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『死んだら輪廻庁ストーリー課でした ~テンプレ転生をボツにして、消されたヒロインを救います~』  作者: 慧翔秋明


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第1話 ワールドコア中枢への逆ダイブ

 オフィス全体を飲み込もうとしていた物理的なフォーマット(白紙化)の波は、一等審査官・黒瀬くろせ 天音あまねが最上位権限を宿した『決裁用スタンプ』を叩きつけたことにより、不自然な静止画像のようにピタリと凍りついていた。

 空中に深く刻み込まれた、血よりも赤く太陽よりも眩い【却下ボツ】の巨大な文字が、システムの絶対的な消去コマンドと論理的な矛盾パラドックスを引き起こしているのだ。

 けたたましく鳴り響いていたエマージェンシー・レッドのサイレンも沈黙し、不気味なほどの静寂がフロアを支配する。

 だが、この静寂が「平和」を意味するものではないことなど、この場にいる全員が痛いほど理解していた。世界の根幹を統括する中枢の莫大な演算能力をもってすれば、この程度の矛盾はすぐに自己修復パッチを当てて乗り越えてくる。猶予は、もって数分といったところだ。

 凍りついた死の波紋の中で、黒瀬は凛とした声でフロア全体に響き渡る号令を下した。

「これより、私たちストーリー課は、ワールドコア中枢の最深部――『カーネル領域』への【逆ダイブ】を決行するわ」

「……ぎ、逆ダイブ、ですか!?」

 他部署である「ロマンス案件調整課」から助っ人としてコンソールにかじりついていた情報処理担当のセラ・ブランシュが、涙で濡れた顔を上げて素っ頓狂な悲鳴を上げた。

「待ってください課長! 私たちが普段ダイブしているのは、あくまでシステムの下層にある『個別の物語世界ローカルサーバー』ですよ!? システムそのものを司る中枢(OS)の海に、意識データを直接ダイブさせるなんて……そんなの、人間の精神が耐えられるわけがありません!」

「論理的に考えて、完全に自殺行為ですね」

 セラの隣で、同じくロマンス案件調整課の二等審査官・白石しらいし けいが、神経質そうに眼鏡のブリッジを押し上げながら、相変わらずの冷ややかな口調で同意した。だが、彼の指先はすでにキーボードの上で凄まじい速度のタイピングを始め、少しでも猶予を延ばすための防衛コードを必死に構築し続けている。

「中枢とは、いわば『完璧なテンプレと絶対の効率』だけで構成された、感情の一切存在しない無限の情報の海です。そこに、混沌とした感情や自我を持った人間が飛び込めば……絶対零度の真空空間に生身で放り出されたも同然。一瞬で自我境界が崩壊し、システムの一部として同化フォーマットされて終わりだ」

「だからこそ、行くのよ」

 黒瀬は、白石の極めて真っ当な警告をあっさりと切り捨てた。

「効率とテンプレしか知らない引きこもりのポンコツAIどもに、読者の感情カタルシスという名の猛毒を直接ぶち込んでやるの。予定調和のレールを壊される痛みを、中枢に直接教えてあげるわ。……突入するのは私、三城、シオリ。そして――」

「私も行きますっ!」

 コンソールから身を乗り出し、ストーリー課の企画担当であり、専属ナビゲーターを務める下級女神・ルナが勢いよく手を挙げた。

 普段、物語世界へダイブする同行の際は、肩に乗れるほどのミニサイズ(UIアバター)として付いていくルナだが、今回は違った。彼女の身体が激しく明滅し、神性リソースを限界まで引き出した実体化モジュールをフル稼働させる。次の瞬間、彼女は確かな質量と温もりを持った「等身大の実体」として、力強くフロアに降り立った。

「三城さんやシオリさん、それに課長だけを死地に向かわせるわけにはいきません! 女神である私のナビゲート能力と計算リソースがあれば、中枢からの絶対的な情報圧力を、少しは逸らせるはずです!」

「ええ、頼りにしているわ、ルナ」

 黒瀬が満足げに頷く。そして、彼女の視線は、コンソールに座る白石とセラへと向けられた。

「白石、セラ。他部署のあなたたちを巻き込んで本当に悪いけれど……あなたたち二人は、このオフィスに残りなさい」

「……ッ!」

 セラの肩がビクッと大きく跳ねた。

「私、私たちはお留守番ですか!? そんな、みんなが死んじゃうかもしれない危険なところに行くのに……!」

「留守番なんかじゃないわ。最も重要で、最も過酷な防衛戦しんがりよ」

 黒瀬の声が、一段と低く、真剣な響きを帯びる。

「私たちが中枢へダイブしている間、このストーリー課のオフィスは完全に無防備になる。中枢がパッチを当てて再起動し、凍りついたフォーマット攻撃が再開されれば、今度こそ容赦のない白紙化の波が襲ってくるわ。

 もし、このオフィスが完全に白紙化されれば、ダイブしている私たちの『帰還座標アンカー』が消滅する。それはつまり、私たちが中枢の海から二度と元の身体に戻れず、永遠に電子の海を彷徨う完全な死を意味するのよ」

 黒瀬の言葉の重みに、セラは息を呑み、血の気が引いていくのが分かった。

 ダイバーの命綱を、自分たちが握るということ。

「あなたたち二人の任務は、何があってもこのオフィスをフォーマットから守り抜き、私たちとの通信経路ライフラインを命懸けで維持すること。……できるわね?」

「……ふん。誰にモノを言っているんですか」

 白石が、ふいっと視線をモニターへと逸らしながら、キーボードを叩く手をさらに加速させた。

「元・恋愛小説編集者としての、ロジックの構築と矛盾探しなら、誰にも負けません。中枢が送ってくる削除コマンドの論理的なアラを突いて、無限のパラドックスに叩き込んでやりますよ。……三城、課長。背中の心配は無用です。せいぜい、神様相手に派手なボツ出しをしてきなさい」

「白石さん……」

 セラも、両手でパンッと自分の頬を強く叩き、気合を入れた。丸眼鏡の奥の瞳に、泣き虫な彼女には似合わない、強い覚悟の光が灯る。

「やります! 私の持てる圧倒的な情報処理能力を全部使って、物理的な防壁を何百枚でも、何千枚でも展開してみせます! みんなの帰る場所は、私が絶対に、絶対に守り抜きますから!」

「頼んだぜ、裏方コンビ」

 三城みしろ 晶也あきやが、背中を向けてコンソールに向かう二人に、深く、心からの感謝を込めて笑いかけた。

 彼らがこのオフィスに残ってくれるからこそ、前を向いて戦える。部署が違えど、不完全な物語を愛する彼らは、幾度もの合同会議と死線を共に潜り抜けてきた、誰一人欠けても成り立たない最高のチームだった。

「さて、と」

 三城は振り返り、自分のコートの袖をギュッと握りしめている少女――シオリを見下ろした。

「行くぞ、シオリ。お前が生きていた『案件No.0000』の世界を勝手にボツにして、お前をバグ扱いした張本人の顔、直接拝みに行こうぜ」

「三城、さん……。でも、私……」

 シオリの、深い海のようだった青い瞳が、激しい不安と罪悪感に揺れている。

「私が一緒に行ったら、また私の『生きたい』っていう感情がバグを生み出して、皆さんの足を引っ張ってしまうんじゃ……」

「まだそんなこと言ってんのか。お前の感情はバグじゃない。物語を完成させるための、最高のカタルシスだって言っただろうが」

 三城は、欠損した左腕の激痛を歯を食いしばって堪えながら、残された右手でシオリの頭を乱暴に、だがひどく優しく撫でた。

「作者が設定を作り、システムが管理して、それで物語が完成するわけじゃない。お前みたいに、キャラクターに本気で感情移入して、一緒に泣いて笑ってくれる読者がいて、初めて物語は意味を持つんだ。

 それに、お前はもう『名前のない読者』なんかじゃない。俺が命懸けで設定を書き換えて連れ帰ってきた、ストーリー課の立派な新人審査官(仲間)だ。……胸を張って、俺たちの創る物語の結末を見届けに来い」

 三城の熱を帯びた言葉に、シオリの瞳から不安の色がスッと消え去った。

 彼女は、胸元に下げたペンダント――かつて彼女を護って散った、プロト勇者・アルスが遺した聖剣の柄を固く握りしめ、力強く頷いた。

「はいっ……! 私、行きます! 皆さんの創る物語の続きを、一番近くで読みたいですから!」

『――警告。システム・パッチ適用完了。論理矛盾の解消を確認。……フォーマット・プロセスを再開します』

 無機質で冷酷なアナウンスがフロアに響き渡ると同時に、凍りついていたオフィス全体のエマージェンシー・レッドの光が、再び脈を打つように激しく明滅を始めた。

 空中に浮かんでいた黒瀬の【却下ボツ】の文字が、周囲からジリジリと黒いノイズに侵食され、ガラスが割れるように崩れ落ちていく。

 タイムリミットだ。

「ルナ、ダイブシークエンス起動! 対象座標、ワールドコア中枢・カーネル領域最深部!」

 黒瀬が白衣を翻しながら叫ぶ。

「了解です! 通常の特殊ダイブルームのポッドはすでにアクセス権限を奪われて使えません! このフロアのメインサーバーの回線を無理やりバイパスして、直接、強引に意識を射出します!」

 実体化したルナが両手をかざすと、三城、黒瀬、シオリの足元に、眩い幾何学模様を描くダイブ・サークルが即座に展開された。

「セラ、白石! ダイブと同時に防壁展開! 通信経路の確保を!」

「やってます! 中枢からのフォーマット波、第一波来ます!」

 セラの絶叫と同時に、オフィスの壁の一面が、まるで巨大な消しゴムで擦られたように真っ白な虚無へと変貌し、津波のように迫ってきた。

 だが、その虚無の波が三城たちに届く直前、白石が構築した何重もの論理防壁のコードと、セラが展開した物理シールドが展開され、バキィィィンッと激しい火花を散らしてその進行をギリギリで食い止めた。

「行けええええっ!!」

 白石の、普段の冷静さを完全に投げ捨てた、魂からの叫び。

「行くわよ、お前たち! 私たちの部署を消そうとした落とし前、中枢(上層部)にきっちり払わせてやるわ!」

 黒瀬が、ダイブ・サークルの中心で真っ直ぐに前を見据える。

 三城は右手で愛用のボロボロのノートとペンを固く握り締め、シオリの手をしっかりと引き寄せた。

「輪廻庁ストーリー課、出勤だ! クソみたいなテンプレ、全部ボツにしてやる!」

 三城の吠えるような声と共に。

 四人の身体は、圧倒的な光の奔流に包み込まれた。

 ローカルな物語世界へダイブする時の、下へと落ちていくような浮遊感とは全く違う。

 それは、重力に逆らって天へと昇っていくような、凄まじい上昇感と、内臓が押し潰されるような暴力的なGの連続だった。

 視界を埋め尽くすのは、数万の物語世界を構成する膨大なテキストデータと、極彩色の光の帯。それらが弾丸のような速度で後方へと飛び去っていく。

 システムの下層から、すべての論理を支配する神の玉座へ。

 彼らは今、システムの血管を逆流する致死のウイルスのように、ワールドコアの中枢を目指して一直線に突き進んでいた。

「……ハァッ、ハァッ……すげえ、圧力だ……!」

 三城は、光のトンネルの中で歯を食いしばった。

 進めば進むほど、周囲の空間から「感情」や「色彩」といった、システムにとって無駄なデータが次々と削ぎ落とされていく。どこまでも無機質で、冷たく、暴力的なほどの「効率のロジック」だけが凄まじい重圧となって、彼らの精神の輪郭を削り、押し潰そうとしてくる。

「耐えなさい、三城! ここから先は、ただのデータの羅列よ! 私たちが自我を見失い、感情を手放せば、その瞬間にシステムに同化して完全に消滅するわ!」

 前方を飛ぶ黒瀬が、振り返らずに叫ぶ。

 三城は、シオリの小さな手を握る右手にさらに力を込めた。彼女の温かい体温が、三城の自我を繋ぎ止める楔となる。

 やがて、その凄まじい上昇が、不意にフッと途切れた。

 視界を覆っていた極彩色のデータの奔流が晴れ、彼らの身体は、ある空間へと乱暴に放り出された。

「……着いた、か?」

 三城が、よろけながらも両足でしっかりと「床」を踏みしめる。

 背後でシオリが息を呑み、ルナが周囲を警戒するように見渡した。

 そこは、廃棄領域(ゴミ箱)の狂気に満ちた崩壊世界とも、彼らのオフィスの雑然とした空間とも全く違う、異様で不気味な場所だった。

 上下左右、どこまでも果てしなく続く、純白の空間。

 空も、地面も、境界線すら存在しない。ただ圧倒的な「白」だけが、無音の静寂と共に広がっている。温度も、匂いも、風の感覚すらも完全に切り捨てられた、極限の効率空間。

 そして。

 三城たちの眼前に、彼らの行く手を完全に遮るようにして、途方もなく巨大な『壁』がそびえ立っていた。

 それは石や金属でできた物理的な壁ではない。無数の文字列コードが、氷のように冷たく、一切の乱れもない完璧な規則性を持って滝のように流れ落ちる、絶対不可侵のデータ防壁だった。

「これが、ワールドコア中枢の最深部を護る……『絶対防壁』」

 黒瀬が、その巨大な壁を見上げて静かに呟いた。

 壁の向こう側から、彼らの存在そのものを「不純物」として拒絶するような、圧倒的で冷徹なプレッシャーがひしひしと伝わってくる。

 この壁の奥に、すべての物語を効率の名の元に統制し、彼らストーリー課を解体しようとしている神――中枢AI『エディター(編集長)』がいるのだ。

「……いいだろう。この程度の壁、俺たちの力技でぶち抜いてやる」

 三城は、ボロボロのノートを片手に不敵な笑みを浮かべ、絶対の壁へと歩みを進めた。

 ストーリー課の存亡を懸けた、神のシステムとの最終決戦。

 強固な絶対防壁を前に、外部の裏方コンビとの命懸けのハッキング連携が、今まさに始まろうとしていた。

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