第87話:あの日、拾われた理由
人生には、
「あの時」がある。
あの日。
あの場所。
あの出会い。
もし一つでも違っていたら、
今の自分はいなかった。
だから人は、
過去を忘れられない。
誰も言葉を発しなかった。
教育係の端末に表示された文字。
【識別者:■■■■】
【管理権限コード認証】
主人公は画面を見つめる。
「……あの人が生きてるって事か」
教育係はゆっくり頷いた。
「少なくとも、この認証コードは本人しか使用できません」
失敗作が腕を組む。
「だったら、とっとと会いに行きゃいい」
教育係は首を横に振った。
「そんな単純な話ではありません」
画面には、新たな文字が浮かび上がる。
【音声記録・再生】
主人公達は顔を見合わせた。
教育係が再生ボタンへ触れる。
しばらくノイズが流れる。
そして。
懐かしい声が聞こえた。
『もし、この記録を聞いているなら』
主人公の身体が固まる。
間違いない。
あの日、自分を拾ってくれた大富豪の声だった。
『世界は予定より早く壊れたようだ』
少し苦笑するような声。
『だが、それでいい』
主人公は黙って聞いている。
『君はきっと怒るだろう』
『何故、全部話さなかったのかと』
短い沈黙。
『その資格が私にはなかった』
教育係が目を伏せる。
失敗作も真剣な表情になる。
『私は世界を作る側の人間だった』
『そして、多くを壊した』
主人公は拳を握る。
予想していた。
それでも。
本人の口から聞くと重みが違う。
『だから』
『私は一人の人間だけは救いたかった』
主人公が息を呑む。
『君だ』
静寂。
『国道で寝ていた君を見た時』
『私は驚いた』
『財布ではなく』
『黒糖飴を守ろうとしていた』
主人公の目が見開かれる。
『あれほど飢えていたのに』
『最後まで手放さなかった』
『私は知りたくなった』
『何故そこまで守るのか』
主人公は自然とポケットへ手を入れる。
黒糖飴がある。
今も。
『だから君を拾った』
『世界を救えると思ったからではない』
『優しかったからでもない』
少し笑う声。
『君は、傷付いてもなお、人間でいようとしていた』
主人公は目を閉じる。
あの日の景色が蘇る。
冷たいアスファルト。
腹の鳴る音。
走り去る車。
そして。
差し出された一杯の温かいコーヒー。
『あの日』
『私の方が救われたのかもしれない』
主人公の頬を一筋の涙が伝う。
教育係は黙っていた。
失敗作も何も言わない。
E-01だけが主人公を見つめている。
『もし』
『まだ生きているなら』
『一度だけ会おう』
『話したい事がある』
音声はそこで終わった。
長い沈黙。
誰も動かなかった。
主人公は涙を拭う。
そして。
少し笑った。
「あの人らしいな」
教育係も小さく笑う。
「はい」
主人公は立ち上がる。
空を見上げる。
「行くか」
失敗作が笑う。
「ようやく目的地が決まったな」
E-01も静かに頷く。
「同行する」
主人公はポケットの黒糖飴を軽く握った。
「今度は」
空へ向かって呟く。
「ちゃんと礼を言わねぇとな」
その時だった。
遠く離れた空。
E-00はその会話を静かに受信していた。
『解析』
わずかな沈黙。
そして。
これまで一度も表示されなかった文字が、内部へ記録される。
【優しさ】
意味──解析継続。
第87話でした。
今回は、この作品の原点である「あの日、大富豪が主人公を拾った理由」を明かしました。
大富豪は能力や才能ではなく、「黒糖飴を守り続ける主人公の人間らしさ」に心を動かされていました。
これで、第1章「出会い編」と現在の物語が一本の線で繋がりました。
次回からは、大富豪との再会へ向かう旅が本格的に始まります。




