76.フォルスヘーデン旅行記①
旅行の日の朝。
いつもどおり朝の訓練をこなした後で、フェルディーン家の侍女が一通の手紙を運んできた。
「ユーフェミア様からお手紙が届いております」
「手紙?」
なんの件だろうか、と思いながらイルヴァは手紙の封を切った。
「あ……忘れてた」
中身は、兄イクセルについての調査報告書だった。
最初にパラっと全体を見てから、一枚目を読む。
「2枚目と3枚目を同封して送っていいわよ……って、なるほどね」
このままシャルロッテに横流しできるようにと、2枚目以降の調査部分には兄の情報しかかかれていないようだ。
これなら、前書きを書けば、2枚目と3枚目はそのまま横流しできる。
「そちらは?」
マリアに問われて、イルヴァはそのまま調査書を渡す。
彼女は内容を見て、シャルロッテとの会話を思い出したのか、合点がいったように頷いた。
「私が調査を命じられるのではと思っていましたが、ユーフェミア様の方が断然、適任だったようです」
「あなたは私付きだから、お兄様について知ってることは私とあまり変わらないでしょう?」
「お嬢様よりは詳しいかと思いますが……」
マリアに心外ですという顔をされて、イルヴァは少しだけ傷ついた。
実の妹より、その妹付きの侍女の方が兄について知ってるのが当然というのはどうなのだろうか?
しかしながら、兄の恋愛事情など全く把握していないので、マリアの方が詳しいという主張にうなずけることもある。
「そもそも今も、調査報告書の内容にあまり興味を覚えていらっしゃらないようですし」
「う」
図星すぎて何も言えない。
書類の形式だけ確認して、シャルロッテに横流しできて良かったと思っていた。
イクセルの恋愛事情を知っても、自分には活用しようがないと思ってしまうところがいけないのだろう。
そんなイルヴァの様子を見て、マリアはため息をつくと調査報告書を指差して言った。
「シャルロッテ様に送るのであれば、内容を把握しておくべきではありませんか?」
至極真っ当な指摘に、イルヴァはため息をつきながら目を通すことにした。
書いてあることは食事の好みや、好きな本、好きな劇団の女優の名前など、たわいもない情報だ。
女優は名前を見ても誰かわからないので、好きな本のリストを眺めてみた。
本のリストを見ていると、イルヴァも知っている魔法理論の本も多くあった。
その中には、家政論や帝王学の本も混じっている。
ーーーやっぱり、当主になるつもりだったのね。
イルヴァが結婚できなかった時のためだけに、兄に随分と放浪させてしまったものだ。
「気になることがありましたか?」
「本のリストを見て、思うところはあるわね」
マリアはチラリとリストを見て、ああ、と頷いた。
長年の付き合いだ。言いたいことは分かるのだろう。
「本当ですね。イクセル様の陰ながらの努力を感じます」
「ええ。そうね。私のために遠回りさせたかと思うと、申し訳ないわ」
イルヴァが早く婚約していれば、もっと堂々と勉強できただろうに。
そう思っていうと、マリアが深々と頷いて言った。
「確かに、お嬢様がエリアス様ともう少し早く出会っていれば、こんな本は読まなくてもよかったかもしれないですね」
頷きかけて、何か話が噛み合っていないことに気がつき、顔を上げる。
「え?」
「え?」
2人で顔を見合わせて、そして同時に言った。
「ノブレス・オブリージュを体現する君主論、の話じゃなくて?」
「B・カスティオーネの、宮廷論〜角を立てずに断る話術〜の話ではないんですか?」
マリアがあげた書籍のタイトルに聞き覚えがなく、イルヴァは本のリストに目を通す。
そこには、疑問を解消する一言が、小さく添えてあった。
※この本は、数々の女性からのアプローチを断るために利用していたようです
イルヴァはようやく、兄の陰ながらの努力を正しく理解したのだった。
そんな朝の一悶着を終え、イルヴァは友人にも頼んで調べた噂話も込みだということを添えて、シャルロッテに報告書を送付した。
兄はどことなくシャルロッテに好感を持っていそうだから、シャルロッテの想いも届くことを祈るが、こればかりは本人でないと分からないことである。
これで、最低限、妹としての対面は保てただろう。
「お嬢様、レンダール様がいらっしゃいました」
そんなことをやっているうちにエリアスがレンダール家の車でやってきたようだ。
出迎えに行くと、車の前に立つ、艶やかな金髪が目に入った。
今日のエリアスはシャツにスラックスとラフなスタイルだ。街歩きがメインなので、馴染むことを優先した結果だろう。
エリアスはイルヴァと目が合うと、穏やかに微笑んだ。
「おはよう、イルヴァ」
「おはよう、エリアス」
お互いに交わす挨拶が、どことなく自然になってきた気がする。
始めが特筆違和感があったかどうか覚えてもいないのだが、ふと、そんな考えがイルヴァの頭の中に浮かんだ。
「イルヴァ?」
「え?」
「具合でも悪い?」
気づいたら、エリアスの顔が間近にあって、イルヴァは反射的に後ろに一歩下がった。
どうやらとりとめのない思考でぼんやりしていて、心配させてしまったらしい。
「大丈夫。ただぼうっとしていただけ」
イルヴァは心配そうなエリアスを安心させるべく、微笑む。
「今日は何人かしら?」
「アストだけ連れて行くよ」
「そうなの?」
公爵家跡取りの護衛がそれで本当に良いのか、とアストをちらりとみると彼はしっかりと頷いた。
「今日は、フェルディーン家でお茶を飲むだけだからね」
エリアスは茶目っ気たっぷりに、対外的な理由を持ち出すと、イルヴァの側に控えているマリアを見た。
「イルヴァは? マリアさん?」
「ええ」
「では、部屋までエスコートしようかな」
自然な仕草で出された手を取り、2人は屋敷の一室に向かって歩き出す。
エリアスの残りの護衛は車で待機するようで着いてこない。
「そういえば、両親と兄が不在で申し訳ないと言っていたわ。所用があるらしくて」
イルヴァはあえてその所用については聞いていないので、曖昧な言い方になってしまう。
「大丈夫だよ。実際のところ、ほとんどお話しする時間もなさそうだから」
エリアスの横顔をちらりと伺うが、別段、思うところはなさそうだ。
両親が気にしていたので、そう言ってくれるとありがたい。
「よければ、今度、3人がいる時にもう一度招待させて」
「喜んで」
雑談しながら部屋に着くと、イルヴァはいつものごとく防衛魔法を張り巡らせた。
そして、そのまま空間魔法で、別荘にある自分の部屋と繋ぐことにした。
半透明の扉が見る見るうちに現れ、イルヴァは躊躇いなくその扉を開け放つ。
「これ、イルヴァ以外の人が使えるようになるには何年かかるんだろう?」
すると、少し後ろにいたエリアスが、しみじみと呟いた。
彼の言うことが実現するのは、確かに少し先になりそうだ。
イルヴァといえど、リタの理論を使って転移門を作成するのはかなり時間がかかるだろう。
否、作成はすぐにできるかもしれないが、どちらかというと起動が難しい。
「かなり先かもしれないわね」
「そうだよね……」
とはいえ、レンダール領への行き来ぐらいなら、イルヴァがいれば実現できそうだ。
周囲が魔物だらけのフェルディーンの本邸とは繋げない方が良いだろうが。
「では、行きましょうか」
イルヴァはそう言うと、半透明の扉をくぐって別荘の部屋へと足を踏み入れた。
エリアス達もこちら側に来たのを確認すると、一度空間魔法を解除する。
「ここはフォルスヘーデンと聞いてるけど、今日は天空の滝を?」
「そのつもり。街を散策して、滝を見て、最後に行きたいところがあるの」
別荘地のあるこの地は、イルヴァの因縁の地でもある。
護衛に裏切られた忌まわしい記憶の地であり、同時に契約精霊との出会いの場所でもある。
精霊との契約の対価を打ち明けるとして、これ以上相応しい場所はないだろう。
*****
「天空の滝は街の奥にある森のその先にあるんだよね? この水路はもしかして?」
「そうよ。滝から流れてくる川を引いているの。というより、おそらくは川のあったところに街を作ったのかと」
フォルスヘーデンの街は、台地の下に広がる森、その南側に位置する。
大地から滝として流れ落ちた水は川の流れとなって森を通り、この街の至る所に流れ込んでいる。
「水音が心地よいね」
「そうでしょう?」
水音の心地よさを味わいながら、あたりを見回した。
王都キルトフェルムほどの賑やかさはないものの、街の大通りには人が行き交い、土産物屋や食べ物屋など店々も並んで活気がある穏やかな街だ。
昔から来ているが、町並みは全く変わらない。
「天空の滝も楽しみだな」
「いいところよ。滝の近くの森も雰囲気が良くて、とても気に入っていたの」
「気に入っていた?」
即座に問い返されて、息が詰まる。
こぼれ落ちた本音が過去形であることを、エリアスは聞き逃さなかったようだ。
「その森は、私が契約した場所なの」
何と、と言わずともエリアスには伝わったようだ。彼は目を見開き、続いて申し訳なさそうな表情をした。
「ごめん」
「ううん。あなたにその話をするためにここを選んだから。気にしないで」
「ちなみにこの街に来たのも、久しぶり?」
繋いだ手からエリアスの緊張が伝わってくる。
「……いいえ。街まではよく来てるわ」
質問の意図が汲めずに答えると、エリアスは少しだけ表情を緩めた。
「そっか。君が散策を楽しめないんじゃないかと思って」
---ああ、心配してくれてたのね。森に入るまでは大丈夫なのよね。問題は森の方なんだけど……。
エリアスが少しだけ手を握る力を強めた。
「街は本当に大丈夫だから安心して。楽しみましょう」
安心させるように微笑むと、エリアスは一瞬何かを考えるようなそぶりで沈黙した後、微笑んで頷いた。
そうして歩き出そうとすると、グイッと手を引かれ、エリアスと向き合う形になる。
「イルヴァ」
彼の美しい顔が、間近にあって、イルヴァは息を呑んだ。
その真剣な眼差しから、察しの悪いイルヴァでも、彼が何かを打ち明ける気なのだと分かった。
「僕は実は---」
「---きゃあぁぁぁぁ!!!」
エリアスの言葉は、突然上がった悲鳴でかき消された。




