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初日PM7:30 第三軍大将 蒲池鑑盛

九月 開戦初日 戌二つ刻(PM7:30) 筑後国~豊後国 国境 


『山北村(現福岡県浮羽町山北)と長谷村(現大分県日田市川下付近)のこの道、何度府内へ参上するときに通ったであろうか。まさかこの様な形で再び通る事になるとは、思いもよらなかった』。


豊後侵攻、日田城攻めのための第三軍大将、蒲池鑑盛はそう感じていた。この道もこの茶屋もこの川もこのあばら家も、みな見覚えがある。峠には豊後側の関所があるので、発覚を防ぐためにその手前の各村に兵は分散させた。


喜びも悲しみも哀しさも虚しさも、よくわからない感情が込み上げる。


「申し上げます!毛利領国境信号所より信号あり。『発 杉長良様 宛 小佐々弾正大弼様  メ メイト マツヤマゼウキウエン モトム メ 午三つ刻(12:00)』となります」。


「相わかった!」


よし、感傷に浸っている場合ではない。兵に向かい号令をかける。


「皆の者!命が下った!われらは明朝国境を越え、小佐々の敵となった大友左衛門督を討つべく日田城へ参る。早々に攻め落とし、府内へ向かう!朝は早いゆえ、しかと休んでおけ!!」


「おおおう!!」

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明朝 卯三つ刻(AM6:00)


第三軍に攻撃命令(救援要請=攻撃命令と決まっていた)を発し、七千の軍勢が国境を越える。


関所の番人はもちろん止めるが、『降伏か死か』を選ばせると迷う間もなく降伏した。見張りの者を数名おき、日田城へ向かう。日田城までは三里半(14km)ほどだ。一刻半ほどでつくであろう。

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二日目 巳一つ刻(AM9:00)


日田城東の平野部に陣をはった。日田郡の中でも日田城周辺の村々は盆地になっており、日田城はその中心の丘の上に築かれていた。


山城といえば山城だが、要害ではない。城の北側を北東から南西に花月川が流れており、北東部に主郭、谷を挟んで第二主郭がある。


北東部は西側に土塁を盛り、西下の永興寺へいたる道に、二つの堀切が穿たれている。その外側に、東側以外が土塁で囲まれていた。


しかし城兵は五百もいない。恐らく府内にいたるまでの城で、満足に防備を固めている城は皆無だろう。なんせ二万だ。国衆にも相当無理をさせたんだろう。


ギリっと歯をかみ、拳を握りしめると、思い出したくもない過去を思い出した。


そうだ。われら筑後の国人衆は限界まで絞り上げられ、捨て駒にされたのだ。いかな主君と言えど、われらは生きている人間ぞ。


意味のある死なら甘んじて受けよう。しかし犬死にはごめんだ。さっさと終わらせよう。降伏の使者を送る。城主の財津鎮則は日田郡の代官であり当主だ。


筑前の戦役の際は共に戦い、共に傷をおった。出来うる事なら、同じ苦しみを味わった者同士戦いたくはない。


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二日目 午一つ刻(AM11:00)


・・・。驚いた。降伏するとの返事が来たのだ。それと同時に深く安堵した。


「との、まさか謀略ではありますまいか?」

家老の田尻親種が聞いてきた。


「その可能性は否定できぬ。しかし、だからといって信じぬでは道理がたたぬ」。

「さようでございますな。では、条件はどうされますか。相手方は本領安堵を言ってきておりまする」。


「それでよいだろう。殿は人を殺す事を嫌われる。首など見たくない、仕方がないから見ている、ともおっしゃっていた。われらがそうであった様に、小佐々領内諸法度にある条件にあてはめて、従属の条件を選ばせれば良い」。


「これから会う敵は、全員見知った者ばかりじゃ。正直な所、戦いたくはない。しかし、それが通らぬのがこの戦国の世じゃ」。


甘い考えかもしれぬが、もしかするとこれから先府内まで、戦をせずに済むかもしれぬ。みな、いい加減うんざりしているはずだ。


重い軍役に賦役、特に外様は扱いがひどい。その点われらが殿、弾正大弼様は一門も譜代も、外様でさえ同じ様に扱ってくださる。あの殿なら、われらを戦のない世に導いてくれるかもしれぬ。


主城である日田城が降伏したので、その後、周辺の日隈城、月隈城、大蔵城、坂本城、蕪山城の五つの支城も時をかけずして降伏した。日田城から次の角牟礼城までは六里半(26km)、三刻(6時間)の距離だ。日田勢も合流させて向かう。

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