9・嫁に来た死神令嬢(モクレン視点)
ツミキちゃんと出会ったあの夜は、一生忘れないだろう。
血が舞う中、大鎌で魔獣の首を狩るその姿は聖女と呼ぶには荒々しく、しかし魔女と呼ぶには神々しくて。
例えるなら、そう……死神。
死を司る神がいるならこんな感じではないかと、俺は思ったのだ。
「ツミキちゃん、鬼強かったなあ……」
そんな独り言を呟いた俺は、大聖堂に帰る婆ちゃんを見送ったあと、食堂にて昨日の晩飯の残りのシチューを温めながら、レンゲくんの帰りを待った。
ちなみに、ツミキちゃんは入浴を済ませたあと、空腹ではないためゲストルームで寝ていると婆ちゃんから聞いているが、一応彼女の分のシチューも用意してある。
そんなツミキちゃんの為にも侍女を雇いたいが、残念ながら持ち金は騎士団に全ツッパしたので人を雇う余裕は無い。
いっそ、土地ごとこの屋敷を売っ払いたいが、ここは父方の婆さんから相続したモンなので、勝手に売ることは許されない。
「どうにもならねえもんだな……。実家はマグノリア地方の税金を重くすることしか考えてねえし。マジ詰みだわ。いっそ爆発でもしねえかな。ポーラリス公爵家」
ポーラリス公爵家の人々は、全員バチクソに性格が悪い。
父方の祖母は、大嫌いな義理の娘――兄貴ロスベールの母親へ嫌がらせをするため、息子が浮気相手に産ませた俺を当てつけのように溺愛した。
その婆さんの宿敵であるロスベールの母親は、すぐヒステリックになり金切り声を上げ使用人や俺に八つ当たりをするクセに、自分は論理的で賢いと思い込む嫌味な女で。
そんな嫁と母親を放置する親父は、『この世には魅力的な女性が多過ぎる』と抜かして女遊びを止めない。
そして、腹違いの兄貴ロスベールは周囲からチヤホヤされて育った結果、自分は特別な存在なのだと選民思想に染まりきっている。
しかも、兄貴は実際に文武二道の天才であるので質が悪い。
俺の実家はこんなイカれたメンバーで構成されている。
いっそバンドデビューでもしたらどうだ。バンド名は『機能不全家族』ってか、やかましいわ。
「ったく、誰のせいで騎士団の『みんながぶっ壊れた』と思ってんだよ」
温め中のシチューをかき混ぜながら、騎士団の皆がぶっ壊れた元凶であるクソ兄貴の顔を思い浮かべた瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。
多分、レンゲくんが帰って来たのだろう。
それじゃあシチューを食いますかと思えば、レンゲくんは
「ごめんモクレン氏……ボク今日はもう限界。風呂入って寝る……」
と疲れ切ったような声でそう言って、風呂に入った後はフラフラした足取りで地下室の自室へ帰っていった。
「……このシチュー、どうしよ」
鍋の中で煮える白いシチューを見ながらそう呟いた、その時だ。
「ツミキちゃん。……どした? 寝れない?」
白いナイトドレスを着たツミキちゃんが、食堂の入り口に立っていた。
「……申し訳ございません。厨房から良い香りがしたので、もしかしたらモクレン様がいらっしゃるのではと思い、ご挨拶に参りました」
「そうなんだ。そんならさ、良かったらこっち来て一緒にシチュー食べよ」
「!? 今、なんと……仰ったのですか……!?」
「え、一緒にシチュー食べよって……言ったけど……ごめん、なんか不味かった?」
ツミキちゃんは真顔のまま硬直している。
そんな姿に、俺も『やべ、何かやらかした!?』と不安になったが、ツミキちゃんの答えで全てわかった。
「王都では、ユーフォルビア一族は毒で穢れた存在であると忌避されていました。……ですので、厨房に足を踏み入れるどころか、洗濯物も触ってはならないと命じられて来たのです」
ユーフォルビア一族。
ツミキちゃんの言う通り、ユーフォルビアとかいう狂戦士の末裔達は、王都に住む王族貴族からは人以下の扱いを受けていると聞いたことがある……が。
俺は子供の頃に実家を追い出された身なので、詳しいことはよく知らない。
ただ、『何故ユーフォルビア一族は魔獣から王都を護る存在であるのに、こんな酷い仕打ちを受けているのか?』と疑問に思う。
その答えは、ユーフォルビアが根源の大樹を枯らし死毒の森発生の元凶となったから⋯⋯だけでは無いだろう。
まず一つ目に考えられるのが、ユーフォルビア一族へ敵意を抱かせることで、浄化の聖女の価値を高めるためなのでは? ということ。
毒に侵され死の国となったプルトハデス国において、毒をを浄化出来る光魔法の使い手――浄化の聖女は、この国にとって救世主と呼ぶべき人材である。
そして、そんな浄化の聖女は商売の世界でも金を生む。
例えば、浄化の聖女が書いた詩集は読むだけで身も心が美しくなるとかで、この国ではバカ売れするのだ。
その利益で飯を食う連中が、浄化の聖女の価値を高めるため、真反対の存在であるユーフォルビア一族を憎むべき悪役とする風潮を作った可能性は高い。
悪役がいれば、それと戦う正義役は必ず愛されるからだ。
二つ目に考えられるのは、王族や貴族の敵意をユーフォルビア一族に向けることで、共通の敵を作り結束力を固め、権力争いなどが起こらないようにする狙いがあるのかも。
権力争いが起こってしまうと、組織は弱体化してしまい第三勢力に付け入る隙を与えてしまう。
王都には、資産家や大商会と言った貴族の特権を狙う連中も沢山いるからこそ、そう言った連中の敵意がユーフォルビア一族に向けば王族貴族は安心出来るだろう。
しかも、ユーフォルビア一族という武力を王族貴族で独占すれば、爵位を狙う金持ち達や、革命を起こそうとする平民達を牽制出来る。
だから、ユーフォルビア一族を忌み嫌うくせに、その出生は王族貴族が独占しているのだろう。
つまり、最強の兵器であり都合の良いヘイト役が、ツミキちゃんだ。
なんて、胸糞悪いのか。
「ごめん、王都のことはよく知らんのだけど、俺はツミキちゃんと一緒に飯が食いたいんだ。だから、どうかな?」
「はい。ご命令とあらば」
「あ〜、これは命令じゃなくて、名前の時と一緒でさ、あくまで提案なんよ。だから、断ってくれても良いんだわ」
「かしこまりました。では、そのご提案を採用させて頂きます」
ツミキちゃんはそう言ってから、食堂へと恐る恐ると言った様子で足を踏み入れた。
そりゃ、ずっと入るなと言われていた場所に足を付けるのだから、緊張するだろう。
ツミキちゃんが置かれていた環境の酷さに心が痛み怒りが湧いてくるが、この怒りを露わにしたところでただの自己満足でしかない。
ツミキちゃんだって、俺がいきなり怒り出したら嫌だろう。
今はただ、純粋に食事を楽しんで欲しい。
◇◇◇
向かいに座るツミキちゃんと一緒に夜食のシチューを食って、分かったことがある。
ツミキちゃんの食事のマナーは貴族並みに美しい。
きっと、国の命令で貴族と婚姻を結ぶ際、相手の貴族を不快にさせないための教育として教えられたのだろう。
「……モクレン様。こんなに美味しい食べ物を頂いたのは、生まれて初めてです。……苦いだけだと思っていた野菜が、こんなにも柔らかく味わい深いだなんて、知りませんでした」
「嬉しいこと言ってくれるね。作った甲斐があったよ」
「!? こ、このシチューは……モクレン様がお作りになられたのですか!?」
「そ〜だよ。料理作んの趣味なんだわ。ホオノキ婆ちゃんのとこで覚えたんだ。ほら、婆ちゃんシスター業の他に教師やってるから、忙しい時は俺が晩飯作ってたんだよ」
ポーラリス公爵家にいた頃、父方の婆さんから『私の可愛い王子様に労働なんてさせられないわぁ』と溺愛され、俺は何も出来なかった。
だが、例のカルミア事件にてホオノキ婆ちゃんの元へ追い出されたあと、俺は婆ちゃんから生きていくための術を教えられたのだ。
その一つが、料理である。
「ほんとは焼きたてのパンも欲しいところだけど、今から焼くのは無理だから、それは明日の朝飯の楽しみってことで」
「朝食……ですか!? それは、私もご一緒してよろしいのですか?」
ツミキちゃんは驚いてしまったのか上擦った声を出した。
名前すら無かった彼女のこれまでを思うと、誰かと一緒に朝食をとるどころか、朝食自体が存在してたのかも危うい。
考えれば考えるほど、悲しくなる。
これからは、精一杯美味しい朝食を作ってツミキちゃんに喜んで欲しい。
「⋯⋯あったりまえよ! レンゲくんは朝起きてこねえから、朝食は俺と二人っきりなわけだけど、まあよろしく頼むわ」
「モクレン様のお邪魔でなければ、喜んで同席させて頂きます」
「お邪魔だなんて〜。ツミキちゃんみたいな美人とこれから毎日一緒に飯が食えるなんて幸せだってば」
ツミキちゃんは俺の言葉に『?』と不思議そうにしているが、正直ツミキちゃんは今まで見てきた貴族の美姫とは比べ物にならないくらい美人だ。
まず、唇が良い。
小さくふっくらした薔薇色の唇が白い肌と黒髪に映えていて、とても綺麗だ。
まつ毛の太さと長さはエグいし、これで化粧をしていないと言うのに驚いてしまう。
そして何より、上半分赤に染まった金色の瞳は、珍しい宝石のようだ。
宝石に興味は無いが、もしツミキちゃんの瞳のような宝石があれば、その石の名を俺は生涯忘れることは無いだろう。
しかも恐ろしいことに、この顔面には高価なクリームだとか美容のためのマッサージだとか、そう言ったものが一度も使用されていない。今風の言い方をすれば、無課金である。
無課金でこの美貌ってのは、容姿に金をかけまくっている令嬢からしたら舌打ちモンだろう。
……それはもしかして、ツミキちゃんの母違いの妹カルミアも同じなのかもしれない。
「ツミキちゃんは美人だってば。……まあ、良かったら覚えといてよ」
「恐れ入ります」
「それだけじゃない。ツミキちゃんは今までずっと魔獣を倒してきた来たわけじゃん。それってすごいことだと思うんよ」
「ユーフォルビア一族の者として、当然のことをしたまでです」
ツミキちゃんはそう言って、シチューの鶏肉を口にした。
すると、「!!!???」と声にならない声を出し
「プリプリした食感の皮と心地良い弾力と歯ごたえを持つ、この旨味の固まりに脳が焼かれました。鶏肉と言う食材をこの世に生み出した女神――いや、鶏肉を使って美味しいシチューを創造されたモクレン神に感謝を」
と天井を見ながら固まっている。
兄貴の手紙じゃ『意思疎通の取れない化け物』と書いてあったが、そんなツミキちゃんは晩飯の残りのシチューでここまで喜んでくれるし、意思疎通だって余裕で取れる。
しかも初対面でゲボを吐き血塗れの俺を支えて野営地まで歩いてくれたのだ。
クソ兄貴の手紙には『私の代わりに醜く穢れた化け物を娶り子を産ませよ。さもなくばマグノリア地方の税を十倍にする』とあり、それを読んだときは『マジかよ』と戸惑ったが、百聞は一見にしかずということなのだろう。
「そこまで喜んでくれたお礼に、俺の鶏肉あげるよ。ほら、お食べ」
俺はカトラリーから手を付けていないスプーンを持ち、ツミキちゃんの皿に自分の鶏肉を全部分けた。
貴族のマナー講師が見たら『死ね』と怒鳴るだろう所業であるが、ここには俺とツミキちゃんしかいないので、マナー講師なんか知るかお前こそ死ね、である。
……なんて毒づく俺も、ポーラリス公爵家らしい性格の悪さをしていると思う。
ちなみに、母は五歳の俺を置いて若い男とどっかに消えた。
正直、あの女に関しては思い出したくもない。
久しぶりに母を思い出したせいか、それに連なってロスベールの母親に言われた言葉を思い出す。
『淫売の息子のお前が、幸せになれると思うなよ』