2・浄化の聖女カルミア
カルミア・ペールカルム様。
彼女は私の父にあたる個体――ペールカルム伯爵の愛娘である。
ペールカルム伯爵は、六号との務めを果たし私を製造したあと、本当に愛していた女性を妻に迎えたのだ。
その女性との間に生まれたのが、カルミア様である。
また、カルミア様は怪我を治す回復魔法に、毒を浄化する魔法や、人々を護る結界魔法などを司る、光魔法の天才であった。
そんな彼女は、プルトハデス国を救う浄化の聖女として選定されたのだ。
国中がカルミア様を愛し、彼女を天使と呼ぶ。
そんなカルミア様を見ながら、聖騎士達は惚けたため息を付いた。
「カルミア姫……さすがは平民ながら伯爵を射止めた大女優の美女を母に持つ、国一番の美少女だよな。どっかの死神令嬢とは大違いだ」
「コイツに令嬢なんて付ける意味あんのかよ? いくら伯爵家のご令嬢であるカルミア姫の母違いの姉だっつっても、ドブ臭ぇコイツに令嬢なんて呼び名相応しくねえだろ」
聖騎士達がそう言って笑うと、両手を腰に当て頬を膨らませたカルミア様は
「そんな意地悪言っちゃ七号が傷付いちゃうよぉ! どんなに酷い見た目でも七号だって女の子だもんっ! だから、化物とかゲロクソドブスとか言っちゃダメ! 女の子は誰でもお姫様なんだからっ!」
と、頬を膨らませながら言う。
「あのバケモンが女の子? お姫様? アッハハハハハ! まあ、バケモンの隣に立ったカルミア姫は天使ですけど〜。 でも、こんなバケモンにお優しいカルミア姫は、本当見た目だけじゃなくお心まで美しい〜!!」
聖騎士が機嫌の良さそうな声でそう言った、その時だ。
「ああ。その者の言う通り。カルミアの心の美しさには、何者も敵わない」
低い男性の声がしたかと思えば。
「ロスベール様ぁっ! 会いたかったですっ!」
カルミア様がロスベール公爵へ飛び付き、子猫のような声を出した。
聖騎士達も「ロスベール団長!」と声を上げ、姿勢を正す。
そんなカルミア様の頭を撫でたロスベール公爵は、周りの聖騎士達に見せ付けるように彼女を抱き締める。
「皆の者。カルミアは私のモノだ。誰にも渡さんぞ」
その言葉に、聖騎士達は
「わかってますよ〜! 団長には勝てませんから〜! 俺達も出会いが欲しい〜! 毎日顔合わせる唯一の女が七号とかいう毒で腐った臭えブスなんて嫌だーッ!! 指一本触れたくないし近付きたくもない!」
と戯けた声を出し、周囲の笑いを誘った。
ロスベール公爵もカルミア様も声をあげて笑っている。
笑うと言う行為は、喜怒哀楽の喜に当たる。
なので、何か嬉しいことでもあったのだろうか……と考えたが、彼らの笑いは喜ではなくまた別の意味を含んでいるように推測できた。
『笑う』と言う行為を理解するのは、私にとって難しい。
ただ、歯を剥き出して声を一定のリズムで張り上げると言うのは、動物や魔獣の威嚇に似ていると思う。
つまり、『笑う』と言う行為には『攻撃の意』があると予測出来る。だが、確証は得られない。
……私に心があれば、『笑う』と言う行為の意味がわかるのだろうか。
そんなこと考えていると、カルミア様は
「それじゃ、毒に汚染された大地と魔獣の死骸を浄化します! 美しい心と輝く笑顔で夢と希望をみんなにお届けっ! キュアピュアヒールっ☆」
と叫び、両手を組んで祈りの姿勢を取ったあと、両方の人差し指を揃えて伸ばし、虚空を撃つような動作をした。
すると、人差し指の先から発射された桃色の光が大地と魔獣の死骸へ降り注ぐ。
この光景を前に、聖騎士達は大いに盛り上がった。
「なんと可憐で神々しいヒールなんだ……っ! カルミア姫さえいれば、ユーフォルビア一族のせいで枯れた『根源の大樹』もきっと元通りになるよな! そうなりゃこの国の自然も元通りになって、プルトハデス国は復活するはずだ!」
聖騎士の言う通り、枯れ腐った『根源の大樹』を復活させる力を持つのが、浄化の聖女の中でも歴代最強の光魔法の使い手であるカルミア様だ。
つまり、カルミア様はこの国の希望であった。
そんなカルミア様へ、ロスベール公爵が話し始める。
「カルミア。ついに、七号との婚約を破棄出来たぞ。そして、お前へ真実の愛を捧げることを国に許可させた。……これで、お前を私のモノに出来る」
「ロスベール様ぁ……っ! あたし、嬉しいですっ!」
「それだけじゃない。兼ねてより計画していた死毒の森を焼き払う計画も、国に認めさせたのだ。……これで、死毒の森の問題は今年中に決着が付く。そうすれば、もう二度とお前に労働をさせることは無いだろう」
ロスベール公爵はそう仰ったが、『死毒の森を燃やす』と言う点は聞き捨てならない。
私はロスベール公爵へ進言した。
「ロスベール公爵、お言葉ですが。死毒の森を焼き払えば、毒を含んだ灰が周辺の健康な森にも飛んできます。……その森にはエルフがいる可能性があり、死毒の森を焼き払えば、エルフが」
この国には、人が生まれるよりも前にエルフと言う種族がいた。
エルフ族は森に住み、自然の加護をこの国に与えていたと聞いている。
だが、森に住むエルフ族は百年前より人前に姿を現さないため、死毒の森のせいで絶滅したのでは? とも言われていた。
その論を強く推しているのが、ロスベール公爵である。
「絶滅した負け組など知るか! それに、努力し人の社会に溶け込んだエルフは存在する。彼らのようになれず絶滅した連中に配慮などするから、いつまで経っても死毒の森を焼き払うという効率的な選択を取れず、百年間も問題を解決させられなかったのだ」
確かに、ロスベール公爵の言う通り、人の社会に順応したエルフ族もいる。
人族より毒に弱いエルフ達は汚染された自然界では生きて行けず、エルフの力と引き換えに人の世へ適応したのだ。
「努力不足のエルフ族への配慮だけじゃない。お前らユーフォルビア一族も、実に非効率で無駄な存在である! 魔獣を殺すために生まれてきた? そんなこと、私が率いる最強の聖騎士団で事足りる!!」
ロスベール公爵は、片方の腕でカルミア様を抱き締めながら、もう片方の腕で私を指差し、魔獣の威嚇のような顔をした。
「だいたい貴様らユーフォルビア一族は、祖先の罪を償うためと魔獣を殺して来たが、ただそれだけではないか!!! 国土の三分の二は今だ死毒の森に食い尽くされたままで、何の解決もなってない!! つまり、貴様達ユーフォルビア一族など、いてもいなくても同じだ!!」
確かに、我々ユーフォルビア一族は祖先の罪を償うため、百年前から魔獣を殺すために生まれてきた。
だが、魔獣を殺し死毒の森を刈ったところで、百年かけて取り戻せた大地は街一つ分の平原と山のみである。
ロスベール公爵の言い分は真っ当だ。
「そもそも、罪深きユーフォルビア一族などいなくとも、浄化の聖女の結界があれば、王都に魔獣が侵入することはない! 呪毒の森を魔獣ごと焼き、その最奥にある根源の大樹をカルミアの力で復活させたら、お前など要らん!!!」
「確かに」
自然と口から言葉が出た。
この百年間で何の成果も得られないユーフォルビア一族など、いてもいなくても変わらなかったと考えられる。
浄化の聖女であるカルミア様がいれば、問題は全て解決するのだから。
私達ユーフォルビア一族は、大罪と血で穢れているだけじゃなく、生まれてきた意味すら無かったのだろう。
ならば、永遠の眠りに付いて、空腹とは無縁の世界に旅立つのも悪くはない。
ユーフォルビア一族とて、所詮は人族である。
心は無くとも腹は減る。
今の時点で、とても空腹であった。
昨夜口にしたのは、カルミア様が不味いと捨てたパンである。
私の食事は、生家であるペールカルム伯爵家から出た残飯であったから。
そんなことを考える私へ、ロスベール公爵は
「だが、役立たずの貴様に一つだけ、役目を与えてやる」
と仰った。
「貴様は、西の果てにあるマグノリア地方へ行くのだ。カルミアの結界が届かず、魔獣に貪り食われるだけの貧乏領地を治める愚弟――モクリエールアレンとの間に次世代のユーフォルビア一族を造り、私に献上しろ。そして、モクリエールアレンの所有物として、死ぬまで奉仕せよ」
なるほど。私がロスベール公爵の弟君と新しいユーフォルビア一族を誕生させ彼に献上すれば、王都の魔獣を駆除する兵力は保たれる。
次世代誕生までに約一年ほどかかると思われるが、最強の浄化の聖女カルミア様がいれば問題は無い。
さすが、国一番の天才と称されるロスベール公爵のお考えだ。
「貴様がマグノリア地方の魔獣を殺し続けば、あの地方の経営も上向きとなり、私が治める王都への税も増えるからな。⋯⋯その税は全て、浄化の聖女カルミアの活動費に当てることこそ、この国を救うことに繋がるだろう? 役に立てて良かったな、穢れた罪人の末裔よ」
「はい。恐悦至極に存じます。今後はモクリエールアレン様の所有物として命を捧げます」
モクリエールアレン様について、私は何も知らない。
我々ユーフォルビア一族は、王族貴族や資産家などと言った上流階級が多く住む王都を護るために生まれて死ぬだけなので、王都の外など知る必要は無かった。
だから、モクリエールアレン様がどんな方なのか知る必要も無い。
私はただ、彼との間に次世代のユーフォルビア一族を誕生させ、死ぬまで魔獣を殺し続けるだけ。
そう考えていると、カルミア様がロスベール公爵に縋り付いて、瞳に涙を浮かべながら叫んだ。
「モクリエールアレン!? あたし、子供の頃……パーティでアイツに嫌らしい目で見られたあと、触られそうになったのっ! ぶくぶく太って顔はニキビだらけの不細工な白豚男に嫁がされるなんて、そんなの……そんなの……」
カルミア様は私を見ながらこう言った。
「……可ぁ哀想ぉにぃ〜……ぁはははっ♡」
その後、カルミア様とロスベール公爵は抱き合い口付けをし始めた。
「ロスベール様っ! あたしのこと幸せにしてくださいねっ♡」
「ああ。お前を世界一幸せな女にしてやる」
熱烈な口付けをせる二人を、聖騎士団は顔を赤くし鼻の下を伸ばして見ている。
そして、そんな彼らを眺める私は、空腹に苛まれていた。
「……」
空腹を覚えながら立ち尽くしていると、一筋の柔らかい風が吹き抜けた。
その風は空へと舞い上がったので、私はその風につられて空を見上げる。
星も月も無い曇り夜であるが、果ての空は紫から桃色へと色を変えていた。
「…………ぁ」
星も月も無いと思っていたが、注意深く見ていると鈍重な雲に隠れた星を一つ見つけた。
眩い輝きを放つ白金色の星が、夜の終わりを告げる紫の空に浮かんでいる。
あの星は、他の星と違って動くことは無く、常に北を指していた。
私は死毒の森を狩るとき、いつもこの星を道導としていたのだ。
今夜もあの星が見れた。
明日も、見られるだろうか。
そんなことを考えながら、北の空に浮かぶ星を見続ける。
その星を頼りに東の空を見上げると、紫色から桃色に変わりつつある夜空の向こうには、白い日の出の光が差し始めていた。
きっと、もうすぐ夜が明けるのだろう。