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東京歌姫(トウキョウ・ディーバ)  作者: RAY
第4部 最終決戦 On the Great Fire of Meireki
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第10話 書けなかった文字


 中庭の隅に運ばれた清志郎は、両足を伸ばした状態で桜の木にもたれかかるように座らされた。


「なあ、一つ訊いていいか?」


 清志郎は、足元に視線をやってポツリと呟く。治療のため、太腿ふとものまでズボンの裾がまくり上がっている。


「なんだ、若造?」


 患部に湿布代わりの軟膏なんこうを塗りながら、清吉は、ぶっきらぼうに答える。


「俺の姿は、あんたとシオンにしか見えてねえ。声も二人にしか聞こえてねえ。あんたにとって俺は得体の知れねえ存在だ。もしかしたら、江戸の町に害をもたらす化け物かもしれねえ。そんな俺を、あんたは危険を顧みず助けた。しかも、ケガの手当てまでしてくれてる。なぜだ? なぜ俺を助けた?」


「助ける理由ねえ……」


 清志郎の唐突な質問に、清吉は、手を止めて唇をとがらせる。


「俺は頭が悪いから、難しいことはよくわからねえ。ただ、お前は柱の下敷きになって動けなかった。そんなお前を嬢ちゃんは必死で助けようとした。だから、俺は助けた。それだけだ。お前がどこの誰だろうと関係ねえぜ」


 清吉の単純明快な返答に、清志郎の顔から笑みがこぼれる。


「どうした? 何か可笑しいことでも言ったか?」


 清吉は、いぶかしい顔をして首を傾げる。


「何もおかしいことなんかねえよ。俺が同じ質問をされたら、きっと同じように答えたと思ってな……。目の前に火があれば消す。助けを求めている人がいたら助ける。火を消したり人を助けたりするのに理由なんかいらねえよな」


「若造、お前とは気が合いそうだぜ――おお! 嬢ちゃん、ありがとよ」


 二人の前に、白い布と添え木を手にしたシオンが現れる。清志郎の患部を固定するために、清吉が手配を依頼したものだ。


「俺は医者じゃねえからこれぐらいのことしかできねえ。でもな、バカにならねえぜ、ゲンノショウコで作った軟膏なんこうはよ。こいつを塗って患部を固定すれば治りが早えんだ。骨折常習犯の俺が保証するぜ」


 清吉は、手慣れた手つきで布地を引き裂くと、添え木を使って軟膏が塗られた患部を固定する。応急処置としては申し分なく、医者顔負けの対応だった。


「……清吉、もう一ついいか?」


 少し間が開いて、清志郎が躊躇ためらいがちに尋ねる。


「難しいことはわからねえぞ」


 清吉は、両手で布を縛りつけながら言い放つ。


「いや、質問じゃねえんだ。助けてもらった礼が言いたくてな」


「礼だと? お前、自分で言ってたじゃねえか。目の前に困ってるヤツがいたら助けるのが当たり前だって。礼なんか言われる筋合いはねえぜ」


「いや、今日だけじゃねえんだ。あんたに助けてもらったのは」


 清吉は、眉間にしわを寄せて、清志郎の顔をいぶかしそうに見つめる。


「若造……俺はお前と今日初めて会ったんだぜ?」


「ああ。俺もあんたに会うのは、今日が初めてだ。ただ、あんたには、これまで何度も助けられた」


 清吉は、納得がいかないといった様子で首を傾げる。

 清志郎は、首からぶら下げたお守りを感慨深げに見つめた。


「悪いな。訳のわからねえことばかり言って」


 清志郎は、視線を逸らすと小さく笑った。

 こんな話をしても清吉が理解できないことはわかっていた。ただ、心のどこかでこんな情景に出合うことを望んでいた。もし出合えたら、清吉に礼を言おうと決めていた。

 横にいたシオンが清志郎の服の袖を引っ張る。手のひらを上に向けて指で文字を書き始めた。


『よ・か・つ・た・な』


 清志郎の心の中を見透かしたように、シオンは、にこやかに笑い掛ける。

 シオンに笑顔を返した清志郎は、再び清吉の方へ目を向ける。


「清吉、一つ頼みがある……。俺の代わりにシオンを守ってくれねえか?」


 その瞬間、シオンはハッと息を呑む。

 慌てて清志郎のリストウオッチを覗き込むと、カウントダウンの表示は「0:03」。清志郎がこの世界に居られる時間が残り三分を切っていた。

 目を伏せて表情を曇らせるシオンを、清志郎は憂いを帯びた目で見つめる。


「シオン、俺はもうすぐいなくなる。でも、死んじまうわけじゃねえ。俺の居場所へ帰るだけだ。俺たちの作戦は、お前と清吉のおかげで成功した。ただ、一つ心残りがある」


 心残りという言葉を耳にした瞬間、シオンは、条件反射のように顔をあげた。「シオンと離れたくない」。心のどこかで、そんな言葉を掛けてもらえることを期待した。


「それは……お前の声が戻ってねえことだ」


 期待外れの展開にシオンの口からため息が漏れる。辺りが重い空気に包まれた。


「わかった! 状況はよく見えねえが、乗りかかった船だ。嬢ちゃんのことは俺が引き受けた。信頼できる医者も何人か知ってる。嬢ちゃんの声が元に戻るよう最善を尽くすぜ」


 気まずい雰囲気を感じ取ったのか、清吉が大きな声を上げる。


「それからよ……嬢ちゃんが悲しまないようにもする。だから、安心しな、若造」


 清吉の言いぶりは、まるでシオンの気持ちがわかっているようだった。


「ありがとう。あんたが付いていてくれたら百人力だ――シオン、何かあれば清吉を頼るんだ。大丈夫だよな?」


 清志郎の言葉にシオンは笑顔で頷く。

 本心を言えば、大丈夫ではなかった。胸のあたりにあるモヤモヤを払拭できずにいた。ただ、最後まで笑顔でいなければいけないと思った。


★★


 リストウオッチの表示が一分を切る。

 添え木で固定された、清志郎の足がつま先の方から少しずつ消えていく。

 シオンは、唇を震わせながら笑顔を取り繕う。しかし、こらええきれず、涙が頬を伝う。


「シオン……」


 清志郎は、心配そうにシオンを見つめる。既に両足は見えなくなっている。

 シオンは、清志郎の手をとって手のひらに人差し指で文字を書き始めた。


『あ・り・が・と・う』


「俺の方こそ、ありがとな。お前に会えて本当に良かった。お前のこと、絶対に忘れねえから」


 清志郎の腰から下が消える。もう時間はほとんど残っていない。

 シオンの笑顔が崩れ、大粒の涙が清志郎の手のひらにポロポロとこぼれ落ちる。


『と・う・き・よ・う』

『か・ず・わ・り』

『す・た・ば』

『な・ん・き・よ・く』


 シオンは、清志郎の手のひらに落ちた涙をなぞるように、頭に浮かんだ情景をひたすら書き綴った。清志郎は、その一つ一つにうんうんと笑顔で頷く。そのとき、二人の脳裏には、同じ情景が浮かんでいた。


『す・き』


 躊躇ためらいがちに書こうとした二つの文字。しかし、それはままらなかった。

 清志郎の手のひらが消えてなくなっていたから。


 シオンは、慌てて顔を上げる。

 そこには、薄れていく、清志郎の笑顔があった。


「またいつか……」


 そんな言葉を発しながら清志郎は去って行った。

 シオンは、その場にペタンと座り込んで、うつろな眼差しでくうを見つめた。


「……せい……しろう……」


 シオンの口から微かに声が漏れた。

 清吉がシオンの肩に静かに手を添える。シオンは、ゆっくりと視線を清吉の方へ向けた。

 次の瞬間、表情のなかったシオンの顔が悲しみで満たされる。


「清志郎! 清志郎! 清志郎!」


 清吉の胸に顔を埋めてシオンは泣いた。

 清志郎の名前を呼びながら。いつまでも、ずっと。



 つづく


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