8・心地良いお風呂とベッドです
「こ、このような大きな入浴場、初めて見ました」
モクレン様とお話した後。
夜も遅いとのことで、私は風呂の準備をしてくださったホオノキ様と再会し、入浴することとなった。
普段は、穢れた私に入浴は許されず、近くの泉で皮膚病にならない程度に頭と体を洗う日々であった。
ロスベール公爵の婚約者時代では、彼に会う前は髪と体を洗うこと命じられていたが、湯に浸かった経験は無い。
カルミア様とそのご両親は、穢れたユーフォルビア一族が触れた湯など毒沼同然だから、すぐに浴場を清掃し湯を変える必要があり、それは大変な手間であると言っていた。
私は、その旨をホオノキ様にお伝えした。
「ホオノキ様。もし可能であるならば、私が使用した後の浴場の清掃と湯の張り替えを担当させて頂けませんでしょうか」
「え? それは……あの、どうして?」
私の申し出に、ホオノキ様は紫色の目を丸くし、口をぽかんと開く。
驚いたその顔は、先ほど馬車の中で貴方の髪の色は星と似ていると言った時のモクレン様とよく似ていた。
「ユーフォルビア一族は血と毒で穢れているので、私がこの浴場を使用したら清掃が必要になるかと存じます」
「……ご説明下さってありがとう。⋯⋯でもね」
ホオノキ様は白い手袋を外したあと、素手で私の頰に触れた。
モクレン様に続いて私に触れてくるのはこれで二人目だ。
「貴女が言われてきたことは、全て間違いだって、わたくしは思います。……ユーフォルビアの末裔だか何だかは存じ上げませんが、わたくしも貴女も同じ人です。……そこに、穢れもクソもございません。寧ろ、他者を否定し貶めることを嬉々として行う者こそ、穢れたクソ野郎や言えますわな」
ホオノキ様のお話された内容よりも、言葉の荒さに驚いた。
突然の方向転換に付いて行けず、振り落とされた気になる。
すると、ホオノキ様はハッとしたお顔で
「嫌ですわ、わたくしったら。怒りの余り、つい。……今のは、水……ちゃうわ、お湯に流して下さいます?」
と私から視線を反らした。
◇◇◇
「ふ……わ、ぁ」
湯に身を浸した時に溢れた声は、随分と気の抜けたものだった。
いや、こんな柔らかい湯に身を浸せば、誰だって気ぐらい抜けるだろう。
そして、だんだんとそんなことを考えることすら忘れてしまうほど、初めて体験した入浴は、凄まじいものだった。
しかも、ホオノキ様が『もし良かったら、わたくしに御髪を洗うのを手伝わせてくださいませんか?』と仰ったのだ。
勿論恐れ多いと思ったが、ホオノキ様は『孫の命を救ってくださったのだもの。このくらいのご奉仕、させてくださらない?』と言って譲らなかった。
そのうち、寧ろ『先代の浄化の聖女様のご提案を拒否することこそ不敬なのでは』と考え、ありがたく身を任せたのだった。
「ふぁ……頭皮を刺激され、髪を洗って頂くのは……身が蕩ける思いです」
「そうでしょう? 貴女の髪は元々コシがあって粒も太く艷やかで強いから。ツミキさんは磨けば輝きますわよ」
「なるほど。……磨けば発光出来るのですね。魔獣の駆除に活かしたいと思います」
もう自分が何を話しているのか分からない。
ただ、頭皮を刺激されながら髪を洗って頂き、体と頭の中が蕩ける感覚に飲まれている。
「ホオノキ様……これが、心地良いという状態なのでしょうか……」
「ええ。そうですよ。……ええと、ツミキさん……で、よろしいのかしら」
「はい……私はツミキでございます……ひょぉ……」
ホオノキ様に頭皮を刺激され髪を洗って頂く心地良さで、頭と呂律は溶けてしまう。
「モクレン様から……頂いた名です。……名を頂いてから、世界がより色鮮やかになった気がしました。……もしかして、これは……モクレン様の魔術なのですか?」
「いいえ。名を与える魔術と言うのは存在しませんわ。……でも、興味深い。……だって、カラタネ様もそう仰っていたから」
「? カラタネ、様ですか? あの、その方は一体……」
私がホオノキ様へ振り返りながらお尋ねすると、ホオノキ様は懐かしそうな笑顔を浮かべた。
「カラタネ様はね。……ツミキさんのお母様である……先代のユーフォルビア一族の方なの」
「ぇ……六号ですか?」
「六号……ぇ、ええ……そうですわね」
ホオノキ様は『六号』と口にした瞬間、悲しそうに笑った。
悲しそうな笑顔は、子供の頃に絵本で見たことがある。だから、私にも理解できた。
思い返せば、悲しそうな笑顔や天使や王子様などといった事柄は、幼い頃読み聞かせて貰った絵本から授かったものだ。
……だが、我々ユーフォルビア一族に絵本を読み聞かせてくれる相手などいない。
そもそも、私達ユーフォルビア一族は『字を読むための教育を受けていない』のだ。
ならば、一体誰が……私に絵本を読み聞かせてくれたと言うのか。
ほげ〜となっていた蕩けた頭が、正気を取り戻す。
「カラタネ様……」
そう口にしたのは私ではなく、ホオノキ様だった。
「わたくしがまだ三十代で、王都で現役の浄化の聖女をやっていた頃。護衛の聖騎士達の目を盗んでは、カラタネ様に話しかけたの」
我々ユーフォルビア一族は浄化の聖女はおろか、その護衛の聖騎士や家の者とも会話をする事は基本許されていない。
そんな状況下の中で、六号――いや、私の母に当たるカラタネ様は、ホオノキ様と親交があった。
と、すると……まさか。……カラタネと言う名は。
「ホオノキ様。カラタネ様と言う名を母に与えてくださったのは、もしかして……貴女ですか?」
私の問いに、ホオノキ様は静かに頷いた。
「ええ。そうです。わたくし、名前を呼びたい派ですので、何とお呼びしようかしらと悩んだ時にね。……傍に、美しいカラタネオガタマと言う花が咲いていたの。……その綺麗な黄色が、彼女の目に似ていたから、『これはご提案なのですけど、カラタネと言う名前は良くありませんこと?』ってお聞きしたの」
「……モクレン様と、同じ聞き方をされたのですね」
「……遺伝って、怖いですわね」
ホオノキ様はくすっと笑ったあと、
「まさか、孫がわたくしと同じことをしていたなんて」
と柔らかい声を出された。
「カラタネ様とは……会話以外にもお手紙のやり取りもしたの。字を習いたいと仰るカラタネ様と一緒に、絵本を読みあって。……まるで、娘と過ごしているみたいで。ほんの短いひと時でしたが、とても幸せでした」
「絵本を……読み合う……ぁ!」
読み書きが出来ない筈のユーフォルビア一族の中で、カラタネ様だけは識字の能力があった。
だとしたら、私に絵本を読み聞かせてくれたのは…………。
「私に絵本を読み聞かせてくれたのは……カラタネ様でしたか」
そう呟いた瞬間、記憶がおぼろげながらも蘇った。
私と似た無表情をした、黒髪で金色の目をした女性が、私と同じ抑揚の無い声の棒読みで、絵本を読み聞かせてくださったのだ。
そのお方は、母であるカラタネ様。
そのカラタネ様を、絵本が読めるまでに導いて下さったのは、ホオノキ様。
モクレン様のお祖母様で、今私の髪を洗って下さる先代の浄化の聖女様だ。
人と人との繋がりと言うのは、思わぬところで巡り合うものなのだろう。
この不思議な結び付きを実感し、体の芯が震えて温まった気がしたのは、湯に体を浸しているからなのだろうか。
「ホオノキ様が、先代の浄化の聖女様で幸運でした。……カラタネ様――母も、きっと同じことをお思いでしょう」
カラタネ様は魔獣を狩る任務中にこの世を去ったと聞いている。
だが、その事をホオノキ様に伝える意思は湧いてこない。
ホオノキ様は、もしかしたらこの事を予想されているかもしれないからだ。
私にカラタネ様の『今』を聞いて来られないのは、そのためだろう。
「ホオノキ様。……カラタネ様――母に、識字を授けてくださって、本当にありがとうございました。……ホオノキ様は、まさに聖女と呼ぶべきお方なのでしょう」
……と、ここまで話をしたあと、ふと思った。
ホオノキ様は、先代の浄化の聖女様である。
つまりは、カルミア様と同じ地位にいて、同じ職務を全うされていたのだ。
だとすると。
「ホオノキ様は先代の浄化の聖女様ですよね? ……だとすると、あのキュアピュアヒールを貴女もされたのですか?」
「はい?」
ホオノキ様は気の抜けた声を出された。
モクレン様に良く似た曲線的な目鼻立ちの顔は、彼良く似た驚きの表情を浮かべている。
顔立ちから表情までそっくりだ。
「あ、あの、今……なんて? きゅ、キュアピュア……ヒール? なんですの、それ……? 知らん……怖……」
「ええと、確か……カルミア様は、手を組んでから両人差し指を突き出し虚空を撃つような動作をされて……」
私は湯船に浸かりながら、カルミア様の手の動きだけを不敬ながら真似し、カルミア様が仰った口上を棒読みで述べることにした。
「『美しい心と輝く笑顔で夢と希望をみんなにお届けっ! キュアピュアヒールっ☆」』……と、カルミア様は仰っておりました」
「は、はあ……まあ……それは、えっと……ま、まあ……カルミア様は……ねえ。歴代最強の浄化の聖女で、回復魔法や浄化魔法と言った光魔法の天才や言われてますさかい……なんや……わたしらの知らん魔法でも使っとんのとちゃいますの……知らんけど……」
「……ん?」
光魔法の天才である最強の浄化の聖女カルミア様なら、キュアピュアヒールと聞いたことのない魔法も使えるのでは? とホオノキ様は考察されたが、今はそんなことよりもっと気になることがある。
ホオノキ様は……今。口調が変わったような。
私は口を開けたまま、わけもわからず思考停止した。
そんな私を前に、ホオノキ様は頬に手を添えながら
「つかなんやねん。美しい心て。よう自分で言えるなぁそんなん。なんや、腰骨から背骨が痒なってしゃあないわ。これは年のせいちゃうやろ」
と滑らかな滑舌で聞いたこと無い言語を話されたあと、口を開けたまま思考停止した私を見て
「はっっっ!!!! あかん、やってもうた。訛りが出てもうた。孫預かったとき舌に祠立てて封印したはずやのに、キュアピュアヒールが祠潰してもうたわ」
と口にした。
そして
「ほ、ほほほ……わ、わたくし、今……何か言いましたかしら……? き、きっとツミキさん、お疲れですのよ。……おほほ……」
と頬をピクピクさせながら微笑む。
そんなホオノキ様に手伝ってもらいながら入浴をした後、空腹ではないためベッドに入って眠ることを選んだ私は、初めてべッド眠る感触を味わった。
だが、ホオノキ様の口調の豹変っぷりの方がとても印象深かく、初めてベッドで寝た記憶は、殆ど無い。
私の頭の中は、ホオノキ様の口調のことでいっぱいだった。
◇◇◇
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「ツミキ、良かったな⋯⋯」
「ホオノキ様、京都の人かいな」と
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