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『死んだら輪廻庁ストーリー課でした ~テンプレ転生をボツにして、消されたヒロインを救います~』  作者: 慧翔秋明


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第13話 手を伸ばした先の世界

 特大の清掃ルーチンが放った、圧倒的な質量と殺意を持った漆黒の刃。それが背中を浅く掠めた刹那、三城さんじょうの視界は、目を開けていられないほどの強烈な光の渦に飲み込まれた。

 直前まで彼らを包み込んでいた、空がひび割れ、灰色のポリゴンが剥き出しになり、ボツ原稿の雪が狂ったように舞い散る『廃棄領域(ゴミ箱)』の絶望的な光景は、まるで悪い夢から覚めたかのように、嘘のように掻き消えていた。

 代わりに二人を包み込んだのは、温かく、そして途方もないほど圧倒的な情報量を持つ、目眩くような極彩色の『光のトンネル』だった。

 それは、輪廻庁が管理する数多の「生きた世界」を繋ぐ、データ転送用の正規のシステムルート。

 冷徹なシステムによって価値なしと判定され、エラーデータがただ消滅の時を待つだけの暗黒の奈落から、三城たち審査官が管轄する正規のシステム領域への、奇跡的な帰還の道である。

 三城の強引極まりない設定の上書き(システム根幹へのハッキング)と、裏方コンビの命懸けの防壁展開によって強引にこじ開けられたその光の道を、三城とシオリの二人は凄まじい速度で上層へと向かって上昇していた。

「……ハァッ、ハァッ、ハァッ……ッ!」

 三城の口から、血を吐くような荒く重い呼吸が絶え間なく漏れ続けていた。

 光のトンネルというシステム上の安全圏に入ったことで、極限まで張り詰めていたアドレナリンが切れ、肉体――ダイブ中の精神データに蓄積された莫大なダメージが一気に牙を剥き始めたのだ。

 特大清掃ルーチンの巨大なブレードを、己の身を盾にして真正面から受け止めた左腕は、肘から先が完全に光の粒子となって崩壊し、失われていた。残された二の腕の断面からは、真っ赤なエラーコードがドクドクと止め処なく溢れ出し、チリチリと嫌な音を立てて周囲のテクスチャを焼き焦がしている。

 さらに、脱出ゲートへ飛び込む直前に背中を掠めた漆黒の刃の傷跡。それは単なる物理的な裂傷ではなく、データそのものを「なかったこと」にして強制的に白紙化する、消去の呪いだった。漆黒のロングコートの背中部分は大きく抉り取られるように白紙化し、三城の背中の内部構造である緑色のワイヤーフレームが、痛々しく剥き出しになっている。

「三城、さん……!」

 三城の右腕の中でしっかりと抱き抱えられていたシオリが、彼のその惨状を目の当たりにし、悲鳴のような、ひどく掠れた声を上げた。

 彼女は震える両手を伸ばし、三城の失われた左腕の断面と、背中の生々しい傷跡の周囲に触れようとして、恐る恐るためらう。

「そんな……私のせいで、あなたがこんなにボロボロになって……! データが、崩壊しちゃってるじゃないですか……っ!」

「……バカ野郎。痛えから、あんまりジタバタすんな。傷口に響く」

 三城は激痛に顔を歪めながらも、残された右手でシオリの背中をポンと優しく叩き、彼女を落ち着かせるように低く笑った。

「審査官がダイブ先で多少のバグを喰らうなんて、ただのよくある労災だ。白石あたりに始末書と一緒に治療プログラムを申請して、カプセルで寝てりゃ、数日で元通りになるさ。……気にするな」

「気にするなって言われて、気にしないわけないじゃないですか!」

 シオリの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「私が、大人しくあの場で消えていれば……システムは正常な状態に戻って、あなたは無傷で帰れたのに! 私みたいなエラーデータのために、どうしてここまで……!」

 再び顔を出した、シオリの根深い「自己犠牲」の思考。

 自分が存在するから、他人に迷惑がかかる。自分が『生きたい』などという身勝手な感情を抱いたせいで、美しい物語を壊してしまう。だから、自分が消えるのが一番正しく、誰にとっても都合が良いのだという、システムによって深く植え付けられた残酷な呪縛。

「……まだそんな三流のボツプロットみたいなこと言ってんのか、お前は」

 三城は呆れたように深くため息をつき、光のトンネルを上昇しながら、シオリの顔を真っ直ぐに見つめ返した。

「よく見ろ、シオリ。お前のその手を。お前のその身体を」

 三城の言葉にハッとし、シオリは自分の両手を、自らの目の前にかざした。

 そして、信じられないものを見るように、大きく目を見張った。

 彼女の身体からは、先ほどまで彼女の存在を頭ごなしに否定し続けていた、古いアナログテレビのような「砂嵐の自壊ノイズ」が完全に消え去っていた。

 色彩を持たないモノクロ映画のようだった肌には、血の通った温かな桜色が宿っている。

 色褪せていた髪は、光のトンネルの眩い輝きを反射して艶やかな栗色にきらめき、灰色の空虚だった瞳には、深い海のような澄み切った青色が、波打つように満ちていた。

 半透明に透けかかっていた身体の輪郭も、今はもう、一切のブレを持たない確固たる「個」として、確かな質量を持ってそこに存在している。

「これ、は……」

「俺がお前の設定プロットを、審査官権限で無理やり書き換えたんだ。お前はもう、システムから消去の対象とされるような『エラーデータ』じゃない。物語の熱量を測るための『特例観測モジュール』――つまり、この世界のシステムにおいて、正式に『存在を許された』データだ」

 三城は、痛みを堪えて不敵な笑みを浮かべた。

「お前が勝手に消えようとしたところで、もうシステムがそれを許さない。お前はもう、ゴミ箱の底の暗闇にいる、名もなき残骸じゃないんだよ」

 シオリは、自分の手のひらを何度も握り、そして開いた。

 温かい。

 触れた感覚が、はっきりとある。

 自分の心臓が動き、血が巡り、自分が確かに「ここにいる」という強烈な実感が、彼女の全身の隅々にまで満ちていた。

 ふと、周囲を見渡す。

 彼らを包み込む光のトンネルは、ただ単に眩しいだけの空間ではなかった。

 その光の壁面には、無数の「映像」や「文字」のデータが、まるで走馬灯のように、あるいは夜空を流れる星の川のように、キラキラと輝きながら上層へと向かって流れ続けていた。

 剣を掲げて強大な魔王に立ち向かう勇者の姿。

 夕暮れの教室で、照れくさそうに笑い合う少年と少女。

 宇宙船のブリッジで、決死の覚悟で舵を切る艦長の背中。

 それらはすべて、輪廻庁の審査官たちが承認し、数多の世界でキャラクターたちが自らの足で歩み、紡ぎ出している「完成された物語」の断片だった。

 そして、その中には、シオリが暗闇の中から祈るように見守っていた、あのヒロインたちの姿もあった。

 幼馴染の死という悲劇を乗り越え、涙を拭って前を向いたミアの力強い笑顔。

 奪われた自らの翼を取り戻し、再び大空へと羽ばたいていったエイルの美しい飛翔。

 理不尽な死のダンジョンを仲間たちと共に命懸けで生き抜いた、詩乃の泥だらけの顔。

 世界を救うための生け贄という過酷な法則から解放され、本当の自由を手にしたアイリスの安堵の涙。

「……綺麗」

 シオリは、その圧倒的な光の奔流を見つめ、恍惚とした声で呟いた。

「私はずっと、廃棄領域の真っ暗な底から、この光の川を見上げていました。自分が誰だったのかも忘れて、色も、声も失って……ただ、上からこぼれ落ちてくる、皆さんが作ったこの物語の欠片だけが、私にとってのすべてでした」

 彼女の青い瞳に、流れる物語の光が優しく反射する。

「主人公が困難に立ち向かう姿に勇気をもらい、ヒロインが悲しみに暮れる姿に胸を痛め……彼らがハッピーエンドを迎えた時は、自分のことのように嬉しかった。……でも、同時に、とても恐ろしかったんです」

「恐ろしかった?」

「はい。……物語を愛せば愛するほど、キャラクターたちに感情移入すればするほど、私の心の中に『私も、あんな風に生きたい』『私も、誰かに名前を呼んでほしい』という、強烈な感情エモーションが生まれてしまう。その感情が、私という存在しないはずのエラーの器から溢れ出し、巨大なバグとなって、私が愛したはずの彼らの世界を壊してしまう……」

 シオリの脳裏に、アイリスの物語で彼女の世界を侵食し、すべてを無に還そうとした『黒い手』の惨劇が蘇る。

 純粋な「読者」としての喜びが、世界を滅ぼす「ウイルス」としての耐え難い罪悪感へと反転する地獄。

 彼女はずっと、その引き裂かれるような矛盾の中で、一人孤独に震え、耐え続けていたのだ。

「だから、私は自分の感情にきつく蓋をしようとしました。これ以上バグを生まないように、これ以上誰かの大切な物語を壊さないように、ただ静かに、機械のように物語を処理するだけの『モジュール』になろうとしたんです。……でも、ダメでした」

 シオリは、三城の胸元に顔を埋めた。

「三城さんが、理不尽なテンプレからヒロインたちを強引に救い出し、ボツプロットをひっくり返して最高のハッピーエンドを作っていくのを見ているうちに……私の心は、どうしようもなく揺さぶられてしまった。蓋をしていたはずの感情が、抑えきれないほどに溢れ出してしまったんです」

 彼女の震える両手が、三城のコートの生地をギュッと強く握りしめた。

 彼女の胸元に抱かれたままになっていた、プロト勇者・アルスが遺した聖剣の柄が、カチャリと小さな音を立てる。

 名前も使命も奪われたバグだらけの勇者が、最後の最後に、名もなき読者を守るために見せた、最高に気高い意地の光。

「アルスさんは……自分が完全に消えゆく最後の瞬間に、私に『最高の物語だった』と言って笑ってくれました。私のために命を懸けてくれた彼が、あんな風に誇り高く笑ってくれたのに……私がここで自分の物語を諦めて消えてしまったら、彼の生きた証まで、私が『ボツ』にしてしまうことになるんですよね」

「……ああ、その通りだ」

 三城は静かに頷いた。

「三城さんは、私に『お前は物語の一番の理解者だ』と言ってくれました。システムのエラーなんかじゃない、必要な読者なんだと、命懸けで証明してくれました。……だから」

 シオリは顔を上げた。

 彼女の青い瞳からは、先ほどの悲壮感に満ちた絶望の涙ではなく、まるで春の雪解けのような、温かく、そして力強い大粒の涙が、後から後から溢れ出していた。

「だから、私は……もう、自分の感情を否定しません」

 彼女の声は、ノイズの混じらない、澄み切った鈴の音のように光のトンネルに響き渡った。

「私は、エラーデータなんかじゃない。ただのモジュールでもない。……私は、シオリです。物語を読んで、泣いて、笑って、登場人物たちの幸せを心から願う……一人の、読者です!」

 シオリは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、三城を真っ直ぐに見つめて、心の底にずっと封じ込めていた、本当の、本当の願いを、ついに言葉にして吐き出した。

「私も……生きたいです、三城さん!」

 その叫びは、ワールドコア中枢の冷徹な効率論理に対する、最も純粋で、最も人間らしい反逆の産声だった。

「暗闇の底で、誰かの物語を見上げるだけの残骸は、もう嫌です。私も、光の当たる場所に行きたい。明日が来ることを信じたい。……あなたが、そしてストーリー課の皆さんがこれから創り出していく、最高の物語の『続き』を……ずっと、ずっと、読んでいたいんです……っ!」

 シオリの悲痛で、しかし圧倒的な生命力に満ちた叫びが、光のトンネルを満たしていた。

 三城は、その彼女の涙と、不格好だが一切の偽りのない本音を真正面から受け止めた。

 極限の痛みに苛まれていた彼の左腕や背中の傷が、彼女の純粋な「読者としての願い」の熱量に呼応するように、微かな黄金の光を帯びて修復の兆しを見せ始めていた。

「……よく言った」

 三城の口から、深く、心地よい安堵のため息が漏れた。

 彼は、残された右手で、涙に濡れるシオリの頭を、乱暴に、しかしこの上なく優しく撫でた。

「お前がそう願うなら、もうシステムにも、中枢のエディター(編集長)にも、絶対に邪魔はさせない。お前が暗闇の中で流したその涙の分だけ、お前が愛したキャラクターたちの分だけ……最高のカタルシスを用意してやる」

 三城は、光のトンネルの彼方――凄まじい速度で近づいてくる、出口の光を見据えた。

「俺は輪廻庁ストーリー課の審査官だ。読者が『続きを読みたい』って泣いて頼んでるのに、ここで打ち切りにするような三流作家(ポンコツAI)と一緒にすんな」

 三城は、不敵な、そして絶対の自信に満ちた笑みを浮かべ、力強く宣言した。

「ああ、読ませてやるよ。お前が満足するまで、何度でも、最高のハッピーエンドをな!」

 その三城の言葉を聞いて、シオリは顔をくしゃくしゃにして、声を上げて泣き笑いした。

「はいっ……! はい……っ!」

 彼女は、三城の胸に顔を埋め、アルスの聖剣の柄を固く抱きしめたまま、子供のように泣きじゃくった。

 それは、システムによって存在を完全に否定され続けた『案件No.0000』のヒロインが、長い長い絶望の暗闇を経て、ついに自らの足で「物語の舞台」へと上がった瞬間だった。

『……ザザッ……ピーッ……! 三城さん! シオリさん! 聞こえますか!』

 突然、激しいノイズが晴れたインカムから、ナビゲーターであるルナの明るく、弾けるような声が飛び込んできた。

「ルナか! ああ、バッチリ聞こえてるぜ!」

『バイタルデータの安定を確認! シオリさんのステータスも、正規の保護データとしてシステムに完全に固定されました! お二人とも、もうすぐこちらの管轄エリアに到達します!』

 ルナの元気な報告の背後で、情報処理担当のセラが盛大に鼻をすする音と、同僚の白石が深く、ひどく安堵したように息を吐き出す音が聞こえる。

『まったく……審査官がシステム根幹にハッキングを仕掛けるなど、前代未聞の暴挙ですよ。あなたのこのトンデモない始末書をどうでっち上げるか、今から頭が痛いですね』

 白石の相変わらずの憎まれ口。だが、その声色はかつてないほどに緩んでいた。

『三城さん! シオリちゃん! 早く帰ってきて! とびきり甘くて美味しいコーヒー、淹れて待ってるから!』

 セラの泣き笑いの声が、光のトンネルの中に温かく響き渡る。

「ああ、今帰る! とびきり甘いやつを頼むぜ、セラ!」

 三城がインカムに向かって叫ぶ。

 光のトンネルの出口が、急速に拡大していく。

 圧倒的な光の奔流の向こう側に、無機質だが、彼らにとっては何よりも見慣れた、輪廻庁ストーリー課のオフィスの風景が、蜃気楼のように浮かび上がってきた。

 山のように積まれた、テンプレまみれの企画書の束。点滅する無数のモニター。そして、コンソールにしがみついてこちらを待ちわびる、仲間たちの姿。

「行くぞ、シオリ。あそこが、お前の新しい居場所だ」

「……はいっ!」

 シオリは涙を拭い、しっかりと前を見据えた。

 二人の身体が、眩い閃光に包まれる。

 廃棄領域という絶対の虚無から、たった一人の読者シオリを奪い返すための決死のダイブ。

 それは、プロト勇者の自己犠牲と、裏方たちの命懸けのハッキング、そして三城の規格外のプロット修正という、数々の奇跡と執念によって、ついに完全な成功ハッピーエンドを収めようとしていた。

 ――しかし。

 この時、彼らはまだ知る由もなかったのだ。

 三城がシステムの根幹に強引なハッキングを仕掛け、エラーデータであるシオリを「保護対象」として強制的に書き換えたという事実。

 それは、完璧なテンプレと絶対の効率を司る『ワールドコア中枢』にとって、決して看過することのできない『システム全体への明確な反逆』と見なされていたということを。

 彼らが光の出口を抜け、ストーリー課のオフィスへと帰還したその直後。

 彼らの安息を無残に打ち砕き、物語を真の最終決戦クライマックスへと導く、冷徹にして絶望的な『警告アラート』が鳴り響くことになろうとは。

 だが、今はまだ。

 二人はただ、救い出した命と、これから始まる新しい物語の予感だけを胸に抱き、眩い光の中へと力強く飛び込んでいった。

いよいよ最終章です。

ただいま執筆中ですので、少しお待ちください。

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