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1.船の行き先

 状況は、悪く無かったと思う。生き延びるだけなら、どうとでもなっただろう。それでも俺が飛び降りたのは、生きる苦労が見合ってないと思ったからだ。俺の人生には何も無かった。その証に、走馬灯すら流れない。


 痛い。あの高さから死に損なったのか。重い瞼を開いてしばらく、何が映っているのか分からなかった。僅かに射し込む光の幾つかが木の板に当たっている。軋む音に合わせて揺れを感じる。船の中みたいだ。体は動かしたく無い程に怠い。慣れてきた目線を落とすと、ボロボロの手足があった。20歳、ぐらいだろうか?俺は、知らない体に“いる"。壁に寄りかかるように座り込んでいた体を起こし、辺りを探る。幸い、動かす分には問題無さそうだ。俺の動きに合わせてジャラつく鎖がうるさい。状況を知るのに役立つものは、落ちていた紙一枚だった。僅かな光を頼りに一文字ずつ追っていく。


 “親愛なる見知ることの無い誰かへ"

 “俺はジャグ・ファントゥス。その体の元の持ち主だ。家族は百姓をしていたが、土地を奪われ殺されてしまった。俺も罪人として島流しだ。運命を選ぶことも、何かを達成することも無かった。俺の人生には、何も無い。だが、自分で死ぬ勇気も無い。だから針を刺すことにした。別の魂と入れ替わるらしいが俺には確かめようが無い。到着前に治させればいいと言って暇潰しに殴られる船旅から解放されるなら、何でも良かった。どんな魂が宿るか知らないが、好きにしてくれていい。魔法すら使えない体でも、役に立つことを祈る。"


 「…」

 魔法とはなんだ?到着前に治せるのも魔法だろうか?確かなのは、ジャグ・ファントゥスが全てを手放したということだけだ。せっかく譲り受けた体だが、俺には生きてやりたいことが無い。針が見当たらないので、2度目の自殺について考え始める。痛みの無い死を迎えたいが、この牢の中でどうすればいいのか。再びうなだれるように壁に背を預けて座り込んでいると、一際大きな軋む音が響く。誰かがランタンを持ってここへ降りて来たらしい。

 「今日はどいつだっけ?」

 「百姓のガキだ。」

 「あぁ、アレか。」

 明かりが通ったことでようやく、他の牢にも人がいることに気付く。ここからでは、生きているのかも分からない。

 「よう、ジャグくん。」

 「…」

 「返事もしなくなったか、つまんねぇな。」

 大きさから見て、それなりに立派な船なんだろう。だが、その船員までが長旅に耐えられる程に立派であるとは限らないようだ。鍵を開けた2人の捻くれた顔が照らされている。何故こんな目に遭わなければならないのか。命があるだけで面倒なことばかりだ。ジャグもウンザリしたから手放したのだろう。そういう意味では俺たちは似ている。死後の為の手紙を残す程の丁重さは無いが。

 「今日もこれで遊んでやる。ちゃんと声を出せよ?じゃなきゃウッカリ殺しちまうからな!」

 小さな光が集まるように現れた角材を手に、鼻につく笑い声が1歩近付く。今のが魔法…?呪文も何も無かったが、念じるだけで使えるのか?何が分かったわけでもないが、このまま殴られるのを待つのは御免だ。

 (何でもいい。出来ることがあるなら今、起これ!)

 一瞬、時が止まって見えた。何が起きたのかを知る前に、角材を持った男に吸い寄せられる。

 「ぅおっ!?」

 ぶつかりそうになった俺は思わず知らない声を上げていた。混乱しかけたが、まだジャグの声すら聞いていなかったことに思い至る。

 「何だ?あのガキは何処に消えた!?」

 俺は立っていた。目の前には俺が座り込んでいたはずの壁がある。視線を落とすと右手に角材があり、服装も明らかにジャグでは無い。別の知らない体に“いる"。

 「泡みてぇに消えちまった!魔法は使えねぇはずじゃ無かったのか!?何で今更…クソッ!オイッ、何か見てねぇのか!?」

 「アァ…イエァィ…」

 あぁ、見てない。そう返そうとしたが、上手く話せない。

 「ハッキリ言えよ!クソッ、とにかく探せ!」

 体が重い。傷だらけだったジャグよりも明らかに動かしにくい。角材は、増やせない。そもそも1つまでしか出せないのか?なら魔法を解けば―

 「んぁ?」

 引き摺られるような奇妙な感覚がして、角材男の後ろにジャグとして立っていた。慌てて魔法を再発動する。どうやら俺は他人に取り憑く魔法だけを扱えているようだ。ジャグがこんな魔法を使えた上で追い詰められたとは思えない。針とやらの影響だろうか。詳細は分からないが、この機会を活かすには船員2人をどうにかするしかない。だが、角材男も、ジャグの体も、屈強な男を打ち倒す程の力が出せるとは思えない。頼りになりそうなのは、腰にあるカトラスだけだ。ゆっくりと引き抜いたその刃物を床に置いて、俺は魔法を解く。

 「んぁ?―ガッァアア!」

 俺は傷だらけの体で刃物を拾うと、刃を当てて一気に喉を掻き切った。

 「クソォ!」

 もう1人がカトラスを抜いて迫る。恐れは無い。俺の魔法が1対1で負けることは無いと体感したからだ。


 「…お前がまともにノックするなんて珍しい。気遣いをする余裕があるということは、また荷物に乱暴したわけか?」

 「…アァ。」

 「長旅で退屈するのは分かる。だが、いちいち治しに行くのも面倒なんだ。違う趣味を探すか、せめて加減を覚えろ。」

 医務室の時点でほぼ確信していたが、コイツが治せるヤツで間違い無さそうだ。

 「オェェッ!―グッァアア!」

 俺は用済みになった体を捨ててカトラスを2人目の血で汚す。どこまでかは知らないが、ある程度の持ち物が一緒に取り憑くのは助かる。長時間取り憑いていると吐き気が溜まるのだろうか?おかげで喉を切るのに少し手間取ってしまった。

 「何だ!?一体―」

 「俺を、治せ。」

 喉元に突き付けた刃は鮮血で濡れている。

 「…治した後、俺はどうなる?」

 「差し迫った危険が無くなる。それで十分だろ?」

 「…手の平に触れろ。徐々に治る。」

 「コイツを少し治してみろ。」

 「手遅れだ。生きてる奴にしか効かない。」

 「…チッ…」

 喉元に小さな傷をつけ、奴の手首を掴む。奴の手の平が首に触れたところで、どちらも声を出さないまま傷が治り始めた。効果を確かめた俺は奴の手の平に拳を打ち込むように触れる。

 「…もう十分だろう。まだ船旅は長い。俺は役に立つはずだ。」

 「同感だ。掃除も楽になるしな。」

 「何をするつもりだ?」

 「警戒するな。キレイ好きなだけだ。」

 俺は治癒の出来る体で用済みの死体を担ぎ、甲板へ向かった。


 魔法は1人に1つだけ、発動と停止しか出来ない。俺は生きている人間にしか取り憑けない。取り憑いた状態で激しい動きをすることは出来ず、流暢に話すことも出来ない。制約さえキチンと把握出来れば、この船がもうすぐ陸地に着くと知ることも、俺の目撃者を消すことも簡単だった。ただ1人を除いて。

 「待て。ここで何をしている?理由も無く医務室から出るなんて珍しいな。」

 「…」

 「その血だらけの服は何だ?まさか、船長に言えない理由があるわけじゃないだろう?」

 船の側方。ランタンの灯りだけが照らす道のすれ違いざまに声をかけられた俺は、振り向かずに魔法を解く。治癒士の後方、つまり船長の目の前に後ろ向きで現れた俺は素早く反転し、勢いのままに切り付ける。

 「グッ!」

 (浅い…!)

 突如現れた俺の一太刀に下がるように反応した船長と距離が空く。騒がれると面倒なことになる。距離を詰めようとする俺に対して、船長は海へと飛び込んだ。その顔の一部は歪み、人では無い何かに変わっている。咄嗟に魔法を発動した俺の目に映る全てが一瞬止まり、距離の近い治癒士に吸い寄せられる。

 (お前じゃねぇんだよ!)

 四つん這いの姿勢で戻された吐瀉物から目を離し、先ほど船長が飛び込んだ海を覗き込む。暗い海には何も見えない。この船を任されるような奴が海に落ちた程度で死ぬとは思えない。正体に気付かれたまま逃したも同然だ。

 (…?何だ?)

 どのような手で襲い来るか分からない敵を作ってしまった、という心配は杞憂に終わった。海の中から目玉のついた触手がいくつも現れ、それは明らかに俺を捉えているからだ。大きくしなった1本が勢い良く落ちて来る。動きの悪い治癒士の体を捨て、思い切り飛んで避ける。

 「グギャッ!」

 船体への遠慮の無い一撃は人を砕き、船全体を大きく揺らす。飛沫とともに、放り出される。俺の魔法に攻撃力は無い。怪物相手に勝ちようが無い。また、落ちていく。死ぬのは良い。でも、うっかり手に入れた2度目の生が、半端に嬲られて終わりなんて。

 (―生きるなんて、やっぱクソだ。)

 視界が、一瞬止まる。最後の縋る意思が、誰かの体に取り憑いた。

 (怪物の、体…)

 人が変化した存在だからだろうか。理屈は分からない。それでも俺はいくつもの目で船を見ている。

 「何が起きてる!?船長なのか!?」

 騒ぎ出した船員達に見せつけるように、ぎこちない動きで乗船を試みる。案の定、攻撃を受け始めた。

 「やめろ船長!船が沈む!―クソッ!ダメだ、やるしか無い!全員で怪物を討伐しろ!」

 本体らしきタコの頭のような部位を乗り込ませる。十分な痛みを感じた後、俺は体を捨てた。船長であるという確信を持ちつつも、船が沈む可能性を排除する為に船員達が手を緩めることは出来ない。俺という脅威を排除する為に怪物のままでの対処を余儀なくされた船長に、逃げるという選択肢も、その体力も残されていない。信用出来なくなった両者の混乱は夜明けまで続き、有難いことに船長が討伐されることで決着した。怪物に取り憑いていた時の傷があっても、相手が人間だけなら俺は存在を完全に消せる。


 港町近海で発見されたその船には、どこにも誰もいなかった。ズタボロではあったが航行不能というわけでは無く、食糧の備蓄にも余裕があった。何が起きたのか、なぜ船を捨てたのか、この怪事件の真相を知る者は誰もいない。噂を酒場で聞いた俺は、幽霊船という自分の作品に満足していた。これで“ジャグ・ファントゥス"は自由となった。これだけのことが出来るんだ、ただ死ぬのも勿体無い。とは言え、俺は生きて何かがしたいわけじゃない。一番面白い使い道は何か。船が見つかるまで海を眺めて、俺は1つだけ思い付いた。“ジャグ・ファントゥス"を世界一の幸せ者にした上で、この体を返してはどうか、と。手放す方法があったんだ、返す方法もきっとある。俺とは違い、生きていたかったはずの“ジャグ"の運命を捻じ曲げる。俺に湧き上がったのは、それだけだった。

 (忙しくなりそうだ。)

 見知ることも無い誰かの為に。そう決めた時の今までに無い高揚感は、俺の奇妙な生き甲斐となった。

 「待ってろよ、ジャグ。とびっきりをくれてやる。」

 船で奪った金を置く。小さく呟いた俺は酒場を出た。

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