7.魔女と森
ムズムズするわ、とアサヒがささやいた。
洗濯物を干し終わって、太陽は春の晴れ間くらいにしてねと森に頼んだところだった。
「目がなんだかおかしいの。ユウヒねえさま、これって何かしら」
あたしたちはできる限り顔を見合わせて、見えない片目を触りあう。これはこの目になってからできたあたしたちの新しい習慣で、とても大切な時間。
「呪いがちょっとだけ、揺れてるわね?」
「そうね。何かあったのかしら」
あの子からもらった赤い目は、持ち主が変わってもはがれないくらい強く呪われている。魔女や魔法使いのやり方ではなくて、もっと陰湿な悪意だ。洗ってきれいにするのはとても簡単だけれど、このままでいい。離れてもあの子のことを感じ取れるから。
「……変なの」
アサヒはあたしより呪いに敏感だ。
「最近はずっと落ち着いたのに、どうして急に騒ぎ出したのかしら」
「そういえば森も騒がしいわね。誰かお友だちが来たみたいだけど」
そしてあたしは、アサヒよりちょっとだけ森に近しい。
ここまで言えばいつもちゃんとこたえてくれるのに、今日の森はあたしと視線を合わせてくれなかった。
「あらあらまあまあ。あたしたちに隠しごとする気なのね?」
身じろぎする花をちょんとつつく。耐えかねた若木が枝を差し伸べ、年長の狼がその幹を尾で叩く。
「ユウヒねえさまったら、いじわるはだめよ!」
「いじわるじゃないわ。ちょっとからかっただけ」
「アサヒ、ユウヒ」
とびきり甘い声がした。
あんまり近くから聞こえたので、あたしだけじゃなくてユウヒねえさまも飛び上がって驚いた。おろおろしていた若いりんごの樹を、ねえさまが慌てて引っ張って壁にする。
そこまでしなくても……って言おうとしたけどやめた。ねえさますごい。
「なんでいるのっ!」
叫んだ声は悲鳴になっちゃったけれど、全然こわい魔女らしくなかったけれど、しょうがないわ。だって、求愛の魔女ったらひどいんだもの。
「なんであんたが一緒なのよ!」
目がおかしくなるはずだわ!
もともとの持ち主が森の中まで来てるなんて!
樹の幹に体を隠して、左右から頭だけ出すあたしたちに、求愛の魔女が笑いだす。
「きみたちがそんなに勢いよく動いたのって、はじめて見たよ!」
「笑わないでよ、求愛の魔女!」
「拾い物には、今はあたしたちの目をあげてるのよ!」
「それって見えるってことだわ! なのにどうして連れてきちゃうの!」
求愛の魔女がこんないじわるなの、はじめて見たかもしれない。今だって拾い物の背中をおしてこっちに来させようとしてる。ユウヒねえさまが慌てて花を咲かせて蔓を這わせる。
「来ないでってば!」
「求愛の魔女もだよ! あたしたちは悪い魔女なんだからね!」
「ええ? ぼくもだめなの? ぼく、別に善い魔女じゃないけど」
「知ってるわ!」
「あたしたちの森を勝手に動かしたくらいだもの!」
「こんなにひどいことされるなんて! 笑わないでったら! もう!」
あたしたちは散々に求愛の魔女をしかった。ユウヒねえさまは森にも怒った。
「あんたたちもね、なんてことするのよ。贈り物のつもりなら、悪いけど今回ばっかりはいらないわ。返してらっしゃい!」
むむむ。他の子はしゅんとしてるのに、なんできのこだけあんな堂々としてるのかなあ。樹の長より偉そうだわ。ユウヒねえさまが怒ってるんだよ。あたしでも素直にごめんなさいってするのに!
「あんたねえ」
ユウヒねえさまが深々とため息をつく。
「あたしたちよりちょっと年上だからって、何でも許されるわけじゃないんだからね? 素直じゃないですって? ふん。あたしたちはこの上なく素直にしてるわ。ヒトには見られたくないの!」
「そうよぅ。拾い物はヒトだわ、見られたくないわ!」
あたしの加勢に、きのこがやれやれと傘を振る。
「……ヒトってひとつにまとめるのは彼に悪いと思うけど」
「求愛の魔女は黙ってて」
「文句言うならお茶出してあげないよ!」
「それは困るな」
求愛の魔女が笑う。
「ああっ! なんで出しちゃうの?」
あたしの特製の香草茶なのに! 別部隊の三つ首の狼がお家の中から勝手に運んでくる。
「いつもこうやってるじゃないか。きみたちが眠ってる時期だって、ぼくはお客様として扱われてるんだよ」
「今は眠ってないもの。いつまでも言いくるめられるあたしじゃないのよ! あたしだってたくさん勉強してるんだから」
「そう。頑張ったんだね、アサヒ。えらいね」
「でしょう! わかればいいのよ」
「……アサヒをからかわないでちょうだい」
椅子に座って香りを楽しんでる求愛の魔女は、そっちの方が森の主みたいだ。ユウヒねえさまがまたため息をつく。
「もういいわ。勝手にしなさい。あたしたちは隠れておくから、好きなだけ飲んで、早く帰ってちょうだい」
う。ほら、みんなが勝手ばかりするから、怖いユウヒねえさまになっちゃったわ。
さすがのきのこも焦ったみたいで、ぱたぱた必死にこっちへ走ってくる。
でもユウヒねえさまは待ってあげたりしなかった。さっさと歩きだして、求愛の魔女や拾い物のいる場所から離れていく。
待ってください、って拾い物が言ったような気がするけれど、あたしたちは止まらなかった。
そっとねえさまの横顔をのぞき見る。
怖い顔。
とっても、きれい。
「前を見なさい、アサヒ。転んでしまうわ」
ユウヒねえさまはささやいた。
あたしはうんとうなずいた。
ありがとうございました。次回は最終回、27日です。