004 Invitation
別世界とも云うべき他所のVRMMOのトッププレイヤー、それもかの有名な〈大々魔道士〉が、この一年間――すなわち、異世界バトルGPの終了後から間もなくである。それからずっとコンタクトを試み続けていた上に、多大な困難を乗り越えて優楽堂の陣地までわざわざ乗り込んで来たわけだ。
それはもう、相当の要件があると思って然るべき。
実は、内心ではかなり身構えていたハヤテである。本音を云えば、彼女から何を云われるのかとビクビクしていた。
アリスの言葉はまったく予想外のもの。
拍子抜け――。
否。
気が抜けたのではなく、魂が抜けていく。
目の前の敵に身構えていたら、斜め上の方からミサイルが突っ込んで来た感じ。
死亡確認。
ハヤテはそのまま、たっぷり一分ぐらいフリーズしていた。
「いや、なんの冗談ですか?」
思わず、ガラにもなく敬語になる。
アリスは気にした様子もない。
「まあ、それはさておき……」
まさかの、さておかれる。
好き、と云っておきながら、その先は端折るつもりだ。
コミュニケーションブレイクも甚だしい。
ハヤテが絶句している内に、あっさり色恋抜きの話題に移行していく。
「私がここに来た目的は大きく二つある。ひとつは、今済んだ。気持ちをハッキリ告げられて、少しスッキリした。でも、大事なのはむしろこっちの方だから」
アリスは真剣な表情である。
「つまり、五番目のVRMMO」
「……ああ、なるほど」
浮ついていたハヤテの気分も、それでストンと落ち着く。
すべては、一ヶ月前――。
ほとんどの連絡が電子メッセージで簡単に済まされるこの時代に、わざわざ仰々しい紙媒体で届けられた一通の案内状。ハヤテはトッププレイヤーとして、VRMMOの新システムのテストやイベントのヘルプなどで、優楽堂から直接の依頼を受けることも多い。そうしたいつもの用件だろうかと思いながら中身を確認した所、あまりの内容にしばらく言葉を失ってしまったものだ。
差出人はそもそも、優楽堂ではなかった。
国際仮想統一機関。
それは、昨年開催された異世界バトルGPの仕掛け人。
脳科学を専門とする私設研究所を母体として発展した国際的大組織であり、現在はUNと協定を結んだ専門機関となっている。
前身が研究機関であるものの、国際組織となって以降はVRMMOと仮想世界に関係する物事であれば、あらゆる分野を総括して取り扱うようになっていた。
VRMMOという『第二の現実』を支配する四大企業、『Power Four』へのカウンター組織としての一面も持ち合わせ、良くも悪くもその影響力は大きい。
一介のプレイヤーからすれば、雲の上の存在である。
HAYATEやALICEのようなトッププレイヤーと云えども、普段から直接関わり合うようなレベルの組織ではなかった。
そのような国際仮想統一機関から届いた案内状――。
記されていた内容は、『THE FIFTH WORLD』プロジェクトについて。
「曰く、世界を変革するための第一歩」
アリスは互いの認識を確認するためか、案内状の内容に触れていく。
「過去に頓挫してしまった夢の計画――『Power Four』統合計画。四大企業の元に分断されている仮想世界をひとつに繋げようという夢は、かつて夢のままに終わった。国家や民族に関する意識が希薄になる一方で、仮想世界の分断は年々深刻になっていく。表面的な衝突こそないけれど、水面下では『Power Four』がキナ臭い抗争を続けているなんて噂話は絶えることがない」
かつてVRMMOが『第二の現実』として進化していく過程で、世界は少しずつ平和になった。人と人がリアルタイムで交流し、国家や人種、物理的な距離の壁を超えて、それらを意識することなく心で繋がり合う時代の到来。それはまさしく、旧時代に思い描かれた理想的な未来のひとつだった。
しかし、綻びは見え始めている。
ひとつひとつの仮想世界は平和でも、その支配者であり、神にも等しい企業たちの関係は平和なものとは云えない。
「こんな状況下で発表されたのが、国際仮想統一機関が秘密裏に準備していた五番目のVRMMO『THE FIFTH WORLD』。既存の『Power Four』と互換性を持ったVRMMOであり、将来的には『THE FIFTH WORLD』と『Power Four』のフレキシブルな行き来を見据えている。現状少なくとも、『Power Four』の各世界のプレイヤーはこれまで獲得したスキルやアイテムを一切失うことなく、これまでのキャラクターをそのまま引き継いで『THE FIFTH WORLD』でゲームをスタートできる」
「ああ、そうだな。案内状にはそう書かれていた」
「最初は笑えない冗談かと思った。でも、案内状の届いた数日後には、国際統一機関からメディアに向けての大々的な発表が執り行われた。それでようやく、これは本物なのだと理解できた。真実、私というプレイヤーに待ち受ける未来なのだと――」
国際仮想統一機関が『THE FIFTH WORLD』プロジェクトを世界に向けて発表する以前のタイミングで、ハヤテとアリスには案内状が届いていた。
いや、二人を含めたトッププレイヤーの多くに、である。
さらに正確な所では、『Power Four』のそれぞれ、ひとつのVRMMOに対して千人のトッププレイヤーが選ばれて案内状が届けられていたらしい。
合計すると、四千人のトッププレイヤー。
案内状に記されていたのは『THE FIFTH WORLD』プロジェクトの単なる説明ではなかったのだ。むしろ、それは前置きに過ぎない。四千人のトッププレイヤーに対して、国際仮想統一機関は勧誘を行っていた。
案内状――。
いや、招待状とも呼ぶべきか。
前代未聞の大計画である『THE FIFTH WORLD』は、入念な準備の元に完成が目指されている。ただのゲームでありながら、ただのゲームではない。そのβテストには三年間という異例の年月が費やされることが決定していた。
四千人のトッププレイヤーに求められたのは、そんな三年間というβテストへの積極的な参加である。
「あなたは、どうするの?」
アリスから問われて、ハヤテはわざとらしく首を傾げた。
「それ、確認する必要があるのか?」
「……そうね。バカみたいな質問だった。忘れて」
アリスはしばらく苦笑していたが、笑うのをやめると、無表情――仮想世界におけるALICEのように、心の奥に何もない、何ひとつ他者には絶対に見せてくれないと云うような無表情に変わった。
ハヤテはそれを見て、異世界バトルGPの準決勝を思い出した。
熱狂と歓喜に世界中が揺れ動いた夢のような祭典。
あれだけのバトル、あれだけのゲームは二度とできないと諦めていた。
分断されているVRMMOの強者たち――〈大々魔道士〉ALICEはもちろん、トーナメントの組み合わせで戦うことのできなかった数多のトッププレイヤーたち。
時々、彼らを夢に見てしまうぐらいだ。
願わくは、もう一度あれだけの戦いをやりたい。
「異世界バトルGPの優勝者が、このβテストに参加しないわけないか」
アリスはそう云って笑った。
期待と不安は、両方。
新しいゲームには付き物である。
しかし、それでも高鳴る鼓動は隠しようがない。
ゲーマーであるからには、国際仮想統一機関の誘いを断って、これまで通りのゲームプレイを繰り返すなんて人生は選ぶはずもないのだ。新しいゲーム、新しいチャレンジ。無限に広がる可能性というもの。選択肢はただひとつである。
アリスが手を差し出して来た。
「パーティーを組みましょう」
どうやら、わざわざ彼女がこの街にやって来た理由はそれらしい。
「パーティーの結成なんて、βテストが始まってからでもできる」
「そうかも知れない。でも、私は本気を見せたかった」
アリスは笑う。
「それに、あなたを逃したくなかった」
「逃げる? いや、逃げる必要がないだろう」
「他の人に、先に獲られるかも知れないし……」
「それこそ、〈虐殺鬼〉をパーティーに誘うヤツなんてこれまで一人もいなかった。お前ぐらいだよ。さすがは、〈大々魔道士〉。これは予想できない」
「〈虐殺鬼〉と〈大々魔道士〉。私たちが組めば、敵はいない」
新しく始まるゲームへのスタートダッシュ。
たぶん、これ以上はないだろう大きな一歩目だった。
ハヤテは、アリスの手を取った。
「ところで……」
しっかりと握手を交わしながら、ハヤテは下手すると世界の行く末よりも気になったままの所を再確認しようと試みる。
好き、と云われた。
冗談だったようには思えない。
「えー、その、なんというかだ……」
アリスは小首を傾げながら、真正面から瞳を覗き込んでくる。
握手したままであるから、距離も近い。
ハヤテは、HAYATEとして、VRMMOの最前線を駆け抜けている。異世界バトルGPでの活躍はもちろん、これまで他のプレイヤーには絶対に達成できないようなクエストをいくつもクリアして来た。
プレイスタイルは、PKを主軸としたもの。
他人からはなかなか理解されない。ALICEとは異なる意味で、常人とは距離を置いた生き様を貫いている。
確固として揺るぎない〈虐殺鬼〉というキャラクター。
だが、一方で、この現実における高校生のハヤテと云えば、平凡も平凡だ。アリスのように、βテストの事前対策のために海外に飛び出すような行動力はない。もちろん、初対面で告白するような勇気も持ち合わせない。
当然ながら、世界一の美少女と至近距離で見つめ合って平静でいられるはずもなかった。
というか、やっぱりメチャクチャ可愛いのである。
ひとめぼれ、と彼女は云ったけれど、逆にもう、彼女からこんな風に見つめられて落ちない男はいるのだろうか。
美少女という概念の最上級みたいなものが、その宇宙みたいな輝きの瞳で呑み込まんとして来る。まさに、ブラックホール。ハヤテの恋愛レベルなんて、恋に恋する高校生ぐらいのものなのに、ほのぼのふわふわしたその世界観にコズミックホラーのなにかが降臨したような違和感、場違い感。普通の人間が太刀打ちできるはずもない。即死である。
ハヤテは、アリスの真意を問い返すことができなかった。
まったく別の話題に逃げてしまう。
「あー、その、わざわざ転校して来たってことは、この街でこれからも暮らすつもりか? 俺に会って、βテストの話を付けたから終わりではなく?」
「もちろん。βテストの三年間はあなたと共にいるつもり。その方が、色々と有利になるだろうから」
仮想世界でパーティーを組むだけでなく、現実でも行動を共にするのは確かにメリットがある。
「ちょうど良かった。それについて、相談したいことがあったの」
「相談?」
「この街で、野宿するのにベストな場所は?」
「……は?」
「実は、あなたに接触するためのアレコレが義母にバレて、勘当同然の大ゲンカになったの。欧州から脱出してこの街に来るまでの間に、資産は凍結されるし、昔から頼りにしているメイドやSPも全員排除されてしまって……」
「いやいや、待て待て」
サクッと話されるが、色々と大問題である。
「事前に根回ししていたから、この街に入ることはできたけれど、それで力尽きた感じ。この街にはコネもないし、手持ちのお金もほとんど尽きているし。だから、しばらくサバイバル生活することも覚悟しての……」
「だから、待て待て。ツッコミ所が多すぎる」
ALICEは、完璧という言葉が似合う天才プレイヤー。
もしかすると、この現実のアリスはそうではないのかも知れない。外見こそ同じであるものの、現実とVRMMOであまりにキャラクターが違っていた。これから待ち受ける『THE FIFTH WORLD』のβテストには、彼女と一緒ならばまったく不安なんて感じないが、こちら現実に関して云えば、ハヤテがいくら教え諭しても食べられる雑草を研究してきたと云い張るアリスには嫌な予感しかしなかった。
「大丈夫。胃腸は強いの」
「まったくそういう問題じゃない」
何はともあれ、二人は改めて出会いを果たした。
少なくとも三年間、これからの人生を共にすることが決定した。〈虐殺鬼〉と〈大々魔道士〉は手を取り合い、『THE FIFTH WORLD』のβテストに全力で挑戦する。
【作者コメント】
感想欄で云われて思い出しましたが、以前掲載していた外伝(前日譚)のシャーロットのお話は、この本編の途中に組み込む予定です。事前にお知らせしておこうと思って、すっかり忘れておりました。
ここまででも明らかな通り、アリスの設定は根本から色々と手を加えています。一応、メイン四人の中では、ここまで変更があるのは彼女だけの予定です。