001 prologue
世界で一番美しい少女は魔法を唱えた。
右手には、炎の魔法。
左手には、氷の魔法。
魔法使いの中でも天才にしか許されない二重詠唱で、さらに対極の属性である。反発する力で生じた大嵐が、華奢な体躯をねじ切りそうな勢いで吹き荒れているが、少女の瞳には欠片ほどの苦痛の色も浮かんでいない。
青と赤のオッドアイ。
機械のように、いつでも冷たい瞳。
無表情で無慈悲に、彼女は世界の終わりを告げる。
「詠唱完了。大魔法を重複起動……シーケンスを移行、戦闘モードを開始します」
緑豊かな大地が厚い雪に覆われていく。山河は凍りつき、ブリザードが吹き荒れる。ほんの一瞬で、何もかも凍てついた死の世界が完成する。
一方で、天は轟々と真っ赤に燃えている。
太陽が、落ちてくる。
天は、炎。
地は、氷。
どちらも、少女の魔法である。
膨大な魔力による不協和音は、まるで世界そのものが悲鳴を上げているかのようだ。終わり行く世界の中心にて、少女はそれでも顔色ひとつ変えない。
少女の名は、ALICE。
十七歳の少女。
世界で最も美しく、世界で最も才能に恵まれ、世界で最も名の知られた魔法使い。色素の薄いブロンドは、炎と氷という二属性のグラデーションに染まっている。激情を表現するような赤色から、静謐なる青色――ただ、やはりその表情だけは変化することはない。
余計なものは不要と云わんばかり、淡々と前を見据えている。
世界を破壊してでも、為すべきことはひとつ――。
彼女は、たった一人の少年を殺すため、魔法を唱える。
◆
世界で一番の悪である少年は武器を構えた。
右手には、忍刀。
左手には、小太刀。
黒一色の和装束、トレードマークである狐の白面で顔の上半分は隠れており、剥き出しの口元には、隠しきれない愉悦の色が浮かんでいた。
「ああ、畜生、最悪も最悪だな。初手から一切の手加減なし。魔法使いらしくない速攻とは恐れ入る。顔色ひとつ変えないくせに、なんてわかりやすいんだ。本当に笑える。そんなにも、僕に負けたくないか?」
少年と少女。
二人の距離は、本当ならば双眼鏡でも使った方が良いぐらい、はるかに遠い。
声高らかに吠えているものの、少年のそれは荒々しい独り言に過ぎない。
「ああ、そうだよな。そうだろうさ。根っこではどうしようもない。中毒同然のバトルマニア。僕とまったく同じだ。まったく本当に、なんて最悪……ああ、はじめまして、ご同類。仲よくしよう、同じ穴のムジナ。塵芥になるまで殺し合おう。これこそ、なんて最悪……なんて最高だよ!」
少女と同じく、少年もまた、シンプルな理由でここにいる。
「さあ、大々魔道士。殺ろうか!」
大々魔道士は、ALICEの二つ名。
世界最高の魔法使いを示す称号でもある。
美しく、清く、ALICEは至高のヒーローであり、ヒロイン。世界中の人々からの期待と信頼、惜しみない愛を託されながら、ここまで主人公のように歩んできた。
一方で、少年の生き様は正反対のものだ。
世界で一番憎まれている。
世界で一番嫌われている。
誰からも等しく「死んでくれ」と願われている。自他ともに認める最悪であり、最凶であり、あるいは最狂でもある。悪名以外の何も持たないが、それらを積み上げただけでバベルの塔より高くなるだろう。
二つ名は、虐殺鬼。
少年の名は、HAYATE。
「殺してやるよ、大々魔道士!」
愛の告白にも似た熱量で、彼は彼女に宣戦布告する。
◆
今、この世界に存在しているのは、HAYATEとALICEの二人だけである。
だから、とても静かだった。
何の比喩でもなく、真実、彼らは二人ぼっちの世界で戦っている。
そもそも、この世界は、二人が殺し合うためだけに用意されたものである。
世界――。
正しくは、仮想世界。
この瞬間、現実という異なるレイヤーからは、無数の人々が二人のバトルを見守っている。実力者同士のPVPはゲームの花形であり、さらに世界最高峰のトッププレイヤー同士の一騎打ちとなれば、やるべき仕事や勉強を放り出すのも当然のことだった。
コンピューターゲームがモノクロのドットだった時代は、遥かな過去。
進化を幾重にも重ねて、現代ではリアルとフィクションの境目すら曖昧になりつつある。
これは、虚構である。
これは、ゲームである。
現実ではなく、仮想世界――。
すなわち、すべてはVRMMOの話である。
◆
今世紀の半ば、人類は新しい世界を獲得した。
地球という限られた土地に限界を感じた人々は、かつて大いなる宇宙に夢と希望を抱いたが、遅々として進まない惑星開拓を嘲笑うかのように、まったく別方向から、無限の可能性を持つ新世界があらわれた。
それが、仮想世界。
VRMMO。
最初期は、ただのゲームに過ぎなかった。
当時のVR技術は、大脳皮質に存在する視覚野や聴覚野と電気信号を相互に干渉させるHMDを用いて、没入型の仮想世界体験を可能にしていた。
HMDは脳の電気信号や波長を滑らかに読み取る。そのため、プレイヤーはアバターと呼ばれる仮の肉体を、仮想世界で意のままに操ることができた。
VRMMOはすぐさま、社会現象という言葉では片づけられない規模の発展を遂げていく。
黎明期には、現実世界と仮想空間の混同や心身への負荷が問題視され、俗には『デスゲーム』と呼ばれる大事件まで発生したが、もはやすべて過去の出来事に過ぎない。
VRMMOの第一世代と呼ばれる壮年の世代では、当時の混沌を懐古し、美化する風潮まで生まれつつある程、現在のVRMMOは安定期を迎えている。
今日では、VRMMOは『第二の現実』と称されるようになった。
現実と仮想世界における価値の反転すら起きている。貴重なアイテムデータなどが資産として認められ、時には土地や宝石よりも価値を持つ時代なのだ。現代の少年少女にとっては、VRMMOは生まれた時から身近に存在するもので、日常の見慣れた風景のひとつに過ぎなくなっている。
人類が現実世界に誕生してから数百万年。
人類が仮想世界を生み出してから数十年。
VRMMOの新作が次々に開発されて、群雄割拠だった時代も過ぎ去り、現代社会では四つのゲーム会社が圧倒的なシェアを獲得していた。
通称〈Power Four〉、四つの仮想世界と支配者たる企業たち。
GW社の〈ワールド・ワールド・ワールド〉。
リオールの〈リオール・オンライン〉。
シュノインの〈ゲルタニア〉。
優楽堂の〈クロス〉。
数十年のデータの蓄積と改良により、〈Power Four〉はそれぞれ独自の文化を形成していた。さながら、それらは四つの巨大な国家だった。
決して交わることのない仮想世界の中で、それぞれのプレイヤーは長らく分断された状態が続いていた。そのような情勢に一石が投じられたのは、ごく最近のことである。
昨年、国際仮想統一機関から、世界規模のPVPトーナメントの開催が突如として発表された。
異世界バトルGPと銘打たれた大会は、国際仮想統一機関が用意した特別な舞台で行われる。
世界中が驚かされたのは、〈Power Four〉の各プレイヤーは、これまで育成したレベルやスキル、収集した装備をそのままの形で活かせるという点だった。
国際仮想統一機関は、〈Power Four〉という四つの仮想世界、四つの異なるゲームシステムを統一した仮想世界を準備していたわけだ。
この前代未聞のイベントに、世界中の人々はかつてない盛り上がりを見せた。
そして、今まさに――。
準決勝という大舞台、その決着が付こうとしていた。
◆
「大々魔道士、捕まえた」
死闘の果て、HAYATEは軽やかに勝利を宣言する。
最後の一歩を踏み出せば、まるで抱き合うような至近距離で、ALICEの心臓に手をかけたHAYATEはニヤニヤと笑い続ける。
魔法使いには、接近戦を仕掛けるべきだ。
それ自体は初心者プレイヤーでも知っている基本的なセオリーだが、トッププレイヤー二人のバトルも突き詰めてみれば、シンプルな攻防に終始していたとも云える。
逃げるALICEと追うHAYATE。
もちろん、ただ逃げるだけでなく、ALICEが絶え間なく唱える魔法は、爆撃のようにHAYATEを襲い続けた。
二人の距離はまるで無限のようにも思われた。
だが、HAYATEは不可能を乗り越えた。
ゆえに、威風堂々と勝利を告げるのだ。
二人はしばらくの間、決着の余韻と共に、お互いの吐息を感じながら見つめ合っていた。
言葉はない。
共感はない。
この時はまだ、何ひとつ相手を理解していない。
ただし、少年も少女も同じ歳であり、若くして理解者のほとんどいない地平の果てを歩んでいる点では共通していた。
戦い、戦い、戦い——。
潰し、壊し、殺し、殺されて――。
ゲームに人生を捧げる二人が何か他のものを生み出せるかと云えば、それはたぶん、大したものではないだろう。まったく何処にでもありそうな、平凡で、退屈な、ため息とあくび混じりの物語だろう。
「く、ふ……ふふふ……」
悪鬼羅刹も退散しそうな笑みで、少年は愉悦を噛み殺している。
その半身は、炭化していた。
炎の魔法で焼き尽くされていた。
心臓には氷の刃が突き刺さっていた。
流せるだけの血はすべて流していた。
乾いた身体に残ったものは、殺意のみ。
殺す、というシンプルな感情だけが、彼をここまで突き動かしていた。崇高な理念などない。高貴な目的などない。運命を背負い込むなんて、まったくガラでもない。
砕けた狐の白面。
片目だけ、そこから覗く。
凶気と狂気と、彼女の心臓に遂に手が届いたという猛々しい喜び。まるで、獣のように。絶叫する代わり、HAYATEは熱い息をドッと吐き出した。それから、笑う。笑う。笑う。徹底的に笑い続ける。
ただひたすら、殺意のみ――。
好意なんて――。
まして、愛なんて――。
少年の心には欠片ほども存在しなかった。
「虐殺鬼、あなた……」
「死ね、大々魔道士」
問答無用。
最後になにか云いかけたALICEを無視して、HAYATEはこれまでの人生で最高の快楽と共に心臓を貫いた。
少年と少女は、こうして出会った。
返り血を浴びながらゲラゲラ笑い続ける彼と、血溜まりの中で冷たくなっていく彼女。殺し、殺された仲となり、もう知らない仲なんて云えなくなる。
今。
世界で一番美しい少女は恋に堕ちた。




