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第9章 絡め取るための、異変

1.


 今日も今日とて妖魔討伐が行われていた。最近、本当に件数が増えたと改めて実感する。

 袴田が見つめるスクリーンには、妖魔と巫女、庭師に混じって、エンデュミオールの姿も見られる。その中に黒い奴を見つけて、袴田は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 沙耶に近づき、まんまとたらしこんだ大学生。その認識が作った渋面である。

 別の意味もある。奴を抹殺する件が一向に進展しないのだ。忍者はいまだ糸口を見出せない、仕込み中と繰り返すのみ。ならば親族に危害が及ぶぞと脅迫させても、さして堪える様子も見えない。

 それは、こちらの事情が脅迫者から滲み出ているからだろうか。岡山に送り込んだエージェント――参謀長の懐から出た資金で雇った――が次々と消息を絶っているのだ。

 狗噛一族に返り討ちにあったのか。いや、そんな気概もない腰抜け揃いのはず。

 忍者とは別口で雇ったエージェントも、ほとんどが連絡途絶となってしまった。無人偵察機の銃撃にやられたと思しき2人を除けば、これも原因不明だ。

 あと数歩で、念願の副参謀長職に手が届くのに。邪魔者を排除しさえすれば。この手に排除のための実力が無いことが、こんなに不利に働くなんて。

 袴田は焦り、眼を血走らせていた。

 そしてそんな顔をさりげなく眺められていることに、彼は気付いていない。他の参謀たちの眼が、かつては畏敬し、あるいは恐れていたのが、変化しつつあるのに。

 その奇妙な雰囲気の中で、たずなは画面を眺める振りをしていた。彼女の意識もまた、妖魔討伐には向いていない。

あの方(・・・)を抱き込んだ以上、あとは寄せの問題だわ)

 あるいは、網の口を絞る段階というべきか。

 無理やりはできない。決定的な証拠が欲しい。それさえあれば。

 そこまで思考して、しかし彼女には権勢欲は無い。あるのは己の参謀としての――あるいは指揮官としての――天分を振るいたいという望みのみ。あくまでお店が優先ではあるが。

 面倒くさい政治的働きかけをするために頭を悩ませるのは、もうたくさん。その意味で、鷹取家は理想の上司だ。前世・・とは状況が違う――

 2人の主任参謀が異なる野望で眺める戦場は、終息に向かいつつあった。


2.


 エンデュミオール・トゥオーノの放った電撃が金剛をダイレクトヒットしてとどめとなり、目や口から煙を噴き出しながら金剛は絶命した。

「お疲れさん」

「トゥオーノ、なんかパワーが上がったんとちゃう?」

 イエローとグリーンに交互に声をかけられて、彼女は照れた。少しずつではあるが、攻撃力もスキルの発動も上手になってきてるのを実感していたからだ。

「お、結構早いじゃん」

 みんなが撤収の片づけをしているというのに、アクアはなにやらクルクル回りながらふざけている。そんなアクアが腕時計を眺めてのたまったのだ。

「誰かの家で呑もうよぉ」

「……珍しく出動してきたと思ったら」

「オトコにフラれたんすね、アクア先輩」

「違うよ~だ、今日はしけこむ予定が無いだけだよ~」

 家呑みか。トゥオーノは自宅の状況を考察する。

 ……だめだ、洗濯物を片付けなきゃ。隼人が来るだろうし。

 その時、ルージュが声を発した。

「じゃあブラック、お前んとこな」

「え?! うち?」

「そう。今夜はおまえん家だ。絶対に」

 いいけどと言いながら、ブラックは携帯を取り出して電話を始めた。

「――ああ、俺だけど。今からみんなで呑み会に――あ、ううん、俺の部屋で――そう、みんな、えーと、俺入れて9人、だな――」

 やがて通話を終えると、ブラックは振り返った。

「いいって」

「……あの、ブラック?」

「誰に電話したの?」

 ブラックはさらりと言った。

「沙耶ちゃんに」



「お帰り、隼人君」

 玄関でみんなを迎えた沙耶は、ついぞ見慣れない格好だった。

 明らかに部屋着と分かる服を来て、白いエプロンをして、手には菜箸。どう見てもコレは……

 素早くかつ過敏に反応したのは、理佐だった。

「なにやってるんですか? ここで」

 対する沙耶は落ち着いたもの。

「なにって、隼人君のご飯を作ってるのよ」

 菜箸を振り上げてにこやかに答える沙耶の脇を、隼人がすり抜けていく。匂いに釣られたのだろう。

「おお、唐揚げだ!」

「そうよ、唐揚げリベンジよ」

 今度はミキマキが反応した。隼人についていきながら、ユニゾンが始まる。

「「リベンジってどういうことですか?」」

「このあいだ作ってあげたら、いまいちって言われたのよ」

 三々五々に荷物を置いて――呆然と立ち尽くす理佐を除く――机の周囲に適当に陣取り始めたら、大皿が運ばれてきた。

「飲み会用に味付けを濃くし直したから、食べて」

「「沙耶さん、唐揚げ、もうええんとちゃいます?」」

 慌てて台所へ戻る沙耶と入れ替わりに隼人が戻って来た。つまみ食いでモグモグやってる隼人に、目を怒らせた理佐の追及が始まった。

「隼人君、これどういうこと?」

「3日に一度、ご飯を作り置きしに来るんだよ」

「どういうことだって訊いてるのよ!」

 懲りない人だな、と祐希としては呆れざるをえない。そのキリキリした言動が隼人の嫌気を誘発したのに。

「ふぅ、終わった終わった」

 唐揚げが山盛りの大皿を捧げ持つミキマキを従えて、沙耶がエプロンを外しながら戻ってきた。そこへ素早く理佐が近づき、背後を取って押し始める。

「? なに?」

「はい沙耶さんお疲れ様でしたさっさと帰ってくださいさあ早く」

 眼が完全に敵対者モードになってる理佐を止めようと動く優菜。ケラケラ笑って見てるだけのるい。呆れた表情――多分自分も同じ表情をしているだろう――のミキマキと万梨亜。アワアワしている凌。隼人も理佐を止めようと動き始めた。

 そんなリビングで、沙耶はゆったりと笑うと180度ターンをした。そして正対する格好になった理佐に告げたのだ。ご丁寧に人差し指をフリフリして。

「やぁねぇ。ご飯を作りに来た日は、お・と・ま・り。うふふふふふ」

 また衝撃で固まった理佐を見定めて、沙耶はまた踵を返した。

「じゃ隼人君、ちょっと行って来るね」

「どこへ?」

 隼人の食事をおつまみにしたから、代わりの食材を調達しに行くらしい。近所のスーパーのタイムセールがまだ間に合うからとか言って、

「ごゆっくり」

 余裕たっぷりに一同を見渡すと、沙耶は買い物に出かけた。

「……なんか、沙耶さん、キャラ変わったような」

「ていうか、半同棲になってるんですけど」

「なんで、なんでよ……」

 そうこぼした理佐は突然雷に打たれたように弾け飛んだ。向かう先は、そこは確か寝室……?

「きゃあああああ布団が新品になってるぅぅぅぅ!!」

「ちょっと理佐ちゃん、やめろよ」

「ぎゃああああああ衣装ケースが増えてるぅぅぅぅぅ!」

「じゃ、島崎さん(・・・・)抜きで始めようか」

「わたしをその名前で呼ぶなあああああ!」

 隼人の目論見どおり駆け戻ってきた理佐に、今日3度目の呆れ顔を禁じえない祐希たちであった。



 さめざめと泣き崩れている理佐を完全に放置して、呑み会は始まった。まことに残念かつ当然ながら、誰も触れず慰めず。

 理佐こんなものに構っている暇は無い。だって、恋仲の進展状況という至高の珍味があるのだから。

 その提供元・隼人が口の中の物をようやく飲み込むと、何かを思いついたように話し始めた。

「そういえばな、こないだお呼ばれに行ったんだけど」

「「さぞかし総領様も浮き足立ってたんちゃう?」」

 もてなしの準備を張り切りすぎて、隼人が来るまでぐったりしていたらしい。

 でも、隼人の本題はお呼ばれの顛末じゃないようだ。

「ほら、前にさ、みんな気にしてたじゃん? 沙耶ちゃんのお父さんって、どんな人だろうって」

 そう、気になるのだ。だって、ほかの一族に聞いても言葉を濁すか、『沙耶様に直接伺ってください』とかわされるのみなのだから。どちらかというと口の軽い琴音や優羽ですら、判で押したような塩対応である。

 これでは逆に、沙耶本人に訊きづらい。ゆえに気になっていたのだ。

 それを、お呼ばれの席で隼人が尋ねたらしい。

「初めてのお呼ばれでいきなり家族の核心を突く?」

「だって、沙耶ちゃんに訊いたら『母様に訊いて』だったから」

 優菜は珍しくソフトドリンクを飲んでいる。それを飲み干すと、身を乗り出してきた。

「で?」

「よどみなく答えてくれたよ。『ブラゼイロで環境問題に取り組んでるわ』って」

(一族こぞって塩対応の答えがそれ?)

 祐希が抱いた感想はみんなも同じなのだろう。てんでにしゃべり始めた。

「あれかな、ブラジル支社長とか?」

「いやいや、総領様の旦那さんですよね? 南米統括なんちゃらとかそういう偉い人なんじゃ?」

「環境問題いうたら、その筋の財団の理事長ちゃう?」

 それらの推測は全て、隼人の首振りで否定された。

「それっぽいこと全部言ってみたけど、否定されたよ」

「じゃあなんだよ」

「『アマゾンで木を数える仕事をしているのよ』だってさ」

 みんなしばらく意味が分からず固まってしまったが、るいが一人早く思考力を取り戻したようだ。

「シベリアじゃなくて?」

「それも言ったよ」

 総領曰く、『筆髭と一緒にしないで』らしい。要するに、昔の独裁者がした粛清と一緒にするなということ@るいだそうだが、

「それ、どう違うの?」

「「単位面積当たりを……じゃあなさそうやね……」」

「つか、なにしたんだお父さん……」

 遊び人だった夫が、息子や娘を出産した時も遊び回って家に帰ってこなかったのに堪忍袋の尾が切れたらしい。

「そんだけ?! いや、確かにイヤだけど」

「ブラックやな」「ほんまやな」

 他人事のようにのほほんとしてる双子に、ちょっと意地悪を言ってみたくなった。

「で、そのブラック一族に就職しようとしている人がここに若干3名ほど、と」

 その3名のショックを受けた顔を眺めながらサワーを飲んだ時、優菜がしれっと言ったのは、場に嵐を巻き起こす一言だった。

「お前もだぞ、隼人」

「? なんで?」

「結婚すんだろ? 沙耶さんと」

 人が人に注目する時、何か思念のようなものが発射されるんだ。そう思わざるをえないほど、みんなの直撃を受けた隼人はビール缶を持ち上げたまま硬直し、少し首を傾けていた。それからゆっくり直って、

「うまくいけば、な」

 一瞬の沈黙ののち、飲み会の場は黄色い歓声に包まれた。乾杯を叫んで新しい缶を開ける者、それに唱和する者、披露宴は何を着ていくか相談を始める双子、などなど。

 そんな中、すっくと立ち上がった女、これあり。このメンツ中最高に声をかけづらい、サイコちゃんだった。

 能面のような顔で誰とも目を合わさずクキクキと向きを変えて彼女が向かう先は、

「おーい理佐、帰るならカネ置いてけよ」

 優菜の呼びかけは意味を成さなかった。理佐は驚くべき行動に出たのだ。

 ガチャリ。

 その音が玄関のロックとドアガードを閉めるものだと気付いて、騒動が始まった。

 ちょうどその頃、沙耶は買い物袋を両手に提げて、アパートの錆びた階段を登っていた。

 思っていたより食材が少なく、料理を再考せねばならない。

「この時間だと料理長さんはお休みだし……検索するか」

 まだ呑んでるだろうな、みんな。

 今日は彼との時間が少なくなるけど、仕方がない。これから沙耶も付き合っていく、大事な知人たちなんだから。

「これから、か……」

 その言葉の持つ意味を詳考する暇も、嬉し恥ずかしで照れる暇もなかった。彼の部屋がやけに騒々しいのに気がついたのだ。

「あらあら、盛り上がってるわね」

 その好意的な解釈は、玄関まで1メートルほどで再考を余儀なくされた。大声を上げているのが隼人と理佐だったのだから。

 どうやら緊急事態発生のようだ。場に介入すべく沙耶はドアノブに手をかけたのだが、

「? 開かない?」

 チャイムを鳴らそうとする前に、室内の会話を耳が拾った。

「いい加減にしろよ島崎さん! 開けてくるって!」

「嫌よ! 放すもんですか! あなたは騙されてるのよ!」

「……なるほど、閉め出されたということね」

 こういう時の選択肢は、沙耶にとって一つしかない。そう、とっても簡単。

「やあ」



 突如、玄関方向で激烈な音がして、言い合いは止まった。

 ビキビキバキバキと、断裂及び破壊音。さらにカラカラとその破片が玄関周りに落散する音。それらに続いて、いたって事も無げな声が聞こえてきた。

「あ、扉外れちゃった」

 やがて、破壊の主がゆっくりと侵入――いや帰宅した。

「ごめーん隼人君、明日取り付けに来てもらうから」

 台所へ進む沙耶の顔を、みんな目を丸くして見上げてる。

 正直に告白しよう。腰が抜けたのだ。

 目的地へ入りかけた沙耶は、何かに気づいたような仕草をした。またゆっくりと後戻りして、隼人を羽交い絞めにしたままへたり込んでいる理佐を見下ろす。

 にやり。

「無駄な努力、ごくろうさま」

 続くお上品な高笑いが、さして広くもないリビングから遠ざかっていった。


3.


 15時間後。こちらもお上品な、しかし快活な笑いがカフェテラスの一角をにぎやかしていた。優羽と瞳魅に加えて、琴音と鈴香がお昼を食べに――そしておしゃべりをしに――来ているのだ。

「いやぁんあたしも見たかったですぅ」

 能天気な優羽のコメントには、さすがの双子も反論せずにはいられない。

「いやぁんやあらへんがな」

「ほんまやで。まさかドアを引っぺがしてくるなんて……」

 琴音が涙を拭いながらも笑いが止まらない様子で、

「沙耶様……力持ちだから……」

「いやいやいやいや、アレ、熊とかゴリラとかのレベルですよね?!」

 心から叫んだ凌であった。やっぱりこの一族は笑いの感覚がおかしい。

 微苦笑しながらカツサンドをほおばっていた鈴香が、突然パチンと手を打ち鳴らした。

「あ! そっか、それで優菜さんが訊いてきたんだ。ですよね?」

 その確認は、これも半笑いでクロワッサンをちぎって口に放り込んでいた優菜にであった。

「「訊いてきたって?」」

「次に沙耶様が隼人さんの家に行くのはいつかって、琴音に訊いてきたんですよ」

 うんうんとうなずく優菜。凌にはそれが何を意味するのか分からない。が、双子は気付いたようだ。

「「あー、るいちゃんも仕込みやね?」」

 仕込み。そのキーワードで、ようやく目の前が開けた。

「そっか、昨日隼人さんの部屋で呑み会をやるために……」

「そう」と優菜は笑う。

「隼人の現状を周知するためにさ。呑み会もできて一石二鳥だろ?」

「え、じゃあ隼人先輩も仕込みですか?」

 瞳魅に訊かれて、優菜は首を振った。

「あいつ、お芝居下手だから。すぐ顔に出るし」

 双子がその時、にやりとした。

「「隼人君の覚悟も聞けて、三鳥やったね」」

「ん? ああ、あたしは前に聞いてたから、別に」

 話についていけない人たちに教える。隼人が『うまくいけば』沙耶と結婚までいきたい。そう言っていたのだと。

「「ていうか優菜ちゃん、聞いてたの?」」

「うん、このあいだ、ちょうどこの席で」

 穏やかな表情。凌は思わず声を発していた。

「いいんですか? それで」

 言われて眼を見張ってすぐ、優菜はまた穏やかな、でも少し寂しげにも見えなくない表情になった。

「いいんだよ。あたしにはご縁がなかった。以上終わりさ」

 そう言い切る優菜を、凌は初めてかっこいいと思った。男っぽい言葉遣いも相まってなのだろうか――

「――って、なにエンディング迎えてるんですか!」

「混ぜ返すなよ優羽」

 言われて見やれば、ご一族がモノスゴイ目の煌きで身を乗り出しているではないか。その一人、琴音が少し声を震わせながら、

「その場に沙耶様はいらっしゃったんですか?」

「いないよ。買い物行ってたから」

 なるほど、と一言つぶやいて黙った琴音の気配が怪しく感じられるのは、思い過ごしなのだろうか。それとも黄色い手帳を繰り始めたからだろうか。凌には判別できなかった。



「――だ、そうです」

 報告を終えると、琴音の耳朶は電話口の啜り泣きを聞いた。最近、総領は涙もろくなっている気がする。

『ありがとう、知らせてくれて。これからもよろしくね』

 承って通話を終えて。

「よろしく、か……」

 なにをどう『よろしく』したらいいのか。琴音は手帳を閉じるのも忘れて悩み始めた。

 一方、そんなことを知らない総領は、涙から立ち直っていた。今後採るべき方針を素早く定め直す。そのための受話器を取り上げたところで、部屋の扉がノックされた。

「あのー、会長、会議の時間ですが」

「ごめん! 5分だけちょうだい!」

 手を合わせて拝む総領の勢いに負けて、秘書は扉をそっと閉めた。それを待ちきれないように、電話番号をプッシュする。

「もしもし、長嶺さん? 鷹取です。先日お願いしてた件なんですけど、策定を早めてほしいの――そうね、来週頭には報告書がほしいわ――ごめんなさい、あちらの動きが早まったのよ――もちろんよ。特急料金は払うわ。じゃ、お願いしますね」

 受話器を置いて、総領は気合いを入れ直した。

「あとは沙耶次第か……」

 彼は今21歳。その気があったとしても、2、3年後と思っているだろう。だが、そうはいかないのだ。こちらとしては、一刻も早くキメタイ。改めてそう思う。

 やはりそのためにも、プランは前倒しで策定させて遂行せねばならない。隼人が鷹取家に婿入りする際の障害となるヒト・モノ・カネへの対処プランを。


4.


 圭が支部に出勤すると、パソコンの前に陣取る千早という珍しい光景に出くわした。

「なにやってんの?」

「んー、案内文の作成」

 のぞき込むと、意表を突かれる文面だった。

『   ※※残念会のお知らせ※※

 

 隼人が結婚するんだって!

 だから、残念な人たちの呑み会をやるぜ!』

 圭はすっと身を起こすとつぶやいた。

「……お前がこんなに残念な奴だったなんて」

「あたし?! あたしは別に残念じゃないけど?」

「いやそっちじゃなくて」

 なぜ、捨てた男の結婚を祝福する飲み会なんぞやるのか。

 そう問いかけると、千早は一区切りついた文面をチェックしながら答えた。その横顔は、明らかに面白がっているようにしか見えない。

「だって、めでたいじゃん? ギャクタマだよ?」

「ふつーに本人を祝えよ」

「プチ同窓会も兼ねれるし」

「サイコちゃんは同窓生じゃないぜ?」

 頭を抱え始めた千早を放置して、窓辺に座り外を眺める。

 隼人が結婚する。めでたい限りだ。彼の苦闘を間近で見てきた幼馴染としては、素直に祝福してあげたいと思う。

 まだ未定事項だけど、どう考えても沙耶が断るとは思えないし。

(このあいだこっちに来た時もラブラブだったしな)

 ところで、沙耶のお家としてはどうなんだろう。あんな奴――いい意味でも悪い意味でも――を受け入れるのだろうか。庭師に就職予定の圭としては、もうちょっと情報が欲しいところである。

「お家と言えば……」

 隼人の義父母やあのクソガキは、このことを知ってるんだろうか。

 義父はなごみから聞いてるかもしれないが、義母あっちとは付き合いがまったく無いはず。

 あのババアが『義理の息子が財閥一族の女性と結婚する』と聞いた時、どんな反応をするか。

(冷血鬼 対 鬼の末裔、か……血の雨が降るな、うん)

「早く結婚しないかな、隼人」

 あの母子に一片の憐憫も持ちようがない圭の真意は千早には伝わらず、文字どおりの意味で聞こえた彼女の心にさざ波を立てた。

 そりゃあ、早いほうが良いに決まってる。沙耶だって人間、気が変わらないとも限らない。

 でも、なんとなく、くやしい。

 あの男は彼女に当てつけるために、沙耶と付き合ってるわけじゃないのに。

(だからあたしは茶化そうとしてるのか)

 ま、カレシの商売からすれば、『未来の妻の友達が財閥に婿入り』というのは、プラスになるだろう。たぶん。

 また入室してきた仲間にあいさつを返して、千早はいずればらまく予定の案内文を閉じた。


5.


 昼飯にパスタというのは、隼人の食習慣にはなかったものである。理佐は和食中心だったし、その前の彼女は揚げ物の冷凍食品が多かった。

 そういえば、去年のダブルデートの時も昼飯はパスタだったな――と口には出せない。なぜなら、そのダブルデートをした双子と今連れ立って歩いているのだから。

 からかわれること必至なだけではない。隼人の隣を歩く沙耶には手を握られているのだ。この手はすかさず潰されて、ぼろきれのようになってしまうだろう。

 だから言わない。言わない代わりに思いを馳せたのは、

(あれから1年か……)

 いろいろなことがあったな。あの時は、沙耶の存在すら知らなかったのに。

「隼人君、なにたそがれてるん?」

「倦怠期? 倦怠期?」

 隼人たちの周りをクルクル回りながら見当違いなことを述べる双子を、沙耶は怒らなかった。

「大丈夫よ」

「そうだそうだ! いい加減なこと言うな!」

「お見舞いが終わってからきっちり吐かせるから」

「なんで時々不穏なワードを散りばめるの?」

 横目でにらむと、沙耶が急停止した。隼人の正面に回りこんで、ハンカチを取り出す。

「もー、食べ終わったら拭きなさいよ」

 トマトソースが付いていたようだ。拭えて満足そうな沙耶と拭ってもらってありがたい隼人を、双子が囃した。

「ええなあシヤワセそうで」

「ほら隼人君にやつかない」

「にやついてねぇっつーの」

「「その声色がもうニヤツイテるで」」

 さらに囃し立てられて、隼人は韜晦した。

「まったく世話焼きだな沙耶ねえさグフォッ!!」

 むくれてさっさと歩いていく沙耶の背中を眺める余裕はない。なぜならボデーを痛打されて歩道のアスファルトを眺める羽目になったのだから。

 双子の呆れた声がうずくまる隼人に投げかけられた。

「アフォちゃう? 自分」

「なんでわざわざ気にしてるポイントを突くかな」

 痛む腹を押さえながら、隣野市民病院の病室に向かう。くるみがまた体調不良を訴えて、検査の結果『入院して様子見』となったのだ。

 程よく冷房された個室に隼人たちが入ると、沙耶が既に入室して、くるみやなごみとおしゃべりをしていた。

「お兄ちゃん、また余計なこと言ったんでしょ?」

 そう笑うくるみの声には張りが無い。気遣いの言葉を掛けながら沙耶の横に座ろうとして、彼女の手がくるみのそれに添えられていることに気づいた。

「お兄ちゃん」と今度はなごみが口を開く。

「ちゃんと沙耶ねえさんにお礼言った?」

「お礼?」

 個室料金その他入院費用を出してくれているらしい。全然聞かされていない。それを率直に打ち明けると、真紀がリンゴをむきながら笑った。

「ま、わざわざ申告することでもないしな。カノジョやし」

「せやね。ねえさんやし」

 そうそうとばかりにうなずいた沙耶は、くるみの顔をのぞきこんだ。

「くるみちゃん、主治医の先生はどうかな?」

「? どうって?」

「もし不満があるなら、うちの病院に転院してもいいのよ?」

 なごみが一瞬目を見張って、なんとも言えない顔になった。

「さらっと言いますね、うちの病院って」

「大した規模じゃないからよ」

「いやそういう意味じゃなくて」

 うんうん、会話が噛み合わないよな、時々。

 深くうなずくと、隼人は心中と別の感想を放った。

「大きな病院じゃん。病室もなんかきれいだったし」

 真紀が刻んだリンゴを美紀が配りながら、

「くるみちゃんの病気、専門医が診なあかんのとちゃいますの?」

 これにも、沙耶はしれっと答えた。

「大丈夫よ。必要なら探して連れて来るから」

「……なんか、ペットショップの店員さん並みの気軽さなんですけど」

 なごみの呆れ顔がツボだったのか、くるみが笑い出した。穏やかな笑い声が病室に広がる。なぜ笑われているのか分からない沙耶を除いて。

「そういえば、千早と圭が来るんじゃなかったっけ?」

 隼人が笑いを収めて訊くと、なごみが応じた。

「なんか、ボランティアで夏風邪が流行ってて、2人とも発熱だって」

「へー、大変だなあそこも。支部長さん、たずなさんに捕食されたんだっけ?」

「「せやな」」

 ふと気付くと、なごみに見つめられていた。

「お兄ちゃんたち、横浜の人たちと交流があるの?」

 ヤバい。直感がそう告げている。

 こういう時、隼人はうまい表情が作れない。そしてそれを、双子はよく知っている。すかさず声を上げて、

「「うん、あの2人経由で付き合いがあるよ?」」

 だが、納得は得られなかった。別方面から切り込んできたのだ。

「お兄ちゃん?」

「お、おう」

「沙耶ねえさんの病院の病室がきれいって、なんで知ってるの?」

「……このあいだ、ちょっと入院したから」

「ええまたしたの?」

 と、くるみも怪しみ始めた。でも、商いは正直申告。そう思っての釈明だったのに。

「通知には浅間会病院しか載ってなかったけど?」

 ああそうだ。市役所のお節介で、どこの病院に受診したかの通知が来るんだった……あれ? なんで載ってないんだ?

 その答えは、沙耶からもたらされた。隼人の窮状を見かねたのか、ゆったりした笑みを見せながら。

「ボランティアの人は、鷹取家から医療費を支給してるからよ」

 それは嘘だった。というかたった今思い出した。退院した時に『実家に届く通知に病院名が載ると面倒だから、なんとかならないか』ってお願いしたら、健康保険を使わずに入院したことにして、差額を沙耶に払ってもらってたんだった。

「ずいぶん手厚い待遇ですね、ボランティアに……」

 なごみはつぶやいたがそこで追及は終わった。沙耶に遠慮したのだろうか。

「そういえば昨日、ご親戚の方たちが来ましたよ」

「誰?」

「えーと、コトネさんとスズカさんと……」

 小学生と騒がしい人とそれにツッコむ人。そう言われて即座に顔が浮かぶ。病室に飾ってある花はそのお見舞いだった。

「ごめんなさいね、病室で騒いじゃって。よく言っておくわ」

「いえ、にぎやかでよかったんですけど……」

 なごみは言いよどむと、

「皆さんよく似てますね、沙耶さんに」

「「そうそう、びっくりするくらい似てるよね」」

「それを君らが言う?」

 一連の流れは病室に笑いの花を咲かせたが、なごみはそれに染まらなかった。

「どうして急にご親戚が来るようになったんでしょう? 一昨日はサラっていう子が来たし」

「子って……」

 ああ、中高生だと思われてるなこれ。

 沙耶もそこはあえて触れず黙っていると、ミキマキがニヤニヤし始めた。

「そりゃ来るわなご親戚やしー」「やしー」

 きょとんとする義妹たちと沙耶だったが、くるみがなぜか突然眼を怒らせたではないか。

「ていうか、女の子ばっかり来るんだけど……お兄ちゃんまさか全員彼女じゃないよね?」

「んなわけないだろ」

 なんでそんな泥沼に全力で飛び込まねばならないのか。

(つかそんなことしたら、沙耶ちゃんに潰されるか鷹取家に抹殺されるか……どっちが先だろう?)

 チョビヒゲ大歓喜。会ったことないけど、なんとなく眼に浮かぶ。

 思わず口にしようとして、義妹たちは実情を知らないことにすぐ気がついて、空咳をしてごまかした午後のお見舞いであった。



 ミキマキたちとは別れて、リムジンの停車場所まで見送りに行く。沙耶は傘下企業の会議に出席せねばならないのだ。

「良かったよ、くるみが沙耶ちゃんにツンケンしなくなって」

「そうね。なごみちゃんのおかげだわ」

 なんて会話をしながら、少し離れた公園の駐車場に向かう。長大なリムジンの停車場所が、近在でそこしかないのだ。沙耶は『呼ぶまで適当に街を流していて』という類の指示が嫌いで、おかげで運転手は大変そうであった。

 いつものように土の広場を横切って、まっすぐ駐車場を目指す。ああ、いたいた――

 異変に気付いたのは、いや、異変に絡め取られたのは、沙耶だった。突然ガクンと崩れ折れたのだ。隼人が驚いて振り向くと、顔が真っ青で、つないだ手のひらにもじっとりと汗を掻いている。

 どうしたのと声をかける暇もなく、今度は隼人も察知した。

 敵だ。

 しかも、かつて見知った敵。

 死んだはずの。

「くくく、成功だ。さあお嬢さん、私の取引材料になってもらうよ」

 栗本が両手を天にかざすと、彼を中心に4メートル四方の地面が鈍く光り、まるで折り紙のようにめくれ上がり始めた。なんらかの結界が張ってあるのだろう。3人を包むようにゆっくりと紋様が迫ってくる。

「隼人君……逃げて……!」

 荒い息の沙耶が出すかすれた声を聞くまでもなく、隼人は即断した。

「いやだ」

 そう言い放ちながら沙耶を抱え上げ、勢いをつけて結界の外へと放り投げた!

「な……! 貴様ァ!」

 栗本の怒号を背に聞きながら、隼人は転がったまま呆然とこちらを見つめる沙耶に微笑んだ。

 結界に包まれて、その姿が見えなくなるまで。

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