古代ローマの戦車競争(その二)
翌日になった。
「マスルスの『戦車競争』が中止になりそうだ」
そんな噂が、ローマの街中に溢れていた。道を行き交う市民たちの多くが、それを口にしている。
その噂を聞いて、他の立候補者たちは笑いが止まらなかった。最大の競争相手であるマスルスが、勝手に転んでくれたのだ。
ローマ各地にいる腕利きの職人たちに、ものすごい戦車をつくらせる?
それらの戦車をローマに集めて、最高の『戦車競争』をする?
しかし、肝心の戦車がそろわなければ意味がない。
あーあ、マスルスの『戦車競争』を見たかったな。ローマ市民たちもがっかりしているだろうな。マースールースー、さーいーてー♪ せーんーきょーで、まーけーろー♪
最大の競争相手が消えた、これはめでたい、と喜んでいたのだが、その日の元老院で事態は急変した。
マスルスが議会の壇上に立って、次のように発言する。
「二日後の『戦車競争』を中止にするかもしれません」
すでに周知の事実となっているが、五台の戦車が一台もローマに到着していないことを、正直に打ち明けたのだ。
「五台の戦車が今いる場所は――」
さらに、予想現在地も包み隠さずに話す。その情報の根拠も合わせてだ。真偽を判断するのは、各人に委ねる。
他の立候補者たちは不審に思った。マスルスはなぜ、こんなことをわざわざ発言するのか? 来月の選挙で勝てないと考えて、早めの敗北宣言か? こうしておけば傷は浅い。次の次の選挙あたりに、狙いを変えたのか?
だが、マスルスの目は死んでいない。強い光をたたえている。これは敗者の目とは違う。
まさか、あるのか? 何か秘策が・・・・・・。
他の立候補者たちの予感は的中する。
「このような状況なので、ちょっとした賭けを提案したいと思います」
賭け、だと・・・・・・。
ざわつく他の立候補者たち。
マスルスは元老院議員たちを見回すと、堂々と宣言した。
「たとえば、五台の戦車がどの順番にローマに到着するのか、それを当ててもらいたいのです!」
元老院のあちこちから、「ほう」という声が起こる。
その場の空気が一変した。多くの元老院議員たちが、マスルスの次の言葉を待っている。
「具体的には・・・・・・」
マスルスが説明するのを聞きながら、他の立候補者たちは苦々しく思っていた。これはまずい。この賭け自体が、奴の選挙活動。当日までに戦車がローマに到着しないかも、そんな不利を逆手にとって、新たな趣向を提案してきた。
(くそっ、マスルスめ!)
この賭けはおそらく、ローマ市民たちの強い関心を得るだろう。それはすなわち、選挙での獲得票数にも直結する。
どうにかして、この賭けを潰してやりたい。
そうだ、胴元のマスルスが私腹を肥やすのが目的では、と主張すれば・・・・・・。
「なお、この賭けによる収益金は全額、元老院の建物の修復費用にあてるつもりです!」
元老院議員たちが次々と立ち上がり拍手を始めた。
(くそっ、マスルスめ!)
他の立候補者たちは苦虫を噛み潰したような顔をするが、もはやこの流れは止められない。
賛成多数で認められた。




