第八話
「…一体どういう事でしょうか。」
「不明だな。空間魔法か、強固な結界か、或いは幻術の類いか…だがどちらにしろ、面倒ではある。」
「魔法が発動したことすら分かりませんでした。」
「オスカーに聞いてみなければ何も始まらないだろうな。レオ、村長のところへ行くぞ。魔核がなんなのか話を聞く。」
「オスカーさんは?このままで良いのですか?」
「魔力はきちんと回っている。問題はない。下手に動かすよりかは良いだろう。時期目覚めるはずだ。行くぞ。」
「はいはい。分かったって。」
冷たく淡々とリカルドは指示すると、レオを伴って村の奥の方へと向かった。リカルドのことだから、位置が分かるような魔法を村長にかけておいたのだろう。
エマはオスカーに土を沿わせ続けながら、ちらとシャーロットを見た。彼女も大分疲れているようだ。座り込んでオスカーとエマを見ている瞳には心配の色が滲んでいるが、その顔色は悪い。
「シャーロット様、大丈夫ですか?」
いつもの疲弊とは違うような気がして、エマはぽつりと溢した。心の声がつい漏れ出たのだ。しまった、とエマは思ったが、もう遅い。
「大丈夫だよ。なんだろう、今回は…上手く言えないけど、変な感じだった。」
「本当に大丈夫なの?」
リュカが眉尻を下げる。シャーロットの近くにしゃがみこんで、何かあったときのために魔力を練り上げている彼の周りは、小さくパチパチと電光が走っている。
「うん。大丈夫だよ。びっくりしたけど。オスカーも、大丈夫だと良いんだけど。」
「そうだね。」
「でも、なんだか不気味だね。」
「不気味?」
「うん。なんだか、ちょっとタイミングが良すぎない?」
シャーロットの言葉にエマは心の中で同意した。何故、今日なのか。いや、今なのか。遭遇したくなかったという意味ではない。勿論遭遇しなければそれはそれは嬉しいのだが--問題は、まるでエマ達がここへ来るのを知っていたようなタイミングでことが起こった事。
考えすぎだろうか。たまたまかもしれない。
土の親和性が悪いのも。嫌な予感も。エマの俯きがちな思考の現れかもしれない。
しかし。あまりにもタイミングが良すぎる。魔核のあの魔力の量。光という広範囲攻撃。村の住民だけなら壊滅は確実。発動があと少し早ければ、村ごと消えていたかもしれない。それほどだった。特殊対魔チームがエリート揃いだったからこそ大した損失もなく無力化出来ただけだ。
これは。エマはぎゅっと目をつむる。嫌な予感であってほしい。嫌な予感でなければならない。こんな、まるで、誰かが仕組んだかのような---
エマは頭を振る。大丈夫。大丈夫だ。まだ何も分からない。大丈夫。分からない事は不安だが、分からない状態で思考を固定してしまうのはもっと良くない。それくらいはエマでも分かる。
エマはふぅと息をついて、オスカーへ土を沿わせる作業を止めた。何分か続けて行っていたので、もう大分体表の熱を奪えたのだ。
オスカーは、魔法使いではない。彼は騎士だ。つまるところ、剣士であって前衛で戦う者。少なからず魔力を持ってはいるが、魔法は専ら身体強化を使うくらい。だからこそ、己で己を癒せない。属性魔法を持たない者は、癒しの術がない。
魔法とは、体内にある魔力を、形作って放出すること。その形作る指向性が、属性なのだ。エマならば土、レオならば火、リュカならば雷、リカルドならば水や風など---魔法使いは己の属性というものを持つ。体を癒すには、一旦魔力を放出する必要がある。体内にある魔力は、形作って具現化することで様々な能力を持つのだ。勿論、癒しの力に向いた属性というのは勿論ある。火より水、雷より風、闇より光の方が癒しの力に向いているが、だからと言って火や雷、闇の癒しが弱いと言うわけではない。
だから、エマが先程オスカーに使っていた土魔法も、癒しの力を纏ったものだ。体表の熱を奪い、対象の体内の魔力を均等に循環させる癒しの術。少しはオスカーの助けになれれば良いのだが。
エマはオスカーの顔を覗き込みながら、くるくると考える。
リカルドは、オスカーが急に居なくなった事について、空間魔法か、強固な結界か、幻術の類いか判断がつかないと言った。他の術かも分からない。ただ、ありとあらゆるものには理がある。なんの理もなく、ただ神隠しのようにぱっとオスカーが居なくなる、なんてことはないのだ。
だから、何らかの力が発動した事は確かなのだ。にも関わらずエマにはその瞬間を捉えることが出来なかった。魔力量が多いエマは、感覚が鋭い。そうでなくとも、高位の魔法使いであればどこかで魔法が発動すれば、それを感じることが出来る。隠蔽や潜伏、偽証の魔法が掛けられていたとしても、チームの誰か一人くらいは魔法の発動やその痕跡に気付いても良い筈なのだ。
しかし、誰も分からなかった。では、魔法ではないのだろうか。世間一般的には、不可思議な奇跡は全て魔法によるものだと思われているが、魔力を使うのとは別の固有の力と言うものも存在する。けれど、そうなればエマ達の専門外になるわけで---考えても仕方ないのでとりあえず頭の隅に千切って投げる。
魔法だとすれば、何故わざわざオスカーだけを切り離したのか。彼が一人でいたから狙いやすかった?それとも魔核は、そうやって別個で対策するほどオスカーの事を嫌ったのか。いや、ならばシャーロットを狙うはず。無力化されるのが一番嫌なはずだ。魔核からすれば。
エマはそこまで考えて酷くぞっとした。まるで魔核が思考しているかのような推察だ。魔核の暴走は、ただ魔核に残った魔力の暴走だとして捕らえられてきた。
当たり前だ。だって、魔核を宿していた魔物の命はもうないのだ。魔核が動ける謂れはない。いやだからこそこの現状は可笑しいのだが。
エマはとっちらかった頭の中を整理する事を諦めた。ぶるりと一つ身震いする。
「…酷い顔だ。」
聞こえてきた静かな声に、エマはオスカーを見た。彼は微かに微笑んで身を起こすと、今度はほんの少し眉尻を下げた。気のせいだろうか?緑の瞳が少し曇っているかのような。
「すまない、迷惑をかけた。」
「オスカー、良かった…皆心配してたんだよ!」
「すまない…。シャーロット殿も…外傷はなさそうだが酷い顔だな。戦闘では誰も怪我をしなかったか?」
「魔核は押さえたよ。怪我はなし。簡単には行かなかったみたいだけどね。」
「と言うか、さっきから女の子に向かって酷い顔ってなんなのーもー。」
ぷうと頬を膨らませてシャーロットがオスカーを睨んだ。彼女の顔色はまだ少し悪いが、軽口を叩けるほどには体調は回復したらしい。オスカーは、何故己が責められているのか分からないといった顔をしている。リュカが笑って肩を竦めながら走らせていた電光をひっこめた。魔力は練ったままだが、オスカーが起きてエマも手が空いたのだ、電光を走らせるのにも魔力を使う。もう臨戦態勢になる必要はない。
エマもほっと一息を付いた。魔核についての考察を、置き去りにしたままに。