑の籠もった視線を父に向け、黙って部屋を出た。

 セイレナも兄の後を追おうとしたが、父に呼び止められた。


「セイレナ、お前は残れ」


 セイレナは振り返り父を見た。

 父の顔には、怒りがまだあった。


「セイレナ。イセルトのような無礼なことを言うつもりはないな」

「……はい」


 セイレナは威圧され、そう答えるしかできなかった。

 心の中では納得できないものがあったが八歳の少女には、それを言葉にする術がなかった。






 それからの日々は、セイレナにとって奇妙なものとなった。


 父はグレノルバとカスティーナをまるで宝物を扱うように大切にした。

 カスティーナとグレノルバが何か欲しいと言えば、侯爵家の財から何でも与えていた。

 一方でセイレナとイセルトへの態度は、以前とさほど変わらなかった。

 いや――変わらず最低限だった。

 貴族として必要な教育は受けさせてもらえる。

 食事も屋敷内の部屋も与えられている。

 だが彼らとは明確な差があった。

 父がセイレナに声をかけるのは、教育内容の確認か叱責の時だけだった。


 そんな中でカスティーナは、セイレナの物を欲しがった。

 最初は些細なものだった。

 セイレナが使っていたリボン。

 読んでいた絵本。

 亡き母から贈られたガラスの小物入れ。


「セイレナお姉様~それ、カスティーナにちょうだい」


 カスティーナは、いつも不思議な確信を持って言った。

 セイレナが断ろうとすると、父のところへ走っていく。

 そして父は必ず言う。


「セイレナ、お前は姉なのだから妹に譲ってやりなさい」


 セイレナは抵抗した。


「でも、これはお母様から頂いたもので……」


 セイレナそう言いかけると父は眉を寄せる。


「たかが物だろう」


 この父は何を言っているのだろう。

 大事な母の形見にそんなことを言う父が信じられなかった。

 お母様が死んで悲しくて、でもそれを悼む時間も与えられずに知らない人が家族として現れて持ち物を奪われていく。

 それを当たり前とする父に理解はできなかった。


 イセルトもセイレナのために父に抗議したが、父は兄の言葉には一切耳を貸さなかった。

 侯爵家には、決して言葉にされることのない溝が静かに広がっていった。






 セイレナが十二歳になった年のことだった。


 その日、セイレナは自室の引き出しに大切にしまっていたものを確認しようとして、手が止まった。

 銀の音楽箱。

 蓋を開けると小さな人形が回りながら、きらきらとした音色を奏でる。

 母セリスがセイレナに「あなたが生まれた日に作られた物」と言って贈ってくれたものだった。

 それが、なかった。


 セイレナは血相を変えて屋敷中を探した。

 そして、カスティーナの部屋の前を通りかかった時、微かに聞き覚えのある旋律が聞こえてきた。

 そっと扉を開けると、カスティーナがベッドの上でその音楽箱を手にして楽しそうに蓋を開け閉めしていた。


「カスティーナ!それを返して!」


 セイレナは、これまでにない強い声で言った。

 カスティーナは驚いたように顔を上げ、それから不満げに口を尖らせた。


「嫌よ。これ、カスティーナの物よ」

「違うわ!それは亡くなったお母様から頂いた大切な形見なの!返して!」

「死んだ人の物なんてどうでもいいじゃない」


 セイレナの手が怒りのあまり震えた。

 それでも彼女は踏み込み、音楽箱を取り戻そうとした。

 カスティーナが叫び声を上げた。

 廊下に出ていた父が現れた。


「何の騒ぎだ!」

「お父様!セイレナお姉様がいじめるの!」


 カスティーナはすかさず父の腕にしがみついて泣き声を上げた。

 ズクールの視線がセイレナに向いた。


「セイレナ、何をした」

「お父様、それは私の物です。お母様から頂いた形見です。それをカスティーナが勝手に……」

「形見だと?まだそんなことを言っているのか。いいかげんにしろ!カスティーナがほしがっているものを取り上げようとするとは、何たることだ!」

「それは私のです!お父様はいつも、いつも……」

「黙れ!」


 父の一喝が廊下に響いた。

 セイレナは両手を握りしめた。


「なぜ、形見を奪わなければならないのですか!お母様の形見をなぜカスティーナに渡さなければならないのですか!それが親のすることですか!」


 父の顔が、みるみる赤くなった。

 ズクールは、自分に歯向かわれることを極度に嫌う人物だった。


「……私に逆らうか!お前のような娘をこの屋敷の中には置いておけん!」

「お父様?」

「庭の北側に、使われなくなった庭師の小屋がある。しばらくそこで反省していろ!」


 セイレナは絶句した。


「それは……罰ということですか?」


 セイレナは震えた。


「そうだ。妹をいじめ、父に歯向かった罰だ」


 セイレナは音楽箱に視線を向けた。

 カスティーナは勝ち誇ったような顔で、音楽箱を胸に抱いていた。


 そのまますぐに、セイレナは小屋へ送られることになった。






 イセルトがそれを知ったのは、夕刻になってからだった。

 彼は父の書斎に乗り込んで声を荒げた。


「父上!セイレナに何ということをなされるのですか!あの子を小屋に閉じ込めるとは、どういう了見ですか!」

「イセルト、お前には関係ない」

「関係なくはありません!セイレナは私の妹です!それに、形見を奪われたのはセイレナの方ではありませんか。なぜ被害者が罰を受けるのですか!」

「カスティーナがいじめられていたと言っている」

「カスティーナの言葉だけを信じ、セイレナの言葉は聞かないのですか!」

「お前も口の利き方がなっていない!もう出て行け!」


 イセルトは拳を握り、押し黙った。

 父の書斎から追い出された彼は、すぐに小屋へ向かった。

 薄暗い木造作りの小屋は長年使われておらず、埃と土の匂いがした。

 セイレナは、古びた寝台の上に座っていた。


「セイレナ……すまない。もっと早く気づけば……」

「お兄様のせいではありません」


 セイレナは静かに答えた。

 その声はどこか落ち着いていてイセルトは少しだけ、ほっとした。


「明日にまた父上を説得して……」

「大丈夫です、お兄様。それに、お父様はどうせ何を言っても通じないでしょう」


 イセルトは返す言葉がなかった。






 翌日、イセルトが再び父に掛け合ったが事態は予想外の方向に転がった。

 カスティーナがまた父のところへ行き、「セイレナお姉様はいつも私をいじめるの。小屋にいてもらった方が安心」と言ったのだ。

 グレノルバも「子供達のためを思えば……」と遠回しに小屋での生活を支持した。

 ズクールは、ついに言い放った。


「セイレナはそのまま小屋で暮らせ。屋敷に戻す気はない」


 イセルトは凍りついた。


 父と息子の間で、言葉にならない断絶が決定的になった瞬間だった。






 その夜のことだった。

 カスティーナが小屋にやってきた。

 暗い庭に立つ妹の顔には今まで見たことのないほどに、ねじれた笑みが浮かんでいた。


「いい気味~。セイレナお姉様がどうなろうが、お父様は何も気にしないわ。これからもずっとそこにいればいいのよ」


 言葉と同時に、カスティーナは手に持っていた石を投げた。

 避ける暇はなかった。

 石はセイレナの頭に直撃をし、硬い地面に落ちた。

 セイレナはよろめき、窓の縁に頭を強く打ちつけた。

 ぐらりと視界が傾いた。

 セイレナは、そのまま倒れ込んだ。

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