9.太陽の魔女
最終話です。よろしくお願いします。
広がりはしないけれど狭くもならない、一定の距離を空けて森を歩く。もちろん姿は見せてもらえない。小さな双子の魔女は、りんごの樹にすっかり隠れてしまっている。
外の世界は夏の盛りだと言うのに、木漏れ日はまるで春の柔らかさだった。さあさあ吹き抜ける風が何かをささやく。
「アサヒ様、ユウヒ様」
「何よ、拾いもの」
「あたしたち、怒ってるんだからね!」
ぼくが立ち止まると魔女も止まった。
「ぼくは目をつむっておきます。決して開けないようにするので、どうかぼくから逃げないでください」
おろおろしているきのこをすくいあげて頭に乗せる。くるりと反対を向いてりんごの樹に背中を預ける。目を閉じる。それでも目隠しするように枝が回り込んできて、顔の周りがざわざわ鳴った。
「……本当に目をつむった?」
「はい」
「見えてないのね?あたしたちのこと」
「はい。見えません」
ふう、とユウヒ様がため息をついた。
でもまだ怒ってるのよ、とアサヒ様が慌てて付け加える。
「まったくあんたってば、どうして戻ってきちゃうのかしら」
「求愛の魔女に何か言われたのね、そうでしょう!」
「他の誰の意志でもなく、ぼくが、この森に帰ってきたかったんですよ。いけませんか?」
「いけないってことはないけれど……」
樹を挟んだ反対側に、魔女が座り込む。たしかに目をつむっているのに、どこにいるのかなんとなくわかった。この森で過ごした盲目の日々、徐々にいろんなことができるようになった、あの頃みたいに。
きのこがぽてんと膝の上に落ちる。
「よくわかんないわ。王子様の生活はだめだったの?」
「だめ、と言いますか」
無味無臭、退屈な場所だった。塔を出ても自由になったわけではない。決められた場所で決められたことを学び、仕事をし、傍に置く人間さえ自分の意志では選べない。特別楽しいことも悲しいこともなかった。他の生活を覚えてないから、そんなものかと思っていた。それだけだ。でも。
「ぼくは思い出してしまいましたから」
「なぁに? 何を思い出したの?」
「おふたりと一緒にこの森で過ごしていた頃、ぼくはすごく……幸せでした」
誰かと助け合う生き方も、小さな出来事を一緒に喜ぶことの楽しさも、すべてこの森で教わった。何も持っていなかった空っぽのぼくを、ふたりの魔女が変えてくれたのだ。
「だから、別に、ヒトの世界に戻るために目が見えるようになりたかったわけじゃありませんよ」
「そうなの?!」
アサヒ様が叫んだ。
ぼくはすっかり大きくなったというのに、姉妹はまるで変わっていない。ちょっと無神経なところも相変わらずだ。
「……あなたがたのお役に立てると思ったんですよ」
「ねえ拾いもの、あんた怒ってるの?」
「怒ってはいません」
料理も洗濯も掃除だって、目が見えたらもっときちんと手伝える。あとは、やっぱり、ふたりをちゃんとこの目で見たくなった。それだけ。
「正直言って、できないことなのだと思っていたんです。迷わず杖をくれるくらいですから。冗談のつもりでした。あんな風に拒絶されるなんて、全然、思わなくて」
ああもう情けない。こんな恨みごとを言いたかったんじゃないのに。
「魔女は、約束を破らないわ」
「破れないの。そういう生き物なのですって」
歌うように姉妹が言う。
「それも求愛の魔女様に教わったのですか?」
「ううん。これは別の魔女よ」
「でも、魔女はみんなそうだわ」
「善い魔女も悪い魔女もね」
魔女というものについて、ぼくはほとんど何も知らない。知っていたらあんな願い事言わなかったのに。……多分。
「……あなたがたはどんな魔女ですか」
「あたしたちは強くて怖くて悪い魔女だわ!」
「そうね。目指すところはね」
八歳のぼくより小さな、優しい双子の魔女はいたって真剣に宣言した。思わず笑ってしまいそうになって慌てて口を閉じる。悪い魔女! なんて似合わない響きだろう。
「……悪い魔女はヒトに見られてはいけないという決まりでもあるんですか?」
「いいえ。そういう決まりごとはなかったはずよ」
「じゃあ、どうしてぼくを避けるんです」
「だってあたしたち、ええと、いみごだもの」
「忌み子?」
「ヒトと違うのよ。森の獣たちを見たでしょう」
たとえば古い書物には、死の国の門番は三つの頭を持つ犬の姿をしている、とある。それに近しいものが森の中にはたくさんいた。三本脚のカラスや、尾が蛇になった虎、幹がぐるぐる絡み合った植物。
「かつて大陸を支配した国では、豊穣の女神は双子だったそうです」
「知ってるわ」
「双子は体の半分がつながっていて、離れることはなかったと」
「……知ってたのね?」
「前は知りませんでした」
これは塔から出て学んだことのひとつだ。貴族や王族には必須の教養というやつ。古い書物の言い伝えの中には、真実に限りなく近いこともある。たとえば、眠れぬ王子の物語だとか。
「あたしたちは時代が悪かったんだって、求愛の魔女は言ったわ。豊穣の女神じゃなくて巫女だけれど、昔はそうやって祀られていたりもしたって」
「でもあたしたちはその時代の生まれじゃないから、この森に捨てられたの。もちろんいいことよ! 双子の魔女は森に育てられるものだからね」
「ただあんたはヒトだから」
「あたしたちのこと、怖がるんじゃないかと思って」
はじめはそれでよかったのだと、魔女はつぶやいた。珍しい拾い物を観察するのが楽しかった。怖がるのも怖がらないのも面白かった。何しろここは魔女の森で、ヒトという生き物自体珍しかったから。
「だけど、どうしてかしら? あなたに目をあげようって話になった時、あたしたち急に悲しくなったの」
「だから姿は見せないって決めた。ヒトはヒトの世界にいたいんだと思ったし、最後に怖がられるのは、嫌だったから。なのにあんたったら、戻ってきちゃうんだもの」
魔女はいつの間にかぼくの目の前にしゃがみこんでいた。左右から伸びてきた小さな手が、ぼくの頭をそっとなでる。
「もう返してあげられないわ」
「王子様じゃなくなっちゃう」
「それでも、いいのね?」
もちろんです、とぼくはこたえた。嬉しくって声がふるえた。
「ああもう。何で泣くのよ」
「ねえ、ほら、目を開けて」
森は相変わらず優しくて、静かなのに騒がしい。りんごの樹、草花、ちょっぴり偉そうなきのこと、不思議な獣たち。そうしてそれらの真ん中で、小さな双子の魔女が微笑んでいる。
「おかえりなさい」
赤い瞳がきらきら太陽のように光った。
その美しさを、ぼくは一生忘れないだろう。
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