昼休み
もともと琴吹さんとは知り合いになることが決まっているので、それが早いか遅いかの問題であり、未来が変わってしまうようなことにはならないだろう。
と思いたいのだが、いや、やっぱり未来ってそんな単純じゃないと思い知らされた。というか八年前の出来事なんて俺の脳内ではあやふやなのだ。その前のことなど印象的だった事しか覚えていない。
そんな曖昧な記憶を再現しようなんて無理がある。そんな事は俺も重々承知であり、最低でも八年前の俺と似たような現場を作ろうとしていた。
けれどだ。
俺が女であることで、すでに変わってしまっていることが多々と存在する。八年前の俺のようにと意気込みながらここまでやって来たが、そろそろ限界を感じ始めた。否、限界を通り越し八年前の俺の再現は不可能となった。
第一に、高校で一番最初に友達になるはずだった山口浩司とはもう友達にはなれない。そう確信している。
浩司との出会いは入学式当日。
名門校で名の知られる天堂高校は部活動も盛んで、それに伴い部活で使用する施設や場所などで校内がだだっ広い。グラウンドは三つ、体育館は第四館まであり、慣れたら楽しく便利なのだが、新入生にとってはなんとも住みづらい所なのだ。
それ故に八年前の俺は入学式が行われる体育館がどこにあるかすらわからず迷子になり、そして同じ理由で迷子となっていた浩司と出会った。一年生の頃は別クラスだったが、二年生では同じクラスになってお互い喜んでいたのを覚えている。
浩司とは学校イベントなどでよく一緒だった為、是非ともまた友達にならなくてはと俺は考えていた。
だから俺は入学式当日に浩司と出会った場所へ記憶を呼び覚ましながら向かった。
正直、浩司と出会った場所をここだと確信できるほどの確実性はなかったが、結果としては迷子になっている浩司と出会うことができた。
八年前と同じように「お前も迷子なのか?」と声をかけた。
しかし俺は失念していた。
山口浩司という人間は名門天堂高校に合格するほどの頭の持ち主ではあるのだが、性格面では俺の知る誰よりも馬鹿であると失念していた。
入学式当日、お互いが迷子同士と出会った男女。どこかの漫画やゲームのようなシチュエーション。
「マジかよ! こんなだだっ広い場所でこんな美少女に出会えるとか奇跡だろ! しかも迷子同士って、これは出会うべくして出会ったもんじゃねーかよ! ちょ、ねぇ名前なんて言うの? 俺は山口浩司。これから君とは仲良くなりたいです! 主に男女関係でっ!」
ありえねぇ。
この時の自分の顔を見てみたい。
まさか男か女かの違いでこうまで変わってしまうのか、とも悩みもしたが馬鹿な浩司ならこれもありえるか。などと自分の中で自己解決し、俺を狙う(主に体を)男とはさすがに友達にはなれず、高校生活の中でもっとも重要なポジションの人間を失った。
高校開始早々の躓きだ。
もはや未来の再現は不可能となっている。ぶっちゃけ八年前の再現なんて女の俺にはできない。ぶっちゃけいろいろと考え計画することに疲れさえ感じている。ぶっちゃけ今の俺に男の友達なんて必要あるのか。どいつもこいつもエロい目で見やがって。めんどくさいったらありゃしない。
ああ、めんどくせ、ありえねぇよ。
「なにか言いましたか、柏木さん?」
小首を傾げる琴吹さん。
「いや、何も言ってないよ」
「そうですか。あ、ところでお二人は部活動はなさるのですか?」
琴吹さんとお友達になって一週間が過ぎた。
一週間やそこらではまだ学校の授業や雰囲気に慣れることができず、物静かな授業風景となっているが、そんな風景もあとわずかと言ったところだろう。
騒ぐ生徒も出てくるし、居眠りをする生徒も続々と出てくる。先生方にとっては頭を悩ませることになるが、正直、すでに高校生を体験している俺にとっては居心地というか違和感というか、なんともむず痒い状態だ。
まあ今ではそれも授業時間だけとなっている。
休み時間や昼休みなどでは、もう俺の知る風景になっていた。仲の良い者同士で集まって駄弁ったり弁当を食べたりしている。
一週間前と比べれば一目瞭然。少しずつだが垢抜けていっているような気がする。
斯く言う俺達もそれに当てはまっている。正確には彩と琴吹さんに、たが。
「わたしは水泳部だよ。もうこれは絶対に絶対。なんて言ったってわたしの──」
「彩のパーソナリティだからな」
「ああっ! なんで言っちゃうの、わたしの決めゼリフっ」
「決め台詞って……」
まあ、彩だから仕方ないか。
「得意なんですか、水泳?」
「得意って言うより水の中が好きなんだ。足のつかないプールだと空を泳いでるみたいでもっと好き」
「なるほど。彩子さんはペンギンのようですね」
「ペ、ペンギン!?」
「水中で空を飛ぶからペンギンて琴吹さんは言っているんだよ」
察しろよ。
「あ、ああ。なるほどね。てっきりお前の体は寸胴だって、可愛い言葉を使って遠回しに言われているのかと思った」
「頭の良し悪し以前に、お前はペンギンに謝れ」
そして現在のトークテーマは部活動だ。
「葵ちゃんは何か部活に入るの?」
「弓道部に入ろうかと思っています」
「球道かー。それってどんなボールを使うの?」
「ボール? ボールは使いませんよ。弓矢を扱う部活ですから」
こいつマジか。
マジなのか。
「そうなの? あきらかに何らかのボールを使いそうな名前してるのにね」
「──彩」
「なに?」
俺は筆箱からシャープペンシルを取り出し、彩の机に『弓道部』と書いてやった。
「弓道部」
「ん?」
「弓と道と書いて弓道って読むんだ」
「……あ、ああ、キュウドウブでしょ。知ってる知ってる知ってるよ。弓矢を使うからキュウドウブでしょ。葵ちゃんも言ってたもん。いやーでも同じ名前の部活動があると不便というか迷惑というか困っちゃうよね」
そんな縋るような眼差して俺を見るな。
「困っちゃうよね」
「…………」
「ねー」
「…………」
俺と琴吹さんは無言。
「…………」
「ちなみにだが──」
「な、なにかな」
「お前が言う球道部なんて物は、この高校に存在しない」
なんだよ球道部って。
文字の形からして球と救は似ているから、誰かを救助する部活道に見えてくる。実際はすべての球技を研究する部活なのだろうけど。そもそも存在しない部活に実際など無いか。
「……もうヤダ」
「拗ねるなよ」
めんどくさい。
口にするとますます拗ねそうなので心に押し込めた。
「間違いは誰にでもありますよ」
慰める琴吹さん。
「なら葵ちゃんは何か間違えたことあるの?」
噛みつく彩。
こいつ、人の優しさに牙を向けやがった。
「そ、それはありますよ。人間なら間違えは付き物です」
「なら──何と何を間違えたの?」
あれ、もしかしてこのままの流れからすると、琴吹さんの恥ずかし噺が聞けちゃったりするのかな。琴吹さんには悪いが少し興味がある。
「え、えーと」
バカの馬鹿な質問に自分の過去の失敗を困りながらも真剣に考える琴吹さんの可愛さハンパねー。
そしてそんな琴吹さんが過去にどんな間違いをしたのか凄く興味を引かれる。
「わ、私は──」
私は?
「小さいときに──」
小さいときに?
「さ、サービスエリアを──上りはサービスエリア、下りはサイゼリアだと思っていました」
俯きながら、呟くように、顔を紅潮させながら、自分の黒歴史を語る琴吹さん。
「可愛い」
俺か彩、それをどちらが先に口にしただろうか。
「ず、ズルいよ葵ちゃんっ。あー、ダメだ、もう無理、どんなことを言ったって可愛く感じちゃう。これからどんな失敗談を葵ちゃんから聞いたって可愛く感じちゃうっ! わたしが言ったって絶対にバカな目で見られるのにズルいよっ!」
爆発だな。
おそらく琴吹さんが言った失敗談を自分が言ったらと、そんな想像を働かせたんだろう。
つか、自分で墓穴ほってるだけじゃないか。バカな目で見られちゃうとか言っちゃってるし。いや俺もバカを見るような目で見るだろうけとさ。
「落ち着け。琴吹さんも困ってるし、昼休みにバカみたいに声をあげるな」
現在も爆発し続ける彩を鎮火。
「ナノまでバカって言うのっ。ずっと味方だって思ってたのに。不平等だよ。わたしと琴吹さんの何が違うって言うのさっ!」
うぜぇ、ちょーうぜぇ。
なんだよ、「ナノまで」って誰もお前のことをバカにしてないだろう。あれ、したかな。いや、ダメだ。ある意味で感受性の強いこいつにはまず優しさを与えなくてはダメだ。お前と琴吹さんを一緒にしている時点で何もかもが違うとか言っちゃダメだ。めちゃくちゃ言いたいけど、言っちゃダメだ。
「ほら、それって人柄の問題だろ。別に彩が悪いわけじゃ──」
「わたしの人柄はバカって言いたいんでしょっ!」
「まあまあ、どうどう、ほら深呼吸、落ち着こう、BeCoolびーくーる、静まれ静まりたまえ、飴玉食べるか? 痛いところない? 彩はいい子彩はいい子、自分に自信を持て、彩が友達であることに私は誇りに思う、彩はすごい子だっ」
これでどうだ。
「…………」
「…………」
「……うん、わたしはいい子」
勝った。
宥めることに成功。
うーん、彩は本当に素直でいい子なんだけどなぁ。こんなに打たれ弱い性格だっただろうか。先輩に裏切られたときの落ち込みはすごかったけれど、それでも一人で自分を持ち直した。
タイムスリップ前と今とでは、彩のメンタルに違いがあるのだろうか。それともただ俺が知らなかっただけなのか──
「えへへ、ナノにすっごくほめられちゃった」
本当に大丈夫なのか。幼児退行しちゃっているんだけど……。
「あ、あの、柏木さんは何か部活に入るのですか?」
話題を変えようとしてくれる琴吹さんに感謝。気が利く子だ。こんな人が嫁だったらマジ最高だろうな。浮気ダメ。絶対。
「私は──どうしようか?」
「え、あの、私に聞かれても……」
「あはは、ごめんごめん」
部活か。
前の俺は帰宅部だったし、中学でも帰宅部だった。今の俺が部活に入るってのもなぁ。"今は"やりたいこととかないし、どうしようか。
「ナノは"なんでも"できるからね。一個に絞るなんてムリだよ」
「確かにそうだな」
「あ、あの──」
おずおず、といった感じに問いてくる琴吹さん。
「"なんでも"って、なんでもですか?」
「そうだよ葵ちゃん。ナノはね、なんでもできるの。部活動とか一つのことを頑張るんじゃなくて、全部頑張るんだよ」
誇らしげに彩はそう言った。
なぜお前が誇る。
「ナノは専門家じゃなくて全門家なんだ!」
これも彩がよく口にする言葉だ。
「それも決め台詞なのか?」
「うん!」
元気で可愛い笑顔だ。
「ちなみにだけど、興味無いものはぜんぜんダメだから悪しからず」
『異常と超常現象』で滅入っていた俺の活力はできなかったことをする、やれなかったことをする、後悔の覆し、八年もの時間をそうやって過ごしてきた。
それが生きる目的だった。
「"なんでも"とは凄いですね」
「ただそれだけに時間をついやしてきたからね」
文字通り──ただそれだけに。
でもなぜだろうか。琴吹さんの声が少し低くなった。影のある声だ。『音楽』は"やってきた"から俺の耳は一般人より遥かにいい。だからわかった。
「何か思うところでもあった?」
問わなくてもよかったのかもしれない。問いても教えてくれないかもしれない。踏みこむとこもでは無いのかもしれない。
けれど、モヤモヤした気分が俺は一番嫌いな気持ちだ。気になったら行動。思ったら始動。自分のことでいっぱいの俺に、相手のことを考える余裕は──ない。
「……家が少し、いえ、かなり厳しいものでして──」
琴吹さんは語る。
「自分のしたいことなどがあったとしても、まずは親に了承が必要で、部活動に入ることにもかなりの時間を説得に有しました。私もそれが自分のあり方なのだとわかっているつもりなのですが、どうしても羨ましく思ってしまうんです」
──みんなが羨ましい。
「いつもいつも遠くで眺めるばかり。堅苦しい敬語でしか会話できず、友達には一歩引いた自分。明るく素直に振舞う彩子さんが羨ましい」
そして控えめに、遠くから眺めるように、潤む瞳を、俺に向けた。
「"七乃さん"が羨ましい」
「…………」
何が羨ましいとは言わなかった。
それが琴吹さんの内にどのように思われているのかわからない。俺は俺で、琴吹さんは琴吹さんなのだから。
体が変わっても、精神年齢が上だとしても、俺にはわからない。
──だったならば、
「"俺の"ようになればいい」
「え?」
やべ、素が出た。
「あ、いや、ゴホン、私のようになればいいじゃないか」
「無理ですよ。誰が誰かになるなんて、そんなの無理です」
「違う違う。そんなマンガとかに出でくる難しいことじゃなくて、琴吹さんは俺や彩が羨ましいんだろ? だったら一緒のことを一緒にやろうよ」
「一緒のことを一緒に?」
「そう。家の事情もあるだろうさ。厳しい家庭だってあるだろうさ。でもそんなことはいいよ。親だろ。なんとかなるって、子供の願いを叶えない親はいないって。琴吹さんのような良い子を育てる親ならなおさらさ。気楽に行こう、のんびり行こう。これからのスクールライフは楽しくがメインだ。琴吹さんが羨む私らと、琴吹さんが羨ましいと思ったことを一緒にするんだ。そこになんの違和感も、距離感もない。隣同士で楽しく過ごす。なんてったって私ら──友達だろ?」
昼休みに教室で机を囲って弁当を食いながらする会話じゃないぜ、こりゃ。また俺と琴吹さんの友達歴は数日であることを忘れてはいけない。
シュールだ。タイミング、内容、重要性、どれをとってもシュールだった。
彩から腹をつつかれ、耳を寄せるよう催促のジェスチャーが送られた。
「ナノの所為で最終回みたいな雰囲気になっちゃったじゃんかっ」
確かに入学式から数週間、琴吹さんと友達になって数日、それでもこんなことになったのは俺の所為だ。
しかし、影のある声には気になったし、後々になって、ああ、あのときの行動はこの理由の所為だったのか、とか後悔したくないのだよ、俺は。
「ほら、どうするのこの空気。教室中はにぎやかなのに、わたしらだけ別次元にいるみたいなんだけどっ。琴吹さんも目に涙とかためちゃってるし、ナノはかっこよかったし、どうするの!?」
耳もとで大きな声を出すなっ。
あと、かっこよかったってなんだよ。照れるじゃないか。ああ、琴吹さん涙目になってる、どうしようっ。
「──柏木さん」
「はっ、はい!」
琴吹さんからなんと言われるのだろうか。一応、精神年齢二十五歳の俺が精一杯考えて伝えた言葉なのだけれど、彼女に響いたのだろうか。
正直反論のしがいがありまくりなところが否めない。不安だ。果てしなく不安だ。
「私の手の届くところに来てください」
ええっ! マジか、手の届く場所って、俺ぶたれるの!?
内心やっちまった感と、やられる感が混合し、混沌となっている俺は席を立ち、椅子に座る琴吹さんの隣へ移動する。
刹那──抱きつかれてしまった。
立ったままの俺と、座ったままと琴吹さんとでは、琴吹さんが俺の腰にしがみついたようなカッコになってしまっている。
「……ぐすっ……ありがとう……」
震える声でそう言ったのを俺は聞き逃さない。
ギュッと俺の腰をつかむ彼女の手は震え、心も震えてくらているのであれば、俺の問題ありまくり、なんという綺麗ごとの他人ごと、反論されまくりの『言葉』は琴吹さんに響いたということだ。
もしかしたら、琴吹さんがきちっと俺の拙い言葉を自分なりに変換してくれたのかもしれない。
──言葉に乗せた想いが伝わったなら俺は満足である。
よしよしと琴吹さんの頭を撫でてあげる。
教室の何人かは怪訝げな目で見てくるやつもいるが、そんなやつらより琴吹さんが優先なのは当たり前だ。
彼女は友達なのだから。
家の事情で苦しみ、私は違うのだと自覚し、自分はなれないと決めつけ、そして友達とも距離を測ろうとする彼女は変わってくれるだろう。
家族が厳しいという家系は無数に存在する中で、その中の家系の娘である琴吹さんに出会えてよかったのだろう。
前の俺では知ることもできなかったであろう琴吹さんの事情に、今の俺が関わっている。これはこれでいい結果ということにしよう。
日を重ねるごとに俺らから距離を測ろうとする琴吹さんという未来は消えたのだ。俺らとは違うと、羨むことなく、劣等感を感じることもなくなったのだ。
おそらくこれはシリアスで、真剣で、真面目で、最終回的なものだったのだろうが、そんなこと俺の知ったことじゃない。友達が暗いそぶりを見せたら何か思うのが友達だ。気のせいだったと、思い込みだと、自分を納得させて持ち越しなんて、物語が面白くても、俺は面白くない。
これでよかったのだ。
これで解決。
俺と彩と琴吹さんは友達。
その事実に──なんら変わりはない。




