4.上手な?後始末の付け方
半年が経った。
オズウェルにとってもキャサリンにとっても、あっという間の六か月だった。
今度こそ無事卒業試験をクリアし魔法騎士の叙勲を受けたオズウェルは、正式な騎士服を纏って広場の中央に立った。
濃紺のシャツにネクタイ、銀糸で縁どられた黒のロングコート。
ウエストの革ベルトに付随する帯剣紐には、キャサリンから貰った魔法剣がさげられている。
オズウェルの凛々しい姿に、広場に集まった民衆は感嘆の息を洩らした。
「キャサリン嬢、ほんとに来るかな」
「ああ、きっと来る」
オズウェルの隣りには、彼より半年前に魔法騎士となったレベッカが立っている。
オズウェルと揃いのロングコートを羽織ったレベッカは、膝丈スカートにロングブーツという出で立ちだ。
肩過ぎまである艶やかな黒髪を片側で一つに纏め、軽く腕を組んだ彼は、どこからどう見ても美しい女騎士だった。
鋭利な面差しのオズウェルと柔らかな美貌を持つレベッカが並んでいる様は、非常に見栄えがする。
『オズウェル・カステレードは、騎士の名誉をかけ、キャサリン・ルーシュに決闘を申し込む』
そんな文面の告知状が領地のあちこちにばらまかれたのは、半月前のことだ。
両親同士が勝手に交わした口約束とはいえ、オズウェルとキャサリンが許嫁の関係にあったことは、この辺りの領民なら誰もが知っている。
キャサリンにベタ惚れのように見えていたオズウェルが、美人の女騎士を伴なって王都から帰郷したことは、ちょっとした醜聞になった。
『これだから、男ってのは』
『まあ、あれだけの美人ならな』
女衆はあからさまに眉をひそめて非難したし、男連中はオズウェルの肩を持った。
ルーシュ伯爵家は一体どう出るのかと気を揉んでいたところに出されたのが、くだんの決闘の告知。
当日、大広場には沢山の観客が集まった。
オズウェルから少し離れたところに、ルーシュ伯爵夫妻とキャサリンの弟。そしてカステレード家の当主夫妻が並んでいる。
和気藹々と雑談している関係者の和やかな様子に、見物人は首を傾げずにいられなかった。
婚約破棄という物騒な裏切り案件が絡んでいるようには、とても見えない。
「とにもかくにも、晴れて良かったですわ」
優美な細工の扇を開け閉めしながら、ルーシュ伯爵夫人はおっとりと空を見上げた。
「雨の日に外へ出なければならないことほど、憂鬱なことはありませんものね」
「ええ、本当に。そういえば、あちらに屋台が出ているのを見ましたわ。まだ始まらないようなら、ご一緒にパンチでもいかがです?」
「あら、いいわね! ちょうどすっきりした飲み物が欲しかったところですの」
カステレード夫人にいたっては、決闘よりも大勢の人出を当て込んで出された屋台の方が気になっている。
今にも連れ立って移動しようとしている両夫人の足を止めたのは、観客のざわめきだった。
「……来てくれた」
広場を取り囲む人垣の一角が2つに分かれ、花道を作るのを見て、オズウェルは低く呟いた。呟き声には、隠しきれない喜びが滲んでいる。
通路の向こうから姿を現わしたのは、いかつい女傭兵と少年剣士の2人連れだ。
オズウェルの視線は、少年剣士の方に釘付けになった。
彼は半袖のシャツに革の胸当てをつけ、細身のパンツを履いている。細い腰に巻いたベルトに短剣、グローブをはめた手に長剣を握り込んだ彼こそ、オズウェルが待っていた相手だ。
キャサリンの髪はあれから少し伸び、耳は隠れるほどになっている。
無造作に散らされた前髪から覗く濃紺の瞳は、落ち着いた光を湛えていた。
「ええっ!?」
「まさか……」
目の前を颯爽と通り過ぎていく少年剣士が、ルーシュ伯爵令嬢?
「キャサリンさま!?」
思わず驚きの声をあげた少女を、少年剣士は足を止めないまま、ちらりと見遣った。
キリリとした眼差しが、清らで硬質な色香を放つ。
少女は真っ赤になり、ハンカチを握りしめた。
キャサリンは広場の中央まで進むと、付き添いの女傭兵を手振りで後ろに下がらせた。
まっすぐに背を伸ばし、愛しい男と恋敵の女の前に立つ。
「待たせましたか、オズウェル」
「いや、大丈夫だ」
オズウェルは短く答え、傍らのレベッカを一瞥した。
「先に紹介させて欲しい。この人が、俺の同期のレベッカ・ブライアース。決闘の立会人だ」
「はじめまして。お噂はかねがね。ようやくお会い出来て光栄です」
レベッカは華やかな笑みを浮かべ、一歩前に出た。
それから、後ろめたさが微塵も感じられない態度で右手を差し出してくる。
キャサリンは大きく目を見開きながら、ぎこちなく握手に応じた。
細身の体とは不釣り合いなほど大きな手を握るまでもなく、彼女が「女」でないことをキャサリンは知った。
昔のキャサリンならば見た目に騙されたかもしれないが、今の彼女は深窓のお嬢様ではない。
幾多の試練を潜り抜けてきたキャサリンは、生き物の放つ気配に非常に鋭敏になっていた。
「どういうことなの? オズウェルは殿方を愛してしまった、ということ?」
この国で同性愛は、まだ一般的に認められていない。
だから余計に言いだせなかったのだろうか。
予想もしなかった展開に、キャサリンは尋ねずにはいられなかった。
オズウェルは動じず「違う」と首を振ったが、レベッカは非常に嫌そうに顔を顰めた。
「レベッカは単なる友人で、俺の気持ちは髪の毛一本ほども変わっていない。昔も今も、俺の心にいるのはキャサリン、君だけだよ」
オズウェルは静かな声で告げた。
息を詰めて成り行きを見守っていた見物人が、大きくどよめく。
少年剣士が伯爵令嬢で、女騎士が男!? どうなってんだよ、一体!
そんな声があちこちから上がる。
野次馬の混乱をよそに、キャサリンは拳を握りしめ、ひたすらオズウェルを見つめた。
正直にいえば、彼女の頭の中も真っ白だった。
血と汗と涙にまみれた半年の苦難が、次々に浮かんでは消えていく。
――オズウェルは、ずっと私を愛していた?
では。
では、全てが未熟な自分の勘違いだったということ?
あまりの衝撃に声も出せないキャサリンを見て、オズウェルは慌てて付け足した。
「キャサリンに誤解を与えてしまうことに気づかず、きちんと手紙を書くことができなかったのは、俺の落ち度だ。全ては、俺が悪い。君をそこまで追い詰めた責任は取るよ。だから、告知を出したんだ」
「……責任?」
震える唇を何とか動かし、キャサリンは問い返す。
オズウェルは、にっこり笑った。
鋭い容貌が一気にやわらぎ、温かな光をたたえる。
キャサリンの大好きなオズウェルが、そこにはいた。
――『一緒に登ろう! 大丈夫、俺とキャサリンなら何だって出来るさ』
木のこぶに片足をかけ、キャサリンを振り返って片手を差し伸べるオズウェルの幻が、精悍な魔法騎士の上に重なる。
キャサリンの胸は、激しい懐かしさと狂おしいまでの愛おしさに突き上げられた。
とっさにシャツの胸元を握りしめ、衝撃に耐える。
オズウェル――オズウェル!
私のオズ!
今すぐ剣を投げ捨て、あなたの胸に飛び込みたい!
左手の剣を見下ろしたキャサリンの視界に、束に埋めたネイガウスの石が飛び込んでくる。
日光を反射し、緑とも黄ともつかない色に煌めく石を見た瞬間、彼女はここに来た理由を思い出した。
そうだ、今更戻れない。
じっと家の中におさまり、何の行動も起こさずただ我が身の不幸を嘆いたか弱い少女には、戻れないのだ。
ここで剣を捨てオズウェルの胸に飛び込めば、この半年の意味は全て無くなり、キャサリンの心のどこかにしこりは残り続ける。
オズウェルに視線を戻す。
彼もキャサリンと同じ考えを持っていることが分かった。
何も言わずとも心が通じ合う感覚に、キャサリンは痺れた。
オズは、キャサリンを信じてくれた。
必ず自分の元に帰ってくると。
だからこそ半年の間探したりせず、キャサリンに猶予をくれたのだ。
キャサリンが落ち着くのを待っていたオズウェルは、笑みを浮かべたまま告げた。
「剣で想いを交わそう。離れ離れだった3年半の想いを伝え合おう、キャサリン」
キャサリン、とオズの声が名前を形作った途端、ネイガウスの石が眩く光りはじめる。
「なるほど。粋な仕掛けじゃないか」
キャサリンの背後で成り行きを見守っていたアデラベルが、ようやく口を開く。
「師匠、それはどういう――」
疑問符を頭の上に浮かべたキャサリンは、アデラベルを振り返った。
師匠は不敵な笑みを浮かべ、首をしゃくってキャサリンの剣を指す。
「キャサリンと彼氏じゃ、体格が違う。積んできた経験も違う。まともにやりあえば、キャサリンは秒で倒されちまう。そうならない為の仕掛けを、こいつは発動させたってことさ。何年もかけて蓄積された加護魔法は侮れないよ、オズウェルさんとやら。――惚れた女に跪かされる覚悟はあんのかい?」
「なければ、ここに立ってません」
オズウェルは力強く答え、おもむろに魔法剣を抜きはなった。
磨き抜かれた白刃が、銀色に発光し始める。
キャサリンもまたオズウェルに向き直り、かつてないほど軽くなった愛剣を両手に握った。
束を握りしめたキャサリンの全身を、加護の力が包み込む。
「お手並み拝見といこうじゃないか」
「頑張れよ、オズウェル!」
アデラベルとレベッカは同時に地を蹴り、広場の中央から離れた。
そこに立つのは、オズウェルとキャサリンの2人だけ。
次の瞬間、オズウェルの脇目掛けて鋭い一撃が飛んできた。
キャサリンの剣自体の威力は軽いが、まとわせた風魔法が攻撃対象を空気ごと切り裂いていく。
オズウェルは籠手を嵌めた腕にシールドを張り、巻き起こったカマイタチをいなした。
そのままキャサリンとの間合いを詰め、上段から剣を振りかぶる。
太刀筋を見切ってなお、彼女は避けず真正面からオズウェルの剣を己の愛剣で受け止めた。
オズウェルが与えた加護の力は絶大で、弾き飛ばされたのは彼の方だ。
柔らかな地面にブーツの跡が長く続く。
彼は膝をつくことなく体勢を整え直すと、再びキャサリンに向かって駆け出していく。
甲高い金属音が鳴り、青白い火花が散る度。
2人は自分達がどれほど互いを求めあっているかを知らされた。
「愛してるよ、キャサリン……ッ」
「私もよ、オズウェル。あなただけを、誰よりも愛してる……!」
見物客は、激しい試合を前に大変な盛り上がりを見せた。
どちらが勝つか賭けをする者まで出始める。
「キャサリンさまーー! 頑張って!!」
「オズウェル様! 負けるなああ!!」
拳を握って2人を応援する観衆を尻目に、ルーシュ伯爵家とカステレード家の面々は少し離れた屋台まで移動し、悠々とパンチとビールを楽しんでいた。
屋台の主人は、彼らの前に飲み物と軽食を運んだきり、広場の決闘を見物しに行ってしまっている。
「これ、お代わりは頂けないのかしら」
「早く戻ってきて欲しいものですわね」
簡易イスに腰掛け、のんびりとグラスを傾ける両夫人の願いが叶えられたのは、2時間後だった。
オズウェルもキャサリンも、互いに渾身の力を込め、剣をぶつけながら想いを伝える。
2人の凄まじい打ち合いは、キャサリンの体力が潰えるまで続いた。
「オズウェル、ごめんなさい……」
加護の力は充分に残っているが、キャサリンの握力が限界を迎え、剣を握れなくなった。
全身にびっしょりと汗をかいた彼女が謝ると、同じように汗だくになったオズウェルが先に剣をおさめる。
「……オズウェル?」
「君の手で、俺をぶっとばすんだろう?」
いいよ、おいで。
オズウェルはそう言うと両手を下ろし、キャサリンの前で棒立ちになった。
キャサリンもまた、愛剣をそうっと地面に置いた。
重く痺れる手を握り込み、オズウェルに向き直る。
「……オズウェルの馬鹿」
「うん。馬鹿だった。見栄なんか張らずに、素直に君が恋しいって。会いたくてたまらないって、泣きつけば良かった」
「そうよ、ばかばか! そんなことで、嫌いになるわけないでしょ!? ずっと寂しかったんだから!」
キャサリンは叫び、オズウェルに突進した。
大きく手を振り上げた彼女を見て、オズウェルは歯を食いしばる。
キャサリンはあげた手をオズウェルの首に回し、思い切り抱きついた。
そして、勢いよくオズウェルの唇にキスをする。
ガツン。
キャサリンからの初めてのキスは、お互いの唇を切るという何とも締まらない結果に終わった。
血の味のするキスだったが、オズウェルはこれ以上なく幸せな気持ちになった。
大勢の民衆の前だということも忘れ、愛しい婚約者をきつく抱きしめ返し、不器用な口づけを繰り返す。
「……これ、どっちの勝ち?」
見物人の一人が呟く。
「そりゃあ、キャサリン嬢の勝ちだろうよ」
「そうじゃなきゃ、オズウェル様も納得しないよな」
何ともくすぐったい空気の中、小銭のやり取りが始まる。
賭けに負けた者も勝った者も、みな笑顔だ。
「さあ、祝いだよ! 結婚の前祝いだ、ぱあーっと飲もうじゃないか!」
アデラベルが吠えると、「おおー!!」と大きな気炎が上がる。
「ふふ、逃がさないよ。あんたには聞きたいことが山ほどあるんだ。オズウェルとの詳しいあれこれ、じっくり聞かせてもらおうじゃないか」
忍び足で広場を離れようとしていたレベッカの襟首を、むんずと太い腕が掴む。
にたり。
アデラベルの有無を言わさない物騒な笑みに白旗をあげたレベッカは、大人しく屋台へと引き摺られていった。
そして、二話目の冒頭に戻ります。
元は短編として投稿しようとしていたお話でした。
少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。
ブクマや評価、感想などで応援して下さった皆様。並びに、
素敵な企画を主催して下さった江本マシメサ様に深い感謝を。
本当にありがとうございました!