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「あなたも家族だから」と言われて嫁いだ公爵家では、私だけが家族ではありませんでした ~のしを付けて、お返しいたしますわ~  作者: 黒猫と珈琲


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3/3

後編

 ゴールディング公爵家は、少しずつ変わり始めていた。


 けれど、それは良い変化ではなかった。


 きっかけは使用人たちだった。

 長年勤めていた老執事が退職し、それに続くように侍女長、料理長、侍女たちも屋敷を去っていく。


「もう、あの奥様にはお仕えできません」


 そんな言葉が、少しずつ社交界へ漏れ伝わった。


 そして誰もが知ることになる。


 ――理想の公爵夫人と呼ばれたデボラ・ゴールディングが、「家族だから」という言葉で嫁から大切なものを奪い続けていたことを。


 夜会でデボラを囲んでいた夫人たちは、いつしか距離を置くようになった。

 笑顔は向ける。けれど、その目は以前とは違っていた。


 ロナルドも変わっていた。


「母上」


 ある日の夕食。


 彼は静かに口を開いた。


「もう、やめてください」


「何をかしら?」


「『家族だから』という言葉です」


 デボラは呆れたように笑う。


「まだその話?」


「母上は最後まで分からないのですね」


「私は間違っていないわ」


「……そうですか」


 ロナルドは立ち上がった。


「これから私は別邸で暮らします」


「ロナルド!」


「少し、一人で考えたい」


 そう言い残し、部屋を出ていく。


 デボラは慌てて追いかけようとしたが、公爵ジュードが静かに制した。


「やめなさい」


「でも!」


「……もう遅い」


 その一言に、デボラは初めて何も言い返せなかった。


 一方、キャロラインには縁談が決まっていた。


 相手は由緒ある侯爵家の嫡男。

 社交界でも評判の良い家だった。


「やはり私には、このくらいのお家がお似合いですわ」


 キャロラインは得意げに笑う。


「お母様のおかげね」


「あなたなら、どこへ行っても愛されるわ」


 デボラも満足そうに頷いた。


 二人とも疑っていなかった。


 何一つ。



 キャロラインの結婚式から数週間後。


 侯爵家では、親族だけの小さなお茶会が開かれていた。


「キャロラインさん」


 義姉のセシリアが小箱を開く。


 中には深い青色のサファイアが輝いていた。


「まあ……! なんて綺麗なの!」


 キャロラインは目を輝かせる。


 侯爵夫人が微笑んだ。


「この首飾りは代々、この家の長男の妻へ受け継がれるものなのです。セシリアが嫁いだ時に贈ったものですよ」


 セシリアは大切そうに首飾りを身につける。

 窓から差し込む光を受け、青い宝石が美しく輝いた。


 キャロラインは目を離せなかった。


「素敵……」


 そして、何の迷いもなく言った。


「それ、わたくしにくださいませんか?」


 部屋が静まり返る。


 セシリアは驚いたように瞬きをした。


「……え?」


「だって、とても素敵なんですもの」


「申し訳ありませんが、これは譲れません」


 穏やかな断りだった。


 しかしキャロラインは、不思議そうに首を傾げる。


「どうしてですの?」


「大切なものだからです」


 キャロラインは笑った。


「家族なら譲るものでしょう?」


 誰も動かなかった。


 侯爵夫人も、侯爵も、使用人も。


 ただキャロラインだけが、当然のように続ける。


「お義姉様なら、また新しいものを買えますわ。わたくし、とても気に入りましたの。家族なのですから、譲ってくださるでしょう?」


 セシリアはしばらく黙っていた。


 やがて、静かに尋ねる。


「……キャロラインさん」


「はい?」


「それは、どなたに教わったのですか」


 キャロラインは胸を張った。


「母です。家族とは譲るものだと教わりました。欲しいと言われたら譲る。我慢するのが家族ですもの」


 侯爵夫人がゆっくり目を閉じ、侯爵は深くため息をつく。


「……ゴールディング公爵家では、それが家族なのですか」


「はい。ずっとそうでした」


 すると、セシリアが静かに微笑んだ。


「キャロラインさん、私はあなたの家族です」


「はい」


「だからこそ、譲りません」


 キャロラインは目を丸くした。


「え……?」


 セシリアは首飾りをそっと撫でる。


「家族とは、相手の大切なものを大切にできる人です。家族だからこそ奪わない。家族だからこそ尊重する」


 静かな声だった。


 しかし、その一言一言が部屋に響く。


 キャロラインは理解できなかった。


「でも、お母様は違いました! お義姉様だって、家族なら――」


「違います」


 初めて、セシリアが言葉を遮った。


「それは家族ではありません。支配です」


 キャロラインは何も言えなかった。


 その日の夕方。


 侯爵夫妻は息子夫婦を呼び出した。


「この婚姻は続けられない」


 侯爵は静かに告げる。


「価値観が違いすぎる」


 キャロラインの夫も、苦しそうに俯いた。


「……申し訳ないが、離縁してくれ」


「そんな! これから、努力しますから!」


 キャロラインは叫ぶ。


 けれど侯爵夫人は、静かに首を振った。


「努力ではどうにもなりません。あなたは、人の大切なものを尊重するという当たり前を知らないのです」


 一度、言葉を切る。


「このままでは、誰も幸せになれません」


 こうして、婚姻は短期間で解消された。


 実家へ戻ったキャロラインは、玄関へ飛び込んだ。


「お母様!」


 デボラが慌てて駆け寄る。


「どうしたの! いきなり帰ってきて」


「離縁されたの!」


「何ですって! 何をしたの!」


 その瞬間、キャロラインが泣き叫んだ。


「セシリア様の首飾りが素敵だったから、譲ってもらおうとしただけなのに! お母様がそう育てたのでしょう!」


 屋敷中に響く声だった。


「家族なら譲るって! 欲しい物は譲ってもらうものだって! 我慢するのが家族だって! 全部、お母様が教えたじゃない!」


 廊下を歩いていた侍女たちが立ち止まる。執事も、庭師も、料理人も。

 皆、その叫びを聞いていた。


「私はお母様の言う通りにしただけよ! なのに、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ! 私は何も悪くないわ!」


 デボラは言葉を失った。


 翌日には、その話は社交界中へ広がっていた。


 誰もが口を揃えた。


「やはり、あの噂は本当だったのね」


 こうしてゴールディング公爵家の名声は、完全に地に落ちた。


 さらに数か月後。


 王都の夜会。


 リネットは淡い藍色のドレスをまとい、穏やかな笑みを浮かべていた。

 その隣には、辺境伯カーティス・グレンヴィル。


 彼は何も聞かず、何も急かさず、ただ静かに寄り添ってくれる人だった。


 そこへ、デボラが近づいてくる。


 以前の自信に満ちた姿は、もうなかった。


「リネットさん……」


 震える声だった。


「わたくしたち……家族だったでしょう?」


 リネットは静かに見つめ返す。


 そして、小さく首を横に振った。


「いいえ」


 その一言に、デボラは息を呑む。


「家族とは、お互いを大切にし合うものです。都合の良い時だけ『家族だから』と言い、我慢を求めるものではありません」


 デボラの顔から血の気が引いていく。


「私は、家族になりたかったのです。結婚した時は、本当に家族になれると信じていました」


 静かな声だった。


「でも、お義母様が私に望んでいたのは、家族ではなく、従う嫁でした」


「……違う、わたくしは……」


 デボラが何かを言おうとする。


 けれど、続く言葉は出てこない。


 反論する資格も、言葉も失っていた。


 リネットは穏やかに微笑んだ。


「ですが、今はもう、本当の家族がどのようなものか分かっています。ですから、後悔はしておりません」


 デボラはその場で立ち尽くした。


 もう何も言えなかった。


 その時、カーティスがリネットへ手を差し出す。


「リネット。帰ろうか」


「はい」


 リネットは迷うことなく、その手を取った。


 一度も振り返ることなく、新しい家族のもとへ歩き出した。


 二人は並んで歩き出す。


 今度は、何も譲らなくていい。


 大切なものを、大切だと言える場所へ。


 リネットはそっと、カーティスの手を握り返した。


 その背中を見送りながら、ゴールディング一家だけが、広い夜会場に取り残されていた。


 夜会をあとにした帰り道。


 馬車の窓から見える街には、柔らかな灯りがともっていた。


「疲れませんでしたか」


 カーティスが穏やかに尋ねる。


「ええ、少しだけ疲れました」


 リネットは微笑んだ。


「でも、不思議です。昔ならきっと泣いていたと思います」


「今は?」


「泣きたいとは思いません。むしろ、スッキリした気持ちです」


 そう答えてから、リネットは小さく笑った。


 本当に、そう思えた。


 デボラを見ても、恨みは湧かなかった。

 ロナルドを思い出しても、胸は痛まない。


 ただ、一つの季節が終わったのだと感じるだけだった。


 カーティスはただ静かに寄り添ってくれる人だった。

 慰めの言葉も、過去を探るようなことも言わない。


 ただ隣に座り、同じ景色を眺めている。


 その静けさが心地よかった。


「カーティス様」


「はい」


「ありがとうございます」


「何に対してですか」


 リネットは少し考えてから笑う。


「何も聞かないでいてくださることに」


 カーティスも小さく笑った。


「話したくなったら聞きます。話したくないなら、それでいいのです」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 無理に変わらなくてもいい。無理に笑わなくてもいい。

 無理に何かを差し出さなくてもいい。


 ただ、自分のままでいていいのだと。


 そう思えた。


 数日後。


 辺境伯邸の庭では、色とりどりの花が風に揺れていた。


「リネット様、こちらの花はお好きでしょうか」


 庭師が尋ねる。


 リネットは足を止めた。


 淡い青色の小さな花だった。


「ええ。とても」


「でしたら、もっと植えましょう」


「いいえ」


 リネットは首を横に振る。


「このくらいだからこそ、可愛らしいのでしょう」


「そうですね」


 穏やかな声がした。


 振り向くと、カーティスがこちらへ歩いてくる。


「たくさん咲くのも見事ですが、このくらいだからこそ目を留めたくなる花もあります」


 リネットは小さく笑った。


「ええ」


 カーティスも花へ視線を向ける。


「来年も咲くのが楽しみですね」


 一瞬だけ、リネットはその言葉を胸の中で繰り返した。


 ――来年も。


「はい」


 自然と笑みがこぼれる。


「私も楽しみです」


 春風が優しく吹き抜けた。


 リネットは花へそっと手を伸ばし、小さく微笑んだ。


 ようやく分かった。


 家族とは。


 何かを我慢し続ける関係ではない。


 お互いの大切なものを、大切にできる人たちのことだった。


 リネットは前を向く。


 その隣には、静かに歩幅を合わせてくれる人がいる。


 もう、何も譲らなくていい。


 色とりどりの花が、春風に揺れていた。


【完】


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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