第11章 突入作戦
1.
もうすぐ夜の7時。優菜は腕組みをして、時が来るのを待っていた。待機所は冷房がよく効いていて、だからこそ出撃に備えて5分ほど前に外に出た。蒸し暑さに慣れておかないと。
同じ考えの真紀と美紀も続いて出てきて、戦況を眺めていた。ちらりと流し見た双子の眼には、何の感情も浮かんでいない。
それが双子の本気の眼であることを、優菜はこの1年を越えた付き合いで学んでいた。それでもあえて声をかけてみる。これが女の性なのか、気詰まりなのだ。
「一進一退だな」
「「損害が大きい」」
本当に本気だ。こいつらも、鷹取家も、そして敵も。
もちろん、あたしも。
作戦は3フェーズに分けられていた。
第1フェーズは19時まで。庭師による妖魔への打撃を行う。
といっても庭師の本分は護衛であり、鷹取の巫女や優菜たちのような有効的な攻撃手段を持っていない。苦戦が予想された。
第2フェーズは19時から。エンデュミオールの戦闘参加により妖魔勢の中を突破し、凌――イツヒメを洞窟内部へと潜入させる。
任務は2つ。1つ目は影に潜行して最短侵入路を特定すること。2つ目は、栗本が持つ呪式の法具を破壊すること。何がしかの法具を身に付けていることは、栗本との通信録画映像を解析して推測されていた。
この任務達成により、巫女たちが戦闘に参加可能となる。第3フェーズだ。妖魔及び敵戦闘員の排除と並行して隼人の救助となる。
――正直、ギャンブルである。勝算が高いとはソフィーには思えない。
じっと自分の手を見つめる。2時間ほど前に、試しに結界内に侵入してみたのだ。やはり血を封じられてしまい、剣を振るうどころか指一本上げられず、庭師に引っ張り出されて脱出する破目になった。
上空は哨戒できる。でも、光弾を叩き込むことができない。光弾が消滅してしまうのだ。鷹取の巫女が放つ投射系の技も同じである。恐るべき術だとシャッポを脱がざるをえない。
懸念はほかにもある。作戦の目的だ。
『総領候補者の恋人を、つまり他所人1人を奪還するために血を流せ』
そう言っているに等しい。
それで皆動くのか。作戦開始から1時間、増えていく負傷者の数に、誰も作戦の中止を唱えないのか。
主任参謀が指示を出していた。ルイとミキに、変身と同時に負傷者への治癒を行うように。
(我が国なら……)
空軍による爆撃ができるだろう。いや、今回はそれも無理か。地下洞窟が落盤して隼人を押し潰してしまったら元も子もない。
ならば地上部隊で――
ふと、名前を呼ばれていることに気付いた。主任参謀がこちらに顔だけ向けている。
「第3フェーズに移行しても、出動しないでくださいね」
「なぜですか?」
主任参謀は首をかしげた。
「あなたは参謀部のお仕事を勉強しに来たんでしょ? 後方でぐっとこらえて見守るのもお仕事のうちですから」
了解したと返答して、しかしソフィーの心は釈然としない。とそこへ、不意打ちが来た。主任参謀が近づいてくると、顔を寄せてきたのだ。
「米軍機のパイロットを驚かせちゃだめだからよ」
その眼は面白がっているようにしか見えない。
(プランAをまだ捨ててないということか……)
黙ってうなずいて、去っていく主任参謀の背中を眺めながら、プランAが実行されたとたん彼女は殺されるのではないかという思いがちらと脳裏をかすめた。
2.
「あと5秒、4、3、2、1、第2フェーズ開始!」
「変身!」
白水晶が作り出した炎を手刀で切り破って、ルージュは吼えた。
「行くぞ!」
その声より早く、ブランシュのスキルが発動する。
「ゼロ・スクリーム」
対象を絶対零度で凍結する白弾が飛び、避け損ねた2体の長爪を永遠の眠りに就かせた。まだうじゃうじゃいるけどな。
『西東京組の第2陣はあと15分で到着。イツヒメはそれより早く現着の模様』
「あいつ、飛び出したな」
そうつぶやきながら火球を連続で撃ち出し、炎蛇も立て続けに放つ。今まさに『どこへ撃っても当たる』状態だ。視界の端で、紅夜叉丸の直撃を受けて吹き飛ぶ長爪が複数見えた。
頃合いを見計らって、後退の指示が出る。無視して突っ込んでいこうとするブランシュをひっ捕まえて後退すると、目論見どおり妖魔が大勢追撃してきた。
迷うことなく背を向けて逃げる。10歩ほど逃げたところで、おなじみの風切り音が多数聞こえた。
妖魔たちは結界の外に突出したのだ。ここぞとばかりに月輪を浮かばせて待ち構える巫女たちの前に。
次々と刻まれていく仲間を見て、妖魔は反転して退却した。どうやら結界で自分たちが守られていることは理解しているようだ。
「よし、また釣り出しやるぞ」
そこへ、アクアとイエローが戻ってきた。
「さ、きりきりやるよー」
と気が抜ける声でアクアは両手を高く差し上げた。
「カーペット・ボミング!」
「ライトニング・バニッシャー!」
とイエローも続く。2人のエンデュミオールの全体攻撃スキルで敵が減る――はずなのに。
「……なんか、増えてない?」
「出口から出てきてるじゃん!」
そう、たった一つ穿たれた麓の穴から、妖魔たちがぞろぞろと出てきているのだ。
「参謀部、あの穴を塞ぐことはできませんか?」
『対抗手段を説得した。今そちらに向かっている』
「……説得?」
参謀部からそれ以上の説明を聞く暇は無かった。ルージュたちはまた妖魔を釣り出す作業に取り掛かったからである。
3.
「始まったな……」
この幽閉スペースの壁――隼人の住む安アパートに使われている建材のようだ――を通して一定の方向から、命令を下す女性の声がかすかに聞こえてきていた。おそらく妖魔を召喚して外へ送り出しているのだろう。
鷹取家が今日の深夜12時までに隼人を救出できなかったら殺される。そのことはついさっき、監視役の女性の一人から知らされていた。
『怖いか?』
『ええ、まあ』
『それだけか?』
『どうせ殺されるなら、あなたがいいな。美人だし』
結果、盛大に嗤われて今に至る。夕食の量が少し増えた気がするが、きっと気のせいだろう。それをほおばりながら、考える。
(それにしても律儀だな)
あの栗本という男である。隼人を生かしておいて、なにかメリットがあるんだろうか。女性が言った『交渉が決裂したから方針が変わった』のなら、なおさら彼は用済みのはず。
てことは。
「沙耶ちゃんたちを引き付ける罠ってことか」
「正解」
心臓が止まるかと思うほどの衝撃が背後から来た。このスペースには彼しかないはずなのに。怖すぎて後ろを振り向く気には到底なれない。凌の声でもないし。
だが彼の心臓はまたもタフな展開を迎えた。女性が正面に回りこんできたのだ。すーっと音も無く。明らかに足を動かさずに、滑るように。
ツカダと自己紹介した女性の顔色は、幽閉スペースの明るくない電灯の光も相まって、暗い。眼の光だけは異様にキラキラしているが、全体的に生気がないと言っていいだろう。
そしてこの雰囲気。隼人には覚えがあった。
「もしかして、地獄関連の方っすか?」
「へえ、分かるの?」
牛頭や馬頭と雰囲気が似ているのだ。それを説明すると、にやりとされた。
「なるほど、それで……」
「あの、何がなるほどなんですか?」
質問には答えてもらえなかったが、ツカダと名乗る女性(幽霊?)は来訪の用件を教えてくれた。
「今からたずなさんのところに行って来るから、ついでにあなたの様子も伝えてあげようと思って」
「あの、沙耶ちゃんに伝言頼まれてくれませんか?」
許可を得て、隼人は少しだけ頭を捻る。気の利いた、でも想いの伝わる一言を。
その時、外から女性の声が響いてきた。
「動くな!」
扉が荒々しく引き開けられ、月輪を複数従えた女性が入室してくる。きょろきょろと内部を見回した女性は、隼人の胸倉を掴んだ。
「おい! 今誰と話していた! 例の忍びか!」
「違いますよ。あの人です」
隼人は努めて冷静にツカダのほうを手で示した。
「ツカダさんです。カワイイでしょ?」
手が示す方向をきょとんとした眼で見つめた女性は、憤った。
「嘘をつくな!」
「えー見えないんすか? ピンクのブラウスにニーハイソックス履いてて」
素直にその姿を描写したのに、女性は気持ち悪いものを見るように隼人を凝視し、手を放した。
「紛らわしいことをするな! あれか、我々を分断しようとする――」
その時外から別の女性の声がした。呼ばれた女性は舌打ちをすると、隼人をにらみつけながら足音高く出て行った。
ツカダが呆れたような声を上げる。
「よくもまあこの状況で……あの人に見えてないって、なんで分かったの?」
「そりゃあ、あれっすよ」
隼人は声のトーンを落として解説した。見えてるなら、まず月輪を飛ばすだろうと。月輪は目標を定めないと飛ばない。そう沙耶から聞いていたからだ。
なるほどとうなずくツカダを見ながら、隼人はふと閃いた。沙耶へのメッセージと、もう一つ。気の利いたのは思い浮かばなかったけど。
4.
ツカダが参謀部の指揮所に現われた。隼人からの伝言を持って。その連絡を受けて、沙耶は走った。
「ねえさま~待ってくださ~い」
と叫ぶ優羽を置き去りにして。庭師を数人危うく跳ねそうになりながら、指揮所に飛び込んだ。
「速っ!」
と笑うツカダは相変わらずだった。死人だから当然なのだが。
「まさに飛ぶが如くですね」
とたずなも笑う。そんなことはどうでもいい。
「で?」
ツカダはしようがないなという顔で、ゆっくりと答えた。
「メシがまずいから、早く助けに来て。だって」
何気ない一言に、不覚にも涙がこぼれる。私のせいで……
(ねぇ、この子、こんなんだったっけ?)
(女は変わるから)
(わたしは変わらないけどね。ユーレーだし)
ひそひそ話が丸聞こえだ。きっとにらむと軽く笑われて、
「とりあえず、あなたたちに伝えられることが3つあるわ」
1つ目は隼人の幽閉スペースへの最短経路と聞いて、沙耶以上にたずなの目の色が変わった。部下に命じるその声は、さすがに鋭さの混じったもの。
「すぐに紙と筆記用具を」
「悪いけど、わたし、持てないよ? ユーレーだから」
ほら、と言いながら目の前の机をすり抜ける手を見て、参謀たちは少しだけ頭を抱えたが、口述筆記(?)による地図作成となった。
「2つ目。妖魔の数だけど」
ツカダはちらりと大型スクリーンを眺めたあと、驚くべきことを言い出した。
「疫病神がね、怒ってるのよ。地獄の牢穴で」
栗本の配下たちが使用している妖魔召喚の呪式は、疫病神が地獄で作り出している妖魔たちを勝手に拝借しているのだ。ツカダはそう述べて、肩をすくめた。
「妖魔は速成出来ない。それを勝手に持ってかれちゃって、怒ってるわ。抗議にも行けないし」
妖魔は無尽蔵に涌いてこない。それを聞いて、副参謀長が声を発した。
「第2フェーズの作戦内容に一部変更が必要だな」
「ですね」
「それは3つ目を聞いてからのほうがいいと思うけど?」
ユーレーはニカッと笑った。この顔色でそれは正直言って気味が悪い。わざとやってるんだろうけど。
「なんですか?」
「隼人君が気が付いたことなんだけどね」
と前置きして、ツカダはあっさりと言った。
「栗本の配下の女性が、月輪を従えて幽閉場所に入ってきたわ」
それが導く事実に気付いたのは、なぜかソフィーが一番速かった。幽霊と名乗る女性を気味悪げに眺めながら、しかし口調には驚きが混じっている。
「地下にはあの呪式の効果が及ばないということですね?」
ツカダのうなずきとほぼ同時に、参謀が全員招集されて検討が開始された。
5.
遅れてきたメンツも交えて、エンデュミオールたちは2交代制を敷いて妖魔と戦っていた。とはいえ、さすがに敵の数が多い。
そこへ、参謀部から連絡が来た。『妖魔の数には限りがある』と。
「て言われてもねぇ」
まだまだ妖魔の数は多い。はっきり言って数的には劣勢なのだ。それでもどうにか互角でいられるのは、現場の工夫だった。
「退避!」
巫女の一人――沙耶が参謀部に呼ばれたため、最年長の彼女が指揮している――が号令をかけると、エンデュミオールたちはとっとと左右に逃げる。空いた正面に、巫女たちが投石を行うのだ。
さすがにそういう訓練はしていないからか、ばらばらのタイミングでだが、これが結構な速度で飛んで行き、妖魔に悲鳴を上げさせている。
きっかけは、海原霧乃だった。最初は緊張感も露わに釣り出されてきた妖魔に月輪を投じていたが、やがて妖魔も学習して深追いしてこなくなり、暇になってしまった。
そうなると所詮は小中学生、美玖やほかの同年輩巫女たちとのつっつき合いが始まり、年長巫女のお小言を食らって代わりに始めたのが、『どこまで遠くに石を投げられるか』だった。
そして霧乃が投じた5球目は、遠投のつもりが豪速球ストレートとなり、長爪の顔面に見事命中、昏倒させてしまったのだ。
大人たちの反応は素早かった。お子様たちを褒めたあと、庭師に号令をかけただけでなく自分たちも拾いに行き、即席の投石部隊が誕生したのである。『わたしたち、体育でやったことないのよね』とぼやきながら。
おかげでルージュたちは長爪へのとどめと、投石をも跳ね返してしまう金剛に対処すればいい。
今回の投石は、金剛が多めのこともあってあまり効果がなかった。それを眺めながら、休憩中のイエローが瞳魅に話しかけている。
「なんちゅうか、けっこう個人差があるね」
投石の威力や到達距離のことだろう。中にははっきり言ってへたくそな巫女もいるのだ。
瞳魅は苦笑していた。
「わたしたち、学校の体育は基本見学なんですよ。体が弱いことにして」
だってほら、と彼女が軽々と持ち上げたのはイエローの体。
「この腕力で体育の授業はちょっと……」
「超人オリンピックやね……」
笑って幾分緊張がほぐれたその時だった。奇妙な音が聞こえてきたのだ。
いや、音じゃない。声だ。それも女の、そして既知の。
「会長?!」
そう、鷹取沙良が、空から降ってきたのだ!
「わああああああもぉぉぉぉぉゼッタイやらないから!! 変、身!」
空中でエンデュミオール・カラミティへと変身してすぐ羽衣を足元に展開して着地したように見えたが、勢いを殺しきれず前につんのめってしまった。
そして、動かない。
敵味方ともに唖然として――妖魔にも唖然とする機能があるとは知らなかった――見つめる中、アンバーが大声を発した。
「ダメじゃん! 会長、鷹取だし!」
会長は着地点がずれて、呪式陣の中に降下してしまったのだ。転倒したのも、羽衣が想定より早く消えてしまったためだろうか。
動かない、いや動けない会長を助けるべく総掛かりになったエンデュミオールや庭師たちと、絶好の獲物を狩るべく襲い掛かる妖魔たち。激戦の末、ようやく会長を外へ引っ張り出すのに10分以上かかってしまった。
「会長、だいじょぶっすか?」
アスールの心配に、ずれた回答が帰ってくる。
「ヤンキーのバカ、もう絶対あいつらは頼らないから!」
涙と怒りの混じった回想によると、輸送機のパイロットから『これ以上低く飛ぶと、地元との合意が』と言われて、いつもの倍の高さから降下させられたようだ。
「さあ、まとめてぶっ飛ばすわよ!」
「立ち直りが速いわね」
「でもまあこれであいつらまとめて排除できるし」
「誰で行きます?」
だがそこで、イツヒメがおずおずと手を挙げた。確認したいことがあるというのだ。
「会長のスキルをここで発動した場合、攻撃の効果はあの妖魔にだけ向くんですか?」
「んなわけないじゃない。私を中心に災厄が発生して――「私たちを殺す気ですか?」
瞳魅の指摘はごもっとも。災厄の発生ポイントを多少ずらすことはできるそうだが、
「2メートルくらいかな……」
「はいはい総員退避ね」
年長の巫女の一声で、巫女と庭師は後方に退避を始めた。
「あの、あたしらは?」
「エンデュミオールはその場で飛び上がってかわしてよ」
「メチャクチャやな」「生死を賭けた高飛びやね」
もう既に8時を回っている。あと4時間弱。なかなか進まない退避にルージュがイライラし始めたころ、今度は参謀部から待ったがかかった。
「なんですか?」
『カラミティのスキル発動を絡めた洞窟への突入作戦を行うから、しばらくそのままで待機してください』
突入作戦。その単語には、ついに来たかという高揚感と、まだ妖魔の排除が済んでいない段階でという危うさが同居している気がする。
ツカダからの情報提供を加味した突入作戦は、次のとおり。
カラミティが引き起こす雪崩で妖魔勢を押し流し、窒息死させる。雪崩が消えるタイミングで、巫女とエンデュミオールを分乗させた3台のトラックで出入り口の穴まで急行し、突入する。
地下には呪式の効果が働いていないため、隼人の救出に向かうエンデュミオールたちと別れ、栗本を倒すべく、巫女たちは抵抗を排除しつつ前進する――
アクアが疑問を呈した。やっぱりこいつはこういうことには頭が回る。
「あの穴に、トラックごと突入できるんですか? そもそも、どこからが地下なんですか?」
トラックごと突入はできない、地上と地下の分かれ目は不明と聞いて、アクアは眉根を寄せた。
「じゃあトラックをバックで付けて降りるしかないんですよね? 巫女さんたち、動けるんですか?」
『動いてみせるわ』
沙耶の言葉は、アクアの失笑を買っただけだった。
「気合いで何とかなるなら、もうしてるはずですよね?」
なおも執念を見せる沙耶と、容赦のない指摘を繰り広げるアクア。そのやりとりを聞きながら、トゥオーノがマイクを外して横に並んできた。
(沙耶さんが無理やり作戦を立てたっぽいですね)
(だな、たぶん)
そういえば以前尋ねたことがあるのを思い出した。『参謀に鷹取や海原の人がいないのはなぜ』と。
瞳魅の答えは明快だった。
『向いてないからです』
生まれついての大金持ちで知名度もある。いざという時の腕力もある。だから、
『大抵のことは力業で押し通せちゃうんですよ。だから、知恵を絞って互角や劣勢の状況を打開するとか、抜け道を見つけてうまくやるっていうのが苦手なんです』
その話をトゥオーノにしたら、
「そういえば先日ドアを引っぺがした人がいましたね……」
「ああ、まさにその人だよな。それにしても……」
沙耶は危うい。そう思わざるをえない。必死なのは分かるが空回りしていることを理解できていないのが、通信を聞いていて感じるのだ。
その証拠に、参謀たちが誰も沙耶に助太刀しないではないか。聞こえるのは琴音など、他の巫女の声ばかりである。
「こんなことで時間を空費して……! さっさと隼人君を助けに行かないといけないのに!」
ブランシュがいきり立ち、妖魔勢のほうへ勝手に向かってしまった。双子も同じ思いだったようで、続いて戦闘を再開している。
そこへ、ソフィーの声が聞こえてきた。
『では、妥協案……違う、えーと、折衷案はいかがですか?』
6.
ソフィーの折衷案は速やかに検討され、やっとOKサインが出た。
『作戦開始!』
『いくぞ』
その声は、ソフィーにとって旧知のもの。いくばくかの苦い思い出とともに、記憶の片隅から呼び起こされたものだった。
その苦味は、大型スクリーンに映る黒き女性の姿で倍増した。
その女性――バルディオール・ミラーの手から雪の巨大な弾がカラミティめがけて飛ぶ! それを片手で受け止めて、カラミティはスキルを発動した!
『アバランチ!』
発動と同時に、大量の雪が出現した。少しでも妖魔への威力を減らさないように、彼女から少し遠くの前面に。
それはたちまちのうちにうず高く積み上がると、支えを失ったかのように突然崩れ、雪崩となって四方を襲った。
そのスピードは忘れたが、妖魔が逃げられるものではない。たちまちのうちに戦場は白く染められてしまった。
無人機からの俯瞰映像を見つめながら、ソフィーはふとミラーに声をかけたい衝動に襲われた。彼女の身分は観戦武官であり、マイクセットは支給されていない。ゆえに果たせぬ望みであったが、
「我々はハンデ戦を戦っていたのだな……」
敵からこんなアドバンテージをもらっていたのに。
やがて雪が消えた荒野に、幌付きトラックが1台走り出すのが見えた。
「突撃、か……」
我が主がこの場にいたら、参加したかな?
ソフィーの空想は、戦闘が新段階に入って参謀部に余裕ができたことを示していた。
7.
「やあ凌ちゃん、いらっしゃい」
背後に生まれた気配を読んで声をかけたら、背中を軽くはたかれた。
「どうして分かるんですか?!」
「そりゃあ君が女の子だから」
「まったくもぅ……」
扉を彼女が破壊して外に出た。彼女に先導してもらって早足で歩きながら尋ねると、
「今、こちらへ向かってるところです」
そして向かっているだけでなく、既に栗本の配下を数人殺害したというのだ。顔をしかめる隼人に、凌が言った。
「止めたんですけど、沙耶さんが暴走しちゃって」
「え?! 沙耶ちゃん来てるの?」
兵員輸送トラックに乗せられて洞窟の入り口まで来た沙耶は、そこから背負われて地下まで来たのだそうだが、
「結界の外に出たと分かったとたん、ものすごい数の月輪を飛ばして、抗戦していた敵を全員切り刻んでしまったんですよ」
いたたまれなくなった凌は、隼人を救出してくると言い残して影に潜ってきたそうだ。
同情しつつ、気になることを口にする。
「栗本は見なかったの? 途中で」
「ええ、見ませんでした。困りました……」
イツヒメに課せられた任務の一つに、奴が身に付けている法具――マントの留め具と推測されている――の破壊があるとのこと。それを破壊しないと、結界が消えないと推測されているようだ。
姿を消した敵がいるというのは気味が悪い。なんとなく嫌な予感に怯えながら大広間に至る。どうやらここを経由しないと外には出られないらしい。
そこには、沙耶たちがいた。再会を喜ぶ輪の外にいるのは、
「あれ? アルテ?」
かつて戦ったバルディオール・アルテが膨れっ面でそっぽを向いているではないか。
(もしかして沙耶ちゃんを背負った人って……)
だがそれを訊く間もなく、くるりと背を向けられてしまった。
「ほれ、さっさと帰るぞ」
「そうはいかんね」
聞き慣れた声とともに、出入り口が全て閉じられてしまった!
続いて、広間中央の床が盛り上がったかと思うと、2つに割れた。中から現われたのは、栗本だ。マントを大仰に振り、芝居っ気たっぷりに腕組みをして佇立している。
「うわ、なんつー登場の仕方だよ」
「ラスボス感溢れるわね」
沙耶がそうつぶやきながら、大月輪を飛ばす。だが、気合いとともに片手で弾かれてしまった。
「大月輪が?!」
「化け物かよ」
ルージュのその言葉がきっかけとなって、隼人は真実に到達した。この気配、あいつだ。
「疫病神だ……」
「ふははははは! そのとおり!」
哄笑とともに、栗本の体表は黒く変化した。
「どういうこと?」「うわ、ほんまに――「違うわ」
沙耶の断言には、理由があるのだろうか。尋ねる余裕も無く、また哄笑が発せられた。
「もうお前たちは袋のネズミだ。たとえ外への扉を破ってもな」
後半の台詞は、静かに動いて扉へ向かっていたグリーンに向けられたものだった。舌打ちをして、しかしグリーンは昂然と言い返した。
「ほな、あんたを倒せばええんやね? シンプルになったわ」
「そう、シンプルだ」
栗本もまた言い返し、身体を揺すり始めた。
「お前たちを殺せばいいのだからな!」
バリバリと布地が破れる音がして、隼人たちは目を見張った。マントを突き破って、栗本の背中から腕が一対生えてきたのだ!
その頃、地上では、残った人々がジリジリしながら待ち続けていた。
敵は妖魔を補充したが、穴から出てこない。カラミティの全体攻撃をある意味無効化する手段だった。
そして確かに、出てくる必要がない。結界がある以上、鬼の一族、いや、『現世の守り手』の血を引く者は足を踏み入れることすらできないのだ。
バルディオール・ミラーは既に変身を解いて、待機所の一つに腰を落ち着けていた。
もうすぐ夜の9時。まだ宵の口だが、アラフォーの女にはそろそろ寝支度の時間である。
もう一人、こっちは既に舟を漕いでいる者もいる。紫月だ。徹夜明けがどうとか言ってまったくモチベーションが上がらなかったため、突入部隊には加えられず待機組となったのだが、
「この状況なら正解かもな……」
洞窟内の部隊と通信できるようにアンテナを設置しながら進んでいたはずなのに、突然通信が途絶してしまったのだ。
待機所の入り口が開いた。入ってきたのは、西東京支部長だった。挨拶を交わして椅子を勧めると、
「これ、差し入れです」
とポットとマグカップを差し出された。ホットコーヒーらしい。
「中はどうなったか、続報は?」
「まだ。でも、戦闘中ですわ」
「なぜ?」
「あの敵なら、もし沙耶さんを敗北させたら、大声で宣伝してくる。そう思いません?」
確かにと受けて、コーヒーを注ぐ。会話が交わされても起きない紫月を横目で見ながら、
「あの化け物がそう簡単にやられるはずはないか」
「どちらの化け物ですか?」
「両方だよ」
鴨池は、栗本が暴れた時のことをどこかで聞いてきたようだ。
お互いの仕事――鴨池は鷹取家の通訳兼護衛として勤めている――の話をしているうちに、ふっと紫月が目覚めた。
「おはよう。もう帰らせてもらったらどうだ?」
「やだよ。せっかくのおいしい単発バイトだもん」
それはそうとさ、と紫月は身を乗り出してきた。
「今、揺れなかった?」
「……確かに」
待機所の明かりも、コーヒーの表面もわずかに揺れている。
また揺れた。地震? 違う。
「まさか……」
鴨池の不安は、地下洞窟の大広間で的中していた。
異形の者と化した栗本が、洞窟の崩落などお構いなしの大立ち回りを始めたのだ。天井の鋭く尖った鍾乳石が時々落ちてきて、危ないことこの上ない。
散開して多方向から攻めるルージュたちも、これではむやみな大技を繰り出せない。沙耶も同じだ。
だが、硬い。小技は避けず、でもダメージが通っているようには見えない。沙耶の月輪すら受けてしまうのだ。
(どうする、どうする……)
焦りの中で、違和感を覚えたルージュは、思わず立ちすくんでしまった。隼人が予想外の位置にいたのだ。
そこは、突出しすぎでもなく、誰かの背中に隠れているわけでもなく、そしていざという時に誰も護れない場所。ちょうど栗本からの射線が通る位置に動いたのだ。
目ざとく見つけた栗本が、四腕の一つで突光を撃ってくる!
「隼人君!」
沙耶の絶叫と被る凛とした声が突光の飛翔音を圧した。
「変身!」
エンデュミオール・ブラックの姿になるやいなや、体の前で右手を思いっきり振る。そんな彼女にバスケットボールほどの光弾が襲い掛かり――
「撥衣……?!」
そう、巫女たちが使う光弾反射技。やや暗めの白い光を放つそれが突光を受け止め、ブラックを弾き飛ばしたものの破れずに跳ね返したのだ!
「どうだ! 受けてみろ!」
撥衣の反射によって加速した突光が、栗本を襲う!
「ふん!」
栗本はやはり頑強だった。回避も防御もせず、そのままの姿勢で耐えてみせたのだ。
「ブラック、お前いつそんなの練習したんだよ」
「このあいだ琴音ちゃんに教えてもらって……はいそこ! じっとりしない!」
うわあ、膨れてる膨れてる。
一瞬コメディ調に流れかけた場を、栗本の大声が遮った。
「まさか白水晶無しで変身できるとはな。驚いたよ。だが見ただろう。このとおり、無意味だ」
「意外と煽り耐性がないんだな、おっさん」
「ああ?!」
眼を剥いた栗本は、ブラックのジェスチャーを不思議そうに眺めた。自分の左の鎖骨の上辺りを、人差し指でチョンチョンと指し示している。
「あ、法具……」
「そうさイツヒメ。これでミッション1つクリアーだ」
マントの留具――結界を作り出していた法具が突光の直撃で割れていたのだ……!




